背負う覚悟


 ――――数刻前。

 

 声が聞こえる。

 責め立てる声だ。


 お前のせいだ。お前が殺し損ねたからだ。

 お前が死ねば良かったんだ。

 お前のせいで、人が死んだんだ。


「――――――」


 無数に責め立てる声の中を、歩く。


 灯火を持って、歩く。

 霞んだ目を、先の見えない暗闇に向けて歩いていく。

 歩いて。

 歩いて。

 背後から聞こえる声を、一つ一つ聞いて。


「――――……」


 歩いて。

 ゆっくりと歩いて。

 ゆっくりと、ゆっくり――


 

「…………俺は」



 その歩みは、止まった。



「なんのために、頑張って来たんだ」



 これから先――ずっと、先の見えない暗がりを歩いて、

 罵詈雑言を浴びて。


 そこまでして護りたいものはなんだ。

 導きたいものはなんだ。


 責任感だけで歩いていた足は、もう、一歩前に出ることができなかった。


 あの日からずっと、首元が苦しかった。

 ずっと、胸元に何かが詰まっていた。

 ずっと、足と頭が重たかった。


 でも、エレは正しきことをした。

 正しきことを――したはずだった。


「…………」


 けれど、右を見ても、左を見ても誰もいない。

 彼の横に、もう、仲間はいない。



「…………何が違ったんだ。何が足りなかったんだ」



 止まった足元から、その男を引き摺りこもうとする亡者の手が伸びる。

 目を落とし、

 徐々に喉元まで伸びてくる手を抵抗せずに、

 ただ見つめる。 




「おまエも、しネ……」


「ズるい、ズるイ」


「なンで、ボくを見殺しにしたノ」




 灯火の明かりが、弱まる。

 冷たく、真っ白な手が、首を力弱く締め付けてくる。

 



「……一緒に、行こウ?」


「苦しイなら、いっしょに」



 

 弱い力で、力強く締め付ける。

 呼吸ができるというのに、その男は、息を浅くして。


「……もう、いいか」


 完全に瞳に影をかけ、肩の力を抜き――






 そして、それは、聞こえた。






 ――エレの仲間になりたイ!

 





 思わず顔を上げた。

 こんな状況で聞こえるはずのない言葉。


 アレッタ――…………?


 無数の責め立てる声の中に、彼女が一人いた。

 

「……は、ぁっ……!」


 新鮮な空気が肺に入ってくる。

 脳みそが働き始める。


「っぁ……はぁ……っ……!?」


 死なないといけない理由を無意味に探し、

 絶望の淵に立った気でいた。



「アレッタ……の声――」

 

 

 辺りを見回して……エレの表情が凍り付いた。



「――――――お兄ちゃン」



 足に絡みついていたのは――噴水の少年だった。



 

       ◆◇◆




「…………お前」


 その手を振りほどこうとはせず、

 優しく支えるように手を下から当てた。

 灰のようにサラサラと黒い皮膚が落ちていく。

 黒焦げのようだというのに、その手は氷のように冷たく。

 

「お兄ちゃン……強かったァ。見てたヨ」


 下半身が千切れている躯が笑った。

 空っぽな眼窩を見開いて、くつ、と。


「ユウシャ、みたいデ」


「…………ごめん」


「? なんデ、あやまル、ノ?」


「遅れたせいで、俺がもっと早く来てたら……」


 エレの手の中で、少年はまた笑った。


「いいヨ。ウン、へいキ」


「……強いんだな」


 エレの表情に痛みが現れた。

 その頭を少年は撫でた。


「ぼくサ」


「…………うん」


「いもうとガ、いてサ」


 腕の中の少年が、初めて泣き出しそうに声を震わせた。



「いもうト、だいじょうブ、かなァ……」 



 段々と声が弱くなっていく。

 その姿を、噴水にいた少年と照らし合わせて――



「……稲穂色の髪の神官…………」

 


