湖の畔で①



 魔族は善悪関係なく敵だ。

 殺せ。殺せ。情けをかけるならば、己が抱いて死ね。

 歩め。勇め。一本槍の如く。

 我らが人類の希望。我らは神に選ばれた愛子いとしご

 腐敗した土地を、聖なる双脚で踏みしめろ。

 人の世を護るために、我々はこの日、出立するのだ。




「――今思うと、若いな」


 勇者一党の旅立ちの日、王の御前で誓った言葉だ。


「恥ずかしくなってきた」


 もう十数年前――いや、十年か? 年数感覚は狂ってるが――の出来事だ。当時はまだ若かった。

 若い者や何かに陶酔してる者は押並べて強い言葉を言いたがるもの。その二つが揃っていたのだから致し方ない。


「強いこと言って鼓舞しないと、不安だったんだろうけど――…………まぁ、そうだな」


 昔を懐かしんで器用に片手で読んでいた広報紙を閉じると、もう片方の腕に抱えていた角底袋を持ち直した。


「っよぃっと……」

 

 その時に目のあたりまで伸びた黒髪が揺らぎ、生気のない黒瞳が陰った。


 比較的小柄なその体躯の至る所にある負傷部位に巻かれた包帯は、戦闘の場に身を置いていた年数を黙して語る。

 冬場ということもあり、その包帯が見えることは首元や裾からしか叶わないけれど。


 彼の名前はエレ。

 勇者一党に所属をしていた元斥候だ。


 そんな彼だが、今は買い出しの帰りだ。

 ビュゥと風が吹く。全身の傷に冷たさという麻痺毒が染み渡った。

 

「……っ……うぁ、さむ」


 特にキツイのは先日の戦闘で負った新しい傷だ。

 太腿当たりを上から押さえつけて細く長い息を吐いた。

 溜息にも似たそれは、何かを決心したようなもので。

 

勇者一党あいつらが動いたんだ。……俺もいい加減、何か…………」


 かつての仲間達がまた魔王を倒す旅に出かけた。

 そんな中、自分のやれることは何か。

 それとも、何もするべきではないのか。



「――――『光の導きがある方へ』」



 遠くを見つめ、足場の悪い帰り道をエレは歩いて帰っていった。




       ◆◇◆




 湖の畔に建てた一軒家までの道は獣道とまではいかないが、荷馬車が通れば荷物が跳ねそうなほどに凹凸激しくなっていた。

 街の周辺以外に補装された道という物自体珍しいが、これでも以前は荷物輸送に使われていた道なはず。

 それが今では草が生え散らかり、岩などが路上にゴロゴロぽつりぽつりと。


「……それでも、やっぱりいい景色だ」と、右に広がる風景に目を向けた。


 巨大湖が視界いっぱいに広がり、その向こうに巨大樹が立ち並ぶ。

 その光景というのは恐ろしく、厳かで、綺麗だ。


「心なしかデカくなった気もするが」


 心に漠然と小さな不安が薄く広がる感覚。

 臓器がふわりと浮かぶ感覚。

 今にも森林部からこちらに目掛けて、大きな生物が飛び出てくるのではないかという妄想も捗るほど。



「まぁ……いる訳もない」



 いつにもまして思考が鈍化しているのが自分で分かる。

 現実逃避癖が付いているのか、辺りを見回すことが最近多いような気がするのだ。

 このままではダメだ、と頭をクリアにしようとして目を伏せる。斥候には不必要な思考なハズだ――と。



 そうして歩いていると、道の端にオークの腹部くらいにどっしりして大きな岩が一つ。

 その後ろに、コソコソと何か衣類の切れがチラチラと見え隠れをしていた。


【――――】


 普段のエレなら気が付きそうなものだ。

 けれど、エレは目を落としてばかりで気が付いていない。


 そのまま岩が近づき、横を通り過ぎようとして――……。



【ばあぁーっ!!】



 岩陰から勢いよく人影が飛び出した。

 しかし反応が返ってこない。


【…………アェ?】


 彼女は二足歩行の動物がするであろう威嚇のポーズのまま、通り過ぎるエレを目で追いかける。


【……エェ?】


 気が付かないってことがあるのか? 

