不死者の襲撃①




 息を切らせ、神官衣の少女が走る。


 村の外れが近づいてくる。

 風景が歪んでぼやける。

 そんな靄がかかった瞳を晴らそうともせず、ただひたすらに走る、走る、走る。

 その顔には恐怖がべったりと張り付いていた。


 心臓が張り裂けんばかりに胸打つ。


 目をひたすらに前を向かせ、後ろを振り返る力なぞに少ない体力を割り当てるわけにはいかない。

 いかないけれど、脳裏に浮かぶ背後の惨状に歯を軋ませた。



「はぁっ……ぁっ!」



 飛び散った血が、

 食い散らかされた体が、

 当たり前の風景にこびりつく。


 いつも目にする家屋が、

 家畜小屋が、

 田畑の柵が、

 鮮血に溺れていく。


 前触れなく、不死者の大群が押し寄せて村人を蹂躙していった。

 統率の取れない村人とはいえ、全力で逃げれば不死者の歩く速度に対して、逃げ遅れることないなどないはずだった。


 だったら何故、襲われたのか。

 そんなの決まっている。


 襲撃が成功してしまったのは、不死者の統率が取れていたのだ。


 逃げろという言葉に背中を押されて走り出した少女の目に辛うじて映った――不死者の最奥に立っていた、かぶりを被っている人型の姿。


 あれは、あれは……不死者を操る死霊術士だった。




 円卓でクラディウスが話した「魔族が攻撃的になった」という話。


 それは《麗水ノ海港》より東に位置する村や街からの報告を元にしたものだった。それも、徒党を組んでの襲撃も幾らか報告がされているのだと。


 それでも国民は、勇者一党が無事に帰ってきたのだから大丈夫だと信じていた。

 対抗しうる存在がいるのだから、どこかでその勢いは止まるのだろうと思っていた。




「……いやだ、いやだ……っ!」


 けれど、少女らが当然として送るはずだった日常を――人が失うべきではない尊厳を、最大限、踏みにじり汚していった。


 不死者が土足で踏み荒らしている大地は、昨日まで自分たちが歩いていた場所なのだ。



 脇腹が痛む。

 向かい風に揺れる新官衣が体力をじわじわと持っていく。

 せき切る息が空中に絶えず散っていく。

 白い悪魔が足に絡みつき、体温を優しく奪っていく。



 除雪が済んでいない雪道というのは、これほどまでに走りにくいものなのか。



 止まってしまいたい、止まったらだめだ。

 もう走れない、走れなくとも走るのだ。

 村を外れてどこに行く、とりあえず走るのだ。



 ぼやけていた視界が込み上げてきたもので更にぼやけ始めて、形となって頬に伝う。



「誰か……っ、誰か……ぁっ!」



 声を絞り出す。

 肺が痛い。

 冬の寒々とした空気は針のように肺に突き刺さる。


 けれども、先の見えない未来へ体力を投資するならば、誰かに助けを求める方が良いと判断した。


 それがたとえ、現実的には相応しくない判断だとしても、心の蟠りを掬ってくれた。


 今は、ただただ希望が欲しかった。

 だが、その行為を嘲笑うかのようにカタカタと骨が鳴る軽い音と金属が擦れる音が耳に入ってくる。

 


「なんっ――で!」



 不死者がなんでこうも早く走れるの? 

 おかしい。おかしい。話に聞いていたのと違う!

 だって、彼らはそんな。村を襲った時はそんなに早く動けてなかったのに。


 私の体力がもう限界なの?

 足が遅くなっているの? 

 それでも、なんで!


 その刹那、少女の背中に熱いものが走った。

 


