見つけたいんだ。この関係性の名前を


 図書館の扉を開けば、そこには仁王立ちをした一ノ瀬がいた。


「遅い」

「いや、お前が早すぎんだよ……」


 ちゃんと昼飯を食っているなら、余程の早食いでもない限り、どれだけ急いで食っても十分はかかる。まだ昼休みが始まってから十五分程度しか経っていないのに、待ち構えている方がおかしい。


「仕方ないでしょ。ご飯が喉を通らなかったんだから」

「……なんで?」

「緊張してるからよ」


 恥ずかしげもなくそう言ってのける一ノ瀬。


 男らしいというか、なんというか。とにかく、いっそ、冗談でも言っているんじゃなかろうかと感じてしまうぐらいには、肝が据わっていた。


 ただ、その強張った表情を見ればそれが冗談ではないことは理解できる。


「なんか俺は落ち着いたわ……」

「なんでよ!」

「いや、なんでだろうな」


 自分よりも冷静じゃない相手を見ると、かえって冷静になってしまうというのは、よく聞く話だが、本当のことだったようだ。

 自分より落ち着いている俺に納得出来ないのか、「フシャーッ」とばかりに一ノ瀬がこちらを威嚇してきているが、それが妙に様になっていて笑えた。


「ま、とにかく話そうぜ」


 時間がないわけではないが、心許ないので切り替えるようにそう言うと、一ノ瀬は威嚇を止めて素直に頷いた。


「書庫、使ってもいいらしいからそこでいい?」

「は? いいのか?」


 書庫って、確か生徒立ち入り禁止だったような気がするんだが。


「いいから言ってるんじゃない。あんたも人に聞かれたくないみたいだし、ダメ元でお願いしてみたのよ」


 何でもないことのようにそう言って、一ノ瀬はカウンターの方を見る。釣られて、俺もそちらへと視線を向けると、司書さんがいた。


 彼女は俺たちが見ていることに気がつくと、パチッと茶目っ気たっぷりにウィンクをして、すぐに手元にある何かの資料に視線を落として、仕事に戻った。


 何度かお世話になっているから、気のいい人であるのは知っていたが、思っていたよりもずっといたずらっぽい性格をしているらしい。


「まあ、そういうことだから」

「ああ。……その、なんかすまん」

「いいわよ、別に」


 そんな会話をして図書館の中を移動し、書架が並ぶ一帯の奥にある扉を通って、書庫に入る。

 入る時、少しだけ埃やカビの臭いを警戒したが、中は思っていたよりもずっと清潔で、整理されていた。


「すごいな……」

「何がよ……」

「いや、空気が。ここに居るだけで、読書家な気分になる」

「安心しなさい。あんたは読書家だし、濫読家だから」

「どういう意味だ、それ」

「褒めてるのよ」


 褒められている気が全くしないし、濫読家が悪いとは言わないが、その言葉そのものにあまり良いイメージがないので、悪口のようにすら感じてしまう。まあ、この場所に比べれば些細なことだ。


 初めて入る学校の書庫に半ば感動しながら、きょろきょろと忙しなく置いてある本のタイトルを見たり一番後ろのページを開いて発行日を見たりしていると、一ノ瀬は慣れたように書庫の中の椅子を二つ用意して、座るように目で促して来る。


