湖の畔で②




「ご飯にすル? お風呂にすル? それとモ……」


「ご飯にしてんだろ」


「え……っと……じゃア、おしごとおつかレ……じゃなくテ、買いモノ……?」


 買ってもらったばかりの本を見て、目を凝らして「あーでもない」「こーでもない」と唸りながら少女は小さな匙で掬ったシチューを口に運ぶ。

 桜色の口に熱々の白液が触れて「ニィア!」と猫のような叫び声を上げた。


「アチチ……」


 匙がシチューの上で踊っただけ。

 本にまで飛び散ってはいない。


「熱いヨォ……エレ、コレ」


 あろうことかシチューにイチャモンを付けだしたのは、先程二階から身を出していた幼げで言語がたどたどしい少女だ。


 普段の黒い神官衣ではなく袖余りの部屋着――エレのを勝手に着ているだけだ――を身に纏い、椅子に腰かけている。

 白肌の上に輝いている瞳は蜜柑色であり、温かくも透き通る光をピカピカと宿している。

 また、白の頭髪にはマリーゴールド色の箇所がいくつか見られる。


 ここまでは、普通の少女なのだが。


 その頭髪の上部には、上方向に伸びる黒色とマリーゴールド色が混じった角が二つ。

 彼女は――アレッタは、魔族と只人の間に生まれた子。

 亜人デミ・ヒューマンだ。




「熱いが、今日のシチューは美味い。店で出せる――あと、術士は匙の持ち方を治せ。昨日教えたばかりだろ」


【んむっ】拳をグーの形で匙を持つ術士は、口にくわえたまま持ち方を変えた。(結局それも歪で違う持ち方なのだが)


「あ、美味しくないって訳じゃなくテ! エレの料理は美味しいヨ? ほんとうに……ほんとうダヨ?」


「ン」とシチューを食べながら言った。

 アレッタには「いいから食え」と言っているような気がした。



 食事中にあまり会話を好んでしないエレ。取り合って貰えない反応に「むぅ」と頭を揺らし、隣の術士に角が刺さった。

 ピッ! と雀のような驚きの声を上げ、ジトと瑠璃色の瞳を細めた。

 

【ええい! 食事中に本を読むものではないぞ、娘ッ! それが社会的価値観センスス・コムニス、というものだ!】


「うっさイ! 出てケ!」


【うっさいとはなんだ、うっさいとは!!】


 一番常識がない者が、常識を語るとは。そんなことを思いながら、エレは匙ですくったシチューを口に運ぶ。


【プロシオス、言ってやってくれ! どちらがうっさいか】


「黙って食え」


【……はぁい】怒られた子猫のように、俯きながら匙を口に運んだ。


 そして、チラとアレッタの方を見やり。


【――で。なんで、娘は本を読んでいるんだ? 読まなさそーなのに】


「……」


 無視をされ、指をさしながら半泣きでエレに助けを求める術士。

 

「前からその本が欲しいって言ってたからな」


 そんな説明で分かったらしい術士は「ふむ」と納得し、アレッタの読んでいる本を覗き見る。

 その視線に気づき、ツンとした様子で本がパタリと閉じられた。

 

【む】と不満げにしても「フンッ」と鼻を鳴らされる。終いには、不機嫌そうにシチューを食べ始めてしまった。



【…………ふんっ。それでも本かあ〜……。高価なモノだろうに】


「魔道具くらいだな」


【そうだろうそうだろう。聞いたか娘よ、それは魔道具ほどの価値があるらしいぞ!】


「……」


 完全に心の鎧戸を閉めているアレッタ。術士が気の毒に見えてきた。

 

