天至一矢②




 そこには大地があった。


 草木が生えていた。


 緑があった。


 風だけが地上のものよりも冷たく、少しだけ強く。

 けれど、酸素は薄まっている訳ではなかった。


 雲が地面を這って移動していった。


 エレ達の足元は先程までの土や石が混ざった地面ではなく、石が組み合わされて造られた土台が見える。


「うぁ、まぶしっ!」


 《天至一矢アルキュラス》を何かに利用しようと話し始めたのは、ここ数年の話。


 天高いだけで、行き来できるのが一階部分だけというのはなんとも物寂しい――

 として、人類の叡智である《転移装置》を組み込み、上下に自由に行き来ができるようにしたのだ。


 もちろん有料であるし、訪れる理由もない。

 けれど、見栄を張りたがる人物は総じてこのような場所で何かをしたがる。


「――光の術だぁ、うあぁ……」


 落下の危険性などは張られた結界によって塞がれている。

 風も抑えられており、地上で話をするのとそう変わらない。


 安全面に考慮されたつくりであり、いつ来ても飽きない光景であることには間違いがないが、今日行われることをするだけなら冒険者組合でもできるのだ。



「転移装置。便利だな」


「いやいや、構って下さいよ」


「は?」


「え?」


「上ばっかり見てコケるなよ」


「うわ、急に優しい」


 エレは土台から草が生い茂る地面へと足を下ろした。


 雲が横からエレと男を貫くが、すぐに突き抜け、他の雲の元へと向かっていった。


 髪の毛が巻き上げられ、ぶんぶんっと首を振る。

 そうしていると大きな雲に隠れていたのか、土台の向こう側には大自然に囲まれてぽつりと一つ、人工的な円卓があった。


 そこに座っているのは、三人。


 会話もせずに分厚い本を読んでいる者。

 瞑目をして腕を組んでいる者。

 そして、エレ達に気が付いた様子で椅子からガタリと立ち上がった者が見えた。


 

「……遅刻はしてないはずなんだが」



 卓。人。

 それらが集まってすることは、やはり冒険者組合でも街路に座り込んでもできることのように思える。

 その考えはエレの向かい側から聞こえた声によって薄れていった。



「エレ~! 久しぶりーー!!」



 とても嬉しそうに机に手をついて、手を振ってくるのは紺色髪の小人ハーフリングの少女だ。


 少女の興奮したような声を聞き、他三人の視線が転移装置がある方へと集まる。

 一方でエレの隣にいた金髪の男性は、すでに集合している三人を見つけて思わず「あ」と驚きの声を上げた。



「僕、集合時間……間違えてました?」



「20分の遅刻だな」 



 腕を組んでいた者からのドスの利いた声に、額に汗を垂らして。



「やっべ……まじか」



 エレと時間があったかと思ったら、そもそも言い渡されていた集合時間が異なっていたらしい。


 無言のエレの眼差しを気まずそうに受け取り、

 男はテテテと音もたてずに円卓の空いている席に座って、

 さも最初からいたような雰囲気で溶け込んだ。


「あ、エレさーん。今来たんすか。遅いっすよぉ~」


 本来はこのようにしてエレが来るのを待っていたのだろう。

 



      ◆◇◆




「じゃあ、始めちまうか」


 獅子のような髪をたなびかせ、男が進行を促す。

 その視線を受け取った小人ハーフリングが、すくりと立ちあがった。



「はい。では、今回は集まっていただいて――って堅苦しい口上は無しにした方がいいわよね。だって、みんな顔を知ってるだし! でも、すぐに本題に入るのはなんだか味気ない気もするしー……」


