第16話女神との謁見

 カスタル王国は謁見の間。この国を治める女神シィラ・ウェルネンスト・カスタル様と臣下、国民が唯一話せる公式の場所として広くに知られている。


 そこで今、頭に『深紅の花』を飾り虹色の焔で出来た翼を持つ美女が。玉座を前に跪き畏まりながら女神の言葉を待っていた。彼女の名前は『イリステア』。ドラゴン種族の一角で霊峰イリステアを守護する『ティーダ・ドラゴン』の種族長だ。彼女はこの度自分が守護していた『原初の神殿』が叛逆した還流の勇者により陥落された事の謝罪と処罰を受ける為に出頭していたのである。


 頭を垂れて静かに待つ間、虹色の焔で出来た翼が小さく輝く。震えるように弾ける火の粉と小さな珠の汗。少し苦しそうだが彼女は緊張している訳ではない。何故ならイリステアにとっては女神シィラは盟友で対等な立場であるからだ。


 震えているのは。前に交戦した魔法少女カミーリャとの脚の負傷が完治していなかったからだ。原初の神殿を護る為に交戦した還流の勇者とその相棒である魔法少女。どちらも自分より遥かに強い相手であった。自分等では到底手が届かない程に強く、止める事の出来ない意志を内に秘めた二人……。その二人の内一人、魔法少女カミーリャを思い切り蹴りつけた時に自分が負傷してしまったのだ。


 辛さをかき消す為にちらりと視線だけで周囲を見回すイリステア。彼女の視野には冷たい白色の石の階段と豪奢な長い紅の絨毯、そして呼び出された『長い黒髪に白い蛇革のローブを着た少女』や『黒い蛇革のコートをまとう筋骨逞しい青年』と共に女神シィラの臣下達が並んでいる。直接女神シィラを守護する衛兵には、カスタル王国双璧の騎士である『大盾のアルジュナ』と『雷破のデュオ』が女神シィラ様が座る玉座の傍らに控えている光景が入る。二人は女神シィラを必ず守護するという決意を秘めた眼差しをしており、どんな動きも見逃すまいとしていた。更に加えて藍色の和服をまとう、腰まである長い銀髪に紫水晶アメジスト色の眸を持つ狐の耳を持つ美女もいた。彼女の名前は『アレストロフィア』。イリステアと同じドラゴン種族、『クオマップ・ドラゴン種族』の種族長で女神シィラの側近魔法使いとして今は仕えている。どんな暗殺者も通用しない万全の布陣だろうとイリステアは感じた。もっともそれは常人相手だけで、あの還流の勇者みたいなでたらめな存在でなければ、だが。



「ティーダ・ドラゴン種族長イリステア、頭を上げなさい」



 瞬間。女神シィラ・ウェルネンスト・カスタルの声が耳を打つ。



「御意」



 声を受けたイリステアはゆっくりと頭を上げてシィラを仰ぎ見る。負傷の痛みは努めて隠し、平静を保っていた。



「今回の原初の神殿での一件、包み隠さず全てを報告致しなさい」



 今は大切な盟友も女神の声。威厳と使命感に満ちた声音である。



「はい女神シィラ・ウェルネンスト・カスタル様。我が守護地である原初の神殿に還流の勇者の名を騙る侵入者と協力者の魔法少女が入りこれと交戦。……敗北致しました」



 しっかりと現実を報告するイリステア。


 瞬間。臣下達がざわめき、吐息で謁見の間が小刻みに震える。ティーダ・ドラゴンの種族長イリステアとくればカスタルでも高位の力を持った存在だ。それが戦い敗北したとあっては叛逆した還流の勇者を止めれる戦士は限られてくるというものだ。



「敗北は還流の勇者との戦いでしたか?」


「いえ。直接的な敗北は協力者の魔法少女の方でした。還流の勇者本人には私の力が全く歯が立ちませんでした」



 嘘偽りも無い彼女の報告に更に臣下達がざわめき、



「……」



 女神シィラは口元に手を当てて考え込んだ。それを見て傍らに控えるデュオとアルジュナ、アレストロフィアが互いに視線を交わし合う。女神シィラ様は還流の勇者を止めたい、だが手段がほぼ無いのだろうなという視線が。三名の言いたい事を雄弁に語っていた。女神シィラは還流の勇者を召喚した責任があり、勇者の暴走を止めないといけない。


 だが。世界最強と呼ばれた勇者を止める戦士がほとんど居ない、それどころか今の話だと勇者どころか隣にいた魔法少女すら歯が立たない、という現実すら叩きつけられていた。



「……イリステア、相手の意図はどうでしたか?」



 再度質問する女神シィラ。

 


