第6話 BOSS

ボス達が待ち始めてからどれくらいの時が経過したのだろうか?とてつもなく用心深い彼らを狩るのには、それ以上の忍耐が必要であったがボス達は耐えた。ボスはともかく若い2頭にとってはかなりきつかったに違いない。長時間じっと息を潜めているせいで体が冷えきってしまった頃、右の山肌に動きがみられた。そう小さな真っ白な何かが、せわしなく動めいていた。ヒョコっと出てはすぐに姿を消す動作を飽きる事なく続けていた。初めは一つだったそれはだんだんと数を増して行った。その数がちょうど10を数えたとき、やっとボスは食事にあり付けると確信できた。この狩りに連れてきた若い2頭もそれに気付いたようだった。やっとの食事に興奮して、それと分かる程鼻息を荒くしていた。それでもボスがまだ動かないのでじっとしていた。辺りを用心深く伺っていたラビがやっと食事に出てきてもいいと判断したのだ。先頭に他の仲間より若干体の大きい者が立ち、その後ろに少し距離をおいて後の者が続いていた。その動きは呆れるほど遅くラル達を苛付かせた。

「早く来い!!  早く来るんだ!!! 」

心の中で叫びつつ、ラル達はその瞬間に備えて体に力を漲らせていた。その時、そろそろと苔の生えている盆地の底へと降り掛けていたラビの足が急に止まった。先頭のリーダーらしい大きな奴が立ち止まると、一列に並んで後を付いてきた一群も合わせて止まった。 まだ盆地の底まで来てはいないのに・・・

「キィーーー・・キィーー    」

甲高いそれでいて恐怖を含んだ鳴き声が風に乗ってボスの耳に届いた。その時にはもう、ラビの一群は一目散に元いた住処めがけて逃げだし始めていた。

「! 気づかれたか!! 畜生め! ここまで来たんだ。諦めきれんぞ!!」 

いきり立ったボスは伏せていた体を起こすとすぐに追いかけようとした。残りの2頭はボスから許しを得たと、おあずけを食っていた犬よろしく飛び出した。2頭は、半分雪に埋もれた巨体を起こしボスに遅れを取るまいと、ラビめがけて突進していた。 距離からしてとても追い付けはしないことに気付いていたのは、ボスだけだった。

「ラビは何故気付いたのだろうか?・・・」ボスはぼんやりとそんなことを考えていた。もう既に彼らは出てきたところに程近いところまで逃げ帰っていた。今回の狩りは失敗したと確信したとき、ボスはもう追うのを止めることにした。若い2頭はそんなボスの横を、雪煙を上げながら追い抜いていった。肩の傷が今更の様に痛んだ。ボスは振り返ってみたが失敗の理由を思い付くことはなかった。正面から吹き付けてくるトト盆地の風に身を揺らしながら、その光景をボンヤリと見ていた。

”まだ俺達は安住の地を見つけていないんだろうか?・・・  

やっとの事で手にいれたここですらまだ満足に狩りができない・・・。息子のズー、ダーにしても、図体ばかりでかくなってまだ狩りの事をちゃんと理解してはいない・・・。やっと狩りが出来るようになったボーとジーは、この前の戦いで死んでしまった。本当に俺が死んでもやって行けるんだろうか?・・・”

その時になって、ボスは風に乗った来た臭いの中にラビの物の他に、肩口の傷を刺激するのがあるのに気付いた。ラビの臭いなら食欲をそそりこそすれ、不安な気持ちには決してなりはしなかった。肩口の傷は今更のように傷みだし、それが決して浅くはなく、いずれ自分の寿命を縮めるだろう事を感じさせていた。ボスの五感は全身に警戒信号を発していた。

「 !!!  これは!!! 戻れ!!! ズー! ダー!! 」  

ボスはいきり立って突進している2頭に向かって、できうる限り小さな、そして伝わる程度の大きさで吠えた。ボスが2度ほど吠えてやっと2頭がそれに気付いた。2頭の彼の息子達はボスが心配した通り、親ほど状況を判断する能力に欠けていた。もっとも突然変異的に生まれたボスと同じ能力を、彼らに期待するのは酷な話ではあったが・・・

怪訝な表情でボスを振り返った彼らは、なぜ呼び戻されるのか分からなかった。明らかに不満そうに2頭はその場に立ちすくんでいる。そしてまたもう姿を消してしまったラビのいた辺りに目をやっていた。

「ブオオオオー・・・  」

ボスはそんな息子達にだんだん苛付いてきたいた。

”なぜ分からない! 奴らだ!  奴らの臭いに気付かんのか!!”

