第24話 希望の果て

 命を懸けた戦いの最中に生まれた、天国と地獄の分岐点。


 言ってしまった事実に、ユキノは顔を真っ赤にして俯く。

 今の彼女はそれをすることによって、心の安定を保っている。


 同じく、ゆっくりと理解したマルクも、頬を微かに赤く染める。

 ユキノほどではないにせよ、今は絶対に不用な赤さだった。


 冷静だったのはマルクだ。


 咳払い一つで切り替える。

 俯くユキノの頭に手をぽんっと置き、優しく撫でた。

 

 今は戦闘中だ。そんな場合ではない。答えは今、言うべきではない。



 ――だが、そんな模範解答をするほどの優等生ではない。



 たとえ後方に敵がいようとも、マルクは真剣に、ユキノに語りかける。



「実力で肩を並べる? おれ以上になる? ……そんなの勘弁さ。おれは、ユキノを守れる男でいたい。だからおれは、ユキノよりも強くあるべきだと、ユキノを突き放すつもりさ。

 ……そうなるとユキノは一生、おれと肩を並べることはできない。だからさ、ユキノがおれと一緒になることは今後、あり得なくなってしまう……、それは、嫌だな――、

 だから。

 ユキノは今のままでいい。

 ユキノを守れるおれでいさせてほしい。家の事情? 家族の意見? 知ったことじゃない。

 ルールに縛られている? そんなもん、簡単に引き千切ってやる。先祖の言いつけなんて知るか。おれたちは今のこの時代を生きているんだ。おれたちがやりたいと思ったことをするさ。

 認めてくれないのならば力づくで認めさせてやる。

 それが、逃げるという行動に繋がることになろうとも。

 経済力は失うけど、ハンターとしては互いに一流だろう? なんとかなる。

 小さい頃から好きで、守ってあげたくて――、一緒になって、死ぬまで隣に立っていたいと思う女の子は、ユキノだけなんだから」

 

 ウリアじゃなくてね、と笑いながら……マルクは言った。


 俯いたままだったユキノは、手の甲で目元を拭った。


 口元は、嬉しさを隠せていなかった。



「こんな、弱々しい、私でいいの……?」

「ユキノがいいんだ」


「ウリアじゃなくて?」

「うん。ウリアじゃなくて」


 ウリアじゃなくて。

 ここにウリアがいてくれたらなあ、とユキノは何度も思った。

 それは単純な嫌味ではなくて。

 気持ちが通じた、一緒になれた、そういう嬉しさを共有したかったから。


 親友に、いちばん最初に報告をしたかったから。


 そのためには、まず。


「マルク……後ろの」


「おれがなんとかする。だから、ユキノはウリアたちと一緒に先に逃げててくれ」

「だ、ダメ! マルクも一緒に――」


「おれもすぐに逃げる。

 でも、余裕を作らなくちゃいけないでしょ?」


 ウリア、ブルゥ、ユキノ、マルク……、集まって逃げれば、狙い撃ちされる。

 だから三人を逃がすための囮を一人、置いていかなければならない。

 その役目は当然、マルクだと、彼自身、分かっている。


「ダメ、ダメダメっ、絶対にダメッ! 

 嫌な予感がする……、多少危険でも、全員で集まって逃げるべきよっ!」


「ユキノ」


 マルクのどっしりとした力強い言葉。

 ――男の子の、目。


「おれに、みんなを守らせてよ」

「あ、う……」


 どうしようもなかった。言い返せなかった。

 マルクの意思を、尊重させてあげたかった。

 男の子のその覚悟の言葉を、ダメだと切り捨てることはできなかった。


 マルクを信じているのならば、任せるべきだろう。


 ユキノは身を切るような思いで、判断する。


「……絶対に、戻ってきなさい」


「絶対に、すぐに戻るよ」


 そして。



「残ってくれてありがとう、ルル」


「言っておくけど、ワタシに攻撃手段はないわよ。

 あんたが怪我をしたら、その都度、治療をするくらいで」


「充分過ぎるアシストさ。……みんなは?」


「いま、全力で逃げてる。あっちにはフォンもいるし、カオスグループくらいならなんとかなるでしょ……、ただ問題はこっちよね。アンドロイド――これは、どうにもならない相手よ」


