第7話アブサラストの平原

 そこは全ての魔力が生まれ、また還る場所だと神話で言い伝えられている。世界を巡る魔法を現実にする力――魔力はそこで生まれてそこに還るのだと。


 魔法達の生まれ故郷、聖域。『アブサラストの平原』


 ◇◇◇


 ルーティスとカミーリャ。二人は互いに助け合いながら魔法を構成している。ルーティスが呪文で魔法を紡ぎ、カミーリャは構成で魔力の拡散を抑えて制御。二人の息はしっかり揃い乱れる箇所は一つも無い。心と心が、魂と魂が、世界と世界が重なり鳴り響くような音色と輝きの洪水が生まれ。徐々に世界に流れ込み塗り替えてゆく。


 もしその光景を目撃した者がいたなら。きっと世界から全ての接点を失うような光景に涙を流すか、それとも発狂するかだろうか。それは判らない。ただただその光景に頭の処理が追い付かないだろう。そんな光景が目の前にあった。誰一人として二人が織り成す魔法の邪魔は出来ない。魔法の完成はもはや間近であった。


 イリステアとレイが二人を倒そうと襲撃するがそれすら時が凍てつきつつあるのか、ゆっくりと止まりそうに見える。


 やがて二人の呪文は完成し。ルーティス、カミーリャの両名は光の津波を受けて姿を消した。


 ◇◇◇


 ルーティスとカミーリャが瞳を開けると。そこには鮮やかに輝く紫の草が絨毯のように広がっていた。風も吹かぬ、光さえ動かぬその世界。どこまでもどこまでもただ広がり在るだけの静かな世界。


 だが。そこには不思議な穏やかさが満ちていた。まるで眠ってしまいそうな静けさ。目を瞑れば自我など世界の隅々まで広がりゆき、自分がこの世界に受け入れられたのだと判る。それがこの場所だった。


 ルーティスとカミーリャはお互いに向き合い、微笑みながら頷くと。中央に向かって歩いてゆく。踏み分ける草は短く無音で、二人の歩みは邪魔をしなかった。一歩、また一歩と。二人は一緒に世界の中心に向かって歩みを進める。世界は完全に静止しているかのように動かずに、全てが変わらない。永久普遍という言葉が一番似合うような場所だ。


 二人は更に進んでゆく。むせるような静けさを掻き分けて更に奥へと向かう。その時平行するように粒子が飛んでくる。


 生まれたての魔力だなと。ルーティスはそれを手のひらに乗せて眺めた。魔力とは可能性。世界に満ちる『それを現実にする為の材料』。それが魔力だ。懐いた子犬のように手のひらで踊る魔力に微笑みを浮かべつつ、ルーティスは覗き込んだ。輝きの中にはこれまでの世界の歴史や、隣り合う世界、これから辿る未来が垣間見える。魔法使いなら魔力に触れるだけで世界の事を熟知出来る。ただしそれは一部だけ。幾ら頑張っても一部だけだ。海の水は小瓶に全部は汲めないように魔法使いといえ人間だ。出来る事には限りがあるのである。魔力に優しく口付けをして手放すと、舞い上がった魔力は妖精のように踊り世界の果てへと流れていった。


 これからあの魔力は色んな人と出逢い、力を貸して。またここに還ってくるのだろう。ルーティスは笑顔でそれを見送った。


 やがて二人は世界の中心に到着した。特に何か目印がある訳ではない。しかし二人には判る。ここが間違いなく世界の中心だと。


 ルーティスとカミーリャはお互いに向かい合い、深い慈愛を持って頷いた。


 先に口を開いたのはルーティス。詩のような呪文を唱えていた。音すら飲み込む世界はそれすら飲み干し、一切の音声を響かせない。


 次にカミーリャが口を開く。彼の呪文を追うように違う呪文を重ねて詠う。


 やがて草原が揺らぎ。空が揺らぎ。世界が渦巻き揺らいでゆく。大地は光の粒になって蛍火のように立ち昇り、空もまた細氷のように降り注ぐ。


 二人は胸元に手を当て呪文を重ねて詠う。詩は世界に広がり世界はその詩に応えて姿を変える。まるで創造主が創世するかの如き光景だ。二人が中心、二人だけの世界。二人が全て。そんな光景である。詩に乗る心が鳴り交わす鐘の音となり響き世界を根源から変えてゆく。


 やがて草原も空も無くなり。無限に広がる闇と輝く那由多の小さな煌めき。靄のような物が宝石箱を散りばめた青色、赤色、金色、橙色の煌めきを受け夢幻の光景を闇のキャンパスに描かれている。


