エピローグ「神谷 静子」

地元に戻った俺は、相変わらずな日常を送っていた。


ハクは俺のマンションで一緒に暮らしていて、此方の生活にもだいぶ慣れてきたようだった。

ただ、まだ一人で外出させるのは色んな意味で危険なので、もっぱら留守番の日々だが。


──ブーブーブーブーッ


ボケットのスマホのバイブが鳴った。


液晶画面には元子さん、と表示されている。


「はい、真昼です」


『おお、久しぶりだね教授さん、元気にしてたかい?』


「ええ、元気ですよ、ハクも、お陰様で元気にしています」


『そうかいそうかい、そりゃ何よりだ』


「あの……民宿、お辞めになられたんですね」


『おや、もう耳にしたのかい?そうなんだよ、最近腰を悪くしちまってね、年甲斐もなくゲートボール何かに手を出したからかねえ、はははははっ』


「行方も分からないと、幸村から聞いています……」


『そうかい……そうそう、実は渡したい物があってね。もう教授の家に送っておいたから明日にでも届くと思う、』


「このまま、ハクには名乗らないつもりですか……?」


俺は元子さんの話を遮るようして言った。


『何の……話だい?』


「貴方は元子さんなんかじゃない……貴方は……貴方は神谷 静子、ハクの……母親ですね?」


『……』


元子さん、いや、神谷 静子は何も応えなかった。


「覚えていますか?貴方が民宿の入口で拾った巾着袋の事?」


『あれが……何だって言うんだい……?』


「あの時貴方の行動が不自然だったんです。確かに、あれが何かの骨だと分かれば、誰だって驚きはします。けれどあの時俺は、あれが骨だと確信するには時間が掛かった、しっかりと確認し記憶を辿って得た回答なんです。なのに元子さん、貴方はあれを袋から取り出した瞬間から驚き怯えていた。だから俺はあれが気になって、あの骨を幸村に頼み分析に掛けてもらいました」


『それで……?』


ドキリとした……。

そう聞き返してきた元子さんの声が、明らかに違って聞こえたからだ。

年老いた老婆の声ではなく、若く艶のある妖艶な声。


「あ、あの骨は狐の骨でした。二人組の男達が言っていたんです。ハクを捕らえた時、札と匂い袋の話をしていました。あのハクが侵入者に対し気付けず、あっさりと捕らえられてしまった。あの匂い袋には、狗神の感覚を麻痺させる様な効果があったのでは?狐は昔から狗神の天敵と言われています。おそらくあの札と匂い袋は、狗神に対抗するために作られた呪具の様なもの……そう考えると全てが納得できたんです。つまり、あの時貴方が驚いたのは骨に、ではなく、あれが狐の骨だといち早く気付いたからだと……」


そこまで言い切った後、長い沈黙が流れた。

校庭から運動部の掛け声が響き、忙しない蝉の鳴き声が更に騒がしく聴こえた。


『流石だね教授さん……』


明らかに別人の声。

いや、これが本来の声、神谷 静子の声なのだろう。


「認めるんですね」


『ああ……だけど、残念だけどハクには名乗らない』


「何故ですか?ハクはずっと母親である貴方を……!?」


『私が母親である以上。あの子は命を狙われる。だから、今までもそれを隠して生きてきた』


「憲兵に捕まった時ですか……?」


『ああ……影井が私の子供を探している事に気が付いたよ。だから私は一芝居うったのさ。自分が死んだように見せかけてね。影井の馬鹿はまんまと騙されてくれたよ。でも奴のしつこさは重々承知していたからね。奴が諦めるまでは、私はハクと一緒に暮らす事はできなかった。だから夫に頼み、あの子の面倒を見てもらいながら、あの山の中で隠れて生きて貰う事にした。でも夫は私やハクと違って普通の人間だ。慣れない山暮らしで直ぐに病にかかり、私らを置いてあの世に逝っちまったよ。本当に、最後まで良い人だった……世話焼きの所なんか、教授さん、アンタにそっくりさ』


なんと答えていいのか分からず、俺は思わず黙りこくってしまった。


『ハクが父親と一緒に暮らしている間、私も色々な術を完成させた。見た目を誤魔化したりもお手のもんさ。色々なやばい奴らとの繋がりもできて、戸籍や証明書何かも手に入れた。さっき言ってた教授さんへの贈り物もそうさ、ハクの新しい証明書類だよ。全部偽造だけどその辺のパチもんと違って作りはぴか一だ。ちょっとやそっとじゃバレないから安心して使いなさいな』


「貴方がその気になれば、ハクと一緒に暮らせたんじゃないんですか?身分を偽ってでも、一緒に暮らしてあげれば、」


『甘いね教授さん……』


「甘い?」


『ああ、甘々だよ。狗神の血が影井だけだと思ってるのかい?』


「そ、それは……」


『狗神筋はまだまだ根深くこの日本を蝕んでるのさ。もちろん全てが全て悪いものでは無い。狗神落としの血を脈々と受け継ぐ者もいる。けれど、少なくともこの狗神の邪法を手に入れたがっているのは、影井だけじゃないのは確かだよ』


