第11話  青のいない入部式



「 瑠里ちゃん、よかったよねぇ!陸上部のトライアウト受かったんでしょ?」


新入生のオリエンテーリングを受けた後、入学式で知り合った酒井夏美と構内のテラスカフェで向かい合い、満面の笑みで祝福を受けた。


「 ありがとう。まぁ、トライアウトは……大袈裟だけどね 」


「 あら、御謙遜!陸上は特に一般入部基準厳しいって聞いたわよ?」


「 う……ん、でも、説明受けた時はそうでもなかったよ。実力よりもやる気、真剣さが最重要だって言われた 」


「 やる気に真剣さ!体育会系の王道!!」


夏海はカフェオレのカップに口を寄せながら陽気に笑った。

五日前に受けたスポーツテストの結果を今朝メールで受け取り、入部届けを取りにクラブハウスまで行ってきたその足で夏海と合流した瑠里だった。


入学式の時に説明してくれた神崎から直接「ようこそ!」という言葉と共に入部届けの書類を手渡された。

月城 青は、いつ頃復帰しますか?……という喉まで出掛かった質問を呑みこみながら、瑠里はいそいそと帰ってきた。

兎にも角にも、最大の目標だった入部を果たしたのだ。

青はもうすぐ復帰すると、確かに聞いた。

それに、万が一、或いは復帰前に青が先に自分を迎えに来てくれる可能性だってあるのだ。

そう、忘れもしない約束は、「必ず瑠里を迎えにくる」という青の言葉だ。

だが、自分から青に会いに来たとしても彼に怒られることはない。

むしろ、よくぞ頑張ったと褒めてくれるに違いないし、あの日の優勝報告もきっと褒めてくれる。

瑠里は、この半年の積もりに積もった願望をこれから叶えられるはずの想像に置き換えながら、また眠れない日々を過ごすのだった。


それから二週間後、待ち望んだ陸上部での新入生紹介と顔合わせが行われた。

短距離部門男子8名、女子5名。長中距離部門男子7名、女子4名の計22名が今年のニューフェイスであった。

4回生から1回生まで平均15名前後の部員でトータル70名近い部員数の規模だったが、陸上部自体が短距離班と中長距離班に分かれており、練習スケジュールも場所も監督コーチ陣も別々になっているらしい。

なので、瑠里は中長距離班の新入生顔合わせに招集された。

今になって知ることとなったのだが、瑠里が陸上部のクラブハウスだと思って訪れていた場所は、幸運にも中長距離班専用のクラブハウスだったらしく、短距離、フィールド競技のクラブハウスは別棟になっている。

従って、瑠里に説明してくれた神崎は、中長距離班の第一マネージャー、金沢は第二マネージャーということになる。


今日で訪れるのが三度目となったクラブハウスの中の第一集会所に、瑠里はいた。

窓際に並ばされた新入部員達の一番後ろに並び、緊張と居心地の悪さに俯いて待った。

だが、開け放された入口から四回生を先頭に、総勢35名の部員達がぞろぞろと集まりだすと、瑠里の様子は一変した。

顔合わせよりも、挨拶よりも何よりも、青に会うためだけの為の入学、入部なのだ。

一人も見逃すものかと青の姿を必死に探す。

突然背伸びをしたり背を屈めたり、キョロキョロと先輩部員達を眺めだした瑠里の様子に、まだ名前も知らない隣の新入部員がぎょっと驚く。


「……ちょっと……どうしたの?」


すらっと背の高い女子が思わず訊ねたが、瑠里の耳には全く入らなかった。

青……青……青……瑠里の頭の中ではその名前だけが繰り返される。

一回生の時に事故にあって、それから半年以上眠り続けて……だから青は今は三回生なのだろうか?いや、大学には単位制度があるから、留年扱いなら二回生?


