声は如何なる武器よりも鋭く



 讃美歌のように美しい声の直後、

 耳元で龍の咆哮を何倍にも増幅させたような爆音が響いた。


「――――――ッ!?」


 それが空間全体に振動を強いり、その形を維持不可能にした。

 おおよそ固い材質で覆われていたその空間は、

 微粒子のような細やかさにまで分解され、

 奥から手前に波打つように崩壊を始める。


「――まじ!?」


「やっ――」


 エレの言葉で咄嗟にヴァンドが使用した――緑半円を描く防御魔法【防核】と崩壊の波の押し合いが始まる。

 ――第二波、第三波。

 ガンガンッと押し寄せる衝撃に唇を噛みしめながら大楯を体全体で支えた。


「ヤバすぎ、だ、ろっ……!」


 しかし、音は継続的に発されなければすぐに効果を失う。

 その攻防も、十秒も経たなない間に一方的に打ち切られた。


「はぁっ……はぁ」


 盾裏で構えていた三人に崩壊の魔の手が伸びることはなかった。

 息を切らせ追撃を警戒しながら、ヴァンドは盾裏から顔を覗かせ……。

 

「……えらい開放的になったな、くそが」


 残っているのは骨組みと一部の壁と地面。

 天井は完全に消えて、夜空が見える開放的な空間へと様変わりをしている。


 幻術なども衝撃によって強制的に解かれ、綺麗な調度品と料理は霧が晴れるように消えていた。



「ヴァンド……てめぇ、もっとしっかり護れよ!」


「あ? なんて言ってるか聞こえねぇよ」


「なんて言ってるか、聞こえねぇよ!」


「あぁ? なんて?」


 男二人がガミガミと言葉を投げている傍ら、耳に長い人差し指を差し込んでいたルートスが苛ついた顔で。


「ヴァンドッ!! アナタ、ちょっと!! まじっ――有り得ないんだけど!! もうっ、最悪!!」


 服に着いた塵をパッパッと払いながら顔を顰め、見上げる。

 その後も薄っすらと口紅を塗った唇から、とてつもない論理の皮を被った暴言が飛び出してきた。

 それでもヴァンドの目線に入っていないようなので、杖をヘルムにコツンとぶつけた。


「ヴァンドッ! ヴァンド!! 護るの遅い! 遅い!」


「聞こえねぇって、厚化粧若作り」


「うわぁっ、絶対悪口言ってる!! モスカ! 絶対、こいつ私の悪口言った!!」


 ぎゃあぎゃあと文句を言う二人に背中を向けて、

 ヴァンドは改めて前に目を向けた。

 

「…………エレ」


 一人前線にいたエレは崩れていた地面に倒れていた。

 五体満足ではあるものの、ピクリとも動いてはいない。



「逃げ切れる訳もねぇか。音、だもんな」



 音は、最強な武器の一つだ。

 音の正体は空気の振動であり、

 音楽であるなら快楽を与え、

 騒音なら苦痛を与えることが出来る。


 龍の咆哮が攻撃の一つとして知られているのは、なにも相手を怯ませるだけでなく、鼓膜を破くこともあるからだ。

 鼓膜を破けば指示機能が麻痺し、

 戦闘意欲を喪失させ、

 一党の総合力はガクンと落とせる。


 加えて言うならば、物体の破壊までも行うことが出来る。

 

 そして、今現在の彼らのように

 

 術者と対象の間に障害物が残るとすれば、防御時に使う《ことば》が刻印さえた盾くらいだ。


 ならば、次に飛んでくる攻撃なぞ、これしかない。



 ――刹那、光った。



穿孔ノ唄ペネトレ



「――っ、くそ!」



 ヴァンドの思惑通り、広間の奥から真っすぐに伸びてきたのは七色に発光する光線。

 無策にも固まった敵陣へ伸びる、一網打尽が目的の物体貫通術式だ。


 ヴァンドは咄嗟に、ガツと半壊していた盾を突き、腰を落として後ろに声を投げた。


「おい、ルートス! 対抗術式を――」


「――《我の前は朱ルフス》《彼の前は蒼カエレウス》《反転せよアドウェルス》」


 ヴァンドが言い終える前にルートスは《ことば》を並べ、

 締めにカツンと床を突いた。

 だが、ヴァンドは血相を変えて、


「ばっ、お前、それは――」

 

「――《座標交換ポイントコンキリオ》」


 詠唱が放たれると、そのコンマ秒後、彼らのいた場所へと貫通術式が到達。


 轟音。

 壁がジュゥと焼き切れる音がした。

 けれど、その熱光線の射線上に対象の姿はなくなっていた。




      ◆◇◆




 その結果を受け、攻撃を仕掛けた者はゆっくりと闇に紛れていた姿を顕現させた。


【ふむ……】


 膨らみを持った赤錆色のドレスが身動ぎするたびに揺れ動き、

 上半身の同色のブラウスは体を締め付けているようにピッタリと体の輪郭をなぞっている。

 肌は白蝋如く白く、

 指先はすらりと伸びて赤い塗装がされた爪が第一関節程の長さを指に足していた。 


【そうか……逃げた、か】


 その目は潰れて金糸で縫われており、

 ポリポリと頭を掻こうとする腕は細く、関節が人の倍はあるように見える。


 総じて、中世の女性を人形にして、そのまま保存状態が悪い場所で閉じ込めていたような見た目をしている魔族がそこはいた。



【……少しは頭をマトモに使える猿らしい】


 