 詩も佳境に入る。重なり合う詩の中でカミーリャが両腕を抱き止めるように広げルーティスも同じように両腕を広げた。


 刹那。夢幻の煌めきが動き立ち昇り渦を描いて集束し。二人の腕の間に降り注ぐ。


 やがて光の渦は二人の間で少しずつ型になってゆく。全ての色を混ぜたような粒子は必要な色だけ残し後は世界へと流れてゆき、どんどん型が出来てくる。


 淡い金色を閉じ込めた白色はすらりと伸びた刀身に。沈みゆく黄昏色は翼ある太陽の鍔に。そして深い深遠の闇色は柄へと。それぞれがそれぞれの役割があるように迷い無く型へなる。


 やがて蒼い焔が二人の間で火柱となり。生まれたそれを清める為に燃え上がる。焔はそれを清めるが二人には影響が全く無い。気にもせずに二人は呪文を唱え続けてゆく。


 そして焔が逆巻き弾けて消失し、そこに一振りの古風な長剣が燐光を放ち浮かんでいた。


 それは今まで見たどの武器よりも美しい剣だ。春の光を閉じ込めたような淡い金色を輝かせる刀身に黄昏色の鍔。きっとこれが武器だと言われたら誰もが首を捻る、そんな長剣だ。


 唯一この剣の不可思議な処を上げるなら。この剣の刀身は硝子のように透き通って見える事だけだ。刃は一般的な長剣みたいな厚さなのに、光に透けて見えるのだ。


 ルーティスは右手でその剣の柄を持ち切っ先を虚空に掲げた。伝説の聖剣を手にした勇者のようにゆっくりと、丁寧に。その思いに応えるかのように四方から魔力が集い。切っ先から鍔までに魔力が渦巻き吸収される。


 だが。相変わらず刀身は半透明なままだった。


 ルーティスは掲げた剣を戻し、刃を這わせるように指先で撫でて嘆息した。それは隣にいるカミーリャも同じだ。


 帰ろうか、とルーティスが微笑む。カミーリャもまた、静かに頭を垂れたのだ。


 二人の傍に淡雪が降る。いや、淡く光るそれは淡雪ではない。魔力達だ。魔力達がこの世界へと降り積もり、また前の姿へと戻そうとしているのだ。二人が歩みを進め世界から立ち去ろうとした時にはもう、この世界は元通りになっていた。時が凍りついたような空も踏み分ける音すら飲み込む草も再生される。


 いつしか二人が光の中で消失した時には。また同じ静寂を湛えた世界が戻っていたのだった……。


 ◇◇◇


 二人が眩い閃光の中で消失したのは現実ではほんの数秒の間だった。その証拠にルーティスとカミーリャが双眸を開くと、そこにはレイとイリステアの両名が迫っているのが見えた。


 レイは雷光を手のひらに凝縮しつつ。


 イリステアは原初の焔を燃え上がらせながら。



「……」



 ルーティスはそれを見据えつつ拳を開くと。


 両名の攻撃を右手で受け止めた。



『――?!』



 ぎょっと眼を見開く二人。何故なら今のは油断も隙も無い攻撃だった。それを片手で捌かれたのだ。まるで目の前に二人がいないと言わんばかりの振る舞いだ。



「カミーリャ。聖剣の刃について思うところはある?」



 爆炎が暴れ狂う光景を気にも止めず。ルーティスは傍らのカミーリャに濡れた硝子のように半透明な剣を掲げて尋ねた。



「駄目ですね。刃への力が足りないです。この神殿だけの力では不可能かと」



 そんなルーティスに嘆息しつつ重々しく頭を振るカミーリャ。すぐ横を雷火が掠めても全く意に介さない。



「そうだね、予想通りだ。ところで君達、何か用です――か!」



 ルーティスは双眸を細め。その気迫だけで全ての攻撃をかき消した。



『――なっ?!』



 いきなり全魔力を吹き飛ばされて。レイとイリステアは慌てて引き下がる。



「君達はどなたですか? 僕らに何のご用ですか?」



 微笑みを浮かべレイとイリステアを交互に見ながら尋ねるルーティス。



「一人は僕らへの要件が判ります。この神殿を護るティーダ・ドラゴンの種族長『イリステア』様ですね?」


「……いかにも」



 飛び退き彼女は中空で羽ばたきながら冷や汗を流して肯定する。



「僕の名前は『ルーティス・アブサラスト』。白魔導士です。ここまで言えば僕らが神殿を解放した理由は判るかと思います」


「えぇ、それはもちろん……」



 春先の光のように無邪気な微笑みを受けて、イリステアは更に引けてしまう。彼女にはもう、理由が判ってしまったのだ。ルーティス・アブサラスト。その名前を冠した白魔導士など世界で一人しか名乗れまい。伝説に謳われし最強の勇者。還流の勇者その人しか。



(確か報告では女神シィラ様が限界まで魔力を使い召喚した存在が反逆したと仰られていましたね……)