「まぁ、その本の著者が俺の知り合いでな。個人的に気になってはいたんだ」


 だから買った。

 アレッタも興味があるらしいから猶更だ。


【知り合い?】


「知り合いだな」


【まさか、勇者の――】


「んな訳」


【だったら誰だ!】――という顔。


 勇者のこととなると鼻息が荒くなる術士に、どう説明したものかと考えて。


「ただの昔馴染みだな」


 これが最適だろうと。

 全く解決させぬまま、エレはいつの間にか空にしていた食器を持って流し台へ。

 そのせいで瑠璃色の瞳の光が強くなってしまうとは思ってもみなかったろう。


【――気になる!】


「まずそれを食べてからだ。今日のは出来がいい。食え」


 ビシと術士を宥めると今度はアレッタが空になった器を見せて、カツカツと木匙を器に打ち鳴らす。

 食べたぞ、説明の続きを――そんな顔だ。


「……別に、期待をするほど面白い話じゃないー……が、まぁ、いいか」


 聞きたいという人がいるのならば、別に話したらダメな話でもあるまいし。


「同郷のやつが五人いてな。そいつらが今の俺と同じ役職に就いてる」

 

 その内の一人がそれの著者だ。はい終わり。


「……エ? それダケ?」


「そ」


 話すことは無限にあるが、こんな場でツラツラと語り出すのは老人極まれりだろう。昔話を語り出すほど、エレは老いてはいない。

 しかし、アレッタが本の裏に書かれている著者を確認して、人形のような顔に皺を寄せた。

 

「これ書いたの女の人――えーと、ウレイ……うれいア? ウレイアって人らしいケド!」


「あぁ? あぁー……あぁ、そうだな」


「聞いてないんだケド!」


「言ってないんだけど」


 カァッとアレッタの口に火が着くのを感じた。


「エレ、女、いないっていってタ! 家にもいなかっタ!」


「さっき言った五人の中の三人は、お前の言う『女』だぞ」


「そんなの!! 聞きたくなかっタ!!」


「なら聞くな」


 ぶんっと首を横に振り、立ち上がったアレッタは食器を持ってエレのいる流し台へ駆けてきた。

 その形相は浮気が発覚した夫に詰め寄る妻そのもの。

 片手に武器を握り証拠を突き立て「これはなに!」と叫ぶ。

 手に持っているのは食器なのだが。



「どんなヒト!」



 聞きたくないんじゃないのか――は悪戯が過ぎると思って、喉の奥に抑え付けた。

 

「……それ書いたのは薄桃色で調子のいい奴。それで、赤髪で男みたいな奴がいる……あとは、黒茶髪で眼鏡かけた大人しい奴だ。その三人がそうだな」


 名前はいっても覚えてはないだろうが、男の方は言わなくても良さそう。

 小出しにされる情報にアレッタは唸り、食器を流し台へ置きながら。


「……カワイイ?」


「俺と同い年だぞ」


 アレッタはエレの年齢など知らないから、同い年と言われても困る。


「…………じゃア、スキ?」


「なにが聞きたいんだよ」


 否定でもなくば、肯定でもなく、ズイと近づいて威圧的な態度。

 そんな彼の態度に、アレッタの頭上からゴロゴロピシャリと雷が落ちてきた。


 先ほどまで読んでいた――『恋愛の手解き――著:ウレイア』――なる本に書かれていたことだ!

 はぐらかしている! 

 これが! まさか! 

 あのエレが! そんな!



!!」



 エレに這い寄る三つの女の影を感じ、焦り、アレッタは手をビシっと上げた。

 

「エレは、ワタシと結婚しましタ!!」


 体勢を崩すエレの体を体で押すようにすり寄り、更に手を伸ばす。


「ヤメテ欲しいでス!!」 


 口を面倒臭そうに結ぶエレの周りには、ふよふよと三人の影――薄桃色の髪と赤髪と茶髪の女性――が浮かぶ。

 キッと睨めど、どんな顔かは分からないから、最終的にはエレを抱きしめて叫んだ。


「エレは!! ワタシのなのですガ!!」


 細い腕がギチッとエレの体を締めつける。

 もはや抱擁というより、拘束だ。それほどまでにアレッタは力は強い。


「いつから俺はお前の所有物になったんだ」


 ぶつ、と呟き、シチューを美味しそうに頬張っている『女』を見つけて。


「アイツも女性だぞ。いいのか?」


 クイと手を動かすと、アレッタは一瞬だけ術士の方を向いたが、すぐに腹部に顔を擦りつけた。


「アイツ嫌いだから!! イイ!!」


【ングッ!?――ゲホッ――なっ――なぁっ!? なにを!】

 

