第5話原初の神殿

 カスタル王国から南に抜けた国境を別つ、天に向かって屋根のように聳え立つ山脈。そこは『虹の霊峰・イリステア』と呼ばれる神秘の山脈だ。ここには険しく道無き道と空を飛べるドラゴン種族が棲み入る者達に危害をもたらすと言われており。中々狩人も冒険者も魔法使いも立ち入らない。先の麓に合った村の人達も、滅多な事では入らないと全員言っていた。


 難攻不落、まさに天然の要塞とでも呼べる山。それがイリステア山脈。


 そしてその中腹に、埋もれるように『原初の神殿』が眠っているという伝説が。魔法使い達の間では信じられていた。理由は諸説あるが一番有力とされるのは山頂迄の道のりによるものだ。山頂を目指して挫折し、道半ばで帰還した者達の話をまとめると。常に雲海に包まれた山頂にはどうやってもたどり着けず、同じ場所を回り続けるのだとか。


 それらから予想された解答はたった一つ。山頂に至るまでの道のりは山中にある神殿の入口からたどり着くのであると。


 そんな山を麓から登り岩肌が剥き出しの山道――というか完全に獣道以下の道なき道をルーティスとカミーリャは進んでゆく。朝方に出発し今は真昼に差し掛かる。中天高くにある太陽は強い輝きを降らせ風の凪いだ世界は静かに暑い。



「伝え聞いた通り、険しい山ね……」



 最早道と言って良いのか判らない断崖絶壁の小さな部分に足をかけつつカミーリャが呻いた。足を置けばすぐに崖がちょっと崩れ、カラカラと石ころを奈落の底に吸い込んでゆく。



「前の土砂崩れが悪い影響を与えているからね。後もう少しで中腹さ。原初の神殿は後少しだよカミィ」



 先行して道を整えつつルーティスが答える。断崖の僅かな場所に指をかけてゆっくりゆっくりと一歩を下ろしつつ魔力達と協力して地盤を固めて道なき場所に道を作る。岩壁を登る細心さで身体をぴったりつけて先を進む。



「カミィ大丈夫?」



 ルーティスの問いかけに、



「大丈夫よ心配しないで」



 力強く答えるカミーリャだ。



「なら良いんだけど……原初の神殿までは後少しだからもう少し頑張ってくれ」


「判ったわ」



 二人は岩肌に頬を擦り付ける位密着させて進む。



「ルゥ、魔力は大丈夫?」


「まだ大丈夫だよ。おや、土砂崩れがまだあるね」



 ルーティスはちらりと山肌が見える迄に土石流に埋もれた山間に双眸を細める。



「『癒されよ永遠の大地。遥かなる輝きを取り戻せ。『約束の理想郷』』」



 ルーティスは不安定な足場でも正確かつ高速で呪文を唱えて魔法を構成する。完成した魔法は山間に溜まる土砂に光の霧雨となって柔らかく降り注ぎ、全て浄化して消し去った。



「これで一安心だよ。再度崩れる可能性も無いだろうね」



 ふぅと一息つくルーティス。カミーリャから表情は見えないが彼女には判る。ルーティスは安堵して顔を緩め笑顔を浮かべている筈だ。それを想像して彼女は嬉しくなった。ルーティスの喜びは自分にとっても嬉しいものだ。


 そしてもう一つ。精神支配の魔法で追手を引き離しているルーティスは少し疲弊しているというのもカミーリャには判っていた。



「神殿内部はカミィと協力して行きたい。一番奥であの力を召喚するのは今の僕一人じゃ厳しいからね」



 ルーティスは優しい気配をカミーリャに向け。



「判ってるわ。全力で補佐をするから」



 いざという時にはしっかり補佐しようという決意で。カミーリャも微笑んで返す。



「……見えた。多分あそこに入口が隠されているよ」



 崖っぷちの無き道を抜け拓けた場所に出て、ルーティスはそう呟いた。



「本当なの、ルゥ?」



 岩肌伝いに歩きつつ尋ねるカミーリャに、



「あぁ。ここに入口があるよ。長い間封印されていたからね」



 手を取って彼女を安全地帯に立たせて確認させるルーティス。


 そこは一見すると山脈の中腹の拓けた場所だろう。だが良く見てみると崖道を人為的に造り壊した後がある。誰かがここに何かを封印した可能性は高そうだ。崖の岩肌も絶妙に魔法技術で偽装してはいるが……魔力と話せるルーティスにはここがどんな場所か手に取るように判るのだ。



