第12話  青との再会



大学生活は、なかなか忙しい。

側から見ていると、高校とは違って授業や講義も自分で組み立てて、時間割りも自分で管理する。

なんなら毎日通うことも無く、バイトに時間を費やしている大学生が殆どだと勝手に思い込んでいた。

だが、部活と両立させていこうと思うと、なかなか難しいことを実感する。


瑠里が総合スポーツ科学を選んだのには、理由があった。

もちろん、青と同じ大学に入る事が最大の理由ではあったが、もう一つは青と出逢った不思議な体験の中で、青のような深く長い眠りから目覚めた人のケースのリハビリやトレーニングなどを調べた事がきっかけとなった。

スポーツなどで怪我からの復帰のためのリハビリやメディカルトレーニングを学びたいと強く思ったからだった。


神崎から個別メニューを渡されてから三日後、予定していた講義が休講になったため、瑠里は練習前の早い時間に北別館の地下のトレーニングルームに足を運んだ。

昨日までは、先に陸上部の準備の仕事を大急ぎで済ませてから、このトレーニングルームに飛んで来ていた。

もちろん、まだ青に出会ってはいない。


この時間帯は、殆どが授業を受けているので人もかなりまばらで少ないことを知る。

受付で登録カードを出し、入室時間と名前を記入すると、瑠里はまだ始めて数日のトレーニングメニューのプリントとにらめっこしながらマシーンを探す。


こういった本格的にマシーンを使ってのトレーニング自体が初めてで、マシーンの名前すら知らないし、使い方も見様見真似でするか、数人居るインストラクターの人に聞くしかなかった。

前回が下半身強化メニューだったから、順番からいくと、上半身強化だ。

「え…と、胸筋と上腕三頭筋だから……ベンチプレスかな?」

瑠里はベンチプレスが五台ほど並んでいるコーナーへ行き、タオルと水のボトルを籠にいれ、マシーンのセット方法を読み込む。

自分に適切な重りが何キロなのかもわからない。

そこで一般的な年齢と性別、身長などに当てはまる重りを表から探す。

どうやら、ここでの最小重りは20キロらしい。

バーベルの両端に10キロの円盤形の重りを装着する。

10キロのお米を二袋担ぐのと同じなんだな……

そんなことをぼんやり考えながら、ベンチに仰向けになる。


呼吸の基本は鼻から吸って口から吐く。これは走る時も基本は同じだ。

バーベルを肩幅より少し広く持ち、ゆっくり持ち上げる。

自分を非力だとは思ったことは無かったが、20キロは結構負荷がかかることを身をもって知る。

息を細く吐きながら、ゆっくり胸元近くまでバーベルを引き寄せ、息を吸いながら腕を伸ばす。

3回も繰り返すと腕がプルプル震え始めた。

5回で1度バーベルを戻す。

インターバル(休憩)を1分と決め、腕の乳酸を逃がすように軽く振り、息を整える。


3セット目には、たった5回の上げ下げがかなりキツくなっていた。

腕が震え、きちんと下がりきらないし、上げきれない。

自分の非力さに苛立ちながら、どんどん呼吸が乱れる。

あと1回上げたらセット終了という時に、右腕の上腕に突然、痙攣けいれんが走った。

途端にバランスを崩し、バーベルが傾く。

慌てて押し戻そうと試みたが、その力は残っていなかった。

上げきらなかったバーベルは、瑠里の胸元に落ち、首元まで転がるように滑った。

20キロといえども、それはかなりの衝撃で、胸元に落ちた瞬間に息が止まり、首元に転がり滑ったバーベルは瑠里の首を強く圧迫した。


「うっ!!」

という僅かな声が出た後は、声も出せない。

バーベルに首を絞められるような形になり、瑠里はパニックに陥った。

無意識に両足をじたばたさせていた。


「死にたいなら、他所で死ね。こんなところで迷惑だろが。」


薄れゆく意識の中で、聞き覚えのある声と共に、瑠里は突然圧迫感から解放された。

ゲホッゲホッと激しく咳き込みながら、身体をくの字に曲げ瑠里は悶えた。

首を絞められるような苦しさから解放され、突然息を吹き替えすと、今度は全身が酸素を求めて、えずいた。

苦しさでぼやけた視界の中に、立ち去る背中が見えた。

半袖のTシャツに黒のトレーニングパンツ、キャップのような物を被っている。

あの人が助けてくれたんだ……

瑠里は喉元を両手で抑え、喘ぎながら、遠ざかる背中を見つめる。


呼吸が落ち着き、意識がハッキリとしてくると瑠里は今度は違う雷のようなものに打たれた。

声だ!!あの声!!

バーベルの下敷きになっていた私を助けてくれた時に聞こえた声!!


………青だ!!!


瑠里は、バネのように飛び起きると、さっきの背中を追いかけて走り出す。

人のまばらな中でその姿を見つけるのは、難しいことではなかった。

太ももと臀部を鍛えるレッグプレスマシーンの所に、彼は居た。


近づくにつれ、意味もなく足が震えた。

キャップを目深に被り、俯き気味のその顔をまだちゃんと見れていない。

何て言おう?何て聞けばいい?

