唄の聞こえる饗宴の館で

 



 そこには、誰も見たことのない光景が広がっていた。

 あぁ、そうだ。

 夢に見たこともない。……そんな空間だ。


 がらんと広がるその場所には手前から長卓が二列伸びており、

 その卓上には来客が思わず涎を滴らせてしまうほど魅力的な料理が並んでいる。

 これが、序の口なのだから。


 空中にはふよふよと仄かな光を発する球体が浮かんでいて、

 空間全体を妖精の燐光のようにキラキラと眩い光を宿させる――……。


 その下では、長卓を挟む形で貴顕紳士、淑女が何やら会話をしながら――何を話しているかは分からないけれど――料理を嗜んでいた。


 ゴブレットに始まる食器など、金銭的価値に疎い者が見ても「高価である」と分かるような装飾が施されており、それらが奥まで続いて途切れずに並んでいるのだ!


 ――一種の宴会場。


 もし、第三者がこの場所にいれば目の前の光景に唖然とし、口が閉じなくなるに違いない。


 事実、重厚な扉を開けて、それらを目にした彼らは口をあんぐりと開いていた。





「なんっ……さっきまではこんなんじゃなかったのに! こわっ!! こわ……こわいわ」


 汚れが一つもない杖を震える手で握っている赤髪の魔法使いは、叫ぶようにそう言った。


「こわい、こわい……えっ、なに、ほんと」


 目の前で起きていることが呑み込めず、

 輪郭の整っていて男性が好みそうな甘い顔立ちに、年齢相応の小皺が浮かぶ。


 そっと宴会場の敷居を跨ぎ、

 

「ウ」

 

 戻って、


「ウァ」


 ぷるぷると体を震わせる。

 その度に、胸部の穹窿が上下左右にたゆむ。


 それでも――と、勇ましく周りを睥睨しながらマナを練り上げているが、完全に腰が引けている状態だ。

 しまいには前にいる男性の鎧から顔を覗かせる形で警戒に当たるように。


「……なぁにビビってんだよ、ルートス」


「ビ、ビビってるですって!? ふざ、ふざっ」


 と言いかけて、スリット越しに見えた男の冷たい目に冷静さを強引に取り戻した。


「――確かに、確かによ? 心拍数は、通常時よりも、多少は……多少はね? 上がってるわ。それでも、緊張、っていう言葉の方が正しいと思うのよ、これは、そう。そのはずよ」


 完全に怯え切った様子の彼女だが、決して装備が弱いという訳ではない。

 むしろ、その逆だ。

 彼女の装備を金銭的価値に置き換えると、一介の魔法使いならば手が出ない程の装備をしている。


 だというのに……盾の後方に素早く回った。

 危機察知能力が秀でているとの評価もできるが……。


「……モンスターもいないし、なんの気配もない。……ここ、最奥の場所……であってるわよね? ねっ? ヴァンド!?」


「ちっと黙ってろ」


 尻上がりにボリュームが大きくなった金切り声に、不機嫌さを隠そうともせず。


「黙ってろって!? 酷くない!?」


「……深奥であるのは間違いねぇよ。あー……見てるだけで腹減ってきた」


 ヴァンドと呼ばれた屈強な男性は、

 自身の体よりも大きな盾を片手で握りながら、

 もう片方の手で鎧の上から腹を摩った。




 女魔法使いよりも重厚な装備で固めている彼の装備は傷が目立ち、衣類や装備は草臥れているように見えた。


 最前線に立っている彼の職業は重装騎士タンクであり、

 装備している鎧も全て最高硬度を誇る《アダマンタイト》を加工して作った一品だ。

 その輝きも連日の戦闘で、鈍く光るようになってしまったのだが。



「うぅ……やべぇ、腹の中に虫がいるみてぇだ……叫んでやがる」


「――この前食ったろーが、良いから中に入れ。扉、閉めんぞ」


「モスカ……。正気かよ、こんな場所に入りたくねぇよ、俺。腹減ってんだ。分かるだろ?――ぐぅぅぅ!――ほら、聞こえた! やっべぇだろ!? こんな状態で戦える訳もねぇっての」