「……カミィ。開封する。ちょっと長い呪文を唱えるから付近の警戒をお願い。守護者達がやって来るかも知れないからね」



 今から大魔法を構築するからだろう。逆巻く風のような魔力を集束させ、ルーティスは瞳を細める。



「判ってるわ」



 彼女もそんなルーティスの思いを理解し。彼から教えて貰った魔法で、魔力から情報を読み取る。



(空を翔ぶ強い存在が山頂に群れを成していますね。更にはかなり強い魔力の集束反応があります。おまけに神殿内部は魔力が乱反射、共振を起こしています。調べて最深部まで行くには中々骨が折れそうな場所ですね)



 カミーリャはため息を洩らす。


 そんな彼女の横を、夜闇のホタルが飛ぶように光の粒がふわりと舞い。ルーティスの周りで螺旋を描いて昇ってゆく。



「『言の葉紡いで時の中。久遠の彼方に向かいゆく」



 唱えたのは癒しの呪文。生物無生物を問わず全てを癒し解き放つ力がある。


 

「『尽きし命は還りゆく。廻る円環螺旋の中でまた次へ。迷い無く還れ円環のある平原に』」



 双眸を優しく閉ざし魔法を組み上げてゆくルーティス。燐光に照らされる横顔はとても美しい。




「『全ての想いを捨てて新しい力となれ。託せ委ねよ命達。明日を願う旅人へ。想いは消えるとも語りは消えぬ』」



 呪文の完成と共に光の粒が岩肌に降り注ぎ。不自然無く強固に張り巡らせた結界を消し去り。そこには洞窟と、明らかに人工的に造られた古い石の階段が下に向かって伸びていた。



「ここだよ間違いない」


「そうねルゥ、行きましょう」



 ひんやりとした冷気とむせ返りそうな魔力が頬を抜けていく中で、二人はゆっくり石段を降りてゆく。


 ◇◇◇


「よっと、たどり着いたなぁ!」



 やがて二人の影が見えなくなった頃。空から小さな青い影が強烈な旋風と共に舞い降りた。



「へへっ! やっと伝承にある『原初の神殿』があったって噂の場所に着いたぜ!! いやー長い道のりだったよ!!」



 青い影は蒼い髪をしたまだ八歳位の少年で空色のローブをまとい、鈴の代わりに雷菅石らいかんせきが結びつけられた樫の杖を振り回して元気いっぱいの声をあげる。



「原初の神殿……伝説に語られた聖域『アブサラストの平原』へと至る場所。この『レイ・グレック』がたどり着いてみせるぜ!!」



 ぐっと拳を握り虚空に突き上げるレイ・グレック少年。



「あれ? 何で階段あんの?」



 きょとんとなるレイ。



「それに何か……封印を解いたよーな形跡あんな……? 盗掘者か? だったらお気の毒だな。ここを守護するドラゴン種族はおっかないから、な――」



 冷静に分析していたレイの背後が陰る。虹色の火の粉を散らしゆっくり羽ばたく影のそれは、雲なんかではない。


 恐る恐るレイは振り返り。そして絶句した。


 ◇◇◇


 神殿内部はとても静かであった。悠久の時の中で強固な結界魔法とドラゴン種族に封印されていたこの場所は誰一人立ち入らなかった為、冒険者にも魔法使いにも盗掘者にも荒らされる事が無かったからだ。静寂に包まれた石造りの神殿内、均等な大きさで四角の石が丁寧に積まれ壁や床を埋めており。二つの足音だけが静かに吸い込まれてゆくばかりだ。



「神殿というよりは迷宮に近い造りね」



 カミーリャが儀式を施し強固にしている壁に指先を這わせながら呟いた。



「聖域には簡単にたどり着いたら困るからね」



 ルーティスもまた、呪文で創り出した小さな白い光球を滞空させつつ付近の魔力のざわめきに警戒をしていた。



「かなり濃密な魔力が淀んでいるね。魔物も居なさそうだ」



 くるりとカミーリャの方を向くルーティス。


 その瞬間、闇より深い黒の中より六つの瞳がルーティスの背後に浮かび上がる。右に三つ、左に三つ。それぞれ連なった瞳を持つ巨大な狼みたいな獣がルーティスを見据え、ぱっくりと大口を開き涎が滴り落ちる牙を食い込ませようとしていた。


