5・ベルサイユのローズ

 ……続き。



 吉祥院さんと屋上に逃げてきた。

 だけど愛の逃避行ではない。

 吉祥院さんに命を捧げている、血に飢えた殺人鬼のごとき生徒たちから逃げてきたのだから。

 ここまで走ってきたために乱れた呼吸を整えると、俺は吉祥院さんに、

「俺に話したいことがあって声をかけたんだよね。っていうか、持ち物検査の件で」

「あ、はい。あの、助けていただいたようなので」

 助けたというか、放っておけなかったというか。

「貴方、いい人なのですね」

 何度も言うが、いい人というのは男にとってけして褒め言葉ではない。

 でも、吉祥院さんに言われると嬉しくなるのはなぜだろう?

「とにかくお礼を言いたかったのです。貴方のおかげでわたくしの趣味がみなさんに知られずにすみましたし」

「いいって、いいって」

「貴方には二度もお世話になりました」

 なんどもお礼を言われると気恥ずかしくなってくる。

 だから話題を変えることにした。

「そうだ、これ返しておくよ」

 俺は制服の腹から、薄い本と楽譜を取り出して、吉祥院さんに渡す。

 吉祥院さんは、

「その楽譜、見当たらないと思ったら、やっぱり一緒に持っていたのですね」

「本に挟まってて。それにしても 吉祥院さん、こんな楽譜 弾けるなんてすごいんだね」

「それほどでもありませんわ。

 ……ところで、アレを見ましたか?」

「アレ?」

 吉祥院さんはかすかに不安そうな瞳で、

「楽譜に少し描いた絵のことなんですが」

 ……あの人間を主食にしていそうな熊の絵か。

「見たというか、なんというか……」

 やっぱり吉祥院さんは心に深い闇を抱えているのだろうか?

 悪役令嬢になるのには、やはりなにか理由があって、俺はその片鱗を垣間見ているのかもしれない。

 もしかすると 俺は今、吉祥院さんが悪役令嬢になったりしない、その分岐点に立っているんじゃないのか。

 俺は悪役令嬢を助けられるんじゃ……

「あのさ、吉祥院さんが描いたあの絵のことなんだけど……」

 俺が意を決して聞こうとすると、吉祥院さんは期待した目で、

「どうでしたか? 私のイラスト、どうでしたか?」

 イ、イラスト?

 そんなファンシーな表現ができる絵だったか?

「わたくしとしては うまく描けたと思うのですけれども。実はああいう可愛いイラストを人に見せるのは初めてで。習い事で描く絵は写実的な絵が中心ですし。その、実は前から誰かの意見が聞きたかったのですわ」

 吉祥院さん、俺のコメントに期待している。

 純粋に期待している。

 すっごく期待している。

 俺は理解した。

 吉祥院さんは心に闇を抱えているじゃない。

 ただ絵が下手なんだ。

 これ以上ないって言うくらい絵が下手なんだ。

「……なんというか、その、見る人のハートをわしづかみにするような、斬新なイラストだったよ」

 俺には残酷な事実を、純粋な目をした吉祥院さんに告げることができなかった。

「まあ、そんなに素敵でしたか。うふふ、自信作だったのですわ、このコネコのイラストは」

 熊じゃなかった。

「イラストの参考は、やっぱりその薄い本とかなのかな? けっこう面白いね、その同人誌」

 これ以上、イラストの話をするのは危険だと、俺は話題を二百六十八度ほど転換させた。

 人間、好きな話題を振るとその話の流れに乗るものだ。

 案の定、吉祥院さんは上機嫌で同人誌の話を始める。

「ええ、わたくしずっとこの先生のファンですのよ。可愛らしい絵柄で、美少年同士の恋愛を、とても情緒豊かで素敵に描いておられて……

 なんですって!」

 吉祥院さんの表情が突然 強張った。

 まるでベルサイユのローズのような衝撃の受け方だった。

 読んだことないけど。

 吉祥院さんは愕然としながら、

「あ、あ、貴方、今けっこう面白いと言われましたが、ま、まさか、この本の中身を読んだのですか?」

「よ、読んだけど」

 それがどうしたんだ?

「この本をホントに見ましたの?」

「そうだけど……」

「その、ど、どうでした?」

「どうって?」

「き、気持ち悪いとか、そういうことはなかったのですか?」

「いや、可愛いタッチで描かれていたから、そんな拒否感はなかったけど」

 劇画調でリアルに描かれていたら引いただろうけど。

「ま、まさか、全部 読まれてしまわれたのですか?」

「読んだけど……」

 吉祥院さんはいったいどうしたんだ?

 俺、なにかいけないことをしたのか?

「全部 見た? 全部 読みましたの? 全部 鑑賞してしまいましたの?!」

 どんどん興奮していく吉祥院さん。

「な、なんかまずかった?」

「キャー!」

 吉祥院さんは突如として歓喜の表情となった。

「目覚めますわ! 絶対に目覚めますわ! 目覚めてしまいますわー!」

 いきなり何を言い出すんだ!?

「目覚めるって何が?!」

「朝倉 海翔さんという 男なのに女の子より可愛い美少年の幼馴染みがいるのですわ! それなのに この本を読んでしまったら目覚めるのは確実ですわ! これで目覚めずしてなにに目覚めるというのですか!?」

「目覚めない! 目覚めないよ! 目覚めないから!」

「海翔、実は俺、ずっとおまえのことが。

 僕もだよ。二次元美少女オタクをしていたのは、君を忘れようとして……でも、君も僕と同じ気持ちで嬉しい。

 海翔、もう寂しい思いはさせないよ」

 吉祥院さん なんか一人芝居を始めた!

「二人は見つめ合い、そしてゆっくりと唇を重ね……

 いやー! どうしましょう!? 素敵です! 素敵すぎますわー!」

「吉祥院さん! 戻ってきて! 現実に戻ってきてー!」

「キャー!きゃー!!キャァー!!!」

「吉祥院さーん!!」



 5分後……



「……申し訳ありません。私、ちょっと思い込みが激しい方で」

 冷静になった吉祥院さんがしょんぼりとした感じで謝ってくる。

 思い込みって言うより、妄想が激しいと思った。

「白状しますと、実は以前から貴方たちが仲良くしているのを見て、想像しておりましたの」

「うん。なんとくなくそうだと思った」

 海翔が小学三年生の時、俺にプロポーズしたことは秘密にしよう。

「ドン引きされたでしょう……」

「いや、そんなことないよ。実のところ、そういう想像してるの、吉祥院さんだけじゃないから。

 俺が海翔とつるんでると、やっぱりそういうこと聞いてくる奴がたまにいるんだ。

 まあ、海翔が自分がいかに二次元美少女に萌えているかを熱く語って、誤解はすぐに解けるんだけど。

 だから慣れてるよ」

「そうですの。慣れるくらいに聞かれておりますの。慣れるくらいに……そして慣れきったところで目覚めて……はあ はあ はあ……グヘヘヘヘヘ……」

 吉祥院さんのダメ人間なところが見えていた。



 しばらく俺たちは話をして、そして別れて、それぞれ帰宅した。

 だけど、今日の事件はこれで終わりじゃなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る