「うるせぇ。入んだよ」


「俺、腹減ると口調が適当になるの。力が出ないの。分かってくれるかい?」


「分かると思うか?」


 そう言いながら、最後は語気を強めて、


「……魔王の幹部を殺す機会だ、逃す訳にはいかないんだ」


 ヴァンドを軽く蹴って、扉を閉めたのは金髪藍瞳の男性――モスカ。




 貴族のような顔立ちに横に流した金色の髪の毛。

 すらりと伸びた肢体を覆うのは、紅白の金属鎧。

 手にしているのは、蠱惑的に歪曲している刀で。

 それらの性能は四人の中で群を抜いて高いもの。


 だというのに後方で安全に警戒に当たり、持ち前の防具は傷一つ付いていない。

 いや、戦闘を完全に任せているのだ、傷がつくはずもない。


 ヴァンドは思う。


 ただの防具立てが歩いているようなものだ――と。




「へいへい。仲間の腹の様子よりも、敵を倒すのが最優先ですってな。勇者さんの思し召しのままに~」


 押されたまま、手の平をヒラヒラと動かして笑ってみせる。 


「ンにしても料理の数、過多じゃねぇか? 俺らの分もある? もしかして」


「過多どころじゃねぇよ……異様だ」


 「豪華」という名にふさわしい光景だが、誰も席にはついていない。それに、勇者一党に興味すら示していない。

 

「異様ねぇー……。いよういよぉう」


「……それ、面白いこと言ってるつもり?」


「どっかのばーさんがビビってるからな。和まそうと思ったんだ。年下に気を遣われる気分はどうだ?」


「呆れた。だから恋人の一人もいないのよ」


「へいへい。呆れたついでに周囲警戒しといてくれ」


 ルートスは杖を抱き寄せながら、前に目を据えた。


 天井に吊るされているシャンデリアは全く機能をしておらず、光球で代替をしている。

 それでも、暗闇を照らすには乏しい。

 限られた光源の下で、高貴な者らがわいやわいやと話をしているのだ。


 そもそも談笑をしている人影も、口が動いて声が聞こえているのに……


 

「《惑わしの術》の類……かな?」


「そうだな。人だけじゃない、料理も……この煌びやかな装飾も」


「かーっ!! 庶民上がりのへの当てつけかぁ? 魔族ってぇのはジョークのユーモアもあるらしいな」


。めんどくさ……おい、エレ!! 仕事だぞ!!」


 後ろに向かってモスカが吠えると、

 後ろから小さな影が最前線に現れた。


殿しんがりの次は、最前線か」


「不満か? なら、帰国しろ。お前の代わりなんていくらでもいるんだからな」


 小さな影はモスカを見上げながら、

 その横を猫のように通り過ぎていって、

 光源に照らされた。


「なんの不満もないさ、勇者サマ。アンタが大将だ」


 現れたのは、少年奴隷?

 もしくは、少年兵?

 

 そういったことを夢想させる見た目をしている少年だった。



「――……はぁ」



 両手に握られているのは、ヴァンドが持っている大剣よりも擦り減って、いつ折れるか分からないほど使い込まれた質素な短剣。


 身に着けているのは銀色の胸当てだけ。

 その上には、申し訳程度の強化繊維が織り込まれている衣類。

 軽装、というのが皮肉になってしまうほどの装備だ。


 装備が着けられていない首元や頬には擦り傷が見えており、それらを隠すようにとグルグルと白包帯が乱雑にまかれている。

 その隠し切れないほどの傷跡は、これまでの戦闘の過酷さを物語っている。



「……じゃあ、行ってくればいいんだな」



「エレって幻術を解くとかできんの?」



 ヴァンドからの質問に、エレは虚ろげな瞳を向けてフルフルと首を横に振った。


 鎧だと感情表現が限られるからヴァンドはこてんと首を傾げながら「じゃあどうすんだよ」と聞いた。

 それに対してモスカが代わりに答えた。


「惑わしの術は解けないが、

 それは単体で使われることはまずない。

 エレは足の速さと頑丈さが取り柄だからな、

 敵を炙り出すくらいはできんだろ――おら、行け!」

 

