日向くんはわたし以外を嫌いになるの禁止ね

 地下鉄を下りて、赤月と二人で地下道を歩く。


 ここまで、俺と赤月の間に会話はなかった。


 別に話題がなかったわけではない。遠野とのことやら、どうしてアニメショップに行きたいのかとか、色々とあったのに、それでも沈黙を俺たちは選んだ。


 そうなってしまったのは、気まずかったとかそういうのも理由の一つのではあるのだろうが、それ以上に会話がないことに苦痛を感じないというのが大きかったのだと、少なくとも俺はそう思う。


 その落ち着いた空気は意外と居心地が良くて、そのまま終わってしまうのではないかと思ってしまうほどで、ついついちらりと赤月を見てしまう。


 目が合った。


 向こうも同じことを考えていたのかもしれない。

 お互いにすぐに逸らしたが、赤月の方はそれから小さく息を吐いた。


「なんか、意外だなあ」

「何がだ?」


 漏らすような赤月の言葉が気になって、その意味を問うと、赤月は何でもない事のように応える。


「んー、日向くんが校門の前で待ってたのもそうだけど、ユカリちゃんとまで仲良くなっちゃったのが」


 そのことか。


「だから、遠野とは別に仲良くねえよ。あと、待ってたのはアレ、半ばあいつの脅しだ」

「それって、仲が良いってことじゃん……」

「どこがだよ」


 頬を膨らませる赤月に、肩を落としながらそう言うと彼女はジトッとした目で俺を見た。


「わたしには嫌いって言ったよね」

「ああ、言ったな」

「ユカリちゃんには?」

「……言ってないな」


 遠野のことは面倒臭いやつだとは思っているが、苦手というぐらいでそこまで嫌いではない。

 それに何を思ったのか、赤月は表情をきつくする。


「ふーん?」

「なんだよさっきから……」

「日向くんが悪い」


 それはそうかもしれないが……。


「どうして、わたしには嫌いって言ったのにユカリちゃんには言わなかったの……?」

「どうしてって言われてもな」


 言われてみて、考えるが特にこれといった理由は思いつかない。


「嫌いじゃなかったから、じゃねーの」

「へえ、そうなんだ」

「お前と違って、変に距離詰めて来ないしな。あいつ」


 絡みに行くと宣言されこそしたが、昨日も今日もこちらの踏み込んで欲しくない領域まで、彼女がやって来ることはない。

 むしろ、今日のこれに関しては、赤月がすこぶる不機嫌で、やりにくいことをのぞいて助けられたと言っても過言ではないだろう。


「やっぱり抱き着いたのがいけなかったの?」

「……どうだろうな」


 そもそも、抱き着かれず彼女と関わることなんてあっただろうか。挨拶をされても無意識に無視していたぐらいだし、もしかしたら高校生活の中で彼女と会話をすることもなかったかもしれない。


「まあ、あれが原因ってのはそうだろうな」

「そっか」


 そうしてまた沈黙が訪れる。

 先程とは違って、お互いに何も言えずに黙ってしまったがために流れたその静寂は、酷く居心地が悪い。

 それがなんだか気持ち悪くて、無理矢理俺は口を開いた。


「それに、なんだ。そもそも、俺は誰にでも嫌いなんていわねーよ」

「え?」


 意表を突かれたのか、それまでの表情を一変させて、赤月は惚けた顔をした。


「俺が嫌いなのはお前だけだ」


 言ってから、自分で自分の言葉を疑った。

 赤月の言ったことを考えれば、自分だけが嫌いだと言われている状況を気にしているのだということはすぐにわかる。


 だというのに、よりにもよって俺は、俺の口から出た言葉はなんだ。


 自分が赤月を慰める言葉を持っていないことはわかる。ただ、だからといって何故、今口から出たのが、相手をさらに傷つかせるかもしれない言葉なのか。


 それが自分でもわからなかった。


 黙り込んで立ち止まる赤月を見る。下を向いているために見えない表情は、どんなものなのだろう。怒りか、悲しみか、それとももっと酷い物だろうか。


「な、なあ、赤月……?」


 いつまでも黙っている赤月に、ついそう声をかけると彼女は勢いよく顔をあげた。


「それって、わたしだけってことだよね」


 突然の質問に、今度はこちらが狼狽える。


「え、あ、そうだな。今のところは」

「今のところは、ってことはこれから先も誰かを嫌いになるってこと?」

「断言は出来ないが、まあそうだな。なるかもしれない」


 というか、


「なあ、赤月、お前一体何を聞いて……」


 いるんだ、と続く言葉を人差し指で止められる。

 納得がいかず顔を顰めて赤月を見ると、不機嫌だったはずの赤月が笑っていた。


「聞かれても絶対に教えてあげない」

「……なんだそれ」


 まただ、と思う。

 遠野もそうだったが、赤月も急に晴々とした顔になった。

 別に特別なことを言ったつもりはない。なんなら今回は、相手にとってこれ以上ないぐらい嫌なことを言ったつもりだった。

 それなのに、まるで何か腑に落ちないことが、今まさに解消されたかのような笑顔で、赤月は俺を見つめている。


「とにかく、日向くんはわたし以外を嫌いになるの禁止ね」

「は? なんだよ、それ」

「えへへ、ナイショ」


 訳が分からない。なんで、こいつはそんなに嬉しそうなのだろうか。


「さ、いつまでも立ち止まってたら邪魔になっちゃし、行こう?」


 首を傾げて考え込む俺に、赤月はそう言って先を行く。心なしか、先程よりも足取りが軽いようだ。


 それを見て、俺も一先ず歩き始めた。


 勝手に納得して、勝手に解決してしまうことに思うことはあるが、まあ、いいかとそう思うことにする。


 なんにせよ、赤月の機嫌が直ったのだから今はそれでいいということにしよう。


 今考えるべきことは、アニメショップとは逆方向に行こうとしているアホを止めることだ。

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