青に関しての思考が混乱しながらも青を探すことをやめようとはしなかった瑠里だったが、二回生と思われる最後の部員が入るまで、そこに青の姿を見つけることは出来なかった。

そんなわけはない……。

見逃してしまったのだ。

人数が多すぎて見落としてしまったに違いない。

諦めきれない瑠里は場内が静まり返っても尚探すことをやめようとしなかった。

陸上部部長と思しき初老の痩せた男性が前に立ってマイクを持った時、隣の女子が瑠里の腕を引っ張った。


「 ちょっと!始まるわよ!」


まずは、部長の新年度の挨拶に始まり、次に中長距離班の総監督がマイクを握り、昨年度の成績を元に今年度の目標を長々と語った。

そしてコーチ陣の簡単な挨拶、新年度の班別キャプテンの紹介。

瑠里の専門は中距離、トラックの五千メートル競技に属するので北川という四回生がキャプテンらしいと把握する。

さすがにこの人数では、部員全員の自己紹介は無かったが、新入部員の自己紹介は行われるらしく、全ての部員が窓際の瑠里達の列へ向き直った時に初めて自分の置かれた状況に気付いた。


「 それでは、今年度の新入部員に挨拶していただきます。名前、出身校、専門種目、簡単な自己アピールをお願いします。」


第二マネージャーの金沢の声掛けで先頭の男子から挨拶が始まった。

……自己アピール!?そんなの聞いてないし……何も考えてこなかったし!

瑠里は軽いパニックに陥りながら、何を言えばいいのかを必死に模索しながらも、突然あることに気が付いた。

そうだ!今、この全部員の人達の前で自己紹介するということは、自ずと青に自分の入部を知らせることになるのだ。

必死に探さなくとも、自分がここまで来たことを、ここにいることを、伝えることが出来る。

さっき見落としたかもしれない青を驚かせるにはもってこいのチャンスだ!


それぞれ新入部員の挨拶は、どれも立派な経歴達を引っさげていた。

最低でも優勝数回、上は大会記録まで、平凡な経歴は瑠里を除いて見当たらない。

さっき瑠里に注意を促した隣の長身の彼女は、高校駅伝の全国大会出場経験の持ち主だと、その挨拶でわかった。

どうやら一般入部は、自分1人なんだと、たった今知った。


「 はい、最後の一年生の彼女、どうぞ。」


第二マネージャーの金沢に促されて坂上さかがみ はるかと名乗った彼女からマイクを渡される。

周りに聞こえやしないかと心配になるくらいの大きな鼓動を鎮めるべく大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出す。


「 は、はじめまして……」


思わず声が裏返り、一度マイクを外して咳払いをした。


「……失礼しました。私は、高宮瑠里です。高い宮に、瑠璃色の瑠に古里の里と書いて瑠里と読みます。高宮瑠里です。」


まるで選挙に立候補でもしたかのような名前の説明に小さなクスクス笑いが起こる。


「 あ、すみません。え…と、県立N高校出身です。それから……専門は五千メートルです。成績は…他の方たちのような立派なものは何もありません、すみません。」


なぜかペコリと小さく謝った瑠里に再び小さな笑いが起きた。


「 あ、でも、やる気は負けないくらいあります!……あ!でも、高校最後の大会では優勝しました、が、タイムは平凡でした、すみません。一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします。」


なんのまとまりも持たない挨拶に、最後までクスクス笑いが続いた。

瑠里が真っ赤になりながら、最悪の気分に思わず俯くと


「 高宮さん、頼もしい決意表明ありがとうございました。うちのチームは経歴ではなく結果重視ですから、しっかり目標を立てて頑張ってください。」


金沢が微笑みながらフォローをしてくれた。


「 それでは、これで新入部員の紹介と顔合わせを終わります。最後に向かい合って礼で締めてください。」


総合司会役の神田の言葉を合図に、一同が「よろしくお願いします!」と声をそろえて礼をし、解散となった。


月城 青は、いなかった。

少なくとも、この顔合わせ会場には来ていなかった。

大きな落胆と脱力感を抱えて集会所を出た瑠里は、のろのろと次のミーティング場所への移動をした。

明日から始まる部活動に向けて、今度は新二回生から一回生が担当する主な準備、終了作業の役割分担の引継ぎ、銘々の簡単な活動スケジュールを言い渡される。


瑠里はといえば半分心ここにあらず状態で参加していた。

青はなぜいなかったのだろう?