 あれほど大きな声を出したというのに? 

 無様な「うぁ!」や「ぬぁ!?」みたいな反応を期待していたその人物は、不服そうにエレの後を追いかける。


【……おーい】


「……」


【気づいてるんだろー?】


「……」


【も~~~っ!!!】


 とてとて、ととと。そして、ゼェと息を荒くした。

 エレはこれほどまでに歩くのが早かったのか――いや、その者にとって、エレはエレという名前ではなく。


不絶の灯火プロシオス! 無視はいくない!】


「……ん。……あぁ。あれ?」


 大きな声が聞こえて振り返ると、そこには右が淡い栗色で左が黒色と左右で二色髪の少女が立っていた。



 エレの家にいるもう一人の少女よりも活発そうな――と言えば聞こえはいいが、ただただ幼く、臆面がない――彼女は、獣や獰猛な魚類のようなギザ歯を持っている。

 いまにもガチリガチリと歯軋りの音が聞こえてきそうだが、そこまでの咬合力はないそうな。

 少女の瞳は太陽の輝きを飲み込み、閉じ込めた深海のよう。

 だとすると、奥に見える光は何者にも毒されずにやってきた、純粋無垢の穢れなき光か。


 彼女はエレの家にお邪魔している魔族の死霊術士だ。



死霊術士おまえ、いつからいた?」


【……何か考え事でもしてたのか?】


「あー……まぁ、そうー、だな」


 視線を横に流し、後ろ髪を掻いた。


【最近変だなぁ。プロシオスも……あの娘も。なぁんか変だ!】


「そうか」


【ほら、やはりおかしいじゃないか! なんだ! 共有しよう! 仲間だろう!】

 

 いつもなら「お前の髪の方が変だろう」とかなんとかって言いそうなのに。

 ――やっぱり変だ。

 ジィと目を細めて首を傾げた。変だということが分かっても、何が原因でそうなったかが分からない。


【ン~ッ……? 髪の毛が伸びたから悩んでる!】


「そんなところだ。鬱陶しくてな」


【……まぁ、ヨシ。ヨシとしよう! 概ねヨシ! 今度、私が整えてやろう!】


 なんだか違う気もするが、分からないことに思いを馳せるのは研究者のやることで、術士のやることではないのだ。


「で。どうしたんだ? あまり外に出るなと言っていたはずだが」


 ほら、エレも本来の調子を取り戻したではないか。

 予想通りだ。ふふん、と薄い胸を張る術士は人差し指を立てた。



【目的はプロシオスのお迎えだ!】



 かつての敵がお迎えにあがるとはエレも思ってもみなかったのか、眉間に皺が寄った表情は「なぜ」と口に出しているようだった。

 けれど、そんな表情の一つで術士の行動が止まるわけもない。


【ということで】と言うと、状態の悪い黒い神官衣の袖を捲って色白な手の平を出した。【荷物、あずかります】


 今の術士は暴走する荷馬車が如く。


「……預かる? 荷物の一部は、お前が頼んでた奴だが」


【だからこそだ。それに荷物は荷物だろう? 重たくて、邪魔なモノだ】


「なら、角底袋こっちを持たないか?」


【自慢じゃあないが、私は非力なのだ。それにそっちはあの娘のお遣いだろう?】


「お前の駒から受けた傷が痛むんだが」


【ウッ……いや、まぁ、非力なので……すみません】


「冗談だ、真に受けんな」と束にした広報誌を投げられ、ぽふ、と受け取る。


 へへ、とギザ歯を見せて笑うと、待ってましたと言わんばかりに広報紙に目を走らせた。


「ながら閲読は危ねぇぞ」とエレが注意しても。


「ダイジョーブでしかない」と広報紙に魅了されたように目を離さず。


 エレが買い物行くと聞いた時に彼女が要求してきたものではあるが、やはり情報収集は欠かせないらしい。



【――ん!! ようやく勇者の一党再始動か!】



 特に勇者の情報は。


【新規で加入したのが……二人ぃ? 二人か! シッシッシ。やはり、プロシオスの空いた穴は大きいんだな!! だろう! そうだろうとも! あの消えない灯火と言わしめたものだからな!】