「ほっほっほ……じゃあのぉ、好きな食べ物を一つずつ言っていく、というのはどうじゃ?」


「うわ! いいわね! じゃあ……自己紹介と、好きな食べ物を一つずつ言っていって! まずは、大遅刻をした金髪君から!」



 小人ハーフリングは含み笑いをして、金髪の男性の方を見やった。



「あー……そうっすねぇ。

 皆は知ってると思いますけんども、僕の名前はディクテオル。一応は、この円卓の中の……最年少で! 二大クランの一つの団長を務めてます。

 好きな食べ物は、海で取れる魚かなぁ。

 西区の大通沿いに最近できた店が出す『ガンバスアルアヒージョ』って洒落た料理がべらぼうに美味いんですよ。

 エレさんも、手が空いた時にでもどぞ」


「海産物は、あまり得意ではなくてな」


「みんなそーいうんですよ! まぁ、一回くらいは寄ってみてくださいな」


「あぁ」



 ディクテオルは「どーも」と敬礼をして、二大クランのもう一つの団長の方へと「どーぞ」と手を指す。


 飄々とした態度でのバトンの受け渡しに、赤髪の獅子はふんっと鼻を鳴らした。



「ジョウンだ。そこの若いのが建てたクランができるまではこの街の最大規模のクランの団長をしていた。

 好きな食べ物は――いわんとダメか?――ダメか。なら、肉、だな。ウチのが焼く肉が格別に美味い」


 私服での参加、との言い渡しはされなかったから、参加する者は全員が過ごしやすい普段着での参加となっている。

 ディクテオルは寒さが苦手だからともこもこした服を着ているが、ジョウンは全身鎧を身に着けている。


 真っ赤な髪に、鈍く光る深紅の鎧。


 それは最高級硬度を誇る、アダマンタイトの鎧だ。

 が、ヴァンドの者とは少し形状が異なる。

 ヴァンドが守ることに長けた鎧だとすれば、攻撃型とすればよいか。まさに、獅子がそこにいると感じさせるほどの出来栄えの鎧。


「……」


 挨拶が終わると、獰猛な獅子は腕を組んで瞳を閉じた。


 右に右にと時計回りで順番が回っているようなので、その右隣に座っていた隻眼の好々爺は撫で心地の良さそうな長髭を上から下へと撫でるようにして、



「なぁに、もう自己紹介なぞ何億回としてきたが。以前して、評判じゃったアレでいこうかのぉ」


 何をするのかを察知し「わぁ!」と小人族の少女が体を乗り出したのを、好々爺が目を薄く開いてニコリと笑った。


 ほっほっほ、と上機嫌に笑い、左手を下に、右手を上に構え――すっかりと皺が寄った手をパチンと打った。


 長髭を持った高齢男性から、マナが雪が舞うように現れて。

 


彼の名前をノミネイン

現したまえアパレッシオ



 《ことば》を口にすると、ディクテオルとジョウンの名前が金色の文字となって、それぞれの頭上に浮かんだ。

 金塊を溶かしてその滴る粒に筆を浸して文字を綴ったように、美しくも流動的。

 筆跡は個性が溢れており、文字が読めずとも誰の名前なのかが分かるようになっていた。


「これが僕の字っすか! ほぇ」


 ディクテオルは物腰柔らかそうで、その中でも真っすぐとした芯があるように。


「……」


 ジョウンは一つ一つに目を向ければ勢い任せで書き綴ったように粗削りであったが、全体的を捉えるように見るとバランスが取れてまとまっている。


 未だ、自己紹介をしていない二人とエレの頭上にはマナが集まっているだけで、その形を目まぐるしく変化させている。


 小人族の少女が「やっぱりいいわねコレ」と目に星を宿していると、隻眼の老爺の頭上のマナがピタリと止まり、名前を綴り出した。



「これで、ようやくわしの名前が言えるのぉ。

 ……わしの名前は、クラディウス。

 魔導学院の名誉学長――といってもただの老いぼれじゃ」



 揺らめくように金が名前を形どっていく。

 クラディウスの文字は完璧とも思えるほど精緻な字体だった。



「その証拠に、この円卓の中ではそこまで影響力はない――」



 クラディウスの近くに文字が浮かび「こんな場所で会議? 資料も配布できん欠陥空間でする会議に何の意味がある?」との形を保ち、一瞬にしてクラディウスの咳払いによって消えた。


 小人族はニマとした顔で睨み、クラディウスも片目だけを開けて応えた。



「――吹けば消えてしまうほどの発言力じゃ。好きな食べ物は、ジョウン氏と同じくお肉かの。魔導学院の学食はなにかと味が薄くてかなわんかった」


「だから、やめたのか?」


「かもしれんのぉ~、ほっほっほ」



 自分の立場を明確にしながら、ジョウンの茶々にもしっかりと応える。単調になりやすい自己紹介にユーモアを作り出した。

 空気にメリハリが生まれた流れで、クラディウスは隣の小人族にバトンを渡す。


「やっと私の自己紹介の番ね! 

