風前の灯火③
最大出力の《存在消滅》の唄で、エレのいた場所の全てが消えた。
雪肌も剥がれ、地面の下の大きな石までも剥きだしになり、近くにあった家屋の断面図が見える。
消えたのだ。
何もかも。
その場にあった全てが。
この世界のどんな高価な楽器よりも素晴らしく、心地の良い声だった。
自分を殺した相手を殺した。
その達成感は計り知れない。
胸が躍り、口元は満開に咲いた華のようだった。
その口の端から熱気が立ち上り、ガチッと噛みしめた。
「……え……レ?」
そんな母の手の中で、アレッタは自分の心の中まで『何もない』の効果が及んだのかと思った。
さっきまでいたのだ。
あの場所にエレが。
手を伸ばせば届きそうな場所に。
王様に跪くような姿勢で。
ぼさぼさになった黒い髪をこちらに向けていて。
腹部から大量の赤い華を咲かせ、口元に弱々しい笑みを浮かべながら。
エレが。
アレッタを救ってくれた正義の味方がいたのだ。
本当に。……本当だ。
真上から高笑いが聞こえる――忘れかけていた寒風がアレッタの頬を撫でた。
情報が――現実が――アレッタの中に流れ込んできた。
「うそ……うそダ……」
寒い。
冷たい。
だというのに、湧き上がってくるのはとても熱いもので。
「ウ……」
喉奥が、痛い。
目の奥が、痛い。
頭が、痛い。
「ウァ…………」
熱い。痛い。
冷たい。苦しい。
今まであったはずの物が無くなり、そこからあふれ出した感情はアレッタの体をぐちゃぐちゃに引き裂いていく。
アレッタは、藻掻いた。
現実を受け入れられず、母の手の中で、藻掻いた。
「アァァ……ッ……!」
ギリッと只人にはない力を発揮し、母の手を拉げる。
手の力が緩まった隙に、雪道に体を投げた。
受け身なんて取れる訳もない。
掻くようにして立ち、ふらっ、と先程までエレのいた場所の手前まで歩み寄っていく。
「エレッ……エレ……」
崩れるように膝を落とし、見回しても、エレはいない。
雪を掻き集め、手の平からサラサラと流れていく。
涙がこぼれる。
空いた心から溢れ出てきて、止まらない。
もう、いない。
ここには――――エレはいない。
「――ッ、ヴア゙ア゙アァァァ……!!」
『救ってくれた人の傷を治す』と決めたあの日から、今日までの毎日。
それが、全て、間違いだったんじゃないか――と心の中の何かが嘯く。
それを振り払うように、アレッタは、心で奇跡を祈った。
《静なる者に動きヲ、渇きを知る者に満ちヲ。救済を求める者に生命の躍動ヲ、慈悲深き恩寵ヲ》
それは、神への祈り。
「
エレの傷を治すために、努力して、努力して。
ようやく使えるようになった神の御業。
「
二回、三回。
体は限界を迎えようとしていた。
眩暈が起こる。頭が重く感じる。
体が痛い。熱い。焼けるようだ。
それでもアレッタは《何もない》場所へ、手を着き、叫ぶように唱えた。
《破壊の後に創造有りテ、万象の営みを害する枷は其処に在らズ。
剣を、刃を、伏せて祈レ。
渇き心を潤すは、神の恩寵なりテ。
此の光は、生命に躍動を与えんとス――》
唱えるは、神の奇跡の一つ。
「
雪よりも白く、美しい光が空間を覆った。
光が白を隠し、薄れていく。
が、やはり――……
「……ゥ……アァッ」
いくら、上位の奇跡だといえども、そこは《何もない》場所なのだ。
大粒の涙が、汗と混じって滴り落ちる。
アレッタは自分の耳を塞いだ。頭を雪に打ち付けた。
体は憔悴しきったというのに心の中の何かは、饒舌にアレッタの行為を――自分の行為を、自分で嘯いて、騒ぎ立てるのだ。
「だまレ……うるさイ……ッ!」
自分が、エレに救われたりしたから。
自分が、エレの仲間になりたいと思ったから。
自分が、エレに会いに来たからこうなった。
「ちがう……ワタシハ……」
エレなら――強いエレなら、一度勝った相手に後れを取るなんてないはずなのに。
何も知らずに、自分勝手に行動して。
それで、大切な人を失って。
「ごめン……ごめんなさイ……」
母の元から出て、何が変わった?