「それに、勝ってル!!」


「……何が?」






「女としての魅力」






 真剣な顔で流暢に言われ、エレは思わず吹き出してしまう。

 そして当然、ピシャリと空気が凍り付いた。

 


 ――あ。

 


 今頃、発言の撤回はできぬと悟る。

 エレの心の内を代弁するならば「あ、しまった」というもの。

 笑ってしまったということは――そのような意図がなくとも――アレッタの言葉に同意したということになるのだ。


【誰が魅力がないだとぉ!? ふざけるな! このちんちくりん!】

 

「ふざけてなイ! お前キライ!」 


 くぅぅっ、と薬缶が沸騰したような唸り。


【いいさ! 私はプロシオスが目的だからな! お前なぞ付属品に過ぎんのだ】


「エレ! そんな変な名前じゃなイ! そんな呼びにくくナイ!」


【呼びやすいだろうが――】


 他人の名前の呼び方で盛り上がる子どもたち。

 こちらに火の粉がかからなくてよかった、と安堵をして、何か言葉を挟む訳でもなく、ただ見守る。



「……」



 術士が指を指して拙い暴言を吐き、アレッタが軽く流しながら毒を吐いて。

 食器を持って流し台へ来ようとする術士に、来るナ! と叫んで威嚇をする。


 見守っている理由は、疲れたから……という訳でもない。

 喧騒から一歩引くと、頭が急激に冷める。

 クリアになってしまうのだ。


 だから、激しくも、稚拙に、それでも素直に本音をぶつけ合う二人を見て――重ねてしまった。 

 

 つまらないことではあるんだ。

 ほんとうに、つまらないこと。


 昔の仲間たちはこんなことで言い合いなんてしなかった……なんて。




      ◇◆◇




 昔は勇者一党に憧れていた――いや、今でも少しは憧れているかもしれないが。


 少人数で悪に立ち向かう正義の剣。

 かっこいいではないか。とても。

 限界にまで引き絞られた精鋭たち。大衆に支えられ、彼らは己の魂を燃やして旅を続ける。


 どんな待遇下で旅をしていたという現実を知っていたとしても、それはやはり薄れることもない憧れなのだ。

 


 たとえ、長旅の恨みや辛みや愚痴ばかりの会話でも。

 腹を割っての話し合いもしたこともなくても。

 数秒後には全員が死んでいるかもしれない状況にあっても。

 次第に、会話も笑顔も失われていったとしても。

 


 憧れてしまうのだ。それが、綺麗だったから。



 でも、憧れは、憧れでしかない。


 遠く、手の届かない場所にある煌びやかな財宝に手を伸ばしてる状態が、一番楽しいのだと知っている。

 実際、そうであったのだから。



 憧れの人になっても、それは綺麗に装飾を重ねた自分でしかない。

 大人になって、心が作り変えられる訳でもない。

 沢山の装飾品と見惚れるほどの衣装に体を拘束されて、身動きが取れず、自分を押し殺して、職務に全うするだけの自分でしかなかったのだ。


 だから、この「憧れ」は子どもの頃に読み聞かされた話と、成功体験が頭にこびり付いているだけ。

 それが膨らんで、膨らんで、上澄みだけを掬って「憧れ」になっている。


 


「……そうだな」

 



 冴えた頭というのは勝手に今と昔を比較して、現状の自分の立ち位置を再確認して、次に取るべき行動を頭の中が勝手に道を示してくる。


 昔はこうだったから。

 今がこうだから。

 どっちが明るくて、やりがいがあって。

 活き活きとしていたか。

 どちらが楽しいか、と言われると。

 やっぱり。それは――……。



  

