人類の灯火①




 叫んだ術士の声が歓声のように森林中に反響していく。

 返答が返ってくるまでその場に残り続けるはずの言葉は、


 ――ズボッ。

 

 木の枝が投げ落したなんともチンケな雪の音でかき消された。

 

【…………アレ?】 


 首を傾げる術士から離れたところで、エレはすくりと立った。


【あ、あのぅ……不絶の灯火プロシオス様ー? いないのかー?】


「……聞き間違いじゃなかったのか」


【あ! 今! 微かに声が聞こえた! えっ、いる? います?】


 村の近くであせあせと呼びかける術士を、エレは見下ろす。


「……」


 不要になった『糸』――大蜘蛛の粘着糸と龍種の尻尾の毛を配合し、上から《ことば》で強度を高めたモノ――をいくつか回収しながら、木枝の上に降り立った。


不絶の灯火プロシオス、ぷろしおす、ぷろ? 塩、酢……。そう呼ばれてんのか)


 一気に熱が消え去った気がした。

 これが作戦だったとしたら大成功だ。


(まぁ、二つ名くらい勝手に作られるか。名前を名乗り上げて戦いを挑むわけでもないし)


 勝手に魔族を殺し、勝手に領土を闊歩する同族ではない者達。

 情報を交換する時に呼ぶ名前が必要。

 二つ名が着くのも当然のことだ。


(だったら、他の三人も変な名前で呼ばれてんのか……)


【ぷ、プロシオス様ー! 話をしようー! あっ、様って言われるのってあまり好きじゃない……?】


 別にそこが突っかかっている訳ではないのだが。


【えぇっと、私は戦う気がないんだ! っというか、もっと無くなった! 最初とか途中まであったのはあったけど……と、とりあえず、話を! 話をさせてくれ!】


(またなんか言ってる)


【頼む! 話を――】


「あーあ……また傷が増えた」


 術士の言葉を耳に入れずにエレは体の具合を確かめる。

 太腿当たりの包帯に血が滲んでいた。

 はぁ、とため息をつくと――首筋が粟立つ感覚。


【そこか、見つけたぞ――《師伏ノ唄ドクトル・モルス》】


 熱光線が唱喝の詩人ムシクスから放たれた。


「――その術、言いにくそうだよな」


 俊敏に別の木の上にまで移動をしていく。



「戦う気は無いっていいながら、普通に攻撃してくる……」



 演技という考えが浮かぶ。

 けれど、同情を誘おうとしているとは考えにくい。

 術士はそこまで器用ではない気がする。

 だが、使役している魔族に攻撃されたのは事実だ。


(……まぁ、考えても仕方ないか)


 場所もバレた。

 見たことのない術を使う個体だったから、ゆっくりとしていたが……もうその必要はない。


「覚えた……次は対処できる」


 今後、同様の術を使う術士が現れても大丈夫だ。


「――……だけど」


 ひょいと木から木へ移る最中、彼女が放った熱光線の方を振り返った。

 宿り木を貫き、溶かしている。

 威力は上等。技の豊富さも上等。探知も上等。

 総じて――



「優秀な奴」



 召喚魔族の評価を最後に改めながら、あれほど死霊を扱う術士本人の評価を『高度な術士』に認定。


「ふっ」


 穏やかに笑うと、木から宙に姿を晒した。

 ふわりと浮かんだエレは手を広げる。

 その口端はゆるやかな弧を描いていた。



「――――取りこぼした魔族。目覚めたてノービスじゃあないのは確定だな」


 ならば、この術士と同等の存在はそうそう出てこないということになる。


 魔族の社会に仲間意識なんて生ぬるい感情はない。

 術の情報共有なんてもってのほかだ。

 目覚めたてノービスでこの術士ほどの水準がゴロゴロいるならば、早急にとりかかった方がいいと思っていたが。

 まだ、少しばかりの猶予がある――……。


【――――】


 浮かんでいたエレに唱喝の詩人ムシクスが照準を絞ったのを見て、再び姿を消した。

 その消え方は、糸を使って消ってできるような消え方ではない。


 まるで、見えない何かに連れ去られたような。

 神様が姿隠しをしたような――そんな消え方だった。




     ◆◇◆



 

【また、消えっ……】

 

