第5話 Hunted Boys

”ヒユウー・・・・・  ヒユウー・・・・・” 風が唱っていた。

”ヒユウー・・・    ヒユウー・・・ ”トト盆地の風がツバ族最後の戦士である2頭の体に雪を吹きつけ族けていた。

”ヒユウー・・・・・  ヒユウー・・・・・”

トト盆地を巻き込むように風が吹き抜けて言った。ハニタは先程の失敗を思い出しては、まるで悪夢を振り払うかの様に頭を振り続けていた。ツバ族最高の族長を目指すハニタにとって、先程の無様に転がり落ちる姿をイワニに見られたということは耐えられない屈辱であった。   

”畜生め!!! 何だってあんな所で足を踏み外すなんて事をしたんだ!!イワニは見ていたに違いないぞ!? この後一体どんな顔をして奴に威厳を示せばいいんだ?? 畜生!!!それもこれもみんなラルのせいだ!!このハニタ様にこんな恥を掻かせたからには唯じゃ済ませはしないぞ!!!。絶対に皆殺しにしてやる!!! ”

転げ落ちてしまった自分の姿を思い浮かべては、ハニタはこみ上げる怒りを抑える為に、頭を雪の中に突っこむことを幾度となく繰り返した。”ブハッツ!!  よおおし!! こい!!!!! ”

ハニタはようやくの事で気持ちを落ち着ける事ができた。

”ヒユー ・・・・・・  ヒユー・・・・・・”スノーランドの山々を風が通り向けていく。

”ヒユー・・・・・  ヒユー・・・・・  ”雪を舞い上げながら突き刺すような風がハニタとイワニに吹き続けていた。”町”を出てきた時よりも遥かに天候は悪くなってきていた。うかつに立ち上がれば、吹き飛ばされてしまうかもしてない程強い風がトト盆地の中を吹き荒れていた。ハニタはそんな中で、段々気持ちが落ち着いてきていた。雪を伴いながら狭いV字型のトト盆地の間をすり抜ける風をハニタはずっと眺めていた。山下から吹き上がって来る風は、ハニタの下の方でクルッと巻いたかと思うと突然消え失せたり、またずっと先の方で現れたりしてハニタを飽きさせなかった。うっかりするとハニタは自分の使命を忘れてしまいそうになるところであった。見とれている自分に気が付く度に、ハニタは頭を振っては神経を集中すべく前方を凝視した。しかしすぐさま前のようにウットリと風を見つめてしまっていた。        

”なんでなんだろう??? こんな光景は”町”の近くでだって見られるのに・・・・・何でこんなに魅かれるのかなあ・・・・・? ”

ハニタの頭の中にアガルンの事がチラと浮かんだ。

”そうか!  アガルンだな!  アガルンが俺をたぶらかそうとしているに違いない!! そうだ!  そうに違いない!! よおおおし! アガルンよ!!  俺を誰だと思っているんだ!!! ツバ族最強の戦士ハニタだぞ!!!。そう簡単におまえの思い通りに死んでたまるか! 俺はハニタ!。ツバ族のハニタだ!!! もうおまえの思い通りにはさせないぞ! ”

ハニタは思わず風に向かって大きく叫び掛けていた。その時になってハニタは初めて自分の体が冷えきっている事に気が付いた。手は寒さでしびれ切っていたし、体も厚い毛皮を着ているにもかかわらず冷えきっていた。本当にアガルンの術中にはまっていたかの様だった。

”畜生!  やっぱりアガルンだったのか!! 俺がラルを狩ることなんかできないと思っているな!!! さっき俺が足を踏み外したのだっておまえの仕業だったんだな!。見てろよ!。俺は絶対ラルを狩ってやるからな!!! ”

ハニタの叫びはアガルンの化身である風に飲み込まれてしまった。ハニタは気を取り直すともう一度前方に神経を集中しようとした。          

”ヒユー・・・・・  ヒユー・・・・  ” 

アガルンの化神であるかも知れない風はそんなハニタの叫びなど聞こえはしないかのように吹き続けていた。一体どれ位時が経ったのだろうか?ジッ目を凝らし続けているのにラルはおろかラビの姿さえも認められなかった。ハニタは段々焦り始めていた。

”何故だ?? なんでラルもラビでさえも姿を見せないんだ?? ギル達とこの前来た時は、2ー3時間も待てば必ずラビの1匹や2匹必ず姿を見せたものなのに・・・  ”

と、その時だった。先程からトト盆地を俳回している風が急に吹き上がってきてハニタの回りをクルクルと回り始めた。まるで風はハニタをからかうかの様にハニタを中心にして回り始めた。ささやき掛けるように、そしてハニタの背中をなぞるように風は巻始めていた。

