第17話不死鳥と聖女

 この世界の極東にある島国『タカマ』。そこは年間を通して四季折々の鮮やかな風景と豊かな飲める水のある国として世界から認知されている。数多ある世界の中でも理想郷にも近いその国には、六人いる女神の中で穏やかな『天土之命アマツチノミコト』が統治しており、その許に同じ調和を尊ぶ『タカマの民』が各々の町や村を広げているという。だがその国は鎖国をしている閉鎖国家で、今なお全ての真実は霧中の中に閉ざされ知りようが無い。噂は噂を呼び『刀を使う最強の戦士『サムライ』が国を守護している』だの『闇から闇へと生きる『忍者ニンジャ』が都合の悪い侵入者を粛清をしている』だの『妖怪変化が人間と一緒に棲んで仲睦まじくしている』だのという話がまことしやかに各々の国の市井に流れている。もっともカスタル王国においてはそこまで噂に上る事は無い。


 何故ならそれは。カスタル王国とタカマの国は互いに『同盟国同士』であるからだ。


 六人の女神達が各々の国を治めるようになった千年前、女神天土之命は真っ先に女神シィラ・ウェルネンスト・カスタルに会談を申し込み。お互いに同盟国として友好条約を結んだのである。その歴史は今なお蜜月であり、互いの国民は互いの国民を尊敬し合っている。


 その証拠にタカマの国からやって来た名家『如月きさらぎ家』のご令嬢で白魔導士の『如月ハルカ』とハルカの兄で商人の『如月ユウキ』の両名が、女神シィラ・ウェルネンスト・カスタルの臣下として名を連ねていた。タカマの国でも有数の名家である兄妹が祖国を離れて別国の臣下をしているなど普通ではあり得ない。それだけでこの二国が尊敬し合っているのが窺えるだろう。



「イリステア様、脚の損傷が酷過ぎますよ……」



 臣下に宛がわれたとある休憩室のベッド。その縁に膝をついて治療している如月ハルカが、深々と魂さえ抜け出そうな嘆息をする。



「……申し訳ないの。応急手当しか出来なかったからじゃ」



 ベッドに横たわりながら、イリステアもつられてため息をつく。痛みが辛いからなのではない。彼女――如月ハルカに心配をかけてしまったのが辛かったのだ。彼女は自分を姉のように慕っている。そんな自分がこれ程迄に酷い怪我を負って帰還したとなれば身を切られるように辛いのだろう。



「骨も筋肉も凄まじい損傷ですね。もう少し遅ければ完全に足が動かなくなっていましたよ?」



 一瞬不思議そうに顔をしかめて。ふわりと綿毛の舞う春先ように柔らかで暖かい白光を手の中に集めそのまま足をゆっくり上下に撫でて治療を施す如月ハルカ。癒しを与える淡い輝きに合わず言葉の端々にはつつくような怒気が感じられた。完全に彼女は怒っていた。



「……すまぬ。妾とて決して相手を侮っていた訳でもないし、そなたに心配させたかった訳でもないのじゃ」



 沈痛な面持ちでかぶりを振るイリステア。彼女が反省をしているのは明らかであるのはハルカにも判った。彼女は原初の神殿の守護者で、挑んだ相手は侵入者で。彼女は侵入者と戦い撃破せねばならない使命を承けていた。例えそれが自分より敵わなくても、だ。それ以外に彼女には選択肢は無い。守護者とはそういう存在だ。



「先程聞いていた報告だと。敗れたのは確か勇者を名乗る方ではなくて、一緒に居た少女だとか……?」


「あぁそうじゃハルカよ。隣に居た紅い髪の魔法少女にやられたのじゃ」



 天井を仰ぎ見て更に深いため息をつき、不甲斐なさをイリステアが悔やむのも無理はない。



「ところでどんな魔法少女だったのですか?」



 立ち昇る癒しの輝きを手にまとい、上下に撫でるように脚を回復させる如月ハルカ。彼女の手のひらが行ったり来たりする度に脚を苛む激痛が和らいでゆく。



「紅い髪に黒と黄昏色のオッドアイの少女じゃ。まだあの還流の勇者と同じ歳――八歳ぐらいじゃったの」


「紅い髪に黒と黄昏色のオッドアイですか……」



 そこまで聞いてしばし虚空を仰ぎ見るハルカ。



「それはまた、成程……」



「? どうかしたのじゃ?」



 その様子が気になり、尋ねるイリステア。ただ気になるだけなら得たハルカに知識を渡せばよい。



「え? あ! いえご免なさい。イリステア様が負けたというのに私としたら……」


「それは良い。だがそなたは今なにを思い出しておったのじゃ?」



 だが。彼女の様子が違ったのだ。まるで聞いた人物を懐かしむように弛めた優しい眸で微笑んでいたのが気になったのだ。良く調べた尊敬する偉人に対するような空気が、少々気になったのである。



