風前の灯火①





 開いた傷口から雪道へ落ちる。

 赤赤しい鮮血が白を塗り潰すかの如く流れ落ちていく。

 着ていた上着を強くあてがうが、あまりにも傷口が大きすぎる。


「……っ!」


 息が荒くなる。

 顔色は死までの秒数を教えるように、刻一刻と青ざめていく。


「エレ……!」


「……なんでっ――なんで、ここに来た!?」


「だ、だって……エレ、戦ってるって聞いたカラ……!」


 ふら、と体勢を変えながら立ち上がろうとするエレに向かって、唱喝の詩人は先んじて言葉を飛ばす。


【傷を治すな】


「……っくそ」


 目を少し見開き、歯をギリッと軋ませるエレ。

 思った通りの好反応に影を愉快げに揺らめかせ、風穴があいた腹部を抑える仇敵を見据えた。


「人質……のつもりか?」


【そうであるとも。人類の灯火よ】


「……お前、やっぱり厄介だな」


 賢く、思慮深い。

 エレの痛いところを突いた言葉だ。


 息の根を止めようとすれば、人質を殺す。

 そうすれば、何も出来ない。

 それを理解した敵というものは想像以上に厄介だ。


 エレの速度であれば、認識できぬ間に無力に出来るだろう。

 だが、それも、生きる者が前提での話。

 不死者である以上、無力化は適わない。



「……ぅ、ふぅ……っつ」



 呼吸法で痛痒を抑えながら、エレは横で焦る術士を視界の端で見て、視線を切った。



(こいつは……関係ない)



 唱喝の詩人への強制力が術士にはない。

 戦う気がない術士に対し、最後まで戦おうとしていたのは召喚された魔族達だった。

 あれは、演技ではない。


 ということは、召喚を解くこともできず、指示も出来ない可能性も考慮した方が無難――……。



「あーぁ、ほんっと、厄介だ……!」



 油断をしていた。

 この術士は優秀で、

 全ての魔族を管轄内に置いていて、

 言うことを聞かすことが出来る。

 そう思っていたというのに。


 それが、使役する獣の手綱を握れない術士だとは。




      ◆◇◆




【ははっ、惨めだなぁ、坊や。痛かろうに……。だが、その様子を見て確信したぞ】


 唱喝の詩人は仮説を立てていた。

 エレがなぜ死なないのかと言う理由を。


【どうやって息を吹き返したかは分からんが】


 ユラユラと指を動かす影は、込み上げてきた笑いを噛み殺しながら。


【……貴様は誰も見ていない状況であれば、致命傷であっても治せれるのだろう?】


 初手の衝撃波で左腕を飛ばした。

 集中砲火では四肢は千切れ、頭部はすり潰されていた。

 それらの実証は、エレが傷を負うことの証明であり――治ったところは誰も見ていないという裏付けになっている。


【そしてなにより、治そうという意思が必要。それも自らで切り替えができるのではないか?】


 眼窩に揺らめく炎は、エレの傷が治るタイミングを見定める。

 確かに誰にも見られていなかったのはそうだ。

 が、明らかに、意図的なタイミングで傷を治しているように思える。

 治そうという意思がそこに内在しているのだろう。

 


 ――つまりは、その対も存在しているということ。

 


 この、人類の希望の心を折ればいい。

 そうすれば、



 ――あぁ、なんて簡単な話なのだろうか。


  

 唄をうたうなら、その喉を。

 足が速いのなら、その足を。

 再生するのなら、その再生する機会を。

 奪え。奪ってしまえばいい。 


 それだけではない。

 エレの再生するタイミングは相手が油断した瞬間、もしくは、相手が注意を逸らした瞬間だ。


 これは、さらに簡単だ。


 その意図的なタイミングを与えなければいい。

 


