小さな約束





 浮かんでいた体は、地面に降下をし始める。

 ゆっくりと、大地に影を伸ばし、黒い只人は白雪に足を乗せた。


 唱喝の詩人ムシクスはぐつぐつと影を煮立たせる。



【どうやった!! どうやって……目を離していなかった! 再生する部位も残さずっ――生きる気力すら失わせたはずだ!!】



 仮説が外れたことへの怒り。僅かな焦り。

 再生させるタイミングは与えていなかったというのに、なぜ。

 困惑が、怒りへと変わる。



只人ヒュームが……! 下等な只人ヒュームの分際で――ッ!!】



「で。そんな只人ヒュームに声を荒げて、どうしたの?」



 激昂する唱喝の詩人の前、アレッタの小さな手を借りて、パチンッ、と手を打った。

 その音に紛らせて、エレは小さく口を動かす。 

 けれど、何も起こらない。起こるわけもない。



【何をしてる……それ、なんだ? 術……か?】



 唐突の行為に、思わず、嘲るような笑みが浮かぶ。

 何をしているんだ、こいつは。

 そんな軽い音を立て、何をしようとしているんだ。


 笑い、笑い、笑って――その表情が固まった。



【その音…………】



 戦闘中に一度だけあった音と重なる。

 深い霧が発生する前に聞こえた音。

 姿

 俄に信じがたい光景だった。

 まるで、それは、魔法のようで――……

 


 魔法使いは『嘘』を言ってはならない。 


 それは、魔法を行使するのに必要な過程であり、使ってしまうと効果が鈍ってしまうのだという。


 神代から伝えられた、創生期の《ことば》。


 それは、やはり神の奇跡にも等しく、人の身で扱うことは精巧である必要がある。

 魔導学院に所属しても才能が花開かない者もいるほど、長年研究し、鍛錬して、高めていくもの。


 が、その中に、一つ。異例の魔法があった。


 嘘を言ってはならない魔法使い。

 それに矛盾するかの如く、嘘で塗り固め、欺くに特化した《ことば》。

 その魔法に関しては混沌の神々が好き好んで使う……言わば、外の魔法だ。


 使いようによっては火を生み出し、巨人を出現させ、場所を惑わし、声を聞こえなくさせて――

 

 

 パチンッと手を叩く時に言った言葉、それは。



 ――《惑えコンヒューズ》――

 


【《幻視のことば》……だと!?】



 恐れが一瞬でも見えた瞬間――エレの姿が忽然と見えなくなった。


 《幻視のことば》は、決して強い《ことば》ではない。

 相手に耐性があれば、術にかからない可能性だってある。相手の精神に付け入る隙が無ければ、成立しない。


 特定条件下でしか発動しない弱い《ことば》。そう唱喝の詩人ムシクスは思っていた。


 けれど、そうだ。

 この《ことば》は、

 唱喝の詩人ムシクスは思い出す。この者の、職を。



「――――言ったろ、斥候らしくねちっこく行くって」



 全てを使って、奇襲を成功させる。

 状況をコントロールし、足りない膂力を補う。

 彼は、弱くて、人気のない斥候の一旗なのだ。



【しまっ――】



 唱喝の詩人の思考に一瞬「敗北」の二文字が浮かぶと、それは聞こえた。

 



「じゃあ、俺の番だな?」




 この感覚はダメだ。


 腹の底がふわりと浮かぶ。


 地に足がついていないような、あの感覚。


 戦闘だ。

 出遅れた。

 不味い。



きたる、きたる。

 堕つる地を末の終焉とする者共の灯火が。

 一つの都市、一つの家屋、一つの御霊。

 庇護する者は彼方にありて――》



 声が聞こえる。


 見えないエレの声だ。


 魔法ではない、神の奇跡を使おうとしている。


 一歩遅れて、唱喝の詩人が口蓋にマナを収束していく。


 術士に当たらぬように範囲を絞る。



《――嗚呼、声が聞こえよう。

 同胞を暴虐せり彼の者は信徒にあらず。

 神威を見せ給え。

 教えを示し給え。

 大地に降り立つは悪を払いせしめし巨人の剣。

 振り翳す――》



 奇跡の発動の寸前にマナを捉え、唱喝の詩人は自分の持っていた短剣で、自分の首を刎ねた。




【《お前らヴォス道連れだアデアムス》――ッ!!】




 刹那、広範囲の崩落が起きた。


 球形に窪んだ地面は剥げ、近くにあった大樹すらも綺麗に消し飛んだ。

 場所が見えない相手には、広範囲の技が適当。

 死なない体での広範囲の自滅魔法は、この状況において最も正しい選択。



【ふ、ふは……っ】



 消えた。

 消えた……消えたぞ!

 手応えがあった。確かにあった!


 娘諸共消し飛ばした母親の頭は、勝った、という愉悦が支配する。



【はは……!】



 与えられたマナはもうない。

 けれど、もうマナを使う必要もない。

 不安定に体を揺らしながら、叫ぶ。



【大口を叩けど無駄だ! ほら! 見ろ!! 貴様は只人!! 私に勝てるわけがないんだ!!】



 かつての難敵と娘を葬り、高笑い。

 生きていたら腹を抑えて、ヒィヒィと無様に呼吸をしていたであろう。


 涙が伝えば、手で拭っていたであろう。

 それほどの愉悦が――



【だ……か、ら……ぁ?】

 