「四人でないといけない理由はない」


【四人で旅をしていたのだろう?】


「だが、足りないと分かった」


【あ、そういう……まぁ、でもプロシオスの方がつよし!】


 エレが抜けた穴を埋めるというよりかは、今回の選抜には『現状の足りない部分を補う』という方が正しい。


 神官がいないのはおかしかったのだ。

 王国側が神殿側に強く出られないとはいえ、勇者の一党はこの世界を救う光と成り得ると証明をしたのだ。

 若造たちがたいそうな武器を引っ提げて旅に出るのではなく――「勇者一党は歴戦の猛者である」と大衆に認知させたのだ。

 それも長い長い年月を使って、ようやく。

 

 そして、何より「次こそは失敗をしない」ために。

 一党の足りない部分を列挙し、可能な限り補った。


 ――と、モスカは考えているのだろう。

 アイツの考えそうな事だ、とエレは前を向いたまま思った。




【ふーむ……。その二人も冒険者で――ってまた冒険者か! 飽きもせずに】 


 ペラ、ペラと読んでいって、同じページにまた戻って「ふむ」と喉を鳴らす。

 何か疑問が残っているらしく、エレの方をチラと見上げた。


「何か聞きたいことでも?」


【うむ。この……毎回冒険者から候補を選んでいるんだが、傭兵や、王国軍から引き抜けばいいんじゃないか? 粒は揃ってるんだろう?】


 広報紙を指さしながら小首を傾げる術士。


「そうだな。じゃあ、勇者は何をする?」


【魔王や魔族を倒す!】


「そのためにはなにをする?」


【長い長い旅をして、不慣れな土地を……あ】


 そこで、ピンと閃いたらしい顔。


「そ。長距離で不慣れな土地の行軍に特化してるのが冒険者だ」


 傭兵は勇者の護衛枠として入れるならヨシ。

 王国軍は集団戦や馴染みのある土地での行軍ならヨシ。


 だが、冒険野郎マッドマンが一番いい。

 知らぬ土地でも果敢に進み、護衛戦力にもなり、役職ごとに分けられているから選びやすい。


「それに、王国兵は民を護るための戦力だ。わざわざ危険な領土にまで出向くことはないのさ」


【なぁるほど。でも、そうか……期待したんだがな。王国にも勇者一党みたいに強者の集まりみたいなのがいて~みたいな展開を】


「あぁ、いるぞ。とびきり強い大隊が」


 たとえるなら「勇者」が「矛」で「大隊」が「盾」か。

 

【勇者とどっちが強い?】


「さあな。勝負したことは無いだろう。けど、勇者はその大隊の出身らしいからな」


 術士は目を輝かせて「おぉ!」と興奮した。


「まぁ、話は戻すが。冒険者が最適だ。替えがきくからな。現に、替えは効いたわけ――」


 バシャァン!

 

