わたしのことは嫌いって言ったのに

 一ノ瀬と話したことによって得た達成感だとか諸々を遠野の登場によって、一気に失った俺は残りの授業を寝て過ごすことになった。


 それ自体は別にいい。授業中に寝ているのは何時ものことだ。


 ただ問題は授業を終え、ホームルームを終えた放課後。つまり今である。

 校門の前で待っていろと言われたから、それに従って早々に荷物を持って教室を出たのはいいが、遠野はどういうつもりなのだろうか。


 またゲーセンに付き合わされるぐらいならなんてことはないが、そんな様子ではなかった。


 ため息を吐いて、カバンからブックカバーのついたラノベを取り出す。


 以前、赤月の前で読んでいたものの二巻で今回から、一人のヒロインの掘り下げを行っている。


 ヒロインの内情が語られることもあって、新しい一面に主人公だけでなく読者であるこちらまで、ドキドキしながら読み進めてしまう。


 現実では他人の内面とか何を考えているとか、面倒臭いし、あまり知りたいとは思えないが、小説だとどんどん知りたくなるのは、きっと究極の他人事だからなんだろうな。


 そのキャラクターの重大な何かを知ったとしても、その責任を取らなくてもいいから、取るべき存在はあくまで主人公だから、知りたいと思えるし、その無邪気な好奇心を楽しめる。リアルの人間を相手にした時、その知りたいという気持ちは極めて厄介で、知ったことで余計な悩みを抱えることになるかもしれない。


 好奇心は猫を殺すという有名なことわざは、全くもってその通りだ。知らぬが仏と言ってもいい。


 とにもかくにも、知らなくてもいいことは知らずにいた方がいいし、それが賢明だ。


 俺の日常は、周囲の変化が他人事だからそれを景色として、今まで楽しんでいた。


 誰のことも深く知らなくて、知りたくもないから楽しめていた。


 それがどうも、今は少し違ってきている気がしている。


「あ、いたいた」


 ラノベを三十ページほど読み終えた頃、知っている声が聞こえて、顔を上げる。


 やっと来たかと思いながら、文句の一つでも言ってやるつもりで、声のした方に顔を向けて開きかけた口を閉じた。


「ちょっ、ユカリちゃん! 待ってよ!」

「いいからいいから、ほら早く」

「わ、わかったから! 引っ張らないで!」


 一人で来るとばかり思っていた遠野は、誰かを引き連れて来ていた。いや、誰かなんて言ったが、それが誰かなんてのはわかりきっていたし、加えて、こういう展開になることを全く考えなかったのかと言われれば、それは否である。


