あけぼの①




 雪降り積もり、神殿内は身を切るような寒さだった。


 広く開けた空間を見上げ、ふぅ、と息を吐く。

 白い息が、白い空間に溶けていく。


 神殿内での特別な役職を与える授与式。

 それが終われば、礼拝堂で神への祈りを捧げていた。

 


「…………っと、久しいな」



 『夕の祈り』――いや、『仕事始めの祈り』と言うべきか。

 それとも、神様に「ただいま」というための祈りか。

 この祈りが何の祈りか分類ができないのは、仕方ない。



「水垢離でもしてる気分だ。この季節の神殿ここは、ほんとうにしんどい……神官サマは大変だな」



 エレは神官でも無ければ、神を称える信徒でもない。


 神に祈りを捧げるという行為自体、神殿に引き取られた時にやっていたほどだ。

 それ以降は教会や神殿で祈ったことはない。


 神殿に引き取られ、

 仕方なく祈りを捧げ、

 やがて奇跡を使えるようになり、

 神官ではなく斥候として冒険者になった。


 これのどこが、敬虔な信徒だというのか。


「よいしょ……あぁ、腰痛い」


 ただ、祈りたかったから祈った。

 それで罷り通るのだ。

 まったくもって都合の良い話だ。



「こんな邪な奴に祈られて、神さんも大変だな」



 寒さを体の外へ出すように、ふぅ、と息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。

 神殿内に拘束されて、はや一週間が経っていた。




      ◆◇◆




 雪のような白床を歩いて、席が立ち並ぶ礼拝堂を抜けていく。


 円柱が列になって並んで天井を支えている広間。

 左右の上に目を向ければ人の行き来ができる二階。 

 そこから更に上に目を向けると、神々の戦いを筆致な絵で描いている天井が見えた。


「…………ウオ、懐かしい」


 神代の戦い。

 善なる神と、悪なる神が起こした戦争。

 秩序を守る者達と、

 混沌を広める者達の己が正義のぶつかり合い。

 大地を歩き、栄える者達の生みの親の戦いの様子。


「久々に見ると荘厳だな。どうやって描いたんだろ、アレ」


 灯りから薄っすらと見えるそれらを眺めながら進んでいると天井が途切れ、開けた場所でエレは足を止めた。


「……っと」


 天井が他の場所よりも高く、天井が半球形の広間だった。


 神殿に入ってすぐにあるその場所は、明るさを取り込むために天井の一番上が特殊な硝子となっていた。

 外が真っ暗闇であっても仄かな明かりを捉え、神殿内に明かりを差し込ませる。


 けれど、外は月明かりも太陽の明かりさえ昇っていないのか、エレの持つ角灯ランタンの灯りしかそこにはなく。



(……くら)



 音も、灯りもない。

 自分しかいない場所。


「…………」


 そこに立っていると、エレはを重ねて思い出した。



 暗くて、先の見えない。


 地面は水面のように凪いでいて

 その暗がりを挟んだ向こうには

 見えない世界が広がるような。


 それはエレの立っている場所からは見えず。

 誰からも認識もできず。

 この空間は、この空間だけでないような不思議な感覚。


 下の黒く、

 けれどどこか白っぽくもあった水面からは手が伸びてきた。

 後ろや上、斜めからも声が聞こえてきていた。


 つまりは、どこにもあって、どこにもない。

 そこにはあって、そこにはない。

 そんな空間だった。


 そんな空間を、思い出した。




「…………あのまま一緒に行けば、死ねたのか?」




 答えを求めていると言われれば、否定をするだろう。

 ただの意味もない疑問だ。


 床を見ても、床があるだけ。

 壁を見ても、壁があるだけ。

 亡者の手が伸びてくることも

 声が聞こえてくることもない。


 しばしその床を見つめ、歩き出した。

 カツカツと鳴る足音は『なに感傷的になっているんだか』と吐き捨てているようだった。


 

(――――まぁ……でも)



 どれだけ深刻な空想主義だろうが。

 魔族と亜人という善なる神が作っていない者達に情けをかけていようが。


「俺はまだ、神様に見放されてないらしい」


 対話を望めば、対話を受け入れ。

 願えば奇跡を授けて下さった。


 いい意味での放任主義。

 悪い意味での干渉主義。

 そんな神様に、教えてくれたことへの感謝を捧げる。




「――――死ねるなら、命を大事にさせてもらいます」



 

 


 あのまま亡者の手を取って、身を委ねると死ねれる。

 自分は、自分の意思で死ぬことが出来る。

 それが分かれば、今回の祈りの収穫はあったと言える。


「――…………」

 

 けれど、分からないことも増えた。


 久々の神との対話を終え、四段ほど階段を降りて、上を見上げて――


 神々を模した彫刻を目に入れた。

 善なる神と悪なる神の戦いの決着はついていない。

 現代の互いの神の子らに委ねられた、と聞いた。 


 ということは、神が望んでいるのだ。

 決着を付けろ、と。

 この長い戦いを終結させろ、と。



「……分からん」



 エレの家にも飾っている、神々の戦いの絵。

 けれど、考えれば考えるほど、分からないのだ。



「……何を考えてるんだか」

 


 エレは魔族を殺せなかった。

 挙句、魔族と人族の子どもである亜人を匿った。


 

 エレは思う。



 ――俺は、神様あんたの奇跡を使う資格があるのか、と。



 決着を望む神に背く行為をしたというのにまだ奇跡は使わせてもらっている。

 神の情けか。

 それとも、神はエレを必要としているのか。

 だったら…………何をすればいい? 