そう風が運んできた臭いの中には、紛れもなく憎んでも憎みきれないツバ族の臭いが混じっていたのだ。ボスは顎をしゃくって、2頭を元いた場所に戻すのになんとか成功した。2頭は何が起こったのかまだ分からないようだった。だがすぐに臭いなどよりもっとはっきりと、ツバ族の存在を知らせることが起こったので、さすがの2頭も気付いたようだった。吹き付けてくる風に目を細めると、トト盆地の一番奥の方に何か動くものがある。それは先程見たラビのシルエットとは違うようだった。そいつらはヒョコっとまず頭を出したかと思うと、暫く盆地の様子を伺っていた。ボスには2つの影が見えたような気がした。その2つの影は、左右に搖れると初めと同じようにスっと消えた。しかし影は消えても、臭いは前にも増してはっきりと臭ってきていた。

”間違いない奴らだ!!  性懲りもなく又やって来やがった!今度こそ、ここはもう俺達の物だということを思い知らせてやる!”

まるっきり不用意に、そしてふてぶてしくツバ族が現れてきたのだ。ボスの心の中ではもう怒りが渦巻いていた。まるで自分らをオチョクっているかのような奴らの行動は、ボスの神経を逆撫でてしまったのだ。無防備に風上に立ち臭いをまき散らし、自分達の狩りの邪魔をしただけではなく自分の居場所を知らせて平気にしてさえいる。今までのツバ族の狩りからは考えられないルーズさだった。

”しかし・・・ ”

いますぐ一気に蹴散らしてやろうと思ったボスを何かが押しとどめていた。怒り心頭のボスをここまで我慢をさせているのは、肩口の傷のせいでもあった。もはやトト盆地の覇者となったボス達ラル族はツバ族などを恐れる必要はなかったし、又いつでも追い払うことができると信じていた。気が向いた時にはツバ族の獲物をくすね捕ることすら容易にできるようにすらなっていたのだ。それがである。今までの油断を戒めるかの様なことが起こったのだった。いつものようにツバ族の一団がトト盆地に侵入してきた。奴らは大体2~3週間毎にやってきてはラビを狩って行った。もうトト盆地のラビはラル族の長ボスのものであった。彼らは盗人である。当然の事であるが追い払わねばならなかった。いつものようにボスはそうすることにした。全てはいつも通りに進むはずであった。しかしボス達は思わぬ反撃にあってしまった。それどころか、ボスも重症に近い傷を受け、仲間の2頭を失うと言う被害を受けたのだった。ボスはまだ進化の途上にあるラルの中でも、飛び抜けて能力を得たリーダーだった。単なる野獣に過ぎなかったラルをまとめ、ツバ族の住むこの地へと一族を引き連れてきたのも彼なら、ツバ族を恐れなくしたのも彼だった。彼こそがこの地の盟主をツバ族からラルへと移り代えた、英雄となるはずであった。彼は論理的に考えることができる最初のラルとなった。惜しむらくはまだ突然変異的に登場した為に、彼の他の者は未だ野獣の域に留まっていることであった・・・ ボスは自他共に認める王者であったが、それだけにこの傷はボスのプライドをいたく傷つけた。ブーメランの刺さった肩口の傷はもう固まっていたが、ボスの体が一動作する毎にキリキリとした傷みを走らせていた。またハアシュにもぎ取られた右目もうずいていた。ボスの隆々とした肩に刺さったブーメランは、折れて1/3程しか残っていないが、深く食い込んで自分ではもう取り出すことはできなかった。この傷が、近い内にボスの命を奪うだろう事に気付いてはいたが、なんとしてもそれまでに息子達を一人前にしなくてはならなかった。まず待つ事と、状況を判断する事を教えなくてはならない。これはいい機会かも知れない。ボスはひたすら待つことにした。どの位の時が経ったか?温まった体がすっかり冷えきった頃、奴らは現れたときと同じ様に不用意に姿を現した。そして引き返して行くではないか?! ”また罠か?・・・・・”