「……分かってる。だから、時間を稼ぐんだ。

 どれだけ痛めつけられようとも、治療をしながら長く長く、戦いを引き延ばす」


 死ななければ問題はない。


 問題があるとすれば、死んだ時だけだ。


「いい加減にしてくれよ……、帰るなら連れて帰る、帰らないなら喰って、糧にする……。こうもだらだらとされたらさ、物事が予定通りに進まないとさ――イライラしてくるんだよ……ッ」


 アンドロイドの口調に、若干の乱れ。

 普段通りではないからと言って、マルクが優勢なはずがない。

 異常こそあれ、それが暴走だとすれば、マルクの危険はさらに増しているのだ。


 ただ……どういう展開であれ、最初から命懸けである――変化はない。


 高層ビルだろうが山頂だろうが、ぶら下がって手元が崩れそうな状況は変わらない。


 だからマルクは気にしない。

 予定通りに、ユキノを守るだけだ。


「君が守らなければ、おれが守るだけさ――ギン」


 ウリアが連れてきた少年を思い浮かべて。


 マルクはアンドロイドに、勝負を挑む。


 ―― ――


「大丈夫、ママ……?」


「うん。ルルが治療してくれていたから、痛みはほとんどないかな。

 ……でも、体はまだ万全とは言えないかも」


「大丈夫っ、わたしがママを、ずっと支えてるから」


 ウリアの脇の下に頭を入れて、体を支えるブルゥ。

 逃げる速度は、お世辞にも速いとは言えない。

 だが、さっきと比べると断然、早くなっている。


 ウリアの痛みが和らぎ、ブルゥは支える効率を学んだ。


 逃げ切れる希望は、まだ捨てたものではない。


「ウリア!」


 すると、足下の水をばしゃばしゃと音を立てながら近づいてきたのは、ユキノだ。

 なぜか顔が少し赤いが、ウリアは指摘をしなかった。


 ユキノの肩に乗るレッドフォックス……、フォンが、三人を急かすように逃走を促す。

 さっきまでウリアの元にいたブルーキャットのルルは、今この場にはいない。


 同じくマルクも。

 ユキノがこの場にいて、マルクがいないとなると……、導き出される答えは、いま彼が囮となって戦ってくれているのだろう。


「…………」


「大丈夫。マルクはきっと、大丈夫。だって、ルルもいるのよ? 

 精霊で、癒しを司るのよ? マルクが簡単にやられるはずがないじゃない」


 誰が見ても分かる空元気だったが、ウリアはなにも言わなかった。

 マルクをあの場に残して、文句があるのはユキノだろう。その彼女が強がってはいても、口に出して大丈夫だと言い、信じているのならば、無理やり戻ってマルクを救おうとは言わない。


 先導するフォンを追って、2F、娯楽フロアから脱出しようと足を進める。

 しかし、さっきよりはマシとはいえ、ウリアとブルゥの速度は遅い。マルクが追いつくため、ちょうど良い速度とも言えるが、水の浸水速度を考えると、もう少し速度が欲しかった。


 ブルーキャットがこの場にいれば、治療をすることができるのだが。


 傷が消えれば、ウリアだってブルゥの支えは必要ないだろう。


 しかし彼女は、マルクについているべきだ。アンドロイドを目の前にして、回復役なしで勝負を挑めるほどに、ユキノも、マルク自身も、己の階級を高く見てはいない。


 十中八九、殺される。

 その可能性をできるだけ潰すための、精霊なのだ。



(マルク……お願い)


(勝たなくていい、ダメだったら逃げてもいい……だから、死なないで)

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