 


「…………神のみぞ知る……か」



 それはそうだ。

 神の考えを只人が分かる訳もない。



「あぁ、頭痛くなってきた」



 ただ「こんな邪なやつでも祝福してくれんだから神は寛大だな」と思っていれば、神を疑わずに済むのだ。




      ◆◇◆




「って……起きてたんですね」


「えぇ、早く起きました。私の好きな季節ですから」


 神殿を後にすると、そこにはゆったりとした神官衣に身を包んでいる人影が空を見上げていた。


 褐色肌で、切れ長の目で、透明感のある黒髪の男性。

 手に持っているのは、先端が太陽のような形を模している黒と金色の錫杖。

 彼はこの神殿を預かっているディセムだ。


 

「冬至から寒さが退くまでの間は寒くて、暗くて。……灯りがよく見えるんですよ」



 だから好きなんです――と再び空を見上げた。


 暗い空から白い雪が突如として現れ、落ちて、また現れる。

 月明りも、日の明かりもまだ届かないこの場所の光源は、神殿の傍の街灯しかなく。


「……」


 灯りと言っていた割に、暗がりを見つめる神殿長に小首を傾げた。


「で。寝てない理由は?」


「はて、ぐっすりでしたが」


「寝起きで錫杖それ持って出たことなかったろうに。仕事の時にしか持ち歩かない……何年、アンタと一緒にいたと思ってるんだ」


「一番最初にホームから出て行きましたからね……10年くらいですか?」


「8年だ。それでも、アンタをずっと横で見てきた」


 目聡いエレの言葉に口元を、ふ、と緩めた。


「まぁ、方々ほうぼうへの断りをしてたと」


「……面倒ごとをかけてるようで」


「面倒ごとを解決するだけで、息子が帰ってくるなら上等な僥倖でしょう」


 エレを神殿内に置く。

 そのことを独断で決定し、神殿内から反発を喰らっていた。


「まぁ、貴方が気にするほどのことではありませんよ」



 ――国賊を置くなど、正気ですか!?

 ――あなたは、神に仕える信徒ではないのですか!?



 神殿を預かるディセムに対して、そう声を荒げたのは若い神官達だった。


 階級なんて気にしないのは若く猛々しいからか。

 もっとも、そういう風潮を許しているのは神殿長自らなのだけれども。


 その多くは『他の街への示しがつかない』ということが念頭にある。

 神官の立ち位置や、体裁を気にする者達は酷く拒んでいた。


 たった一人の只人を恐れる大の大人たちというのは、これまた不可思議なものだが。


 とまれ、神殿長の案は通った。

 神殿長の影響力なればこそだ。


 治外法権紛いな街作りの下地を作った経験というのは、若い神官の意見の口を噤ませるのに十分過ぎた。

 


「アンタに負担をかけるのはさすがに遠慮する。何か手伝うことはあるか?」



 けれど、エレがどう思うかは別だ。

 アレッタを連れて行く時に挨拶をしなかった理由にも通ずる話。神殿を預かる者の仕事の量は、エレが幼い頃によく見てきていた。

 規模の大きい神殿の長の背中は、あまりにも大きすぎる。


「ありません。最近は楽なんですよ。それに、お手伝いは二人もいりません」


「…………そうか」


「自分ができる仕事を受けている。それで潰れるのなら、きっと私は力量の見定めすらできない愚か者なのでしょう」


「楽をしようっていう思いはないんだな」


「ふふ、私より疲れてる息子に言われましてもねぇ。祈りは久しぶりだったんでしょう? 今日は、ゆっくり休みなさい」


 回りくどく、心配ご無用、と。

 けれど、心配するなと言われて「そうか」と切り上げるほど社交辞令に疎い訳ではない――

 そんなことを考えていそうなエレを顔を見て。


「…………不良なものが積もれば、その身に害が及ぶ。そんなことを聞いたことがあります」


 ぱらぱらと降る雪を受け止めるように、褐色の手を上に向けた。


「では、雪はどうでしょうか?」


 突然始まった問答。

 言い換えれば、話題変更だ。


「……寒いのは害では」


「そうですかね?」


「そうでしょうとも」


「雪を見て燥ぐ子どもらはどうですか? 害、だと思ってはいないのでは?」


「そのくせ、よく風邪ひいて、家族に迷惑かけるじゃないですか」


「では、私にとっては?」


「知りませんが」


「私は好きです」


「そーですか」


「でしたら、西の王にとっては」


「年寄りには寒さは堪えるでしょう」


「ならば、害、ですかね」


 くく、と笑うディセム。


「ただ……雪は、寒いだけではないですよ?」

 

 問題の解釈を少し広げる言葉。

 エレには珍しく視野狭窄に『雪は寒い』と決めつけて害だと宣ったものだから。

 

「白色が好きな人には雪は害ではないでしょう。

 積もれば積もる程、美しく、綺麗で。

 儚げなモノが好きな人にとっては、

 朝日に焼かれて溶け出す雪は益ではないですか? 