「はい。世界の敵である存在と戦う意思が一応は有るようです。現に仲間を集めているようでしたから。……ただ、挑むべき敵が魔王か魔獣か、はたまた我々か。それは判らないのが現状でございます」



 それに対して。イリステアは見た事からの予測を正確に答えた。



「仲間? 還流の勇者は仲間を集めているのですか?」


「はい。女神シィラ様。還流の勇者は同時に侵入しようとした黒魔術士の少年を仲間にしようとしておりました。まだ確認は出来ておりませんが場合によっては私と互角に近い彼が仲間に居る可能性があります」



 女神シィラはそこまでのイリステアの報告を受けて。両目の付け根を指先で摘まんで沈痛な面持ちを浮かべた。イリステアと互角の敵が増えた可能性があるだのという彼女の心痛は誰にでも察せられるであろう。



「イリステア、その少年黒魔術士の名前は判りますか?」


「聞いた名前によれば『レイ・グレック』、と申しておりました」



 女神シィラが報告の名前を聞いて横目を右側に向けた時、



「聞いた事ある名前ですね。『学術都市アルスタリア』の在校生。その中でも最年少で上級黒魔術士の称号を手にした黒魔術士です。魔力と世界への影響力に対する論文をまとめて発表し、魔法制御と威力の高さ及び正確無比な魔法構成は有名ですね」



 騎士団長のアルジュナがすらすらと答えてくれた。……だが内容は全く喜べるものではないが。



「この国が亡ぼされる可能性はあり得ると思いますか?」


「少なくとも還流の勇者は『場合によっては』と申しておりましたので、可能性は十二分にあり得ると思われます」


「……」



 イリステアの報告をそこまで聞いて、また手を口元に当て更に熟考に入る女神シィラだった。


 ◇◇◇


 女神シィラは得られた情報を的確に考察していた。彼女の報告をまとめると、場合によってはこのカスタルが亡びる。そしてその可能性があるのはカスタルだけでなく、この世界全体もであろうと予測出来る。これは疑いようのない予想だろう。何故なら還流の勇者の目的はカスタル王国だけではない。叛逆の際、勇者は『八つの神殿を解放して女神様の手に聖剣を賜りたい』と女神シーダ・フールス様に宣言していた。つまるところ、『聖剣を賜る為には』勇者はこの世界全土を争いに巻き込む事も辞さないと考えているのだ。そうでなければ女神シーダ・フールス様に向かってあんな宣戦布告はしなかっただろうから。


 ……ただ。



(還流の勇者がこの世界を敵に回してまで、最終的に『何がしたい』のかが不明ですね)



 ただそこが判らないですねと。シィラは思考の出口に至る。還流の勇者は歴史書『忘却の戦記』の中で世界の敵と戦う存在だと語り伝えられていて、それ以外は何も伝承が無かった。神話の勇者は常に魔王や魔物達と戦い『聖剣を持って勝利』し続け、この世界全ての人類に安寧をもたらしてきた。それ以外は記されてはいないし『他には何も書かれては』いなかった。


 つまり召喚されたルーティス・アブサラストの本質について、誰一人として何も判らないという訳だ。我々が世界の敵として認識されたのかも知れないが……理由は判らない。だからルーティス・アブサラスト自身を理解していないのと全く変わらない。


 深く瞑目し玉座に背をもたれさせ。女神シィラは高き天井を仰ぎその事を熟考する。考えたところで勇者の事を知らない自分に答えは何も出せないのは判っている。だがそれでも熟慮の末に最善の解答の糸を引かねばならない。それが国を治める者としての義務であり責任であるのだから。他の誰にも任せる事は出来ないのだ。



「……臣下は『如月ハルカ』と『如月ユウキ』を残し解散なさい。今からカスタル王国騎士団及び重臣達と会議をします。黄昏時には叛逆した勇者に対する今後の方針を告げるのでもう一度この謁見の間に全員召喚されるように」



 瞳を開き大儀そうに顔を上げ、手を上げる女神シィラ・ウェルネンスト・カスタル。命を受けた臣下達が一人また一人と、一瞬だけ彼女を見上げつつ退去してゆく。皆彼女を信頼しているのか、不満な顔つきはない。


 だが全員、彼女の心身疲労を思いやる雰囲気が隠せてはいない様子ではあった。


 ◇◇◇


(……尋ねる機会がなかったのう。仕方ない。あの紅髪の魔法少女の話を聞くのは個別にしますか)