「還流の勇者様の傍にいた少女さんと言えば『逢魔椿おうま・つばき』さまの名前を思い出しまして……。思わず懐かしさが込み上げて来たのです」



 本当に申し訳ありませんと。如月ハルカは忙しなく頭を下げ続けている。



「逢魔、椿……? それは誰の名前じゃ?」



 そんな彼女にきょとんと尋ねるイリステア。それもその筈だ。何故ならイリステアの出会った魔法少女の名前は『カミーリャ』。今出された名前とは全然違うのだ。それなのにどうして、如月ハルカはその名前を思い出したのだろうか?



「逢魔椿さまは私達タカマの国に伝わる、還流の勇者ルーティス・アブサラスト様のお嫁さんの名前ですよ」



 そんなイリステアに驚天動地の事実を笑顔で告げるハルカ。



「何じゃ……と!? 還流の勇者様に伴侶が居たじゃと?! あの還流の勇者にか?! 並び立つ者無しと謂われたあの伝説の存在にかっっ?!」



 当然イリステアが黙っていられる筈もなく。思い切り上体を起こしてしまったのだ。



「は、はいっ!! 確か私達タカマの国にはその伝承が残っておりますよ!!」



 その勢いに気圧されて。如月ハルカは上体を退きながら返した。



「妾は聞いた事無いわ……? ねぇハルカちゃん、お姉ちゃんちょっとそのお話聞いても良いかしら?」



 あまりの事態に如月ハルカに対するイリステアの口調が二人で親しく話をしている時のそれになっていた。それ程までにこの話は衝撃的な話であったからだ。



「は、はい。私達のタカマの国では小さく語り伝えられている伝承でして……。還流の勇者ルーティス様が『アブサラストの平原』を手に入れる冒険の中で唯一仲間になり――その後お嫁さんになった少女です……」



 そして如月ハルカは伝承を語り始めたのだった。


 ◇◇◇


 それは遠い昔。人類は魔力が永遠に涌き出る『アブサラストの平原』をちょうど見つけた時代。還流の勇者ルーティス・アブサラストはたった一人で世界を旅し並みいる敵や障害を無傷で叩き伏せて平原の力を皆が使えるようにしました。……そう語り伝えられていましたが、少し違いました。


 還流の勇者ルーティス・アブサラストはたった一人で旅した訳ではありません。


 勇者の傍らには常に魔法少女が控えておりました。


 彼女は夜のような黒い右目に沈みゆく『黄昏色の左目』という珍しい特徴を持ち、世界でも最強と唱われる程の魔法。更には余多の国々や勢力すら退ける程の策謀を駆使して勇者の旅路を護り抜きました。