 瞬間ルーティスは右足を後ろに踏み込み身体を捻り、回し裏拳をそれの頬に叩き込んだ。



「グギャ?!」



 攻撃を食らったそれは間の抜けた唸りを上げ。轟音と共に壁に激突し消滅した。



「『魔獣』はいっぱいいるみたいだね」



 少しばかりひびが入りへこんだ壁と床を見て、ルーティスは嘆息した。



「魔獣はどこにでもいるから仕方ないわ。こっちもお出ましよ」



 双眸を細めて背後に殺意を向けるカミーリャ。そちらからは闇の深淵からわらわらと巨大な蜘蛛や百足が現れていた。



「『焼き尽くせ『焔の聖剣』』」



 カミーリャも反転、そして小さく灼熱の火炎衝撃波を放つ呪文を唱えた。呪文と共に効果を現した魔法は辺り一面を照らし出し。迫り来る魔獣を溶かして蒸発させながら、今まで歩いて来た廊下を蹂躙して消え去った。後には余波が陽炎となり少し溶けて煤けた壁と残るだけだ。


 二人は頷き合うと先をゆく。更に奥へと向かわないといけないから。そして呼応するかのように今度は人間の胴体に下半身が蛇の魔獣が現れる。


 だが刹那の瞬きと共にルーティスが消え。魔獣の中央に飛び蹴りを叩き込んでいた。魔獣はそのままけたたましい騒音と一緒に壁に激突し、今度は壁を全壊して瓦礫に埋もれて消滅する。



「近道できるかな?」


「壊していいのかしら?」


「壊れた物は仕方ないよ」



 肩を竦めて「さ、行こう」というルーティスに。カミーリャは苦笑しながらついてゆく。


 神殿内部にズゥゥウウンッッ……! という激震が走ったのはその時だった。



「何かしら?」



 ぱらぱらと落ちてくる石埃を受けながらカミーリャは虚空を見上げる。



「この様子、外でドラゴンが暴れているんだよ」



 ルーティスも双眸を細めて、斜め上――音源に近い方を睨む。



「私達が侵入したのがバレた――訳では無いわね。それなら神殿内部に進攻して来ている筈だから」



 またしても爆音と振動、それから神殿内の急激な気温上昇を感じながら。カミーリャは汗を拭い推察する。



「そうだね。それに魔獣はどこでも出てくるしわざわざドラゴン種族が神殿内に入って侵入者を排除するとか外部から壊して侵入者を始末するような理由は無い。頂上で待ち構えるぐらいだろう」


「なら外部で侵入者と交戦してるのね」


「一番考えられるねそれ」



 小さく呪文を詠唱し。ルーティスはカミーリャの周りの気温を適正にした。



「ありが――ってルゥ! 自分はいいの?!」



 狼狽えるカミーリャに。



「これぐらいならへーきだよ」



 ルーティスは気にした様子もなく返しつつ足を止めた。



「どうしたの?」


「……」



 ルーティスが見つめる先には石像があった。


 丁寧に彫られ着色までされた光を溶かしたような白髪に澄んだ闇色の瞳をし、『翼ある太陽』の鍔と『紅い刀身』を持つ長剣を掲げ『他二本の長剣』を携えた青年の石像を中心に、十人近く石像が並んでいる……。だが今はその青年筆頭に全ての像が朽ち果てて所々が崩れている為、元の姿は判らないものだ。


 『伝説の還流の勇者ルーティス・アブサラスト』


 唯一名前が判るのが、青年の石像だけだ。



「……仲間か。やっぱり仲間は必要だね」


「私もそれは思いますね」



 二人は過ぎ去ってゆく。

 

