第26話魔獣『リオン』

 ――魔獣には如何なる手段を用いても『相手』にせよ。例えそれがどんな姿をしていても手加減は絶対にするな。『それ』はこの世界に望まれた存在なのだから。


 初代還流の勇者の語録より抜粋。


◇◇◇

 

 遥か昔、己の記憶が薄れる程の過去に。大広間に『黒水晶』で飾られた額縁に入った絵画として掛けられていた自分を見上げる小さな影が居たのを憶えていた。少年か少女か判らない中性的な大きさと姿をした影は懸命に背を伸ばし。その言葉を繰り返し言って私にお願いをしていた。



――ねぇ君! ボクらが帰ってくるまでこの屋敷を守っていて欲しいんだ!――



 と。


 何故、絵画である自分にそんな願いをするのか判らないがその影は灰色の髪と『水晶のついた八方向に輝く一等星の銀細工ペンダント』を揺らして確かにそう言っていた。あんなに健気で必死な声は生まれて初めて聞いた気がする。そして、あんなに哀しそうに涙を堪えた顔も。



――ボクはこれから大切な人が転生した世界に行く為に頑張るんだ! だからね、絶対ね! ボクか『ボクに関わる誰かが』ここに来るまでこの屋敷を守っていて欲しいんだ!! 絶対にこの屋敷はボクに関わる世界に転移するはずで準備もしっかりしたんだッッ!! だから! 絶対にお願いねッッ!!――



 何度も何度も数え切れない位にそのお願いを聞いて聞き続け、そうして自分は考え始めた。人間で言う脳が無いのに何故か考え続けていた。やがて影が自分の前に一冊の絵本、『アルスターとカインドネル』を置いて来なくなってもずっとずっと考え続けていた。あの影は何故私みたいな絵画に屋敷を守って欲しいとお願いしたのだろうかと。出口の無い迷宮に思考を彷徨わせ常に考え続けていた。誰一人として訪れる事の無くなった屋敷の中で、たった独り。


 そして今日。自分は目を『覚ました』。


 最初は何も判らず埃が厚く積もって傷んだ床に落下し呆然とした後慌てふためいて辺りを見回した。何故、何故自分が絵画から出てきているのか、と。


 その答えは流れ込む魔力達が教えてくれた。自分は魔獣に成りこの絵画から現実に現れ込められた想いに魔力が応えこの姿になったのだと。白骨化した人体のような両手を見下ろして理解した。


 改めて立って見上げるとそこには自分の消えた絵画の画布と額縁だけがある。前の机に置かれた絵本は消えていた。もしかするとあの絵本も私と同じように魔獣になったのかも知れない。自分はそう思い窓辺へと歩む。


 長い年月で埃と雨風で汚れた窓ではあるが自身の魔獣である姿が透けて映る。オレンジの頬まで伸ばした髪と愛嬌のある丸い眸に快活な輝きが宿る少女の姿だ。


 開いた窓には沈む太陽に茜色になりつつある空が屋敷から庭を越えて広がっている。もうじき黄昏時も近いだろうと自分は感じた。


 不意に虚空から轟音と共に黒い雷が飛来する。そう言えばあの絵本は無くなっていた、そう思った瞬間に魔力達がこの絵本は魔獣ではなく『精霊』に成ったのだと告げてきた。魔獣の身体は魔力と直結しているのだろうか? 魔力達との会話が淀みなくて落ち着くと安堵する自分だ。