 横目で退室してゆく臣下達を見送りながらイリステアは決意を改める。自分と戦ったあのカミーリャという魔法少女は対還流の勇者作戦において単純な強さもさる事ながら国家戦略としても最大級の障害となるだろう。魔力の高さに祈りの資質、判断の的確さ等は目を見張るものがある。それは最前線に向かう自分としてはしっかりと聞いておきたい情報である。勿論それもそうだが伝説に伝わる勇者の姿との乖離した場所が垣間見えるのが、あの魔法少女の存在だからだ。歴史書『忘却の戦史』に書かれた還流の勇者は『常にたった一人で戦い続けた』と伝えられていて『他に並び立つ『者は』無し』とも伝え聞いて来た。そしてそうだと書かれた忘却の戦史の記録は『史実の何倍も強かったという一点を除き』嘘偽りはどこにも無いのだろう。


 それなのにあの魔法少女の、旧知の親友か――或いは永年連れ添った伴侶の如き息のぴったり合った光景はなんだ。彼女の事は本筋の伝承はおろか作家達が創り出した創作ですらどこにも記されてはいないのに、だ。



「イリステア。貴女も立ちなさい」



 そんな思案を巡らせていると女神シィラより声をかけられて、



「御意」



 イリステアもまた、起立する。その際ずきりと脚が鈍く痛んだが……表情には一切出さなかった。まだ治療が完全には終わっていないのが彼女にとって辛い所であった。あの魔法少女との交戦で傷ついた脚はここまで原初の焔を当てても癒えない程の損傷だった。思い切り相手の右腕に蹴りを入れたのはこちらの方だったのにあの魔法少女の右腕、まるで『魔力で鍛え上げられた金属』みたいな固さであったなと、イリステアはしみじみ痛感する。


 立ち上がり視線だけで周囲を見回すイリステア。もう臣下は全員退室していて。後に残ったのは長い黒髪の美少女と同じく短い黒髪の青年だけであった。



(……? 何故この二名を残したのかの?)



 そう言えば先程、女神シィラ様は『二名だけは残るように』と告げていたわねと思い出すイリステア。だがその理由は不明だ。


 二名はイリステアにとって顔見知りだ。特に今、不安げにこちらの顔を見上げる長い黒髪の美少女は妹みたいに可愛がっているくらいだ。



「二名はこれから会議に出席して頂きます。そしてイリステア。貴女は脚を傷めていますね」



 ふとその瞬間。峻厳な女神シィラの声がイリステアの心を見透かした。



「いえ、特には……」


「隠さないで下さい。貴女は交戦した時に傷ついてまだ癒えてはいないのでしょう? 翼の輝きが緊張とは違う光でしたし歩き方が変に左右に揺れていましたよ。違いますか?」



 女神シィラの有無を言わさぬ鋭さに、



「はい。申し訳ありません。あの魔法少女を攻撃した際に脚を損傷しまして、まだ治療が完全ではないのです」



 完全に見抜かれていたとイリステアは観念し。本当の事を告げる。



「ですから彼女、『白魔導士』の如月ハルカを残したのです。彼女なら完璧に治療出来るはずですからね。如月ハルカ。イリステアを治療しなさい」



 女神シィラはゆっくりと玉座から立ち上がり。



「如月ハルカとイリステアは治療後に会議に出席。時間は一時間後にしなさい。以上です」



 そう言い残してアルジュナとデュオ、アレストロフィアを引き連れ退室していった。その歩みは堂々たるもので、疲れなど微塵にも見せてはいない。……だが体幹が少し不自然に右側に揺れたのをイリステアは見逃さなかった。やはり女神シィラ様にも疲労が蓄積して限界に近づいているのだろうと彼女は感じた。無理もない。還流の勇者叛逆事件からずっと、彼女は国政と合わせて対処をし続けているのだ。


 そろそろシィラ様を休ませてあげたいわね。イリステアはそう感じた。多分どの臣下も同意見だろう。自分の傷が癒えた後で良いから妾の羽根を一枚献上しましょうか。あの羽根は原初の焔、気分の再生も出来るでしょうてと思考を巡らせるイリステア。



「あ、あの……イリステア様」



 そしてその時、おずおずと黒髪美少女が彼女に話しかけてきた。



「ハルカか、息災にしていましたか?」


「は、はい! 私は大丈夫です!! でもイリステア様は怪我が酷いようですね……?」



 向き直ったイリステアに黒髪少女が背筋をぴんと緊張させて答える。



「うむ、手酷いやられ方であったわ……女神シィラ様の命令じゃ。ハルカ、治療をお願いするわ」


「も、もちろんです! 女神シィラ様のご命令でなくともしっかり治療致します!!」


「これこれ、力まないの」



 ぷるぷると髪の先まで震えている彼女にイリステアは苦笑しながらやんわりと微笑み返す。


 その時イリステアの頭に飾り付けた紅い花が、まるで己の存在を誇示するように僅かに輝度を増したのだった。

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