 固めれば造形もできる。

 雪降る中でしかできない遊戯もありましょう」


「……何かのたとえ話ですか」


「どう感じるのかはお任せします。ただ、エレが傷ついていないといいと思いまして」


 ディセムの言葉に、エレは首を傾げる。


「俺が?」


「先日、元気なお爺さんが神殿に訪れまして。丁度、エレは席を外している時でしたが」


 あぁ――と思い当たるようなエレの微細な表情の変化を神殿長は見逃さなかった。


「責め立ててくれる人がいるだけ幸せものだ。それに……慣れてる」


 淡々と話すエレに、

 ディセムは「いいえ」と優しく否定をした。 

 

「傷つかない人はいません。取り繕うのが上手いだけです」


 神様だって傷つき、心を痛ませるのですから。神に作られた只人の貴方が傷つかない訳がありません。


「…………」


 その話はあまりにもご尤もに聞こえて。

 けれど、受け止めたら傷ついていると認めることになりそうで。

 エレは、口を少しだけ歪ませて、目を細めるだけに留める。


 そんな不器用なエレを見て、神殿長は笑った。


「それでは、話しは終わりにしましょうか。年寄りの話というのは聞いていてつまらないでしょうし。寒さは、害、ですものね」


「話がまだ済んでない」


「済んでいますよ。私にとって、仕事は不良なものではない。そういうことです」

 

 パッと明るい表情で話を切り上げて、エレの横を通り過ぎて神殿内に入っていこうとする。


 エレは自分よりも大きなディセムが通り過ぎる中、少し、思っていたことを口にする。


  

「――――……俺は……邪魔じゃないか?」



 気の重い話だ。

 神殿の威光に頼り、駆け込んだ国賊。

 邪魔じゃない訳がない。

 息子の言葉に、ディセムは目を丸くした。



「あー……いいや、なんでもない。忘れてくれ」



「珍しいですね。あなたが、そんな」



「……ちょっと、考えさせられることばかりあった」



 難しい話だ。

 ほんとうに、難しい話だ。

 考えるのも億劫になるほどの。 




      ◆◇◆




 神代の教えに則り、神の教えに背いた者。

 只人だというのに、殺せど死なぬ者。

 勇者一党から追放され、国賊になった者。

 そして、魔族の母親から生まれた亜人の娘を保護する者。


「…………そうですか」

 

 妙にしおらしかった理由はそれか、と。

 神殿長にはどんな思いを積もらせているかは分からないが、それはきっと不良な物なのだろうと。


 そんなエレを前に、「そうですねぇ」という言葉を始めに。



「エレは手のかからない子でした。弱みを見せず、教えていないのにいつの間にか神と対話をし始めて。神殿の仕事を勝手に受け、冒険者になるといってホームを飛び出して。……それがいつの間にか、蒼銀等級の冒険者様です」



「そうか」



「しかし、手のかからない子ほど、つまらないものはないですよ。たった数年生きただけでこの先の人生を達観したように、自分一人でなんでもできると思ってるみたいで不安も



 これは、あくまでも私個人の話ですが。

 ニコニコしたままでそう言われ、エレは思い当たることがあるのか、


「……」


 手持無沙汰を誤魔化すように神殿の階段に積もった雪を足で、ス、と払う。


 手のかからない子はつまらない。

 ならば、手のかかる子は――いや、果たして、対となっているのか。



「そうか。これは、むずかしい」



 今の俺は、どうだ? 

 手のかかる奴か? 

 手のかかる少女は抱え込んでいるけれど、俺自身は。


「むずかしく考えるからですよ。簡単に考えれば、簡単な自分の結論が出てきます」


 斥候として長く生きてきて、力を抜くことなんてなかった。

 最悪を考え、最善の行動をしていた。

 けれども、簡単に考えてみると……そうか、これか。


「…………ほどほど」


 エレは、まとまった自分なりの結論を口にする。


「迷惑にならない程度に、お世話にならせてもらおうかな」


「そんな小難しいことができるんですか?」


「できるようになる、予定、ではある」


「期待しておきますね」


 ディセムの言葉に目尻を下げて笑うエレの顔。

 そんなエレの背後に、こんな早朝だというのに人影が見えた。



「あぁ、丁度いい時頃だ。エレ、お迎えが見えましたよ」



 ディセムの言葉に振り返ると、円柱の影に白髪の少女の姿。

 少し会わなかっただけだというのに、なんだか懐かしく思えた。


 いや、そんな思いに浸っていい場合じゃない。


 少女が被っているのは昔にエレが使っていた、もこもこしている厚手のマントだ。

 確かに彼女の角は隠せれるかもしれないが……。



「エレ! おわっタ?」



 ニコリと笑った時の八重歯がキラリと光った。

 そして、頭の上には、雪玉の三つや四つ作れそうなほど雪が積もっていた。

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