あけぼの②





 トトトと近づいてきたアレッタのフードの雪をはたはたと落とし、頬をつねった。


「いふぁイ、エウェ……」


「うるさい」


「つねるのいたイ……」

 

 真っ赤になった頬に手を当てて、しょんぼりしてるアレッタに、


「街に入ってきたらダメだろ」


 と小さく言うと


「だっテ」


 と駄々をこねられる。




 街に来て、亜人だとバレたら大変なことになる。


 ただでさえ、今は神経質な人が多いのだから――そのほとんどはエレの責任なのだが――あまり火に油を注ぐようなことはしてはならないのだ。 


 久々の再開の感情が冷めるほどの注意を、神殿長を背中に向けて一頻すると。



「エレ……ちょっト」



 屈んでいたエレの小耳に桜色の唇を近づけて。


「あのひと、ダレ?」


「はぁ?」


「きらきらな神官衣着てる、おおきいヒト」


 この街に来た時に色々と説明を受けたのではないか。

 顔は覚えていないと言っていたけれども。

 まさか本当だとは思わなかった。


「……はぁ」


 説明するのも面倒だと、エレは神殿長の方を振り返って説明を促す。

 育ての親を顎で使う息子越しに、アレッタへ会釈をするように首を傾げて。


「ディセム・オラキュテ・グリム・ミラネロフォ・アニマ、私の名前です。覚えてくださいね、可愛らしい神官様」


「長イ!」


「お前……」

 

「あら。でしたら、ディセムと呼んでいただけると」


「あんたもか」


 礼儀にとやかく言うつもりはないが、と小言を零す、とやかく言いたげなエレ。


 そんな心配を他所に、神殿長はまったく気にしていない様子。

 むしろ、子どもと接するような優しい口調で。


「神官様のことは何と呼べばよろしいでしょうか?」


「アレッタと申す者でス、ワタシ」


 特徴的なディセムの自己紹介を真似て、エレの後ろに引っ込んだ。


 そう言えば、アレッタが他の人と話している姿はそうそう見ない。

 顰め面で可憐な翼イカロスと話しているのは見たことがあるが、あれはエレの元を引き離すことを目的とした依頼の話が主要だった。


 ただの他愛のない会話だったら、こんな感じなのか。


「……おい」


「オ?」


 エレの腰帯をギュッと握り、もう片方の手で帽子を上から抑えている。

 そんなアレッタに「知ってたら悪いが」と前置きをして忠告を。


「あの人、ここの神殿長だぞ」


「ウェ!?」


 やはり知らなかったらしい。

 神殿にいる、何かよく話す司祭――神官と同等の階位の聖職者――だと思っていたのだろう。


「あーあ、やっちまったなアレッタ。もうこの神殿に出禁だ」


「ウァ……あ、あのぅ……アレッタ……でス」


「はい。よろしくお願いします」


 出てきたアレッタにニコリと会釈したのが、その時ばかりは皮肉めいていて。

 おそらく、神殿長であると立場を表出しなかったのだろう。ディセムは得てして、そういう人物なのだ。

 


「じゃあ、改めて挨拶も終わったし、帰るか。腹減ってるだろ」



「エ、でも……マダ」



「あの人は、まだ仕事がある」


 そう言ってディセムの方を見やり、アレッタの姿をその視線から遮るように立った。


「高位の神官の邪魔をするもんじゃない」


 亜人の姿のままのアレッタを、神殿長に近づけるのはあまり宜しくない。

 アレッタの背中を両手で優しく抑えて。首だけで振り返った。


「ってことで帰らせてもらいます、殿


 最後に役職で呼び、簡単に頭を下げた。


 エレは先日、神殿で新たな役職を貰った。

 国賊である自分を隠す、薄く、煌びやかな外套を。

 だからこそ感謝を込めて、役職名で呼んだ。


 その意図を受け取り、神殿長は右手を左胸にあて、左足を軽く引いて。

 


「はい、守護者フェクトゥス様。お足元にお気をつけて」



 新しく就任した司教ビショップ級の役職の者へ、挨拶を送る。


「帰るだけですよ」


「であっても」


 ふふ、と微笑む神殿長の姿を見送り、エレは新たな役職を背負い、亜人少女神官と共に歩き出した。

 



      ◆◇◆


 


「さすがに一週間は我慢できなかったか」


「ン?」


「なんでもない」


 エレの新しい家は神殿よりも更に東。街から数キロも離れている場所に建てられている。

 大きな湖の畔に建てた、一人暮らしには大きな家屋だ。

 麗水の海港よりも死霊術士と戦った村からの方が近いほど距離感で……。


「……あ、いや。むしろ、一週間も我慢できたのはいい方か」


 その間、食事とかも自分たちでしていたんだろうし。

 狩猟のやり方は、この街に来るまでに教えたから……。


「待て……アレッタ、いつからあそこにいた?」


「ちょっと前カラ!」


「…………人の目には?」


「ダイジョウブ」


「信じていいな?」


「任せテ」


 自信満々に胸を張ったアレッタに、それ以上の詮索はやめた。

 考えても仕方がないことだ。考えることは他にも無限にあるのだから。


 とりあえずは、荷物のことが気になる。マルコに家の中に運んでもらったが、荷解きはまだ済んでいない。

 それをアレッタがやってくれているとは考えにくい。むしろ、その逆で――……。


「……」


 うん、これ以上考えるのは止めよう。胃のためにも。


「そういえば、あいつは?」


「アイツ?」


「あの、変な髪の」


「ずっと寝てル」


「そ」


 ――死霊術士が襲撃したあの日のあと。

 