自分で決定したから、どうした?
迷惑をかけただけじゃないのか?
不幸を、運んだだけじゃないか?
「わがままで、ごめん、なさイ……」
亜人であることを隠して、強引について行って。
エレは嫌がっていたのに、必要ないって言ってたのに。
だって、ちっぽけな自分はたった一人の傷も治せない。
沢山もらったのに、何も返すこともできない。
「許して、くださイ……」
エレの近くにいて、成し得た気になっていたのだ。
自分は大きな存在になったと思っていたのだ。
何も変わっていないというのに。
だって、そうだろう?
あんなに、温かい日々を教えてくれたエレを、殺したのは――――アレッタなのだから。
アレッタが会いに来なければ、エレが今日、死ぬことはなかった。
「生まれてきて、ごめんなさイ……。ちゃんと、生きて、ごめん……なさイ」
姿を隠しても、醜い心は変わらない。
自分で自分を責め、自分で自分を憎み。
醜いと罵り、それで哀しむ。
アレッタの泣き声は、静謐な空間で良く響いた。
◆◇◆
不絶の灯火が死んだ。
四人の魔族が全力を出して、ようやく人類の灯火を殺せた。
体力を削り、精神力を削り――人質を取った。
そこまでして、ようやく殺せたのだ。
【……】
しかし、死霊術士は陰鬱な表情だった。
人質を取られただけで、あの英雄が、何も抵抗をすることはなく、呆気なく――死んだ?
信じられない。
不絶の灯火はもっと強く、しなやかで、負けることはなくて。消えない灯火なのだ。
消えてはならない灯火なんだ。
ついと視線を、アレッタの方へ向けた。
雪の上に蹲る神官は謝罪の言葉を繰り返し、泣き叫んでいた。
喉がつぶれて、まともに声が出ていない。
【…………
悲しみに打ち拉がれている。
死んだ者を憂いて、胸が張り裂けそうになっている。
術士は、ス、と影を伸ばした。魔族を召喚しようとしたのだ。
【やめろ、私の娘だぞ】
【救ったほうがいい】
【だめだ】
二色の頭髪を不快そうに揺らす。
主従関係もあったものじゃない。が、一応は本契約は完了をしている。
強引に召喚を解除することもできるが、それは最後の手段として。
母親の言葉を飲み込み、ふぅ、と息を吐きだした。
奇跡を使える彼女は、好敵手となり得る存在だ。
恐怖で従えるつもりなのか。母だから、娘を扱えると思っているのか。
【勝手にしろ。……私は、気分が悪くなった】
踵を返して村の方へ引き返そうとして。
【――死は救済なのだろう?】
【あぁ。……あぁ、そうだよ】
背中にかかる唱喝の詩人の言葉に、なぜか不快感を覚えた。
何も間違ってはいない。
むしろ喜ぶべきことだ。
【そうに決まっている】
不絶の灯火という、死ねない者を
魔族よりも強く、頑丈で――かっこよく、尊い、憧れの存在を救えたのだから。
【…………】
ふるふると首を横に振る。
【私がしたことは……間違ってない……間違ってないんだ】
◆◇◆
一人で何か呟いている術士から視線を切り、
【帰るぞ、アレッタ。もうこの街に用はない】
グイと引っ張るが、身動き一つしない。
【アレッタ】
「……離セ」
【…………もう一度言うぞ、帰るぞ、アレッタ】
母を見ずに、疲れ切った声だけを返す。
「離セ、離セッ!! お前なン――」
その姿に苛立ちを覚え、ガツンと横から蹴り飛ばした。
「――ッ!?」
雪道を黒い神官衣の少女が転がる。
【数年離れていただけで、口の利き方を忘れたのか? 只人になんか奇跡を使うようになって】