”アガルンめ!!!・・・・・・”

いまいましげに呟いて無視しようとしたハニタであったが、突然弾かれたかの様に立ち上がってしまった。トト盆地の斜面の窪地に立ちすくむハニタは、この世の不幸を一心に背負った様な顔をしていたに違いない。アガルンの風はハニタのよく知っている臭いを運んで来たのだった。その臭いはラビのでもなければ、ましてやラルの臭いでもなかった。ハニタのよく知っている臭い、そう、イワニの臭いそのものであった。アガルンの風はハニタのずっと後ろにいるイワニの臭いを運んで来たのだ。それは狩人の一番初歩中の初歩である”風上には立つな”を破ったことを意味していた。アガルンの風はハニタの失敗をそのまま情け容赦なくまき散らしていた。トト盆地に間抜けな2頭のツバ族の狩人がいることは、どんなに馬鹿な生物でも気付いているはずであった。ハニタはイワニとの口論に気を取られ過ぎていて、ギル達と辿ったトト盆地への道順を誤ったことにやっと気が付いたのであった。トト盆地ではいつも決まった方向に風が吹く。つまり山の下から吹き上がる形で風が吹いていた。だからツバ族はいつも大きく迂回する様にトト盆地を目指していた。風下に立つために・・・・・・。そして帰りにだけ楽な道・・・ハニタ達がいま通ってきた道を使うのであった。ハニタは帰りにしか使わない道・決して行きに使ってはならない道を使ってしまったのだ。今トト盆地にはハニタとイワニの臭いがぷんぷんしていることだろう。ラビが姿を現さない訳が分かった・・・ラルとて同じ事だろう・・・。学習能力の低いラビは、いつも同じ場所でいつも同じようにして狩られ続けて来た。今のハニタがいるような渓谷の横から繰り出されるツバ族のブーメランによって・・・。しかしいくら馬鹿なラビとて、こんな所にノコノコ出てきはしなかった。きっとラビ達はハニタ達がこの渓谷に入った頃には逃げだしたか、それとも何処かでこの馬鹿な侵入者達の様子を伺っているかのどちらかだった。ハニタは大きな溜息を付くと、軽く身震いをして銀色をした毛皮に付いた雪を払った。アガルンの使いである風は、一しきりハニタの回りをあざ笑うかの様に巻くと、自分の使命は終わったとばかりに去って行ってしまった。先程の吹雪が嘘のように・・・・・そして、もうハニタの回りにはやっては来なかった。ハニタは去っていく風を目で追いながら敗北感に打ちのめされていた。アガルンに恨みの言葉を浴びせかける元気さえも消え失せていた。もうここにいる必要はなかった。出直すしかないのだ。

”俺はトキにはなれないのか?  ラルどころかラビすらも狩れはしない大馬鹿者じゃないか!? ”

ハニタは持っていたブーメランを雪面に強く打ち付けた。 ハニタの目は潤んでいた。功名心に燃えさかっていた若者の心は、水をかぶせられた薪のように醒めてしまっていた。今のハニタには、気を取りなおして事後策を考えるにはダメージが大き過ぎた。            

”やめだ! やめだ!!!!!  ”

叫ぶやハニタは山を降り始めた。今のハニタは積木が旨く組立たず、それに苛付いて投げ出してしまう子供の様だった。ハニタは、イワニの居るはずのトト盆地の入口を目指してズンズン走る様にして向かっていた。そうすることで全てを忘れたかったのだ・・・・・

そのころイワニはどうしていたかというと、ハニタに言われたことを忠実に守っていた。”何か起こるまでそこでじっとしていろ。”これを実に忠実に守っていた。実際はそれ以外することがなかったのが本当の所であったが・・・先程のハニタの無様な転落劇を見てからはすっかり機嫌を直していた。

”早くハニタの奴戻ってこないかなあ・・・・・どんな顔をするんだろ?。俺はさっきの事を全て見ていたんだぜ!っていったら? いいきみだぜ・・あんなに急に偉そうな態度をとった報いに違いないんだ・・・・・。大体血筋からいったら、俺の方が遥かに族長に向いているんだ。奴の方がほんの少し早く生まれて、何回か狩りに出ているってことだけじゃないか!それがギルの子でもあるし、ハアシュの弟でもあるこの俺を頭ごなしに怒鳴りつけるなんて事をするからあんな目に合うんだ!!”