 目の前にいる存在から視線を逸らさずに。イリステアは羽ばたきながら観察する。魔力は高い。多分何らかの事情で消費している現在でさえ自分より――いや、多分今まで出会った誰よりも、高いだろう。


 だが何より一番凄まじいのは身体能力だ。自分と互角に渡り合えそうなレイの雷と自身の原初の焔を片手で止めて、気迫だけで弾き飛ばしたその力はまさに伝説の勇者に相応しい。どんな悪霊にもこんな芸当は真似出来まい。この力が既に勇者の証明だと言っても過言ではなかった。



「判るのであれば、ここは見逃して頂きたいです。僕らはこれから別の神殿を解放しなくてはなりませんからね」



 にっこりと満面の笑顔で尋ねるルーティス。朗らかに笑う光のように眩しい笑顔でそんな事を言われたら誰でも言う事を聞きたくなるだろう。


 ……しかし。



「お断りしますわ。勇者殿」



 だがしかし。イリステアはルーティスの要求を突っぱねた。



「妾はこの神殿を守護していた者……。例え神殿が解放されてもそれは変わらないのです。何よりあなたは放置しては危険だと判断します」



 緩やかに羽ばたきながらイリステアはルーティスを睨む。彼女の選択は正しい物だと言えた。女神に反逆した勇者ルーティス、それを放置するのは危険過ぎるのだ。



(妾に勝てる見込みは無い……だが引く訳にはいかぬ)



 彼女の心は最初から定まっていた。



「……まぁそうなりますよね。ところでそちらの君はどうしますか?」



 悲しげに笑いながら。今度はレイに問いかけるルーティス。



「おれか?」


「はい。見た所あなたはただ研究に来ただけの黒魔術士に見えます。この事態とは関係が無いと思いまして」


「冗談抜かせ」



 ルーティスの言葉をこちらも突っぱねる。



「お前強いだろ? 戦わせろよ。伝説の勇者と同姓同名の――しかも強さも同じ相手なんざ滅多に居ねぇからよ」



 パチ……パチ、と。昂るレイから火花放電になった雷の魔力が発生する。もう彼は臨戦態勢だ。



「そっか。なら僕が君を倒したら親友にならないかな?」


「親友、だって?」



 にっこり笑うルーティスに、不思議そうな瞳を向けるレイ。



「ああ、親友さ。今僕は目的の為に仲間を募集しているんだ。友達、親友、盟友――全部募集中さ」



 両手をいっぱいに広げて無邪気な笑みを溢すルーティス君。ほの暗い打算とか策略とかは全く感じない。純粋に求めるものだ。



「へー、なら後ろにいる紅髪は友達、親友、盟友のどれなんだ?」


「彼女は相棒パートナーさ。この立場はカミーリャ以外に譲る気は無いからね。他の誰が居たって彼女だけさ」



 堂々と言い放つルーティスに、



「……もう」



 カミーリャはほんのり赤い顔を手で隠して伏せる。



「ふーん。まぁ、いいや――ッッ!!」



 レイは気にした様子も無く雷をまとう拳を叩きつけた。



「おれはお前と戦う。それだけだぜ……! お前はおれが出会った誰よりも強ェ、だから戦わせろ」



 辺り一面に雷火が飛び交い、山肌をガラス状に溶かしてゆく。



「そうか。それならそれで良いよ。剣には剣で、花束には花束で、喜びには歓喜で、絶望には終わりで。全力を持って応えよう」



 対するルーティスは不敵に笑いながら拳を受け止めていた。先程と同じように迸る放電なぞ意にも介さない態度で。



「僕はルーティス・アブサラスト。『還流の勇者ルーティス・アブサラスト』だ。君の思いに応えよう。それが僕の存在する理由だからね」



 空いた拳を叩きつけて。ルーティスはレイをふっ飛ばし、そのまま追撃に移る。



「逃がすか――?!」



 イリステアも追撃しようとした刹那、高速で飛来する氷柱が頬を掠めた。



「貴女の相手はこの私、『たそがれの姫軍師』ですよ」



 ゆっくり視線を送ると。そこには右手を突き出したカミーリャが冷笑を浮かべている。



「そなたは魔法少女じゃな? 女神シーダ・フールスの信者の。ならば何故妾と戦う?」



 イリステアの問いに、



「私がルゥの相棒だからです。ルゥは今あの黒魔術士と戦い合いたい模様です。邪魔はさせません」



 カミーリャは満面の笑顔で。答えた。



「そうか。……どの道貴様も倒さねばならぬ存在じゃからのう。全力でいかせて貰うぞ」



 虹色の、原初の焔が逆巻く中で。



「もちろんです、イリステア様」



 カミーリャも莫大な魔力を解放し始めた。

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