しかし、山肌に身をかくしていた奴は大股に山を滑り降り、盆地の入口に潜んでいた奴はそいつを迎えるべく、上半身を露にしていた。と、降り掛けている奴が、迎えている奴に向かって何か武器を投げつけた。ボスの脳に微かな怒りのテレパシーが届いた。それは狩りに失敗した事、そしてその怒りを仲間にぶつけているハニタのものだった。ラルもヒトも微弱なテレパシー能力を持っていたが、決してこんなに辺りにまき散らすような事はしなかった。臭い以上に、相手に自分の存在を知らせることになるからだった。こんな初歩的なミスを犯すなど考えられなかった。しかもその波長からまだ相手は小童である事が判った。ボスの怒りが爆発した。

「ガアアアアアアーーーーー!!!   」

ボスは全身に力を込めると飛び出した。体に降り積もった雪をまき散らしながら、ボスは谷の入口へと突進した。ボスに遅れじと息子のズーとダーも走りだした。雪を蹴散らし、その下の凍てついた地面を震わせて、3頭はヒト達に迫って行った。不思議なことに、まだ2頭は自分達に気付いてはいないようだった。ボスには2匹の意図が図りかねた。

”のんきに遊びにでもきたのか? 俺達など恐れるに足りないとでも言うのか?ふざけやがって!!! ”

いきり立ったボスは一気に100m程駈け降りた。もう奴らは目と鼻の先ほどの距離になった。ツバ族のガキ供は、今ごろになってやっと自分達に気が付いたようだった。2匹の内の1匹がこちらに目を移したかと思うと、一目散に逃げ出した。見れば2匹ともまだ本当に子供のようだった。

「俺達はこんなガキ共にビビっていたのか! こんなチビ共に用心して腹ペコなのを我慢して好き勝手されていたのか!!」

残った1頭が、何かを自分達に向かって何か投げたようだったが、それは大きく左に曲がって山に突き刺さった。

”もう逃がさない!!  ”  ボスは確信した。

1頭は盆地の入口から既に姿を消していたが、すぐにも追いつくだろう。何かを投げつけてきた奴は暫くその場に留まっていたが、もう1頭の後を追った。トト盆地の入口までたどり着いたボスはそこで下を見下ろした。遥か前方に1匹が、そしてもう1匹の姿が見つからなかった。そう後から逃げ出した、ハニタの姿が見えなかった。ボスはV字になっている、山と山の接点のその狭い下り坂を眺めていたが、その視線を右側の山肌へと向けた。そこには必死になって、凍てついた山肌をよじ登っているハニタの姿があった。逃げきれないと判断したハニタは、下り坂を降りるより、より急勾配の斜面を登ることで逃げきろうとしたのだった。実際脚力はツバ族に比べ、格段に優れているラルも、山肌を登ることに賭けてはヒトに劣っていた。ボスはその下で立ち止まり、そして吠えた。

「ブオオオオオーーーーー   」

”卑怯者!”そう叫んでいた。同じように追いついた息子2頭もボスの傍らで立ち止まり、同じように吠えた。

「ブオオオオオーーー  ブオオオオオーーー  ブオオオオオーーー」  下から嘲るような叫び声を浴びせかけられても、ハニタには気にはならなかった。恐怖に狩られた彼の頭にあったのは、なんとかして生き延びたいそれだけであった。

「ヒュウーーー  ヒュウーーー   」

この茶番劇をも、アガルンは楽しんでいるかのごとく、ハニタの回りを舞っていた。

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