 ――消え去った。



「おまえ、学ばないんだな」



 エレの声が目の前から聞こえた。

 当然だ。エレはそこにいる。

 殺したはずのエレは、そこにいたのだ。

 アレッタを抱え、宙に浮かんで、そこにいたのだ。



【お前……どうやって。殺したはず】



「学習しないのは、死んだからか?」



 そう言いながらエレは抱えていない反対の手を上げて、奇跡の祝詞を言い終える。




《――――ツルギの名前は、黄昏ノ巨人スルト




 夕日の光が一層強くなり、橙色の光が迸る。

 光を掻き分け縫うように唱喝の詩人は手を伸ばし――身動きが取れないことに気付く。


 なにか見えない鎖に縛られているような、そんな感覚。

 すぐにその感覚の正体に気づいた。


 太陽の如く、輝く剣。

 それが、自分の体の胸に突き刺さっているのだ。

 


【――ック!?】



 引き抜こうとして――両手が霧になった。

 死霊が浄化の剣に触れられる訳もない。

 しかし、引き抜かなければ、形が保てなくなってしまう。



【か、回復だ……】



 はやく、マナが。

 もう、なくなる。


 けれど、自分の主人である術士はマナの供給をしようとしない。

 遠く離れた場所で、この流れを眺めているだけだ。



【術士……ッ! 貴様ァ!!】



「バーさんさぁ……自分を中心に回ってないと満足しないタチだろ」


 マナも使えない。

 顔や視線だけを変えれる。

 だから、よく見える。難敵と娘がこちらを見下ろす姿が。



【………私は……負けた、のか。どうやって……なにをやったんだ】



 仮説は、合ってなかったのか?

 目は外していなかった。心は折ったはずだった。

 だったら、あの反応はなんなんだ!?

 

【――もしかして、いや、まさか。そんな訳があるのか?】

 

 一度、完全に死んで――再び、生き返った?


【でも、そんなこと……只人ができる訳が……】


 原型もなく、消し飛ばしたのに。

 だって、そうでなくば、おかしい。

 あの時、唱喝の詩人は油断をしていなかった。

 《惑わしのことば》が付け入る隙など無かったはずだ。



「さぁ、どうやったでしょうか?」



 唱喝の詩人は体を震わせた。

 最大出力の攻撃でも殺せず、自分が立てた仮説を覆され、娘も奪われた。


【また、私から奪うのか……!? また、お前は――っ!!】


 叫ぶ。


【全部私のだ! 私を見下ろすな! 私を馬鹿にするな――ッ!!】


 叫ぶ。叫ぶ。

 そして、その叫び声に体をビクつかせた娘を睨みつけた。


【お、お前……亜人のことを知らない訳がなかろう? その醜い姿をお前に隠していたんだぞ!?】


「それでコイツが俺に何か迷惑でもかけたか?」


【そいつがいなかったら、お前は今日――】


「あぁ、お前に会うことはなかったな。それが、どうした?」


 即座に言葉を返され、唱喝の詩人はギリィと歯を軋ませた。


「いいか? 穢れていようが、半端者だろうが、出来損ないだろうが。一緒に飯食って、寝て、笑って、会話ができんだ」


 普段の様子よりも呆れているようなエレは小首を傾げる。


「それのどこに問題がある」


【お前は、勇者一党に所属をしていて――】


「だから、言ってるだろ。なんの、問題がある」


 刃のような言葉に、唱喝の詩人は喉を唸らせる。

 エレが思い浮かべるのは、老爺の言葉。

 どうやら、国民全員がエレの死を望んでいるらしい。



「俺は……ここ最近で、一番の嫌われ者になったらしい。

 そんな奴の取り巻きだ。

 亜人だろうが、魔族だろうが、関係ねぇよ」



 エレは呵呵と笑う中で、ちらと術士に一瞬だけ視線を送り、口端を精一杯釣り上げる。



「……それに、俺はコイツに期待してるんだよ」



 最初は馬鹿にしていた言葉だった。

 けれど、毎日毎日、献身的な姿を見てきているのだ。

 今更、それを疑うわけが無い。

 あの日の小さな神官からの誓いを、忘れるわけが無い。




「――アレッタは、俺の傷を治すって約束してくれたからな」




 優しく微笑むエレに、アレッタは顔を紅く染めた。


【――っ】


 口角が引き攣る。

 苛立ちが最高潮に達する。

 この場面から打開する方法はないかと探る。


 術士からのマナの供給も途絶え、殺せど死なない只人が、回復をする亜人神官を抱きかかえている。


 ならば、と、微かな光を見つけた唱喝の詩人ムシクスは叫んだ。



【アレッタ!! 私が悪かった】



 娘への謝罪を、叫んだ。



【外の世界は怖かろう? 私の所においで? もう、傷付けないから】



 手を伸ばそうと、強制力の下で藻掻く。


 ほら、ほら! 


 懇願をするように。

 垂らされた一つの希望を手に掴むように。

 唱喝の詩人は娘の名前を呼ぶ。

 けれど、憎き男に抱き抱えられている娘は一言。


「ヤダ」


【――っ!?】


 そして、すぅっと息を吸い込み、エレの頬に頬を押し当てながら。






「ワタシは、エレと結婚するんダ!!」







「え」


【え】


【え】


 物音一つしなくなった空間で、アレッタの言ってやったぞ! という荒い鼻息だけが聞こえてくる。


 エレは、歯を見せて笑った。



「らしい、お母様。……じゃ、娘さんを貰いますね」



 冗談めいた言葉を言いながら術士にチラと目を送り、最後に唱喝の詩人の方を向き直した。


 そして、何も無い空間を歩き、唱喝の詩人の額につま先を当ててグッと優しく蹴った。


 ゆっくりと、唱喝の詩人の体勢が崩れていく。



「…………今ンところ、お前のとこにいるより幸せにできる気がしたからな」



 徐々に小さくなっていく唱喝の詩人は、消え行く最中に何を思ったのだろうか。

 地面に着くと、その大きかった体は雪に溶けるように消えていった。

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