 どうやったのかも分からない。

 空中でなら速度の変化などもできず、着地の衝撃がどこかから聞こえてくるはずだというのに、それらが一切ない。


 赤い瞳を血走らせるように燃やし――影だから、厳密に言えば瞳ではないのだが――口前にマナを凝縮させている状態で首を回し、エレの姿を探している。


 木々の間を移動をしている音は聞こえてきた。

 葉が地面に落ちてくる光景も見える。


 だが、肝心な姿が見えない。



「――――行くぞ」



 ドサッと質量ある音と声が背後から聞こえ、

 振り向きながら熱光線を放とうとすると――


【――ッ!?】

 

 顎が下から押し上げられて口内で熱光線が爆発。

 頭部が吹き飛び、影が血液のように散り散りになっていった。


 その時、辛うじて見えた音の正体は……血屍ノ狼デスルーヴの死体だった。

 冴え冴えとした空気に高温度の湯気が燻る。


「――っと、前も同じことをやったっけか」


 その下で、エレは奪われていた短剣を拾い上げた。


「行くぞと言って、その方向から来る訳がないだろーが。……これ、また貰うぞ」


 頭部が無い状態で倒れ込んできた巨体を、手にしたばかりの短剣で切り伏せる。

 バラッと影が霧散をして、地面の雪に解けるように消えて行った。


【――――】


【――――】


 間合い内に現れたエレを阻止すべく、術士の影から出てきたのは凍土の城主と山窩の長。


「オ」


 猫背の男は両手に構えた武器を振るい、

 大男は大楯で押しつぶそうとその巨体で圧し掛かってきた。


【あっ、まっ、ちょっ――】


 二体を止めようとする術士だったが、それよりも早くエレが動いた。



「一瞬で出し入れ可能なのか……!」



 エレは自身の体躯の三倍ほどの大きさの大楯を見上げ、

 キロッと横に出てきた長に大きく見開いた目を向けた。


「――ふ」


 口元を綻ばせ、一瞬だけ重心を後ろに下げて引き付ける。

 顎先をビュンと風を切ったのは、歪んだ刀。

 次の一撃は、跳躍からの振り下ろしのよう。


「ンでも、その後だな――」


 大楯で地面を起こしながら接近する凍土の城主の視界から消え、背後に回り、無防備な背中を短剣で切り結んだ――


「護る対象から離れてどうする」


 流れるような動きで無駄に高く跳躍している山窩の長を見上げ、面白くなさそうに口を開く。


「お前も、論外――」


 空中に浮かんでいた影に武器を向けて、振るった。


「速いだけのお前が、そんなに飛ぶなって」


 だが、身軽な山窩の長は空中で身を翻して避け……遠くへ体勢を崩したまま落下。


【ちょ、言うことを――】


「……そうだな。お前とはケリを付けないといけないと思ってたんだ」


 近くに落とした二本の歪んだ刀を握ろうとする長の前で……エレは神を心半ばで信仰する者のように指を適当複雑に絡ませた。


「――


 言葉を発さない山窩の長が、一瞬、恐怖で身を強張らせたのが見えた。 



《地在りて、天は存在す。

 光在りて、闇は存在す。

 我らが光の信徒なれば、邪の者こそ瞭然と在り。

 なればこそ、

 侵す邪の者を払うを大義を負うのは我らぞ――》



 エレの声で、奇跡が唱えられる。

 その向かいで長が武器を握って、

 雪道を駆けようとして――ズルッと横転をした。


【――――】


 山窩の長は焦っている。

 彼は分かっていたのだ。

 召喚された魔族と術士を苦しめていた


 止めようと今度はしっかりと地面を踏み、エレの元に一直線に伸びる。



《――相反するモノを分かつものよ、

 開け、

 天空の垣根を越えて、

 捧げるように降り注げ――》



 首元にもう一歩で届く――

 その瞬間、エレが一歩下がった。


【――――】


 その隙間に降り注いだのは凍土の城主の大楯。

 城主は、エレを盾で押しつぶそうとしたのだ。


【――――!?】


 エレの喉元を狙うどころか、自分の攻撃が跳ね返って長は喉元に刀が刺さったまま空中に吹き飛んでいった。


 

「――ありがと」



 エレは盾と城主の腕の間で、大きな影を見上げて笑った。

 次の瞬間には、周囲が『白』に包まれた。


 これは、光だ。

 太陽の光だ。


 術士を蝕んでいた、光の奇跡だ。


 

《――――『浄化の光パージ』》



 奇跡に貫かれた山窩の長と城主は浄化され、

 地面に落ちる時には塵になっていた。




     ◆◇◆




「…………」


 一瞬にして二体を戦闘不能にしたエレは、身動ぎをしていた死霊術士の前にまでゆっくりと歩み寄っていく。

 