「つまり、これからもハクは……」


『そうさせない為に、教授さん、あんたにハクを預けたんだよ……』


「そうさせない為?」


『ふふ、決まってるだろ。私は十分力をつけてきた。そして今はハクも安全な場所にいる。だとしたら、私が取る次の行動くらい、教授さんはお見通しだろ……?ふふ、あははははっ!』


「まさか……!?」


『いつか奴らを根絶やしにした時は……その時は……それまで、あの子を頼んだよ……教授さん……』


「まだ話は終わっていない!静子さん!静子さん!?」


──ツーッツーッツーッ


通話はそこで切れてしまった。


手から滑り落ちるように、スマホが床に転がった。


いつの間にか日は沈み、あれだけ煩かったセミの鳴き声も、今は遥遠くに感じる。


ひぐらしの鳴き声が、不気味な前触れでも告げるように、ひっそりと鳴り響いていた。


帰り支度をし大学を出た俺は、マンションの近くで見慣れた顔と出くわした。


「椿……?どうしたこんなとこで」


「あっ、教授!」


「あ、ああ、お前家こっちじゃないだろ?」


「そ、そんな事知ってますよ!は、ハクちゃんの様子どうかなあって思って……あれ?教授、何か元気ないですね、何かありました?」


「へっ?ああいや、大丈夫、何でもないよ。ハクの様子だっけ?元気にしてるよ。最近料理が上手くなってな、晩飯はハクが作ってくれてるんだ」


「ふ、ふうん……晩御飯ですか、そ、そりゃあいい奥さんになりそうですね……」


「奥さんって、ハクがか?想像つかんな、はははっ」


「教授はその……奥さん、見つけないんですか……?」


「えっ?お、俺か?何だ急に……ううん、俺みたいな変人じゃあな、ははっ」


「自分で言わないでください!教授はその、自分で思っているよりも、へ、変人じゃありませんから」


「そうか?ふふ、ありがとう椿。そうだ、お前も飯食っていけよ?晩飯まだだろ?」


「えっ?わ、私はそんな、邪魔しちゃ悪いし……その、」


「椿っ!」


突然、マンションの入口から此方に駆け寄る足音と声が響いた。

目をやると、白いワンピース姿のハクが此方に向かって走ってくる。


「は、ハクちゃん?わわっ!?」


ハクは椿の元に駆け寄ると飛び付くようにして抱きついた。


「聞いたぞ椿!一緒にご飯食べよっ!」


「えっ?えっ?」


戸惑う椿だが、


「一緒に食べようよお!」


「わ、分かったから、分かったから落ち着いてハクちゃん!」


「へへへっやったな先生!」


「おう、でかしたハク!」


とまあこんな感じでハクに押し切られた。

まあ俺もこんな感じで日々ハクに押し切られている気がする。


「じゃあ行きますか」


そう言って俺はハクと手を繋ぎ並んでマンションへと歩き出す。


ハクを挟むようにして、三人横に並びながら。


ハクは俺と椿の腕を掴み、途中両足を浮かせたりしてはしゃいでいた。


「おいおいハク、はしゃぎすぎだ」


「へへへへっ、だって楽しいもん、何かお父さんとお母さんができたみたいだ、なっ、椿!」


「えっ……?ええぇぇっ!?」


「ちょっ椿声デカすぎ、近所迷惑だそ?」


「あっ、先生!大変だ椿の顔が真っ赤っかだ!」


「ここ、これは違います!大丈夫です!」


「どうした椿?本当に大丈夫か?」


「大丈夫です!」


「あ、また赤くなった!椿面白いな!あははははっ」


「ハクちゃん!!」


その日、俺達は三人で食卓を囲んだ。大勢で食べるのは楽しいからと、ハクがまた来てと椿におねだりしていた。

俺は二人のそんな光景を目の当たりにし、こういうのも悪くないと、ふとそう思った。


翌朝、ポストを開けると、昨日静子さんが言っていた書類が届いていたのを確認した。


ついでに朝刊を手に取とり、俺は大学へと向かった。


駅のホームに着き徐に新聞を広げると、そこにはこんなニュース記事が書かれていた。


──徳島に住む、影井 清隆氏が、今朝、自宅で遺体となって発見されました。また近くには影井氏の秘書と思われる男性二人の遺体も見つかっており、警察は事件事故、両方の線で捜査しているとの事です。


影井が……死んだ。


思わず席から立ち上がった時だった。

ホームに電車が近付き、滞留していた人混みが一気に流れ出した。

みな乗り遅れまいと電車の自動ドアに向かう。

力ない足取りで俺も自動ドアに向かった、その時だった。


「またね、教授さん……」


耳元でそう囁かれた。


釣られて振り向くと、長く美しい髪と、透き通るような白い肌をした女性が、此方に一別し、人混みの中に姿を消した。


駅のスピーカーからサイレンとアナウンスが鳴り響く。


人混みは消え、駅長のアナウンスが流れ終わった。

呆然と立ち尽くす中、ふと、昨日の静子さんの声が、俺の頭の中で静かに再生された。


『根絶やしにするまで……』


額に浮かぶ汗を手で拭った。


夏だと言うのに汗はひんやりとしていて、それが冷や汗だと分かったのは、しばらく呆然とした後だった。


いつか……また。


─了─



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真昼の狗 コオリノ @koorino

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