母に向ける目は殺意によって鋭く磨がれ、息は手負いの獣のように荒い。
【お前は、私の娘。それは変わらない。それに……あんな男に騙されて、何も成せなかった男に着いていく気がしれない】
唱喝の詩人は肩を竦めた。
【聞いたぞ? あの男、魔王に勝てずに負けて帰ってきたらしいじゃないか。まったく、無駄な時間を使ったものだ。これだから猿は……頭の使い方を知らないのだ】
魔王に勝てる訳がないというのに。呆れる唱喝の詩人。
「…………」
アレッタはゆっくりと顔を上げた。
錆びついた扉を開けるように口を開いた。
「…………お前も、そうやって……エレを馬鹿にするのか」
【あ?】
少女の落ちてきていた髪の向こうで、蜜柑色の瞳がぎらついた。
「エレが、やってきたことは無駄なんかじゃなイ」
倒れている娘に長い手をゆっくりと伸ばす。
なにも焦ることはない。
奇跡の連発で体は疲労している。もはや集中力は残っていない。
手が近づくにつれ、娘の顔に陰が差し込み、恐れが浮かぶ。
そして、手がアレッタの喉元へ触れて――
――霧散した。
【グゥ!?】
何かが、空から降ってきた。
何が起こったのかと考えたが最後、目の先にいた娘は、もうそこにはいなかった。
母の視界の外で、アレッタの体をふわりと無重力が弄ぶ。
温かい感触。
見覚えのある首筋。
くっきりと鎖骨が浮き出て、その下に包帯が見える。
何度も触れてきた、力強くも細い体。
そして、ふわりとした香りがアレッタの鼻に届いた。
「――あ」
毎晩、抱き着いて寝ていたから覚えている。
そのニオイは、青色の風が草木や稲穂の香りを運んでくるようなニオイなのだ。
鼻通りがよく、不快感とは全く無縁な。
着飾らずも青年のようで、アレッタが大好きな――……。
沈みゆく夕日に照らされ、顔が見えなくとも――アレッタはその者の名前を口にした。
「――エレ!」
「うわ、ひでぇ顔」
アレッタの顔は、泣きじゃくったせいでくしゃくしゃになっており、白肌はリンゴのような赤味を帯びていた。
目の周りは腫れて、いつもなら自信が現れている目尻は疲れによって垂れ下がっている。
「ふふっ」
エレは表情を崩して笑った。
そして、アレッタの目尻に浮かんでいた涙を親指で拭いながら。
「俺も、ひでぇ顔してるんだろうなァ……」
目が合うと、エレの顔がよく見えた。
多少血の気は悪くなっていたが、それでもいつ見ても見飽きない顔だ。
目元まで伸びる白く神聖さを感じる黒髪に、人を見下していそうな黒く淀んだ瞳 (アレッタはそう思ったことはないが!)。
くっきりとした輪郭は石膏で作られた彫像のように流麗だ。
そんなエレの顔は、酷く泣いた後のように涙痕が走っていた。
「う、ン……ウン!」
「そんなに酷いか? そっか。やばいなぁ。……でも、まぁ、いいか。そんな日もあるだろ」
二人して顎を引いて笑った。
そのまま空中に静止し、エレは目下の黒い影を見て、ふ、と笑う。
「おい。こっちだこっち」
【――っ!? おまえ、なんで……】
「殺したはず――だろ? 聞き飽きた言葉だ」
アレッタの体を片手で抱き上げ、もう片方の手を
その手には何も握られてはいないが、
その手は、握りこぶしを作り、親指を下に向けていた。
そして、一言。エレは口にした。
「――なぁ。まだ、戦いは終わっていないぞ」
さぁ、最終決戦の幕開けだ。
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