あの入部の説明を受けた時に神田マネージャーから彼はもうすぐ復帰すると確かに聞いた。あれからもうひと月。もうすぐとは、どのくらいの時間を示したのだろう?

それともまだリハビリ中なのだろうか?


「 あの……」


ミーティングが終わり、各競技の練習見学の為のグランドへの移動途中、付き添っていた第二マネージャーの金沢に思い余って尋ねた。


「 はい、何か質問かしら?」


「 以前、神田さんから教えてもらったのですが……」


瑠里はちょっと青の名前を口にする前に躊躇したが、思い切った。


「 月城さんは……まだ復帰しないのですか?」


その問いかけに、今度は金沢がちょっと戸惑いを見せた。


「……高宮さん、月城さんの知り合い?」


「……はい、後輩というか……知り合いというか……。もちろん、事故の事も、知っています。」


以前、青に指導を受けたと言った時の神崎の反応を思い出して、そこは敢えて省いた。

事故のことを知っていると聞いても尚、金沢は迷いながら口を開く。


「 そう。彼は…その、事故が事故だっただけに、トレーニング重視のメニューで、スケジュールも全く別なの。」


「 もう、復帰しているんですか!?いつからですか!?」


瑠里の瞳は大きく見開かれ、今にも金沢に掴みかかりそうな程、距離を詰める。


「 ちょっ!えーと、た、高宮さん!」


金沢は、必死の形相の瑠里のトレーニングウェアの胸元の刺繍で名前を確認しながら、瑠里に制止をかけた。

だが、瑠里はそれどころではない。

青が大学に来ている!

トレーニングとはいえ、別メニューとはあれ、復帰を果たしてる!


「 陸上部のトレーニングマシーンルームってどこですか!?どこに行けば月城さんに会えますか!?教えて下さい!お願いします!!」


結局、粘ってはみたが青の現段階での居どころは、わからなかった。

青のスケジュール管理は、第一マネージャーの神崎が顧問と相談しながら管理しているとのことだった。

金沢ですら、まだ青を見かけてはいない、というのが真相らしかった。


次の日、授業スケジュールを早目に切り上げて、練習前の神崎を捕まえる為にクラブハウスを訪れた。

この学年変わりの時期のマネージャー業務は、多忙をきわめ、昼からずっとクラブハウスの庶務室に籠って作業していることが多いらしく、例に漏れず神崎もそこに居た。


「 お忙しいところ、すみません……神崎さん、宜しいでしょうか?」


山のようなファイルを入れ替えしていた神崎は、瑠里を見ると


「 高宮さんだったかな?今じゃないとダメかしら?」


瑠里は躊躇した。

だが、いつでもいいという話でもないのだ。


「 あの……5分で済ませますんで、お願いしたいです!」


瑠里の切羽詰まった様子に、神崎は苦笑いと共に席を立ってくれた。


「手短にどうぞ。」


庶務室から出てきてくれた神崎に瑠里はペコリと頭を下げる。


「 陸上部のトレーニングマシーンルームの場所を教えて下さい!」


「 今のところ、陸上部専用のルームはないけど、他の部と共有のルームは2ヶ所あります。北別館の地下一階と西館の二階トレーニングフロアがそうです。」


瑠里は、持ってきた小さなメモに急いで書き取る。


「……それと……」


「 それと?」


1度小さく口唇を引き締めてから、顔を上げる。


「 月城さんの、トレーニング日程を教えて下さい!」


神崎は、小さなタメ息をつくと困ったように笑った。


「 金沢さんからも聞いていたけど……何か事情があるの?月城君に会わないといけない事情が?」


いきなりの核心を突かれた。

たちまち瑠里は口ごもる。


「……事情……」


「 事故からの復帰ということもあるけど、彼にも彼の事情があって、別メニューなの。」


青の事情……なんだろう?