 あっ、ゆっくりと喋るからこの頭の上の文字よろしくね? 

 ん! よし、私の名前はマーリーアーベールー……」


 口を大きく開けて発した自身の名前の後に頭上を見上げ、マリアベルは可憐な文字で名前が刻まれているのを確認をした。


 その字は、

 サンドウィッチが入っている竹籠を手に提げ

 花畑を少女がスキップをするような

 木々の間を妖精たちが笑いながら飛び渡るような

 負の感情が入り込むことが許されないような

 見る者全ての口端を一つ上に押し上げる字だ。

 

「ふふっ。……って、えーっと。マリアベルで――」


 また頭上の文字を見て、はにかむようにして笑い。



「ここら一帯の商業組合の組合長を任されているわ! 

 ちなみにこの場所での円卓会議をしようって話を出したのも私! みんなお金持ちなんだからたっくさんカネを落としていってね!! 

 あっ、好きな食べ物は卵でとじたスープで~」



「あれ? この前までは山菜とか言ってませんでしたっけ?」



「そーだけど、近所のおばあさんから頂いたスープが美味しかったの! タケノコも入っていたし、全体的に塩味だったのだけれど……あれは、そうね。おなかの中から温まるような味だったわ」



 最近寒くなってきたし、と顎を引いて笑う。

 そこで本来なら自己紹介は終わり、けれど四人はエレの頭上の形を留めていない金の水を見つめる。


 好きな食べ物こそ知らないが、名前はこの場にいる全員が知っている。

 四人が密かに気になっているのは、エレの字がどうなるかということだった。



「自己紹介……をするのは、なんだか変な気分になるな」


「エレさぁん、僕らもちゃぁんとやったんすよ~? なにひとりだけ楽しようとしてんすカ!」



 ディクテオルが口をすぼめてブーイングをして、マリアベルも乗っかるように「そーだそーだ」とガヤを入れてエレを困らす。

 

「減るもんでもないし、いいか。しがない冒険者をやっている……」


(へーそうなんですか! 知らなかったぁ!)

「――しがない? 蒼銀等級だってのに? 皮肉ですか?」

 

 笑顔のまま、ディクテオルはやいやいと騒ぎだてた。

 どうやら思ってたことと話すことが反対になったらしい。



「あー、ま。エレだ。よろしく?」



 名前を言ったと同時に、金の水がエレの上で形を作り出した。



 冒険者であるというのに生真面目に、とかく目を右から左へ流した時に何も突っかかりのない形をしていた。

 魔導学院の教本に書かれている字の如く丁寧で、至って遊びがない。


 文字としては完璧であるが、はたして冒険者の最上階級の男の個性を表す文字が『丁寧』であってもいいものなのか。


「えー、つまらないなぁ」


「……」


 ジョウンとディクテオルはつまらなさそうに普段の体勢に戻った。

 他二人はエレの自己紹介の続きが気になる様子で椅子の背もたれから背を浮かしている。



「好きな食べ物はー……そーだな。……鹿肉か? ここ数週間はそればっかり食ってたからな」



 面白みのない応えに、二人の背中もすっかりと背もたれにくっついてしまった。


 クラディウスとマリアベルが暗かった雰囲気を明るく話しやすいようにしたというのに。

 台無しだ。


「……はぁ」


 としても、二人が直接何らかの被害を被る訳ではない。


 なぜなら、今日、この場所で行われるものは――エレに直接関係のある話だからだ。


 卓があり、そこに人が座っている。

 四人が先に集まり、エレがその数分後に来る予定だったのなら、もはや何をするのかは明確だろう。



 ――勇者一党から追放された、拠り所のない強者をどうするか。



 そう、この場所で行われる話し合いは、エレが《麗水ノ海港》に住まうことの是非だった。

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