 そっと雷に触れると虹色の焔で出来た翼を持つ乙女と交戦した記録が読み取れた。私より早く目覚めてここを護りたくて頑張ってくれたらしい。



「君、ありがとうね」



 そっと口づけをする自分の声を初めて聞いた。とても明るくて愛らしい声をしていて、自分なのにくすぐったい気持ちになって笑ってしまう。


 刹那。魔力達がざわめく。どうやら強い魔力の侵入者が複数来たらしい。



「ここを守らないと!」



 そう叫んで立ち上がる。理由は何も思いつかないがそうしなければいけないという衝動に駆られるのだ。行儀の悪さは一旦置いて窓枠に足を掛けてそのまま空へと翔ぶ。



「君も来てくれる?」



 風の無い虚空で同時に飛行する黒い雷に尋ねる。答えるとは思っていないがパチッと雷火が弾け肯定の挨拶に見えた。



「了解ね」



 微笑みを返して自分と雷は翔んでゆく。目指すは一直線、侵入者の所。だが相手は強いと魔力達が告げる。それでも構わない。この屋敷を守るのが自分なのだから。


 しばらくの間空を翔んでふわりと着地。侵入者はここから来ると魔力達から報告を聞いている。だからここで待ち構えればすれ違う等あり得ない。黒い雷は絡みつく蛇のように自分の周りを旋回している。



「……侵入者ってどんな人達なのかな?」



 ふと自分の思いが声に出ていた。生まれて初めて出会う他人。魔力の強さは互角か――それ以上。各々が強い意志もあり、何としてもここに入りたいのも判る。


 そして何故か、『懐かしい』雰囲気も感じ取れた。どうしてなのだろうか? 初めて出会う存在なのに……


 やがて影が四人見えた。十代の少女と八歳位の少年と少女。そして全員より少し歳上で……ちょっと懐かしい雰囲気の存在が一人。



「侵入者よ。ここから先は通しません」



 影がこちらに気づいたと同時に自分も警告をした。自分にとって生まれて初めて、人間に向けて出した声だった。


◇◇◇


 ニノとカミーリャ、レイとジストは自分達の前に立ち塞がる黒い雷と短い漆黒のスカートに同じく丈の短いジャケットを着込んだ黒衣の少女からの警告を聞いた。


 初めは人間だと思っていた一向は少女の両手が白骨化しているのを見て、あれは魔獣だと認識を改めた。人の姿で、少女の姿をしている魔獣は初めてだが……相手は魔獣だ。精霊と同じで何をしてくるか判らない連中だ。警戒しないといけない。



「悪いけど退けねーぞ? 俺達はここ以外逃げる場所が無いんだからな。ちょっとここを調べさせて貰うぜ」



 真っ先に口火を切ったのはレイだ。彼らしい言動である。



「どんな理由であれ、私はここを守っています。今ならまだ見逃しますよ? 速やかにこの地より退去しなさい」



 対する彼女も一歩も退かない構えだ。闇色の魔力達が少女姿の魔獣の周りに集束し臨戦態勢を取っている。



(……さて、どーする?)



 レイはちらりと皆に目配せをする。両者は退く意志が無い。このままだと戦闘は不可避だろう。二体も相手にすれば非戦闘員のニノとジストが危ない。



「貴女は何故この場所に入れたく無いのですか?」



 今度はカミーリャが日記帳を数冊滞空させて問いかけた。少女姿の魔獣に流れる魔力達から知る為に。言動だけでなく相手をしっかりと見て理解する為に。



「それが約束だからです。あなた方の問いはそれだけですか? 私は仕掛けますよ」



 闇色の魔力を集束させて告げる彼女。もう攻撃に移れるのは誰が見ても明らかだろう。


【あの魔獣は生まれたばかりだから自分の事は判らない。ただ使命感だけで守ろうとしている】


 刹那、カミーリャの日記帳にそう記される。



(成程、ならあの魔獣の口からそれ以上の情報は出せないわね)



 それを読んで。カミーリャは行動を決める。一番は二手に別れての強行突破だろう。しかし少ない戦力をどう分配するか……


 その瞬間、カミーリャの方にレイが向き。ぱちんと目配せしながら親指で自身を指す。


 成程。自分が戦いたいらしい。あの黒い雷も居る以上、彼が適任だろうとカミーリャは判断を下す。



「ニノ様、ジスト様」


「は、はい?」


「?」


「二人共、走りますよ!」



 二人の答えを待たずに。双眸を細めたカミーリャは魔獣の横をすり抜けるように駆け出す。



「は、はいっっ!!」



 ニノも慌てたように駆け出し、



「待ってくださぁいっっ!!」



 ジストも必死に追いかける。



「待ちなさい! 誰がここを通れと言いましたか!!」



 魔獣少女が闇の塊を掲げて投擲した刹那、



「おれだよ!」



 風をまとったレイが間に割って入り、その闇の塊を蹴り返す。塊は正確に投擲主の方に飛んで行くが当然少女姿の魔獣も左手で払い弾き飛ばす。同時に黒い雷もカミーリャ達目掛けて一直線に飛ぶが。