そんなことを考えていると不思議に気が落ち着いた。もうこれから狩りをするんだなどとは全然考えてもみなかった。早く帰って暖かい”町”の洞窟の中でおばばに、初めての冒険話をしたかった。問題は何時ハニタが諦めて戻って来るかだけであった。一人で帰る自信はないのでいくら帰りたくてもハニタを待つしかなかった。

”ハニタの奴早い所諦めないかなあ・・・ 下手をして本当にラルが来ちまったらどうするんだろ・・・・・・・・・・。いいや!これだけ待ったんだ。もうラルも来はしないさ・・・”

”ヒュー・・・・・・ヒューーー・・・・・・   ”

いままた急にイワニを強い風が襲った。今度の風は今までのとは違い、イワニの回りをしばらく回った後、トト盆地の奥の方へではなく斜面を駆け上がっていった。風はイワニの耳元で何かを呟いていったように思えた。雪をともなった風の行方をイワニはウットリと目で追っていたが、すぐにその先がハニタの隠れているくぼみである事に気付いた。その風はゆったりと舞うように斜面を登り、窪地に近づいていった。そしてある一点に留まって、しばらくの間巻いていた。

”やっぱりハニタのいるところだな・・・ あの風なんかハニタをからかっているみたいに見えらあ・・・・・”

その時窪地にちょっと動きがみられた。ハニタらしき物陰が動いたように見えたのだ。イワニは目を擦ってみたが間違いなかった。風に舞う雪ではない何かが動いていた。

”なんだ なんだ  ハニタの野郎、人に散々言っときながら自分だって我慢しきれなくなってやんの! たかが風に吹かれたぐらいで情けない!俺はさっきから、ちょっとだって動ごいちゃいないってのに・・・・・。お.お. お.お.なんだ どうしたっていうんだろう・・・”

それはちょっとした見物であった。ハニタらしき物陰が急に暴れ出したのである。何に対してであるかは分からないが、ブーメランを振り回していた。見えない何かがいるのであろうか?。それとも俺に何かサインでも送っているのかしら?・・・・・ それともまさか・・・イワニはなおも暫くその物陰を見つめていたが急に不安になってきた。もしかしたら俺がさっきからハニタだとばかり思っているあの物陰は本当はハニタではなくて、ラビか何かではないんだろうか?一旦膨らんだ不安は遂にイワニの中で爆発した。 ”ハニタはもうあの化物にやられてしまったに違いない!  畜生!!”  イワニはやにはに立ち上がると、振り向き一気に”町”を目指して駆け出した。長い間緊張の極におり、パニックに襲われたイワニは、自分を抑えきれなくなっていた。

”イワニ!!!”

鋭いそして怒気を含んだテレパシーがトト盆地に響きわたった。

”一体何処に行くつもりなんだ!! 馬鹿野郎!!!  イワニ!!!いいから戻ってこい!!!!!    ”

余りに大きなテレパシーだったので、勢いの付いたイワニは危うくトト盆地の入口から坂になっている道を転げ落ちるところであった。

”ハニタ!!!!!  ハニタなのか!!!!!!  ”

”当り前だ! あれほどそこを動くなといったろう!!! たったそれだけの事も守れないのか!!!  いまそこに行くから待っていろ!!!”

まだトト盆地に吹く風で姿を完全には判別できはしないが間違いなくハニタであった。

“この大馬鹿野郎が! 言われたことも守れないような奴と狩りに出たことが間違いだったんだ! 畜生!!! いいかこの狩りはおまえのせいで失敗したんだからな もう止めだ止めだ帰るぞ!!!!!”

まだイワニのいるトト盆地の入口からは幾分距離のある所からハニタは喚いていた。イワニは初めはあっけにとられていたがだんだんに状況を認識し出すと怒りがこみ上げてきた。

「一体どういう事なんだよ! ハニタ説明してくれよ!! 突然引き返してきたかと思えば怒鳴りまくって、俺のせいで狩りが失敗だなんて!!俺は見ているんだぞ! さっき馬鹿みたいに崖から転げ落ちてきたのを!!。おまえのドジで失敗したんじゃないのか!!! 大体俺はギルの...」「ドカッ!!!  」