 やがてルーティスは明るい気配が射し込む部屋に入り、上層を見上げた。



「ルゥ?」


「山頂に至るのはこの先だね」



 つられて見上げるカミーリャの双眸に。先が見えない程に長い螺旋階段が入り込む。光は遥か遠くの彼方に、小さな星のようにあるばかりだ。



「……登るの?」


「まさか、跳ぶよ。カミィは背中に乗って」


「いいわよ」



 カミーリャはそう答えるとルーティスに背負われ準備した。


 ルーティスは屈み力を足に蓄えると、そのまま石畳を踏み込みで破壊し跳躍。一気に螺旋階段の中程まで跳んでくる。やがて空気抵抗と力の放出で勢いが弱まって来ると。そのまま更に虚空を蹴り跳び。高く高く落下しないで跳んでゆく。


 やがて全ての螺旋階段を抜けた先。そこには階段の出口があった。幾年月を経ても誰一人来る事がなかったこの門は、今二つの影を招き入れようとしている。


 二人は躊躇い無く出口をくぐり抜け。遂に頂上へと降り立った。



「ここが原初の神殿の……」


「頂上だよ、カミィ」



 二人は周囲を警戒しつつ答えた。


 そこは東屋のように石柱と半円の屋根が乗せられただけの場所で、眼下には雨雲よりも濃い積乱雲が雲海となり、見渡す限り水平線のように続いていた。


 目の前には石碑がぽつんとあるばかり。ルーティスが近寄り片膝をついて埃を払うと。下からは文字が出てきた。


 『其の姿は――非ず。その力は世界の如何なる者をも超える』


 石碑に刻まれた文字は掠れてはいたが確かにそう読めた。



「長い年月で風化しているけど……この碑文が残っているから間違いない。ここは聖域の入り口だよ。カミィ、今から聖域との座標を合わせる為に魔法を仕組むから手伝ってくれないかな?」



 言い終わる前にルーティスは立ち上がり、付近から魔力を集束させてゆく。



「判ったわ、ルゥ」



 そんな彼に協力するべく、カミーリャも魔力を集束させる。



「『遠く久遠とおく。彼方に在りし聖なる平原、全ての魔法が生まれて還る約束の地よ。響く風吹き抜け鈴音の光が満ちた聖域よ。悠久の時を見守る平原よ、我ら人の子等にに力を貸して下さい――』」



 逆巻き降り注ぐ光の流れが周回し、それが足元へと流れルーティスを中心として円の形になり。最後は真下に『翼ある太陽』の形に光が集束して魔法陣を創り出す。ルーティスは更に丁寧に呪文を謳い魔法を構成してゆく。


 カミーリャもそれに合わせて魔力の流れを制御する魔法を構成しようとしたが。



「――!」



 無数の剣山が衝突するような圧力に反応し、



「『我が民に絶えぬ幸福と安らぎをもたらせ。『聖なる王国』』」



 高速で防御結界の呪文を唱え対処する!


 飛来してきたのは巨大な雷で、彼女の防御結界をびりびりと震わせ、石柱にひびを入れる程の衝撃を持っていた。




「おいおい、不意討ちしっかり捌きやがったぞ。あの女、中々すっげーじゃねぇか」




 粉塵が舞い上がる結界外部をカミーリャが睨み上げると。そこには中空に水平に浮かせた杖に足を乗せて立つ蒼髪の少年が見下ろしていた。




「戯け。ここに来る程の連中じゃぞ。それぐらいは出来るに決まっておろうが」




 少年の遥か上から虹色の火の粉と共に、落ち着いた女性の声が降りてくる。カミーリャが更に見上げた先。そこには一人の美女がいた。肩から虹色の焔でできた巨大な翼をはためかせ。翼と同じ虹色を閉じ込めた肩まである髪。半袖にスカート姿、足指を出した太ももまである長めの靴下を履いた活発そうな見た目の美女だった。


 一際目を引く虹色の翼が羽ばたく度に同色の火の粉が降り夢幻の煌めきを生み出して。夢か幻か、現実と幻想の狭間に意識を導いてゆく。



「妾はこの神殿の守護を女神シィラ様より任されたドラゴン種族、『ティーダ・ドラゴン』の種族長『イリステア』と申す。侵入者達よ、あなた方は生かしては返さぬ」



 幻想的な火の粉が逆巻き舞い落ちる中で、イリステアはルーティスとカミーリャの両名を睥睨した。

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