「――いっ! あぁっ!?」



 目を向けると、矢が左肩を貫いていた。

 純白の神官衣にじわりと咲いていく赤い華。

 崩された体勢の下、雪の冷たさが神官衣をジンッと侵食していく。



「なんでっ、今なの……」



 それまでも矢を放っていたというのに、このタイミングで命中させてきた。

 弓兵の骸骨は、生きていればガッツポーズでもしてしまいそうな愉悦感に、カタカタと下顎骨を揺らして鳴らす。


 息を荒げ、体勢を立て直しながらすっかり青ざめている唇を噛みしめて力を振り絞った。


「にげ、ないと。はやく、もっと、遠くへ……!」


「――GRRRRRRR!!!」


「ひっ!?」


 再び走り出そうとした少女に伸びる、黒い影。


 追撃しようと不死者の群れの間を縫ってでてきたのは――

 口端からは肌色の指が見え隠れをしており、漆黒の体の至る所には血を被ったように毛並みが赤く染まっている怪物――血屍ノ狼デスルーヴ



 その姿を見た少女は、脳裏に鮮明にある光景が蘇った。



 逃げろと叫んだ兄へと飛びかかり、喉元を食いちぎって死体を投げ飛ばした魔物の姿。

 あの村へと先んじて襲撃してきたのは、あの動く死体だ。


 ……大好きな兄を食ろうたのは、あの血屍ノ狼デスルーヴだった。


 今まで漠然としていた恐怖が、一気に鮮明な形へと成った。



「はっ、はっ……! 誰かぁ!」



 少女が走った道を倍の速さで駆ける血屍ノ狼デスルーヴの体は、胴や頭部の皮膚が剥がれて肉が見えている。

 まき散らすそのニオイは、鼻を塞いでしまいたくなるほどの腐臭と獣臭さと泥臭さが混じったもの。

 それに合わさるように食い散らかした血肉を被っているのだから、放つニオイは他の不死者の者よりもキツい。


 背中を追われる少女の鼻にも届くそのニオイは、新たな恐怖として脳のみそに訴えかけてくる。



「だれかっ」



 ――逃げろ!



「おねがい……!」



 ――逃げろ! 逃げろ!



 内から響く少女の声を、狼の咆哮が塗り潰す。


 足を取られるはずの雪道を狼は滑るように追いかける。

 村の教会で修練をしているとはいえ、少女だ。

 あっと言う間にその黒い死は背中へと届くだろう。


 少女の口が渇く。喉に何かがつっかかっている。

 冬真中だというのに、背中はびっしりと冷や汗に濡れている。

 ただ逃げることしか出来ないという無力感が足を震わせる。


 ニオイが迫ってくる。放たれた矢が背中に突き刺さる。

 ニオイが迫ってくる。軽快で規則的な地面を駆ける音と共に、咆哮ハウリングが届く。



 ――あぁ、もうだめだ。



 そんな思いが頭に過る。

 少女は神官ではあったが、魔物――それも不死者アンデッドに有効とされる奇跡は授かっていない。

 傷を治すことはできても、攻撃に転じることができない。


 走る振動の度に汗と血液が地面へと滴り落ちて、道となっていく。


 もうだめだ。もうだめなんだ。

 神様、すみません。

 私は、もう。


 少女は、背中に迫った死の足音から逃れるように目を閉じるとすぐに衝撃が全身に打ち寄せた。




     ◆◇◆




 酷いニオイが手の届く場所にあると感じた。

 ガギリと鋭い歯が噛み合う音も同時に感じた。


 だが、来るはずの痛みが無い……として少女は薄っすらと目を開く。



「――……ぁ」



 ぼやける視界の先には……

 装備を碌につけておらず、

 瞳を黒布で隠している黒髪の男性がいた。



「声が聞こえたから場所が分かった。頑張ったね」



 先程の衝撃は黒髪の男性の腕に抱きかかえられたときの衝撃だったのだ、と混乱する頭で理解をした。

 が、すぐにそれは目に飛び込んできた情報によって上書きをされる。


「……それ、血……」


 狼の噛みつきを防ぐために、男性が包帯だらけの腕を盾にしていたのだ。


 骨が砕かれる音。

 狼が唸る声。

 溢れ出した血液。


「――――」


 少女は、一瞬のうちに希望が薄れていくのを感じて咄嗟に奇跡を祈った。

 

《静なる者に動きを

 渇きを知る者に満ちを

 救済を求める者に生命の躍動を

 慈悲深き恩寵を》


 少女の嘆願に、男性は一瞬だけ寂しそうに笑んだ。

  


「《治癒ヒール》ッ!」



 少女の内にあるナニカがごっそりと削り取られる感覚になるが、その代わりに温かな光が男性を包む。


「はっ! はっ……これで、これでっ――っ!?」


 光が消え去ると、少女は瞠目した。


「なんっ……で。治って……」


 おかしい。

 私はしっかりと祈った。

 奇跡が発動できたのも目視した。なのに、なんで。

 