「――だしな……ぁ?」


【うぁ!?】


 不意に聞こえた水が巻き上がるような音で思考が打ち切られた。

 どうやら、巨大湖で何かが跳ねたらしい。


【……あれ、なに?】


「……サカナ」


 そう、魚だ。


【……エェ?】


 まさに皆が思い描く魚類である。

 水飛沫を上げ、宙で弧を描き、再び水面へ。


 冴え冴えとした空気の中、飛沫は硝子玉のように光を宿し、鱗は艶やかで、尾ビレが空気を下から上へ撫でて――

 ドボン――と、



【うあ】



 巨大湖のヌシ。不浄なマナを見に纏っている辺り、気性の荒いヌシとするのがいいか。

 そんなヌシが天高く舞い上げた水面が、鋭く降り注いで――……。



【――――出て来い】



 水が皮膚に触れる一瞬前、黒い影が二人を覆った。

 上方向へ盾を構えた大きな影。すぐさま豪雨のような音が聞こえてきた。

 バチバチ、ゴゴゴ。これが湖から巻き上げられた水の勢いらしい。


「おぉ……便利だな、城主アンタ


 大きな人影の下で立っているエレと術士は、感嘆して、その影の眼窩の奥に揺らぐ赤い炎を見上げる。そこに目はないというのに、バチリと目が合っているような気がする。

 まるで父親に守られる兄妹。そんな絵面もすぐに終わった。



【ありがと、じょーしゅ!】


「ん、ありがとさん」


 役目を終えた大きな影――凍土の城主は会釈も何もせず、溶けるように地面に落ちて消えた。


「あんま、美味くなさそうな魚だったな」


【美味そうだったら食べてた?】


「そりゃあそうだろ」


【そりゃあそうなのか……】と再び広報紙に目を落とす。


「……あんなのが出る道は通りたくないな」


 この凹凸道の原因がなんとなく分かったような気がして、ふと顔を上げ、湖の反対側を見やる。

 やや穹窿形となっている地面を上った先に見えるどっしりと大きな木造の一軒家。あそこがエレの二つ目の家だ。


「さ。ここから先は、足場が悪いぞ」


【む】


 まったく話を聞いていない術士の空返事を聞き流すと、


【む! 名前までは乗っていないんだな――ぁ】


 簡単に敷かれた石に躓く術士。

 未だに紙面に目を奪われているらしい。


「ながら閲読はあぶねぇだろ」

 

 広報紙を取り上げた。

 その代わりに荷物を押し付けた。

 返って来たのはブーイングだ。


【わたし――ちから――ない――のにぃ! 重いよぉ、プロシオス~っ!!】


「泊めてんだ。荷物くらい持て」


【プロシオスはそんな事しない!】


「なら、人違いってこった。本物のプロシオスとやらを探しにお出かけをしてくるといい」


【ヌゥ】


 絵本から飛び出してきたような容姿のものはいるが、心の中までそうだったという話は少ない。

 皆が憧れる勇者も、箱を開けてみればなんとも――まぁ、人らしかった。

 それでも人が集まるのは、やはり勇者だからなのだろう。

 現に、あの二人も勇者の元へ転がり込んだのだから。


【でも……そうか、プロシオスの後釜かぁ。考えてみればみるほど想像できないなァ。どんな名前なんだろうなぁ……顔とか。なぁーにも載ってないし】


 広報紙を瞼の後ろに思い浮かべて、唇を尖らせる術士。


「名前は知ってるぞ。ウェスタとフローラ。昔と変わってなかったら斥候と神官だ」


【知ってるのか? 強い?】


 肩を竦めて誤魔化す。

 昔の彼らを知っているだけで、今がどうであるかは知ろうとも思わない。


「ま、期待しとけばいい。アイツの審美眼に適ったんだ、弱い奴をモスカ――あー、勇者? は心底嫌うからな」


【勇者の話っ! そうなのか! やっぱり強い奴が好きで……そうか、そうか! なら、私は――ッ】


 キラキラと目を輝かせ、エレに目を向ける。

 これから始まるのは術士が勇者一党に相応しいか同課の話題だろうか。


「そんなことより飯だ飯。腹が減って仕方が――」



「アーーーーーー!!!!?」



 道の先から聞こえてきたのは悲鳴にも似た叫び声。

 声の主は家の二階から、こちらを指さしていた。


【げっ!】


「なんで、エレとお前がイッショ!?」


 太陽に照らされ、蜜柑色の瞳がギラと獣のような光を宿す。

 それに比べ、術士の瑠璃色の瞳はおっかなびっくりと光を陰らせて。


「荷物持ちしてくれてんの」


 二階から飛び降りて術士に食らいつきそうな少女に事情を説明する。エレの後ろで術士はコクコクと首を動かす。

 それに――と。角底袋から取り出した本を見せると、アレッタはピタリと動きを止めた。


「お前が欲しがってたヤツ」


 次に聞こえてきた叫び声は悲鳴や嘆きではなく、歓喜の声だった。

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