 髪色が一緒だから、もしかして……。

 少年は、眼窩を大きく見開いた。


「君の妹は今、安全な場所にいる。大丈夫だ」


「そっカァ……そっかァ……ッ」


 眼窩から、涙のような光が零れた。


「ありがとウ。おにいちゃン……ハ、せいぎのえいゆウダ」


「そんな大層なもんじゃないよ」


 エレの言葉に少年はふるふると首を振った。


「いもうとヲ、たすけてくれタ」


 少年の体が、徐々に軽くなっていく。


「だから、えいゆうダ。やさしくテ、つよくテ――……」


 力が抜けていくように無くなっていく。


「これからモ、たくさんノ……ひとヲ、すくっテ……っテ」


「そんな人間になれるかな」


「……へへ、がんばっテ。おうえン、してル――か、ラ…………」


 少年の顔は、救われたように晴れやかで。

 そのまま、動かなくなってしまった。


「――――……」


 エレは、その姿を見つめて……

 痛みを堪え切れずに唇を噛んだ。



 ――――あぁ、そうか。



 魔王を殺さなかったから、大量に人が死ぬ……かもしれない。

 エレが魔王を殺したら、平和になっていた……かもしれない。

 あの長い旅は無駄だった……かもしれない。

 この少年は、死ぬことはなかった……かもしれない。



 ――――俺に足りなかったのは。



 エレは少年の亡骸を抱きしめ、口端に弱々しい笑みを浮かべた。



「この世界のみんなの『これから』を背負う覚悟か――――」


 

 魔王を殺した世界が平和になると決まった訳じゃない。

 だけど、殺さなかった世界の方が平和だという確証もない。


 魔王の力は未だに、各地に及んでいく。

 その影響で人は死に、魔族は跋扈する。


 だが、エレが逃走を選択せず、

 魔王と戦っていたら勇者一党は全滅をしていただろう。

 すると、もっと凄惨な事態になっていたかもしれない。



「――――」



 見えない未来は『これから』確かめていくしかない。

 自分の判断が間違っているかどうかは、

 今、分かるわけじゃない。

 

 この世界の『今』を造ったのはエレの選択だ。

 人が死んで、人が生きてるのはエレの選択だ。

 罵られて、胸倉を掴まれるのもエレの選択だ。

 


「…………そっか」



 自分の選択に胸を張って、正しいということ。

 それが、こんなにも難しくて、怖いことだなんて。

 でも、エレはあの時、正しいと思ったのだ。


 ――この道が、邪道だろうが。

 ――この道が、正道だろうが。


 エレが選択した道は、後戻りなんてできない。



「……だったら、無責任に一人で死ぬのは……許されないな」 



 エレは剣林弾雨の中、

 か細くも、自分を支えてくれる小さな手を見つけた。


 少女神官の手は『今まで』が無駄ではなかったんだと必死に訴えかけてくれて。

 稲穂色の少年の手は『これから』に向かう背中を押してくれている。


 幼いが、なんとも心強い。



「生きるよ。……惨めに、泥まみれになってでも、生きるさ」



 作り出した『これから』を見届けないといけない。

 正しいと判断した『これから』を見なければならない。



「…………神よ。光はここに。

 ――どうか、彼らの魂が迷わないように導きを

 ――どうか、光の届かぬ場所を

 ――その灯火でもって照らし給え――…………」



 エレは祈った。

 祝祷なんて御大層なものじゃない。

 ただ、自分の言葉で祈った。


 ――その瞬間、周りにあった気配がふわりとした優しいものに変わったのを感じた。

 手の中の少年の体も、魂が抜けて、


「――――」


 にこりと微笑むと、上へと昇って行った。


「…………応援しててくれるなら、進まないと……止まってたら、顔が立たないよな」


 道の先頭を歩くエレが立ち止まって言い訳がない。

 勝手に、道を途中で投げ出して言い訳がない。


「…………だから、せめて……安らかに。俺も、先を見届けたらすぐそっちに行くよ」


 エレは、灯火を持って再び歩き出した。

 

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