 それに従って、椅子に座ると一ノ瀬がこほんと咳を一つする。それだけで弛緩しつつあった空気が引き締まる。


「じゃあ、聞きましょうか」

「ああ」


 頷いて、小さく息を吸うと俺は赤月と自分がどうして関わるようになったのかを話した。


 それを一ノ瀬は渋面を作って聞いていたが、一応納得したのか、俺が話し終えると小さく息を吐いた。


「あんたと赤月さんが関わるようになった経緯はわかったし、噂も嘘みたいで安心した」


 でも、と言って一ノ瀬は俺を睨む。


「それでどうして赤月さんとあんたが図書館で抱き合うようなことになるのよ」

「……だよなあ」


 気になるのはやはりそこだったのだろう。

 相も変わらず赤月と俺の関係のその根幹部分を隠してした話では、それを説明することはでない。


「だよなあ、ってあんたね!」


 そう声を荒げた一ノ瀬に、怒られるのだろうな、と続く怒声を予想して身構えるが、続いたのは予想外の言葉だった。


「やっぱり、赤月さんと付き合ってるの?」

「は?」


 自分が露骨に嫌そうな顔を作っているのがわかる。

 しかし、一ノ瀬はそんな俺に気がついていないのか、もじもじと体をくねらせながら、聞きづらいことを聞くような態度で言う。


「だって、そうじゃなきゃおかしいじゃない。その、あんなに密着するの」

「それはそうだがな……」


 一ノ瀬の言葉は正しい。普通なら、異性の間で抱き着くとか抱き着かれるとか、そういう行為は正しい手続きを踏んだ間柄にのみ発生するものだ。

 この広い世界、例外はいくらでもあるのだろうが、友人ですらない相手との間に起こっていいものではない。


「付き合ってはいない」

「じゃあ、どうして……」


 消え入りそうな声でそう言った一ノ瀬を見つめた。

 泣きそうなその表情が、こちらの考えを知りたいと、その切実な気持ちを伝えて来る。


 どうしてそんな顔を彼女がするのだろう。別に悲しい話はしていないし、むしろ意味が分からないと怒られると思っていた。


 そしたら、きっと適当にはぐらかして逃げることが出来た。互いに妥協点を探りながら話にオチをつけて、納得は出来なくとも終わりにすることが出来たはずなのだ。


 今ここで、一ノ瀬の疑問に答える必要はないのだから、そうすることが最善で、後味は悪くとも、今まで通りの関係を続けることが出来る方法だ。


 けれどもそれを今日ばかりは、彼女は許さない。許してくれない。


 話してほしい。話してくれと、そう訴える。


 何が彼女をそうさせているのだろうか。そこまで踏み込む理由はなんだ。


 いや、きっとわかっている。理屈ではなく心で、感情の部分で理解している。


 見ないフリなど出来るわけなどない。そんなこと、していいはずがない。

俺と彼女の「大切」の違い。それが今の状況を作っている。


 故に、俺はいつもより少しだけ誠実に答えを出さなくてはいけない。


 事実を伝えることはまだ出来ないが、それでも今一番正解に近い回答を伝えるべきだ。


「それは俺にもわからない」


 その答えに一ノ瀬は悲しそうに微笑んだ。また、逃げるのかとそう言っているように感じた。

 だが、逃げるつもりなど毛頭ない。「ただ」と続けて声を出し、ごちゃごちゃとして整理のつかない思考で、それでもどうにかまとまった言葉を吐きだす。


「これがどんな関係かわからないから、見つけたいんだ。この関係性の名前を」


 言い切って、一ノ瀬の顔から視線を外した。怖くて、顔を見ていられなかったからだ。


 どんな表情をしているのか気にならないわけではない。怒っているのか、呆けているのか、それともそれ以外の表情か。


 とにかく、そうして俺が一ノ瀬から視線を外して、彼女の返事を待っていると何かを押さえるような声が聞こえた。


「……おい」


 顔を上げると同時に、そう声が出た。


「ご、ごめ、ちょっと待って。ふっ、ふふっ」


 笑ってやがる。こいつ。


 こちらは真面目に伝えたつもりなのに、何も笑うことはないじゃないか。確かに柄ではなかったかもしれないが、それにしてもあまりにも酷い仕打ちだ。


 そうして若干しょぼくれながら、一ノ瀬が落ち着くの待っていると、気を取り直したのか一ノ瀬は二度ほどわざとらしい咳をして、口を開いた。


「ごめんなさい。あまりにもセリフめいてたから、笑っちゃった」


 開口一番に言うことがそれかよ。


「……悪いかよ」


 正直、自分でもどうかと思っていたせいで、顔が熱くなる。