 やがて彼女は勇者からの愛を受け取り、勇者と共に人生を歩む覚悟を決めました。


 その旅の終わり、彼女は還流の勇者と神殿で別れて故郷である『タカマの国』へと帰還し。天土之命様へ支えその功績が認められてタカマ最高の名家としてその名を残しました。


 タカマの国花である花の名前を、その身に名付けて。


 ◇◇◇


「初めて聞いたわ……」



 ハルカが語り終えた後。呆然と頭を抱えて呻くイリステア。そんな伝承、今まで聞いた事等無かったからだ。



「私達タカマの民には馴染み深い伝承ですが……どうにも他国で聞いた事が無いのですよね? 現に私がカスタル王国に来てもそんな伝承、伝わっていませんでしたし」



 治療しながらうーんと唸るハルカ。この事は今まで彼女にとってもかなり疑問であったみたいだ。



「彼女の特徴は紅い髪に黒と黄昏色の瞳をしていたのですよね? でしたら私の知る中では逢魔椿さましか知らないです」



 更に治療魔法を施し患部を調べながらそう述べた。



「確かに貴女の言う伝承通りの姿だったわ。紅い髪に黒と黄昏色の瞳で……。でも不思議ね? その伝承では何で結ばれた後に別れたのかしら? それに違う名前でしたし」


「そこまではちょっと……申し訳ありません」


「あ、良いのよ別に。伝承なんてまっすぐ伝わるものじゃないからね。でもその辺りはちょっと気になるわね」



 ハルカに謝罪した後、口元に手を当てうーんと考え込むイリステア。彼女の言う通り。伝承や神話、おとぎ話等は正確に伝わるものではない。語り手の登場人物に対する感情や解釈、出典の翻訳等でずれてゆき。やがては別の物語になる事も多々ある。それらの辻褄合わせの為に新しい物語がつくのも珍しくはない。その地方だけに在る物語、だというのも存在する。


 とはいえ。唐突に勇者のお嫁さんが登場する物語があるというのは不自然である。しかもそれが自国の伝承ですら聞いた事が無かったとあればますますだ。違う名前であるという一点も気がかりである。



(興味深いわね。ちょっと調べてみたいかも)



 ふむと口元に指を当てて。イリステアは考え込む。この先しばらくは脚を治療する為前線には出れまいし調査は内勤としてちょうど良さそうだ。


 そして何より。この調査はとても大切になりそうな、そんな予感が今のイリステアにはした。ならばその直感に従ってしっかりと調査する必要がありそうだ。



「良ければ私が天土之命様に聞いてみましょうか? どうぞイリステア様、治療は終わりましたよ」



 最後の回復を終え白光を虚空に溶かすように消して。如月ハルカはイリステアに微笑んだ。



「ありがとう。でも他国の民の為に大事な伝承を話してくれるかしら? それは謎だわ。それにしても凄い治療ね。まだ違和感が残っているけど後遺症はなさそうだわ」



 イリステアは長くほっそりした美脚を上下に動かしたり身体を捻ったりして確認しながら感嘆の声を洩らす。



「えへへ……初期治療の白魔法が的確で凄かったのが一番良かったですね。イリステア様のお力ですかね?」



 照れながら頬をかくハルカに、



「いえ。最初に治療したのは還流の勇者よ。あの子は卓越した白魔導士だったわ」



 イリステアは天井を見上げながら答えた。



「え?! そうなんですか?!」


「ええそうよ。私が気絶していた一瞬だけ治癒魔法をかけていてくれたわ」



 驚愕するハルカに返しつつ、イリステアはあの回復魔法を思い出していた。淡く穏やかな春先みたいな雰囲気の力だった。魔力には流した相手の気持ちが宿るという言い伝えもある。きっと還流の勇者の本質は……と思わずにはいられないイリステアだ。



「一瞬でここまで後遺症無しに治癒するなんて……やっぱり還流の勇者様は凄い存在なのですね」


「卓越した白魔法もそうですが私が手も足も出ない程の強さもあるから、今の世界で最大の強敵だわ」


「目的は判らないの……ですよね?」


「何も判らないわ。ただ一つ判るのは、いずれ私達と敵対する可能性も高いという事実だけよ」


「そうですよね……」



 そこまで話した後、二人は還流の勇者の作戦を思索する。勇者がわざわざ叛逆してでもやりたい事とは何か、カスタルは現在どの立ち位置にあるか、どうすれば他国を傷つけずに立ち回れるか。そこをしっかり考え問題解決に向かわないといけない。それが還流の勇者を降臨させた我々の責任であるのだ。女神シィラ・ウェルネンスト・カスタル様だけに責任を押し付けてはいけないと、二人はひしひしと感じていた。女神シィラ様は確かにカスタル王国を治める女神であり重過ぎる程に責任があるのは仕方ない。だが彼女だけに重圧を乗せるのは別だ。それは臣下達のやるべき事ではない。臣下は彼女の意向に従いつつも国の未来を思い彼女の意思に寄り添い汲み取り、時には反論し意見を述べねばならない。それが臣下であるという事なのだ。それが出来ずして臣下とは言えまい。ただ従うだけでは臣下では無いのだ。だから自分達が還流の勇者の目指す未来像を予測するのは必要だと、誰に対してもはっきり答えれるイリステアだ。