「ごめん、なさい……! もう一回、奇跡をっ」


 もう一度、祈れば――少女は神へ祈りを捧げようとして、のしかかってきた疲労感が少女の視界をグルンと曇り空へと向かせた。


 ――力が意識を引き連れて抜け落ちていこうとする感覚――


 数キロと恐怖から逃げてきた少女の体ではもう、神の御業は使うことが出来ないのだろう。


「意識、戻して」


 手から滑り落ちそうだった少女の体を、男性はグイと抱き寄せる。


「――ひっあ」


 耳元で声を頼りに、少女は意識を必死に掴んだ。


「はっ! はぁっ……す、すみぁせん……わたし……!」


「ごめんね。あとちょっとだけだから」


 そう言うと、男性が狼に食わせていた手を器用に回し、

 狼の歯を更に腕に食い込ませ、

 思いっきり地面に叩きつけた。


「わ」


 一瞬の無重力が少女の体を弄ぶと、その場にいた三名からぼたぼたと落ちた大量の鮮血が雪道をくぼませた。

 

【GAA……】


「……くっさいなぁ、こいつ」


 血屍ノ狼デスルーヴは白目を剥き、泡を吐いた。

 何が起こったかをその腐った頭で理解をする間もなく、死んでしまったようだ。


 脅威が去ったことをじわじわと体感すると、


「――あ」


 少女は思い出したかのように男性の腕の処置をしようと袖を捲った。

 不死者に噛まれた! 早くしないと、この人も、私を助けてくれたこの人が不死者にっ――

 


「は……やく、清めないと……!」



 だが、また少女は硬直をした。


「えっ」


 処置をしようとしていた手が止まる。

 先ほどまでだらんと力なく下げられていた腕の傷は、既に治っていたのだ。



「俺、頑丈だからさ。傷とか大丈夫なの」



 腕を見つめる荒い呼吸の少女をからかうように手をぷらぷらと遊ばせて見せた。

 ほらね。そう言う男性の表情は、不安を与えないようにと和やかなもので。


「不死者には……」


「ならないよ。アイツはそんな能力持ってない」


「でもっ」


「魔物事情は分かりやすいけど魔族事情は難しいもんね」


 そう言いながら男性は少女の稲穂色の頭をぽんぽんと撫でた。

 きょとんとしている少女だったが、不死者の軍勢の足音を微かに耳に捉えて、表情をまた強張らせる。


 体力はもう限界。

 足も動かない。

 逃げ切るとしても数キロの道なりを走る力なぞもう残ってはいない。


 ただ一つ、怯える感情から逃れるために、男性の肩を縋るように掴んでいた力だけが強まった。



「大丈夫だよ」

 

「え」


「大丈夫」



 少女が見上げてくる視線を感じながら、瞳を隠している男性は魔物軍勢の方を向いたまま帯剣をしていた針のような剣を抜いた。



「――見てて」



 不死者の群れに向かってツツと空間をなぞるように振るう。

 ピシッ、と空間を引き締める音が響くと、遠くに見えていた不死者の頭部は胴体から離れて落ちて行った。


 

「何回も一人で戦ってきた相手だ。だから、大丈夫」



 何が起きたのか分からないまま、少女は男性の武器を見つめる。


 流れるような文様が柄に入っている銀の武器。

 針のような見た目以外には、これといって何も特徴がないように思えるが。

 突然のことで頭が回っていない少女を他所に、黒髪の男性は一枚のスクロールの紐を器用にほどき始めた。


「質問、いい? 口は動くでしょ?」


「は、はい」


「生き残っているのは君だけ?」


「わからない、です。ほかにも……いるとは思うのですが」


「そう。でも、この方向に逃げてきたのは君だけかな」


 手に持っていたスクロールを離し、ばらっと伸びた紙面に描かれていた《ことば》が火を放つと、すぐさま少女の体を光が包んだ。


 奇跡とは異なるその光は、転移装置の時と同様の淡い光だった。

 少女の視界がブレる。

 男性の顔が歪んで、伸びて、暗闇が視界の両端から中央に架かっていく。

 

「あのっ、わたし……!」


 転移が完了するまでの間に、お礼を口にしようとした少女を止めるようにエレが口を開いた。


「ごめんね」


 何故、謝るのか。

 何故、そんな哀しそうな顔をしているのか。


「あ……」


 そんなことに意識を奪われていたら、気が付くと少女は《麗水ノ海港》まで転移していた。

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