「……畜生が」


 金の糸に縫い込まれた眼窩を精一杯開いて――

 エレの反応で湧き上がる愉悦に少しだけ薄める。


【減らず口なぞいくらでも叩けばいい。そうしなくば、痛みに耐えられないのだろう? 私はそこまで畜生ではないからな。……なに、本契約が済めば、すぐに殺してやる】


 ニタリと笑む。

 勝った、という確信がその顔の裏に見える。




 この瞬間に「術士と契約を結んだ理由」の全てが詰まっていた。


 最初、契約の話を持ち掛けられたときはつまらない話だと切り捨てていた。

 しかし「本契約が正式に履行すれば、生前と同じ程度の力を扱えれる」と話をされたら乗らない魔族はいない。


 唱喝の詩人の口端から熱の蒸気が立ち上る。

 

【契約の話に乗って良かった。本当に、良かった!】


 声色は、純粋無垢な子どものようで。


【あの日に不躾に館に乗り込んできた奴を――あの日に私を殺してきた相手を――あの日に放てなかった最大出力の技で――跡形もなく吹き飛ばすことが出来るのだから!!】




「――ヤメロ!」




 興奮していた唱喝の詩人の耳に、アレッタの声が飛び込んできた。

 

【――……】 

 

 いい気分だったというのに、水を差された気分だ。

 ジロと手の中でもがいている我が子を睨んだ。

 母親に睨まれ、アレッタは顔を恐怖に歪ませた。

 過去の記憶がよみがえってきたのだ。


「ッ……ァ」


 影となっても母の面影は残っている。

 

 あの日からアレッタがどれだけ成長をしていても、母に対して口答えをする権利などは手に入れてない。


 母が只人を殺す場面など、死にたくなるほど見させられた。

 勇猛果敢に館に入って来た只人は、全員、全員が母に食べられていった。


 その邪魔をしようものなら矛先がアレッタに向き、何日も癒えない傷を負ったこともある。

 泣けば口を塞がれ、

 叩かれ、

 傷が治せなかったら鼓膜を破られた。


  

【――なにか、言ったか?】


 

 引き付けでも起こしたかのように、アレッタは体を仰け反らせた。

 徐々に顔を下げていく。

 その娘の姿を見て、再びエレに視線を戻そうとして――



「エレハ……」



 手を強く握られた。

 再び見ると、娘は怯えながらも、蜜柑色の瞳を真っすぐ向けていた。



「エレは、傷だらけ……なんダ! 酷いことをするナ!」



 興奮した猫のように息を荒くし、母がこれからするであろう仕打ちの恐怖に必死に打ち勝とうとする。

 しかし、返ってきた反応は、アレッタの予想とは真反対だった。



【……何を言っているんだ? アレッタ】


 

 ――娘の言葉に、母は疑問を口にする。





 続いた言葉に、アレッタの顔を絶望が覆った。

 口から、困惑が零れた。


 だって、その唱喝の詩人の様子は――優しくも慈愛に満ちた母親のような声だったのだ。



「なに……いっテ」



 蜜柑色の太陽に、大きな雲がかかる。

 

【コイツがお前を奪い、人の世に連れ出したからだ】


 母なのだから、当然だろう。

 娘が連れ出されたのだから、連れ戻すのは当然のこと。


 その言葉には『愛情』というよりも『憐み』『嘲けり』それらの感情が含まれている。


 誰でもわかることだ。


 唱喝の詩人は「娘を護る」――



【外に出るのは怖かったろう? ……世外で生きていけるほど、お前は強くないものな】


 あくまでも、優しい母親のような言葉で。


【待っていなさい。今、助けてあげるから】


 人形を愛でるような、仮初の慈愛が満ちた声で。


「ワタシ……ちがウ!」


 母の服を手繰り寄せるようにアレッタは手を伸ばすが、影を掴めずに空を切る。

 唱喝の詩人は、自分の体の表面を掬った娘の手を掴み上げた。

 