「二人共向かえに来ましたわ、治療の方はどうでしょう?」



 新緑の森を思わせる涼やかな声が扉を叩く音と共に聞こえたのは、ちょうどその時だった。



「その声はアレストロフィアか? 治療はもう終わっている。扉越しの立ち話など無粋じゃ。入ると良いぞ」


「え?! アレストロフィア様ですか!? ど、どうぞお入り下さい!!」


「ありがとうイリステアに如月ハルカ。では失礼するわ」



 二人の許可に応え、木漏れ日をまとう声音に藍色の狐耳の和風美女――アレストロフィアが入室する。



「アレストロフィア、息災そうで何よりじゃ」


「こちらは何とか。……貴女は相当酷い怪我だったみたいね」



 くだけた口調のイリステアと同じ口調に労いと心配の情を眸に浮かべて微笑むアレストロフィア。二人は女神シィラに仕えるドラゴン種族の中でも親友に近い間柄である。



「あぁ、全く歯が立たなかったわ。あれが伝説の還流の勇者かと思うと恐ろしい限りじゃ」


「残された魔力から見たけど本当に凄まじい力だったわ。しかもあの子まだ子供でしょう? これからまだ成長する可能性もあるんだから恐ろしい限りだわ」



 燃え盛る虹と木漏れ日射す新緑をまとう声が互いに深くため息をつく。二人共またこんな相手と戦うかも知れないと思うと憂鬱にもなる。



「厄介なのは協力者も居るという事じゃ」



 イリステアの沈痛な声を受けつつ、



「あの魔法少女の事ね。確かカミーリャという名前だったわ。今回の召喚の為にあの魔法少女達がわざわざ貸し出したとか言っていた位の実力者よ」



 長い銀髪の先を揺らしつつ静かに近寄るアレストロフィア。



「何じゃと? わざわざ召喚の際に貸し出したとな? あの自分勝手な連中が? シィラ様に? 虎の子である魔法少女を?」



 驚愕に双眸を見開くイリステアに対し、



「ええそうよ。彼女は還流の勇者降臨の為だけに我がシィラ様へ女神シーダ・フールス様から貸し与えられたらしいわ」



 アレストロフィアは窓辺へと向かいつつ答えた。



「ますます不可思議じゃの……あ奴らがそんな得にもならない事をするとは思わないからの」


「ええ全くよ。いくら我が国が双子の魔王や魔物達と戦う最前線だからってそんな事する訳ないですからね」



 窓辺に指をかけて眼下に広がる城下町を我が子を慈しむかのような慈愛の眼差しで見下ろすアレストロフィア。彼女がこの国カスタルを愛しているのは、誰の目にも明らかであろうと理解出来る。



「それなら会議で女神シィラ様に聞いてみようかの。アレストロフィア、そなたが来たのは会議に呼ぶ為じゃろう?」


「ええそうよ。そろそろ会議の時間だし治療の様子を見るのも兼ねて向かえに来たの。それに……」



 窓辺からほっそりした美しい指先を離してアレストロフィアは振り返ると。



「親友として心配でしたからね」



 慈愛に満ちた眼差しで、彼女はイリステアに微笑みをかける。



「それは心配させたの、すまないわ。もう脚も無事じゃし会議に出るとしようかの」



 イリステアは彼女にそう謝罪すると体重すら感じさせない軽やかさで起き上がる。もう脚は充分に完治していた。



「ふふ、良かったわ。では行きましょうか……ってあら? 貴女その頭の花はどこで?」



 ふと気になったアレストロフィアが、イリステアの頭部を飾る真紅の花の詳細を尋ねた。近くまで着いてきた如月ハルカもその花に気づき懐かしげに見上げた。



「これか? 詳しくは会議で話すが奇妙な屋敷の庭に咲いていた花でな。証拠に持ち帰ったのじゃ」



 真紅の肉厚な花弁を愛おしげに撫でて、イリステアは答えた。



「なるほど、なら判りました。さ、行きましょうか」



 にっこりと笑うと先導するアレストロフィア。



「わぁそれ私の故郷の花です! 確か『椿』でしたね!!」


「そうじゃハルカ、我が国では『カミーリャ』と呼ばれている花じゃ」



 彼女を追いかけながら、二人はそんな話をしていたのだった。

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