「ふふっ、拗ねないでよ。それに、悪いなんて思ってないわよ」

「気を遣わないでくれ」

「まさか、わたしがあんたに気を遣うはずないでしょ」


 やっぱり少しは気を遣って欲しいと思った。

 もう完全に話す気が萎えて、そっぽを向くとそれを見て一ノ瀬がまた笑う。


「それで、昨日、私から逃げたあとはどうしたのかしら」

「……言わんとダメか?」

「ダメとは言わないけど、聞きたいわね」


 そうは言うが、その目は爛々と輝き、聞く気満々と言った様子で、話さないことには逃がすつもりなんてないことは、すぐに察することが出来た。


 そうなれば後はもうヤケクソだった。


 逃げた後何があったのかだけではなく、その日のうちに起こった濃すぎる出来事の数々を洗いざらいぶちまける。

 話を終えた頃には、一ノ瀬は腹を押さえて必死に笑いを堪えていた。一度、遠野の話が出た辺りで顔を顰めたと思ったのだが、どうやら姉さんの話で再燃したらしい。


 ただ、すぐに一ノ瀬は誤魔化すようにまた咳をして、何でもないようなスカした顔をした。


「あんた、結子さんと相変わらず仲が良いのね」

「別に仲は良くないだろ。昨日まで会話なんてほとんどなかったし」

「仲が良いから話さないことだってあるわよ。いいわね、姉弟って」


 よかねえんだけどな。家事とか一人分増えるし、今朝とか昨日久しぶりに話して調子に乗ったのか、朝から大声あげて、まだ寝ている俺の部屋入って来るし。朝飯ぐらい母さんに作って貰えよ。


 ただ、


「……嫌いではないな」


 特に何も意識せずにそう言うと、一ノ瀬がニヤリと笑う。


「赤月さんには嫌いって言ったのに?」


 喧嘩売ってんのか。


「そのいじりは今やっちゃダメなやつだろ」

「あれ聞いた後だったら、いじらないわけにはいかないでしょ」


 別にそんなことはない。絶対にない。


「あーはいはい。拗ねないの。私じゃなかったら幻滅してるわよ」

「幻滅されて困るような相手がいないっつの。それに、お前以外の相手にこんな態度できるわけないだろ」


 情けなくてとても見せられたものではない。その点、一ノ瀬には小さい頃のアレコレを知られている分、片肘を張らずにこういう態度を出来るから楽だ。


「そ、そう。なら、別にいいけど」

「……さいで」


 お許しを貰ったところで、チャイムが鳴った。

 ずいぶんと話し込んでいたつもりだったが、どうやらそれほど時間は経っていなかったらしい。

 教室に戻らなきゃな、と思いながら腰をあげるとそれに一ノ瀬が待ったをかけた。


「ねえ」

「なんだ」

「最後に一つ、聞いてもいい?」


 だいぶ話したつもりだったが、まだ聞き漏らしがあったのだろうかと、それに頷くと「ありがと」と言ってから、一ノ瀬は少し考えて口を開いた。


「あんたは赤月さんとの関係性の名前が知りたいって言ってたけど、それなら私とあんたはどういう関係なの?」

「そりゃあ……」


 知り合い、と言いかけてやめる。


「幼馴染、だろうな」


 自分でも意外に思いながら、そう口にすると一ノ瀬は納得したように頷いた。


「そう。そうね、それがきっと一番ぴったりだわ」


 それじゃあ、と言って一ノ瀬も立ち上がる。


 そうして、二人で書庫から出て司書さんに頭を下げて図書館を後にする。


 教室までの道を並んで歩きながら、最近読んだ本だとか取り留めのない会話をして、階段を上り切ったところで、「ねえ」と何かを切り出すように一ノ瀬が言う。


「なんだ?」

「赤月さんのこと、決着ついたら聞かせなさいよ」

「……気が向いたらな」

「じゃ、話したくなったらでいい。その時は真っ先に聞かせなさい」

「話したくなったら、な。わかった」


 その会話を最後に、俺たちはそれぞれの教室へと戻るために別れる。

 教室に入り自分の席に座ると、木津が片手を挙げて近づいて来る。


「用事はどうだった?」

「無事、終わったぞ」

「そうかそうか。そりゃよかった」

「……んだよ」


 妙に嬉しそうだな。


「ははっ、優斗。後ろ、見てみ」

「……ん?」


 言われるがままに後ろを振り返って、固まる。

 そこには、満面の笑みを浮かべた遠野が居た。しかし、何故だろう。背後に般若が見える気がした。


「日向、放課後空いてるよね?」


 空いていないとは流石に言えなかった。

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