「 例えば……例えばですが……何か後遺症とかが残っていて……とかの事情だったりしますか?」


神崎は相変わらず必死な様子の瑠里に首を傾げた。


「 そこまで深刻な事情ではないけど……そんなことより、貴女の事情の方が深刻そうに感じるのは私の考えすぎかしら?」


瑠里は、困った。

なんと説明しよう……

本当のことなんて言えるわけもなく、仮に打ち明けたとして、誰が信じてくれよう?


「 すみません……詳しい説明は、出来ないんです。本当にごめんなさい!」


瑠里はもう正直に頭を下げることしか出来なかった。


「 それでも!それでも、どうしても、会わなければいけないんです!」


瑠里は、尚も許可して貰えるようにと理由を捻り出す。


「 私は、一番実力が無く、補欠入部みたいなものです。なので、一年生の準備仕事もしまい仕事も、人の倍やります!練習も必死に頑張ります!なので……」


「 補欠入部なんて、うちにはありませんよ。」


神崎が、瑠里を遮った。


「 正式なテストを受けて貰って、入部したのだから、自分の力を卑下した言い方はして欲しくないわ。」


「……はぁ……」


神崎は、少し俯き加減に右手で左腕の袖口をポンポンと叩きながら思案を始めた。

それからぐっと口元を引き締めると、瑠里を見た。


「 わかりました。でも、私が勝手に判断出来ることではないから、トラック競技担当のコーチに相談して返事をするから、1日時間を下さいな。」


不安気で見つめる瑠里に神崎は少し微笑む。


「 なるべく、高宮さんの希望に添えるように私も知恵を絞るから。約束は出来ないけど…」


神崎の配慮ある言葉に、瑠里は深々と頭を下げた。


「 ありがとうございます!!よろしくお願いします!」



次の日、練習開始と共に一年生はマネージャーに集合をかけられた。

通常なら、一年生は金沢が担当なのだが、今日は神崎が居た。


「 ここ数日間の皆さんの走りをコーチに見て頂きました。とりあえず、今から夏までの強化メニューを個別に決める事にしました。」


そう言って、各自にプリントを配布始めた。


「 例えば、腕振り強化の為のトレーニングだったり、脚力強化の為の坂道走だったり……それぞれにメニューが違います。もちろん、合同でのラン練習もあるので、キチンと時間とメニューの割り振りを表にして自己責任で進めて下さい。」


瑠里は、渡されたメニューをマジマジと見つめた。

上半身強化トレに下半身強化トレ、持久力強化と……ほぼフルメニューなのには笑えた。当たり前だけど。


「 高宮さん。」


解散した後も、プリントとにらめっこしていた瑠里に神崎が声を掛けた。


「 は、はい!」


「 高宮さんには、沢山伸びる要素があるとコーチは判断したみたい。なのでキツイけど、しっかり頑張ってね。手抜きをすればすぐにわかるから、気を引き締めてね。」


「 が、頑張ります!」


「 それと……」


神崎が、意味深顔でにこりと笑う。


「 トレーニングに関しては、自己管理になるから、合同ラン以外ならいつどのタイミングでトレーニングルームに通ってもかまわないわ。毎日でもね。お勧めは……北別館よ。」


毎日……トレーニングルームに通ってもかまわない?

お勧めは、北別館?

瑠里はそこでピンと来て、顔を輝かせた。

青を、探せる!青が来るのを待てる!

青が来るのは北別館!


「 ありがとうございます!!本当に……ありがとうございます!」


あらためて、深々と頭を下げる瑠里に、


「 当然だけど、一年の仕事には必ず参加すること。合同ランも、ミーティングも。そして、夏までに高宮さんなりの結果を出すこと。」


そう釘を差した。


「 はい!必ず頑張ります!」






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