イワニの足元に何かが突き刺さった。それはくの字に曲がった、ラルの骨でできているハニタのブーメランであった。

「いいか! もうそれ以上口を開くなりそこを動くなりして見ろ!!俺はおまえを殺すからな!!! 」

まだ幾分距離は離れてはいたが、そこから発せられるハニタのテレパシーはただならぬものがあった。イワニにしてみればいきなり理由も何も教えられず一方的に言われて奮然としていたが、ハニタの様子を見れば口をつぐむしかないと諦めた。とりあえず先程の手荒い口止めでイワニが黙ったので少しは落ち着いて足取りを緩めた。早くイワニに一発くらわしてやろうと今のハニタの頭の中にはそれしかなかった。そうしないと気が収まりそうになかった。その時だった。イワニは地面から微かな振動が伝わって来るのを感じた。ハニタの後方からくる響きは段々大きくなってきた。最初の内はまだハニタの怒りの方が恐ろしかったが、徐々にその響きが気になり出した。その響きは間違いなく自分達に近づいて来ていた。イワニの視線は徐々にハニタからその後ろの音の主へと移って行った。イワニの視界の中のハニタの後ろ、トト盆地の奥の方から雪煙と地響きをあげながら何かが凄い勢いで近づきつつあった。

「ハニタ!! ...  ハニタ!!!!!  」

イワニの目は恐怖に見開かれていた。イワニの目には今や悪夢としか言い様のない光景が広がっていた。いまさっき去ったばかりのパニックが、今度は紛れもない現実の事となってしまったのだ。

「ハニタ!!ラルだ!!!本当にラルが来ちまったよう!!!」

「イワニ! この臆病者が!何を怯えてるんだ!いい加減にしないか!!」 ハニタはイワニが狩りのプレッシヤーに耐えきれなくなって、おかしくなったのかと思った。

「キャーーーッ!!!」 イワニはふるえる指でハニタの後ろを指さしていた。とうとう限界がきてしまった。もはやイワニを止められるものは何もなかった。ハニタの目の前から突然イワニは姿を消した。それはトト盆地の入口から[街]へと続く坂道を、イワニが駆け降り出したことを意味していた。ハニタはその時になってようやく振り向く気になった。イワニが感じていた振動はもう意識していた。そこには絶望の光景が広がっていた。トト盆地の奥深くの緩やかなスロープを、一気に駆け降りつつある一群のラル姿がそこにあった。まだ距離があるので一体なん頭いるのかは判別できないが、雪煙を巻き上げながら突進して来るのは紛れもなくラルであった。もう距離は100mと離れていなかった。ラルの攻撃的なテレパシーがヒシヒシと伝わって来る。ハニタは凍りついてしまったまま、暫く呆けた様にラル達を眺めていた。そうする内にもラルはどんどんその距離を縮めつつあった。

「何故なんだ!! どうしてこんな事になるだよ!!! 何で今頃んなってでてきやがるんだ!!!  チクショウ!!!!!  」

ハニタは喚いた。叫ぶや、手にしていた最後のブーメランを迫り来る雪煙に向かって力任せに投げてしまった。まだラルを射程距離に捕らえていなかったブーメランは的から右に大きく外れトト盆地の縁の山肌に突き刺さった。ハニタは大事な狩りの道具までも無くしてしまったのだ!

「ドドドドド!!!!!」 

もうラルはその細部に至るまでよく見える程の距離に迫ってきていた。ラルは全部で3頭いた。

「バカヤロウ!!!!。 」 

やっと我に返ったハニタはそう叫ぶと、イワニの後を追って悪夢となったトト盆地から逃げだすことにした。もうイワニの姿はとうにトト盆地から消え失せ、ハニタは一人必死になってトト盆地の入口を目指した。幾度か転げそうになりながらハニタは無我夢中で走った。やっとのことでトト盆地の入口にたどり着いたハニタがその下り坂を見下ろすと、遥か前方にイワニが一目散に[街]を目指して走っているのが見えた。転がるように坂を走り降りているイワニの姿は、こんな時でなければかなり滑稽に見えたかも知れないが、今のハニタにはイワニを笑う余裕などあるはずもなく取り残された思いと恐怖で毛を逆立てるだけだった。恐る恐る後ろを振り返ると、もうラルはさっきよりもかなり近くにきていた。

「イワニは逃げきれるだろうか?...」

それは決してイワニの事を想ってではなく、イワニだけ逃げきれるかもしれないことへの怒りと焦りから出た言葉だった。しかしどう見てもラルの方がツバ族より足が速い様だった。イワニとていずれ追いつかれてしまうだろう。とにかくまたハニタは走りだした。もう何がなんだか分からなかった。何か訳の解らないことを叫んでいる自分にも気付かなかった。

”ヒューーーーー  ヒューーーーー  ”

相も変わらない風の音が”希望”の地を流れていた。このゲームの観戦者として、そしてこのチッポけな雪山の覇者を巡る争いの決着を見届けるために、風は両者の間を絶え間なく吹いていた。アガルンの使いである風はギルの願いを聞き入れなかった。どちらが勝者になろうがお構いなしなのだろうか?

”ヒューーーー   ヒューーーーー  ”

まるで歌うように風は吹き続けていた。

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