【あ、あのっ、プロシオス……】


「……」


【話を、聞いて……】


 怯え切った影に近づいてその直前で止まると、抜き身の短剣を器用に回し、片手で黒布を解いて黒い瞳を外へ出した。

 見えた瞳に浮かぶのは殺意の滲む、暗闇のようにどんよりとした暗いもので。


【わ、私はお前の敵じゃないんだ。信じてくれ!】

 

「ならまず、後ろのやつの再生を止めろ」


【は、はいっ!】


 打てば響くように、回復していた二体の魔族にマナを注ぎ入れるのを止めた。


【これで、敵対してないとわかっ――】


「まだだ」


【ど、ど、ど、どどどうしたら信じてくれる!? カネか、いや、あのプロシオスのことだ……なんだ……包帯、とかか? いや、なんだ。なんだ! なんだ!?】


 疑問、焦り、訴え――エレは『なんだ』の上手な使い方には特には触れずに。



「――本体を出せ。お前が本体じゃないだろ」



【え?】



「俺は、姿を隠したまま交渉をするような奴のことを信じる気は無い。無害であると訴えたいなら、出て来い」



 微量にあった殺気なぞ途中からまるっきり感じなくなった。

 アレが演技ならばそれだけで食って行けそうだが、エレは本心であると感じた。



「本気で戦ってなかったろ」



 そもそも、最初に首を飛ばした時から違和感はあったのだ。


 その中でもこの術士が本体ではないと明確に感じたのは、先程の凍土の城主が護るべき対処から離れて倒しにきた時か。


 ――これは、生前の彼ならすることはない行動だ。


 ということは、護るよりも攻撃に転じた方がメリットがあったと考えるのが普通。


 召喚主である術士を全力で護る必要がない。ということは、と想像がつく。


 これで、永遠に盾を構えなかった説明が着く。



「何か話したいことがあるんじゃないか、話してみろ」


 これを却下すれば、その場で殺せばいい。

 抜き身の刀が、エレの足の横で冷たく光って――


【そ、そんなことでいいのか!? ほんとに!?】


「――!」


 グイッとエレに詰め寄った術士のフードの中を始めて見た。

 真っ黒だ。

 やはり、長や城主のように影だったようだ。


「あ、あぁ」


 エレは思わず口角を引き攣らせた。

 姿も本心も隠す気がない。

 こいつ……本当に、戦う気がないのか。


「……お前、色々と凄いな」


【~っ 凄いっ! 褒められた! えっ、うわぁ! あっ、そうだ、本体ですね! 待ってて。今、変わります――】


 褒められたと勘違いした術士は声色が明るくなり、エレの目の前で一瞬にして霧へと変わり――

 同じタイミングで村の方からチラと小さな影が顔を覗かせた。



【で、出て行っていいかー……?】



「いいから」



【わ、私の顔を見ても笑わないかー……変って言わないかぁー?】



「はやく」



 どうせ、皮膚を切って貼った動く死体のような見た目をしているんだろうし――……。



 けれど、その予想は裏切られた。



 ひょっこりと顔を覗かせて、踏み慣らされた道を素足で走ってきた者の顔を見て「は」と声が零れる。

 混乱をしている間にもエレの近くに歩み寄ってきて、フードを被ったままの小さな者はエレの顔を覗き込んだ。



【どうした? プロシオス……変な顔をしてるぞ?】


 

 走るたびにかぶりが揺れ、髪の色や肌の色が垣間見えていた。

 今こそ桜色の唇しか見えないが、それだけでもこの術士が普通の死霊術士ではないと証明をしている。



【も、もしかして、私の顔……変だったか?】



 上目遣い――かぶりによって影になっていて見えないが――をするエレは、恐る恐るといった様子で術士が被っていたかぶりの端を持ち、軽く持ち上げた。 



「……顔っていうか、お前」



 年端のいかない顔は、活発な少女らしい見た目をしており、瞳はラピスラズリのような綺麗な瑠璃色をしている。

 生えている歯は獰猛な野生生物の歯に酷似していて、ギザギザだ。


 だが、そこまでは、まぁ、驚きはしたが、という程度のもので。


 その上を見ようと、かぶりをグイと持ち上げると、術士の髪は風に煽られた。


「……髪」


【オ?】


「髪……変だな、お前」


 その言葉に頬を紅く染め、術士はキュゥゥと喉を唸らせた。

 ふわりとたなびくその髪は、長らく切っていないようでフードに収まっていたのが不思議なほど長く。


【――――変だって言わないって約束したじゃないかっ!】


 右が淡い栗色、左が黒色と左右で二色髪になっていたのだ。

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