「!? や、ヤメッ」



【なにが、違うんだい? だって、自分の醜い姿まで隠しているじゃないか――】



 抵抗しようとしたアレッタの頭に長い手を被せて。



【――解呪せよディスペル



 光が灯り、次第に失われていく。


 そして見えたのは――――角。


 歪に曲がった細長い、黒とマリーゴールドの色が混じった角だった。

 その本来の姿を見て、唱喝の詩人は笑い声を歯の隙間から零す。

 

【ほら! よく見て見ろ、只人! お前を欺いていた化けの皮、剥いでやったぞ】


 エレの瞳に映るのは、あの調度品から出てきた時のままの――怯え、恐れ、震えている小さな色白の少女の姿だった。




      ◆◇◆




「……その、姿」


 立ち尽くしたまま、エレは凝視している。

 何が起こっているのか、頭の中が整理できていないようだ。


【その様子だと、コイツは本当に上手く隠していたようだな】


 掴んでいたアレッタの体を揺らし、頭をコツンと指で弾いた。


【自分が醜い化け物と知っているからかな?】


 口元から血を伝う娘を片手に、唱喝の詩人はニタリと笑った。


「ア、レッタ……が?」


【そう。まさに。こいつは、只人にもなれず魔族にもなれない半端者。貴様らの言葉で言うならば《穢れた血フォールンブラッド》と言えばいいか?】


 エレの目が僅かに大きくなるのを感じ、饒舌になった唱喝の詩人は大きく手を広げて、笑むように影を揺らした。



【分かったようだな。《穢れた血フォールンブラッド》《不幸を運ぶ者インフォルトゥーファニウム》《人魔模糊エラントゥ》《神に背く者ペッカートゥムモータル》――分かりやすく言うならば、《亜人デミ・ヒューマン》だ】



 亜人。

 魔族と人族の間に生まれた、混血児。

 人としても、魔族としても生きていくことは出来ない存在。

 魔族のように何かに特別秀でている訳でもなく、

 人族のように特段理性が備わっている訳でもない。


 亜人の歴史は、差別という言葉が着いて回る。


 文化の違いで馴染めず、

 容姿が異なることで忌避され、

 人族が持っていない力を持つことで恐れられてきた歴史だ。


 

 それが、アレッタで。

 姿を隠して、エレの元まで来て。



【……まさに、不幸を運んだ訳だ】



 現実を直視できない様子のエレの姿を見て、唱喝の詩人ムシクスは口角をぐにゃりと歪めた。




      ◆◇◆




【……おい、術士。その短剣を持ってこい】


【で、でも】


【死は救済なのだろう? だったら】


 こいつも救ってやらねばなるまい? 


【……っ】


 術士はエレとその足元に落ちている短剣を交互に見やった。

 エレはその視線に気が付いて鈍い動作で顔を上げた。視線が交差する。



「……」



【ぷろしおす……】



 拾い上げようとしても拒まれもせず、術士は短剣を恐る恐る拾い、二人の元へとゆっくりと歩いていく。


 何度振り返り見ても、固まったままのかつての英雄。


 混乱、寂寞、まるで魂が抜け落ちたようだ。

 そこにあって、そこにはない。

 戦闘中の覇気などは、もうそこにはなかった。


 短剣が唱喝の詩人の元に届くと本契約が履行された。

 唱喝の詩人の影が大きく膨らむ。元の大きさにまで戻った彼女は、ふむ、と体を眺めた。


 喜びからか、アレッタを握る手がグッと強まる。

 徐々に、段々と、グググと頑丈であるはずの体が軋む。



「ィ、あ、ヤメッ――」



 殺される。

 本能でそう思って、アレッタは抜け出そうとして。



【……ほんとうに、ありがとう。アレッタ】



 短剣を撫でる母からの感謝の言葉に、体が止められた。

 そして、続いた言葉は、さらに鎖のようにアレッタの体を縛り付けた。




【――――




 母が娘を褒めるような。

 よくやった、と頭を撫でるような声色。


 けれど、その視線はエレの方に向けられたままだ。

 褒められているというのに、血が上がっていく感覚がアレッタに軽い眩暈を引き起こす。


「なにを……言っテ」


 撫でたつもりの母の手が、アレッタの胸内を掻き毟る。

 