 勇者一党から追放されたことを伝えると、術士は動かなくなった。

 茫然自失。

 それもそうだ、あの術士は勇者一党に憧れ、勇者一党に入るために旅を続けてきたのだ。


 気紛れか、それとも情けか。

 エレは、そのまま置いておくことはせず、とりあえず家の方に運んどいてくれとアレッタに頼んでおいた。


 有り得ない程、皺の寄った顔をしていたアレッタに「わがまま」という体で頼んだが、素直に聞いてくれたらしい。


 ――それにしても、魔族と亜人、か。


 隣にいるアレッタを見て、スと視線を戻した。



「どうしたの、エレ?」



「なにが」



「さっき見たでショ!」



 顔を見上げてくる白と蜜柑色の神官は、エレの横を何不自由なくトトトと歩く。


 普段なら「なにもない」と会話を打ち切るところだが、感傷的になったのが尾を引いているのか。


「……楽しいか、最近は」 


「楽しイ!」


 間髪入れずに返されて、器用な斥候殿が不器用な沈黙を作る。

 とりあえず「そうか」と相槌を打とうとしたら「でも」と遮られて。



「もっと楽しいこと、できル!」



 パァッと明るい表情を向けられて、言葉を飲み込んだ。

 昨日の今日でそんな明るい表情になれるならば、それは偽りではないのだろう。


 それに、往々にして『明るさ』や『温かい』は伝播するものである。


 隣に、太陽がいるのならば、なおのこと。


「そうかな」


「ソウ!」


「なら、楽しみにしとくか」


「ン!」


 彼らの歩く先に見える高い山の向こう、日の明かりが後光となっていた。

 まだ、角灯を消すような時間じゃない。

 まだ、暗い。まだまだ、暗い。




「……」




 エレの持つ角灯の明かりに照らされ、街路に薄く伸びる二人の影。

 その影の一つが止まった。


「……ウヒヒ」


「んだよ」

 

 足を止めて笑ったアレッタに、エレも足を止める。


「ン~?」


 角灯をカチャと寄せ、アレッタを照らす。

 仄かに照らされた少女神官は手を後ろにして、なんとも上機嫌に鼻歌を歌う。


「気づいてル?」


「……? 帽子、かぶってる」


「服じゃないヨゥ」


「あー……お腹痛いとか」


「ンヒヒ、はずレ!」


「そか、じゃあ分からん」


 困り顔を浮かべる冷めた態度のエレの横につく。

 二人は歩き出した。


 少しだけ歩き、アレッタはまた止まった。

 エレが面倒臭そうに振り返り、待つ。



「……やっぱりダ」



 小さくそう呟く少女の瞳は可愛らしくも淫靡に光り、溶けるように顔を緩ませる。

 そんな鼻歌でも歌ってしまいそうな気分を落ち着かせようと、エレから貰ったマフラーに顔を埋めた。

 

「さっきからなにをしてんだか。……帰るぞ、アレッタ」


「ウン!」


 意気揚々と返事をして、エレの後ろをテテテとついていく。

 二人は、また、歩き出した。



 エレは気が付いているのだろうか。



 最初、二人が出会った時と比べて、歩調がゆっくりとなっていることに。


 アレッタが小走りをしなくてもいいようになったことに。


 時折、早く歩くことがあるが、それもすぐにゆっくりに戻してくれることに。


 アレッタは気が付いている。

 その不器用なやさしさに。



「エレは、最近楽しイ?」



 灯火よりも眩い笑顔で笑う少女。

 先ほどのエレの質問を返したつもり。



「……さいきんかぁ」



 エレは考える「ここ最近で楽しいことがあっただろうか」と。


 不幸の連続だったような気もする。

 ここ数か月は明らかに『楽しい』感情なんて抱いてはいけないような日々だったと思う。


 隣にいた何年と旅してきた仲間達は消え。

 護るべきだった者達も消えて。

 綺麗な外套も剥がされ。

 継ぎ接ぎだらけの体が露になって。

 


「――……まぁ」



 そう言いながら、隣に目を向ける。

 そこには、こてん、と首を傾げる小さな少女の姿。

 

 この少女を見ていたら、不思議と、なぜか、どうして――真っ黒だった世界に色が付くような気がする。


 これが『楽しい』という感情だとしたら、言うべき答えはこれだろうか。


 エレは明るくなった先に目を向けて、小さく呟く。



「……おかげさまで」


 

 

 第一章・人類希望の灯火ゲヌス・ストラティオ――完。

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