 飛んできた杖に阻まれる。雷管石のついた暴風をまとう樫の杖、それはレイの杖だった。事前に三人に攻撃するのを予想して、投擲しておいたのだ。



「『杖よ』!」



 たった一言で暴風を起こす杖はレイの手元に返る。



「悪ィな、お前達の相手はこのおれ一人だ」



 杖を片手に不敵な笑みを浮かべるレイ。パチッ……パチッと雷の魔力が火花放電よろしく辺りに飛び、直撃した箇所をガラス状に溶かす。勿論雷だけではない。風の魔力も彼に従い旋風の如く周囲に吹き荒び石や地面を削り取ってゆく。



「おれは生真面目な『アルスター』じゃないけど、お相手にゃ申し分ねぇだろ? お前ら戦わせろよ。おれを倒さない限りあいつらには手出しさせねぇぞ」



 更に風と雷の魔力が滾るレイ・グレックに、



「……良いでしょう。まずは貴方を倒してからです」



 少女姿の魔獣も闇を従え双眸を細め、隣の雷も大蛇が鎌首をもたげるが如く構え放電を開始する。



「へへ、そー来なくっちゃなぁ! ところで姉ちゃん、名前は?」


「え?」



 唐突な問いに、きょとんとなる少女姿の魔獣。



「だーかーらー、名前だよ名前! これから戦うんだから名前くらい憶えておきたいだろ? 魔獣だけど姉ちゃん――って呼んで良いのか判んないが名前は?」



 カリカリと頭を掻いてちょっとバツが悪そうに尋ねるレイ。だが視線はしっかりと魔獣の拳や魔力の動きを捉えつつ先に進ませまいと警戒している。



「私は――」



 告げようとして先が詰まる少女姿の魔獣。そう言えば自分はまだこの世界で産まれたばかりでそんなものを考えた事は無かった。


 自分の名前。それはこの世界で自身を示す、自分だけの居場所。それが自分にはまだ無い。守りたいものは有るのに自分自身を表す場所が無い。その事に砂漠の真ん中に居るような寂しさが過る。何故だろう、自分は魔獣なのに。


 不意にその時。あの『黒水晶』が飾られた額縁が脳裏に浮かんだ。自分が出現した場所で自分が元居た場所。あれこそが自分を示すものかも知れない。



「私は――」



 その『黒水晶』の額縁を思い描き名前を決めようとした瞬間――



「いや、当ててみるわ。『リオン』だ。リオンだろ姉ちゃん」



 確信を持った口調で告げてくるレイ少年。



「……良く判ったわね?」



 驚愕に目を剥く少女姿の魔獣――『リオン』と、



「へへ! やりー!! 今度は当たりだぜ!!」



 対照的に大喜びのレイだ。



「良く判らないけど……行くわよ!!」



 気を立て直して闇の波動を放つリオンと、それに合わせて黒い雷が追撃する。



「『来たれ黒き雷霆! 破邪の風と鳴り交わす約束をもって巨悪を討て!! 『神殺しの槍』』!!」



 レイはその動きを見逃さずに二名を包む程の巨大な旋風をまとう黒雷を高速詠唱で放つ。


 その圧倒的な破壊力に飲まれて吹き飛ばされる二名。何とか受身を取って片膝で起き上がるリオンに、



「おれの名は『レイ・グレック』。世界最強を目指す黒魔術士だ。よろしくな」



 レイ・グレックはにやりと告げたのだった。

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