「ワタシ……ちゃんと」


 不快感に満ちる胸を上から押さえつけて、アレッタは顔をエレの方にゆっくりと向けた。


「……ちゃ、んと、やってきタ」


 エレの体を治すために。

 神官がいないから傷を癒せない、救ってくれた人を救うために。


 何年も、勉強して。

 会う日を心待ちにして。

 そして、ようやく会えたんだ。

 今、アレッタが立っている場所は、念願の場所なのだ。



「ワタシ、ちゃんとやってタ……やって、きタ」



 何度も口にする。

 自分に言い聞かせるように。

 自分のことを抑え付ける母親に向けて、抵抗し、呟くように。


 母親に強制されて生きてきた久遠に続いていた日々ではない。

 自らでしたいことをして、頑張ってきた、長いようで短かった日々だ。

 それは、無駄ではないんだと。


 そんな娘の言葉を、母親は――受け入れた。



【あぁ。



 賞賛を口にする。



【お前が、只人ヒュームと共に過ごせるという淡い期待を抱いて……この男と一緒にいてくれたから。手に綴っていた《ことば》の効果を残したまま、な】

 


 娘の行いを、褒めたたえる。

 、と。



「チガウ……チガウッ!」


【なにが違う?】


「ワタシ、は……エレの傷を治したくテ!」


 娘は、必死に震える声で訴えて。

 母親は、その頭を優しく撫でて。



【――で、亜人のお前が、只人の傷を治せたのか?】



 アレッタの反応に、母はほくそ笑んだ。


 治せていないのは明らか。


 エレの体を見て見ろ。

 未だ多くの包帯に覆われているじゃないか。

 館に訪れた時よりも増えて、見るだけで痛痛しい。



【良い言い訳を考えたものだ。感心するぞ。傷を治すと近づけば、警戒心も薄れるものな】


「……チガウ」


 ――違う。


「チガウ……!」


 ――違う、違う!!


 アレッタは力強く否定する。


 私は、エレを救うためにやってきたのだと。

 私は、エレを護るために頑張ってきたのだと。

 けれど。いや、そうだとしても。――……。


 

「……ぁ」



 ……



「あ……ワタ、シ……」


 エレに会おうと頑張った日々。

 エレを探しに場所も分からずに放浪した日々。

 そして、ようやく出会って、旅に連れて行ってもらって。

 冒険者の依頼を達成して、一緒にご飯を食べて。

 仲間になろうと必死に努力して。

 

 そんな



「ヤダ……エレの。それは、エレを」



 アレッタは、体の中が黒く淀んでいくように感じた。


 楽しかった思い出が、全て、母親の声によって不快な色へと染めあげられていく感覚。


 エレの声やエレの体温も。

 美味しかった手作りの料理も。

 幌馬車から見える綺麗な風景も。

 努力してきたあのツライ日々も。

 初めてエレに出会った時の顔も。


 全部――全部が――本当の家族と過ごしているような時間が――楽しかったあの日々が、異様な姿へ変わっていく。



「お前のじゃなイ……ワタシは、エレのために……っ」



 喉元に伸ばす小枝のような手を母は優しく掴んで。



【言ったろう? お前は《不幸を運ぶ者インフォルトゥーファニウム》なのだと】


 アレッタは『日々』を取り戻すために縋るように声を振り絞る。

 だが、その『日々』を取り上げて、唱喝の詩人は喜びの声を上げた。



【ほんとうに、お前を産み落としてよかった! ありがとう、《不幸を運ぶ者アレッタ》】



「――ッ!」



 もう、彼女の口腔の前には、マナが集まっていた。 

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