 背中を押されたエレは、とっとっと勢いそのままで人影の前まで歩いていき、

 何かを察知したように飛びのくと――地面を抉るような金属音が続いた。



「……?」



 くるりと体を捻らせて机の上に着地すると、頭上に風を切る音とグオンッという金属が擦れる音が聞こえ――咄嗟に持っていた短剣を上段で構えた。


 ――ドスンッ。 

 腕に衝撃が走ると、構えた刃先をつつつと渡る重い感触が続く。


「……そっか」


「おーい、エレ。何かわかったか?」


「人には近づくな。いくつか実体がある」


 声変わりもしているのかしていないのか分からない声。

 が、他の三人からは一定の信頼は勝ち取っているらしい。

 エレの言葉に三人は思案を巡らせ、ぶつぶつと分析し始めた。


 それらをつつ、と無視をして前に目を向けて、瞑った。



「……魔法ってのは、便利だな」



 近づいても反応がしなかった人影。

 近づいたら鎧が擦れる音がする人影。

 その違いは見た目からでは分からないが……


「配置に規則性は……ない、か」


 音でしか判別できない程、完璧に近い人の形をしているし、男女比も、年齢層も疎らで――……。


 なにより、形がブレない。


 これがただの実体に投影をしているという稚拙なものでなく、完全に空間自体に施された高位な魔法であることが分かる。

 ヴァンドは唸り、最初に音を上げた。


「まぁ、俺は考える役じゃねぇし」

 

 そう言いながら、考える役の方に目を向けてみると。


「……って、ルートス、いい加減真面目にやってくれ」


「し、し、仕方ないじゃない。だって、ここにはがいるんでしょう……?」


 怯えたような目をモスカに向けると「あぁ」と短く返されてルートスは杖を持つ力を強めた。

 



      ◆◇◆




 彼らは、勇者モスカが率いる勇者の一党パーティだ。


 その一党の目的は『魔王の討伐』であり

 『平和を取り戻す』こと。

 その前段階として《魔族》を退治しにやってきたのだ。

 

 《侵奪する者ディアボロス》《混沌神の子レべリオ》《黄昏の住民オブスクリタス》――魔族。


 彼らを表す名前の枚挙には暇がない。

 としても、分かりやすく言える――彼らは『人間側の敵』なのだ。


 単体であれば熟達した只人の10人分の力を有し、

 創世記からの長命も観測され、

 この世界の作り上げた《ことば》にも精通をしている。


 ……混沌の神らに作られた、子どもたち。


 それらは「魔女」や「吸血鬼」などよく知った名前から、未だ素性が明かされていない魔族も存在している。

 この館に住まうのは、その「得体のしれない魔族」の一角だった。


 何がいるのか分からないから対策を立てることが出来ない。


 だからこそ、エレが役に立ってくる。


 彼は前衛補助職――『斥候』だ。

 偵察係や場の調査もできる彼は、うってつけという訳だ。




     ◆◇◆



 

「おい、エレ! 早くしろよ」


「……ぬぁい」

  

 分析してくれるはずのルートスがあの調子ならば、斥候のエレが足で稼ぐしかない。


「さぁて――」


 人影に近づき、視認できない武器を音と気配によって避ける。

 それを何度か繰り返してみて、長卓の一つを思いっきり蹴飛ばしてみたが、ただ傾いただけで幻術だと思しき術は解かれることはなかった。



「机は関係ない――食事も関係ない――なんだ?」



 立ち位置がズレても関係ないようだが、

 律儀に本来の立ち位置に戻るようで、

 金属靴が地面の上を歩く音が微かに聞こえた。


「……実態はある。けど、近づかないと反応しない」


 どのような目的で配置をされたのか。

 油断を誘って殺すのが目的だとしたら杜撰すぎる。


 相手が油断をすることを前提にして作られた罠の作りにしては大げさであり、あからさまだ。



「……」



 相変わらず貴族のような人影は談笑をしているが……先に感じた「喋っていると感じない」という違和感は拭えていない。


 ひっかかりを探るようにしていると、それらの声は一人一人からではなく、集団ごとにまとめて音声が発せられていることに気づいた。

 


「――……奥?」



 声が広間の奥から聞こえる。

 けれど、それが分かったとして「会話だと感じない」のは変わらない。


「魔族の言語体系――……」


 よく見てみると、口も表情も規則的に動いている。

 一定の間隔を開けて、同じ言葉を繰り返しているだけだ。


 しかし、ズレている。

 集団ごとに話す速度が微妙に違う。



「声の速度――

 集団ごとに調整された速度――

 規則的な言葉を発している……」


 これらが空間に入った時点で始まったことなら、何かが変わっているはずだ。

 ただただ幻術をしているとは思えな――……


「……ぁ。ヴァンド」


 振り返ったエレに、ヴァンドは姿勢を構えて。


「――二人を最大防御、


 エレが言葉を放つと同時――

 微妙にズレて始まっていた貴族の会話が一つに重なり、声が響いた。

 

「「「「「《崩壊ノ唄ツァシュテール》」」」」」


 それは、神の賛美歌のような美しい崩壊の唄だった。

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