「――エレもなにか言っテ!」




【――プロシオスもなにか言ってくれ!】




 気が付くとアレッタが上目遣いでこちらを見上げ、術士が苦そうな顔でこちらを涙目で見つめていた。

 いつの間にか話し合いが終わっていたらしい――……けど。


 なんだろうか。


 空っぽな頭の中に、いきなり飛び込んできたそれらの情報は……言うなれば、致命的一撃クリティカルのようにエレの心に突き刺さった。


「……」


 どんな話になったかは分からない。

 術士が言い負けて、アレッタが勝ったような気もするが。

 そんなことよりも、この心の中にある感情は……。


「……ははっ」


 普通の会話。

 普通の食事。


 オモシロい奴と、喧しい奴と。

 ただ、数日、過ごしただけ。

 煌びやかな衣装を着飾っていた時間の方が長かったというのに。


 家に住んで、寝て、起きて、買い物に行く。

 それが、こんなに――楽しいと思えるなんて。



「なんだよ、その顔……ははっ!」



 エレが、零れるように笑った。


 たまにある、何気ない日常のことを何故か覚えている。

 それが、今日の今、この時の光景なのだろう。




      ◆◇◆




 青年のような面影を残した――かつての英雄が顎を引いて笑った。

 白い歯が見えて、首が傾き、ふわりと黒髪が揺れる。小刻みに肩が揺れ、くつくつ、と笑う。

 たったそれだけのことだと言うのに、憧れの人の笑顔に二人はくぎ付けになっていた。


「……エレ、楽しいの?」

 

 思わず聞いた。

 なんで笑ったのか分からなかったから。

 だって、これは当たり前の日常で――……。



「……あぁ、そうだな。楽しいな」



 笑い終えた後の、ふわ、と緩んだ表情。

 青年のような顔から、一転したその顔はアレッタの頬を紅く染めた。


 薄く開いた瞳。 

 笑い疲れたように細く長く息を吸う唇。

 笑顔から戻り切っていない緩んだ口角。


 目を通して入ってくるその情報に、アレッタは思わず顔を伏せて。すぐに顔を伏せたのを後悔するように、ゆっくりと上げた。


「そっか……そっカ!」と納得したように呟く。


 明るさというのは、やはり伝播する。

 エレよりも明るい表情で笑う少女は、抱き着いていた力を強める。


「だったら、こんな生活を続けよウ! きっと、もっと笑えル!」 


 希望に胸躍るような表情で笑う少女。

 アレッタは、今まで感じていた心のモヤモヤが晴れたような気がした。


【ま、まったく、人の顔で笑うなんて失礼な話だぞ!】


 照れた顔を隠すように腕を組み、ふんっ、と鼻を鳴らす術士。

 そんな二人にエレも優しく微笑み――

 


「……こんな生活が続けばいい」


 

 ――言葉を反芻し、笑顔を薄めていく。



「でも、そうさせてはくれないんだ」


「え……なんデ? だっテ」

 

 術士とアレッタの視線を受け、エレは口元に人差し指を立てた。


 エレは、気づいていた。

 数秒前から聞こえてきていた、家に近づく足音を。


 鎧の擦れる音。

 重量感のある足音が一つ。

 武器を携帯しているのか、足音の他に金属にぶつかる軽い音が何度も響く。


 こんな所に全身装備フルプレートで来る――ということは。

 真鍮のドアノブが引かれ、銀色の鉄靴が木の床を軋ませる。



「――なぁ、そうだろ?」



 エレの言葉を受け、英雄たる風貌を崩さずにヘルムを脱いだその男。

 長い赤髪が揺れ、切れ長の目で見据える先は、かつての仲間。

 円卓のジョウンとは違う威圧感のある男は、現在の勇者一党の前線を務める――



「……



 英雄の一人だった。

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灯火の守護者――亜人神官のアレッタちゃんは、勇者一党から追放されたあの人の傷を治したイ!―― 久遠ノト @effenote

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