 周囲からの注目を集めながら、こちらへと向かって来る二人にため息を吐いた。


 遠野は俺と赤月をこの場で、引き合わせるつもりだ。


 右手を挙げて、遠野が俺の方へと笑いかけてくる。赤月はといえば、俺の顔を見て一瞬驚いたような顔をしてから、すぐに気まずそうに顔を逸らした。


「よっす、待たせた?」

「……待った」

「そういう時は、今来たとこっていうのが普通じゃない? もうちょい気遣ったら?」

「用が終わったあとも無理矢理音ゲーに付き合わせた挙句、聞いてもいない練習法を延々と喋ってた奴に遣う気はない」

「それはごめんって。あと、遅れたのも。この子がちょっとごねたからさ」


 遠野は赤月の方を見る。

 心なしかムッとして、怒った表情をしている赤月が不満一杯の様子でこちらを睨みながら、口を開いた。


「ちょっと、ユカリちゃん。わたし、聞いてないよ?」


 俺も聞いてない。


「言ったけど?」


 あ、言ってたんですね。俺は聞いてないんですけど。


「ゲームを一緒にしたのは聞いてたけど、そこまで仲良しなのは聞いてないよ」

「そっちかよ」


 思わず声が出た。怪訝そうな顔をした二人が俺を見る。

 てっきり俺がいることを聞いてないってことかと思ったんだが、違うらしい。俺がいることは話していたようだ。そういや、遠野がさっきごねたって言っていたな。


 とりあえず、別に遠野とは仲良くないし、誤解を解いた方がいいか。


「あのな、赤月」

「そうそう。昨日一緒に音ゲーして、少し話して、意外と気が合うなってなったの。アタシもこいつ結構面白いし、仲良くなりたいなって思っててさ」


 俺の言葉を完全に食って、遠野がそう言うと赤月がさらに不機嫌になる。


「ふーん?」


 なんか雰囲気が不味い気がして、慌てて口を開いた。


「おい、遠野。変なこと言うな、別に仲良くないし、気も合わないだろ」

「えー? アタシ的にはそんなに間違ったこと言ってないつもりんだんけど」

「それはお前の主観だ。客観的に見れば別にそうでもないだろ」

「それも日向の主観じゃない? 花蓮は少なくとも仲良く見えてるみたいだし、客観的にはそう見えてるじゃん」

「うぐッ」


 確かにそうだった。

 赤月、マジで余計なことを言いやがったな。

 そう思って、赤月の方を見ると、露骨にこちらから視線を外していた。


「わたしのことは嫌いって言ったのに」


 ボソッと呟いたようだが、確かにそう言ったのが聞こえた。

 難聴系主人公がこういう時ばかりは羨ましくなる。その都合が悪い言葉が全部聞こえなくなる耳を俺に寄越せ。


「ま、こういう訳だから、あとは任せた」

「は? どういうことだ?」


 赤月の様子を見て苦笑気味に発された遠野の言葉の意味が分からず、そう返すと、彼女は俺の耳元に顔を寄せて言う。


「アンタもこのままでいいわけじゃないでしょ?」

「それはそうだが……」

「それなら、あとはアンタたちでやるべき。昨日も言ったでしょ?」


 どうすればいいのかわからないという俺の気持ちを知ってか知らずか、遠野はそう言った。


「じゃ、アタシは部活があるから」


 やることはやったという顔で、遠野は校舎の方に戻っていく。

 残された俺と赤月は、どこか気まずい雰囲気のままでお互いを見た。


 不機嫌全開の彼女の相手を一人でしなければならないと思うと、気が重いが、この展開はありがたくもある。


 これは、彼女と俺の関係性をはっきりさせるためには必要なプロセスだ。


「……行くか、赤月」

「えっと、どこに?」


 意外そうな顔をしつつ、そう言った赤月。


「そういや、どこ行きゃいいんだろうな」

「何も考えてなかったんだ」


 そりゃあ、もちろん考えてるはずがない。


「お前を連れて来るとか、聞いてなかったからな」

「ふーん? そうなんだ」

「ああ、だからまあ、なんだ」


 どうでも良さそうな赤月に、答えに窮した。


 なにを言えばいいのだろうか、なんて考えながら頭を掻く。


 誰かとの間でこんなに気まずくなったのなんていつ以来だろうか。木津とか、一ノ瀬とか、なんだかんだで二人との関係は気まずさとは無縁で、こんなことは今までに一度だってなかった。


 普段ならきっと赤月もそのタイプなんだろうが、それでもこうして表情を負に全振りしているのは、俺の言葉のせいなのだろう。


 嫌いと言ったことを謝るつもりはないし、未だに赤月の事を括りとして嫌っているのは確かで、それでも大切だと思ってしまうのだから厄介だ。


 矛盾している事には気がついている。


 それでも俺は彼女が、赤月花蓮が、嫌いで、大切なのだ。


 ただ、嫌なだけなら昨日のあのタイミングで赤月の事を考えるのを止めればよかった。関わろうとせずに無関心のまま過ごしたなら、人と人が疎遠になるのはあっという間だ。


 なのに、こうして赤月と一対一で過ごす状況を良しとしているのは、それこそが今、俺の望む日常だからなのだろう。


 俺は俺の日常のために、身勝手な思いで、赤月に関わろうとしている。

 あまつさえ、彼女に踏み込みたいとまで思ってしまっているのだから、なおさらおかしな話だ。


 変わったわけではない。


 ただ、俺は俺のまま一歩、赤月に歩み寄りたいと、そう思った。それだけのことだ。


「行くあてもないから、お前の行きたい場所に付き合うわ」

「つまりわたし任せってことかな?」

「それでいい」


 肯定すると、赤月は少し考えるように顎に人差し指を当てた。

そういった小さな仕草ですら、可愛らしく見えるのはなんなんだろうな。美少女がなせる技ってところか? だとしたらなんか、ずるいな。


 そんなことを考えながら、赤月からの返事を待っていると、何か思いついたように「あっ」と小さく漏らした。


「アニメショップ、行ってみたいかも」


 窺うような顔でそう言った赤月に、また想定外のチョイスをするものだなと思いながら、頷いた。


「わかった。けど、あんまり案内に期待すんなよ」

「え? なんで?」

「俺はあんまりそういうところに行かんからな」

「オタクの人ってそういうところよく行くんじゃないの?」

「人によるだろ。俺みたいに販促グッズの類はあまり買わないやつはあまり行かないぞ」


 ただでさえエンタメが飽和気味なこの現代で、色々な作品のグッズを集めるなんて金がいくらあっても足りない。特にバイトもしていない高校生なんて、自由にできる金が少ないから、その月々で出る新刊を買えば財布は痩せこけてしまう。


 最近は、気になったアニメキャラのキーホルダーとか缶バッジだとか、その辺りで済ませる人、結構多いんじゃないだろうか。


 俺は小説と漫画とゲームと、その辺りを定期的に買うから金欠気味だし、金があれば買うんだと思う。


「それでもいいか?」


 俺がそう言うと、赤月は頷いた。


「うん、それでもいいよ。行こ」


 そう言った赤月に俺も頷いて、二人で並ぶようにして歩き始める。

 その時、拳一個分開けた距離をどうしてか遠く感じた。

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