何て……

震える両手をお腹の前でぐっと握る。


「あ、あ、……あの!」


勇気を振り絞り、声をかけた。

だが、彼は無反応だった。

こちらを見もしない。

聞こえてない?……なんで?

瑠里は、もう一度声をかける。


「あの!!……あのぉ!!」


目の前で大きな声で繰り返し呼ばれた彼は、ようやく顔を上げた。

不機嫌そうな冷たい眼差しがキャップの下から瑠里を見た。


少しつり上がった切れ長の目、細く形の良い鼻、薄目の口唇、細面の輪郭………

何一つ忘れたことの無い面影。

記憶のまんまの顔。

月城 青 だった。


やっと、やっと、やっと見つけた!

青に会う為だけに、青と再会する為だけに、ここまで頑張ってきた。

感極まった瑠里の瞳からポロポロと涙が溢れた。


「……青……青……青……!!」


何万回と心で呼び続けた名前が声になって零れた。

もう一切透けてはいない本物の青の姿に、余計に泣けてくる。

触れたくとも決して触れることが出来なかった青の本当の姿が、目の前にあるのだ。


「……良かったね……良かったね……目覚められて本当に……」


「……おい!うるせえよ!」


冷たく怒りを含んだ不機嫌な声が、瑠里を遮った。

その記憶の中と同じハスキーな声に、ビクッと飛び上がる。

頭の中に響くんではなく、ちゃんと目の前の青の口から聞こえてきたことに、瑠里は尚更感激する。


「……青……」


「 おまえ、誰だ?」


睨むというより、蔑むような冷たい眼差しで問われた。


「……え?」


瑠里はその問いに息を飲んだ。

手の甲で、涙を拭いながら照れ臭そうに答える。


「……瑠里だよ、瑠里。高宮 瑠里。」


瑠里の答えを受けて、無言のまま青の眼は訝しげに細められた。

只でさえ切れ長の目が殊更キツく見える。


瑠里は、自分が夢にまで思い描いていた再会の瞬間とは天と地ほど違う青の反応に戸惑い、焦った。


「……青?どうしたの?まさか……私のこと思い出せないとか?……なんか、後遺症とかあるの?記憶障害とか……」


瑠里は、戸惑いながらもあれこれ思い付く心配を言葉にした。


そう!長い時間の眠りから目覚めたんだから、何かしらの後遺症とかは十分有り得る!


「 そうだよね!こうして復活できたことをまず喜ばなくちゃね!手伝えること、ある?私、全力で手伝っちゃうよ!」


妙に納得した笑顔でうんうんと頷く瑠里を見て、青がマシンベンチからスッと立ち上がった。


手にしていたミネラルウォーターのキャップを外すと、徐に瑠里の頭から水を掛けた。


「……黙れ。うるさいしウザいわ。おまえなんて顔も名前も知らない。」


突然の青の暴挙に、瑠里は飛び上がる程驚いた。


「あ、青!!つ、冷たいよ!青!やめて!」


青は、瑠里の言葉を無視し、水を掛け終わると空のペットボトルを瑠里の顔の目の前でグシャグシャに握り潰した。


「 見ず知らずの奴に名前を連呼されるほど、不快で気味悪いことはないんだよ!」


そう吐き捨てるように言うと、潰したペットボトルを瑠里に投げつけた。


「……今度、俺の名前呼び捨てにしたら殺すからな……」


見たこともないような冷たく凶暴な眼差しで睨み付けると、青はその場から立ち去った。


瑠里は茫然自失で立ち尽くした。

頭から掛けられた水は髪の毛を伝い、Tシャツを濡らし、床をも濡らした。


「………殺すって………」


青に最後に吐き捨てられた言葉を無意識に呟く。


「 大丈夫です?何かトラブルですか?」


遠くにいたスタッフらしき男性が二人のやり取りを見ていたらしく、飛んできた。

そう声を掛けてきたスタッフは、頭からびしょ濡れのまま立ち尽くす瑠里にぎょっとした。


「……君、大丈夫?」


顔を覗き込まれるように尋ねられて、瑠里はようやく我に返った。


「…え?あ!あの……あ、すみません!えーと……」


慌てながら、しどろもどろの瑠里に、スタッフはタオルを差し出した。


「 あ……すみません……」


どう見ても不自然な濡れ方の自分の姿に気づき、タオルを受け取って髪の毛と顔を拭いた。


Tシャツも拭きながら、ふと足下を見ると床も水浸しだった。


「 す、すみません!あの、モップありますか?」


「 いえ、こちらで拭いておきますから大丈夫ですよ。それより…着替えた方がいいんじゃないですか?」


怪訝そうな苦笑いと共に、スタッフは首を振った。

瑠里は、足下に転がっているペットボトルを拾うと、頭を下げた。


「すみません!汚してしまって、ごめんなさい!」


そして、瑠里は真っ赤になりながら逃げるようにその場を後にした。





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