 魔族の声は、不思議な声をしていた。

 人体に影響のある毒刃のように捉えることもできる。

 が、酷く美しく音楽的な、琴が奏でる音色のようにも聞こえる。


【だが――】


 魔族はついと地面に伏しているエレを見つめて、口の端をぐにゃりとあげた。


【一つ、仕留めた】


 油断を誘い、最大出力の崩壊ノ唄を与える。

 それで倒れれば最上、倒れなくとも身動きの取れない者らへ貫通術式である《穿孔ノ唄ペネトレ》をすれば、8割方は片が付く。

 仲間を置いてでも逃げたことは「賢明だった」と評価をされるべき英断だ。



調和ノ唄レナトゥス

 


 魔族の艶やかな唄で、崩壊をしていた空間が時を戻すかのように修復をしていく。

 霧散していた天井が――床が――壁が――装飾品や調度品に至るまでが、綺麗に元通りの状態になるのにそうかからなかった。


 その傍ら、長い腕でエレの体を摘まむようにして持ち、高く持ち上げた。


【久々の御馳走だ。只人らのように、金属器を使ってもいいが……】


 エレは他の三人よりも比較的に小さいが、魔族によって顔の近くに持ち上げられると、その小ささが際立つ。

 魔族が14フィート程の体躯をしているのもあるだろうが、並べられると魔族の三分の一ほどなのが見て分かる。


【小さいから、そのままでも食べれるな】


 顎を上げ、口端がピリピリと割れるほど大きく口を開くと、

 

【あ~……んっ】


 脱力をしているエレの体がゆっくりと口内へ誘われる。

 伸びてきた舌先にエレが乗って――


 魔族の口端に衝撃が走った。



「――食べるのやめてもらっていいですか?」



【なっ!?】



 魔族が閉ざされている目を向けると、むくりと


 ――何故、生きているんだ?

 最初から死んだふりだった?――

 ――いや、確かに殺したはず

 だったら、何故……動けるっ――



【クッ……!】


 様々な考えが頭を巡るが、どの道、喰らったら同じことだ。


「ングッ!? いやっ、力つっよ……」


 両の手の平を使ってエレの体を上から押さえつけるが、エレは体全体を使って踏ん張る。

 力勝負になれば優勢なのは魔族の方だ。

 細身なエレでは素の力など知れている。

 そして、魔族の細長い手がエレの両腕を握り――

 ポキリと乾いた音が鳴った。


「――ッ!!?」


 有り得ない方向に曲がる両腕。

 押し込まれる体。

 体に纏わりつく粘液の滴る赤黒い舌先。


【ふっ!】


 踏ん張りがきかなくなったからだは、魔族の口の中に入っていく――……

 ゴリッと歯が噛み合う音。

 魔族の口内に血がじわりと広がっていく。


【ふ……ふふ――】


 あっと言う間だ。

 終わってしまえばどうってことはない。

 そして、魔族はそのまま咀嚼をしようとして――


「――――」

 

【――!?】


 微かに聞こえた声に、魔族は縫われている目を走らせた。

 

 どこから聞こえた声だ?

 もしかして、先程の者達が戻って来たのか?

 それにしては、近くで聞こえた――


「だから、言っただろうが――」


 次に聞こえた声で、その場所が分かった。

 その声は


 ――異物感。


【クッ――】


 魔族は口内に感じた違和感を再び嚙み千切ろうと思って――刺されたような痛みで、その異物を吐き出した。


【ギャアアアアアアァァァァァァッ!!!?】


 痛みで身悶えした魔族の口から出てきたのは、

 喉元を蹴り飛ばし、すっかり元に戻っていた机の上に猫のように着地をした。


「おお~でれたでれた。

 でも、お前の唾液で服がぐしょ濡れだ……」


 ふぅ、と崩れた襟首を正し、手の平を別の手で押さえて柔軟をしつつ、現状の把握をするように周りを見やった。




     ◆◇◆




「――……アイツら、逃げたか」



 まぁ、そりゃあ逃げるか。

 そう言って、入室時に見えていた貴族らの幻影の代わりに不規則に置かれていた銀の鎧に近づいていった。

 

「あ……コレ、攻撃してこないんだ。じゃあ一騎打ちだね、おばさん」


 顎をクイとあげて、魔族にほほ笑みかけると。


解放ノ唄リーベラテオ賢智ノ唄ソフィアベロー


 苦い汁でも飲み干した顔で唄を口にする。


 音符が円形に並び、魔法陣のような形へと変化していく。

 朱色から蒼色へ

 放射状に広がり

 収束し

 それを何度かを繰り返し、口の前で小さな点へと形を成した。

 

「あれ、会話できないの? 何か……ほら、言ってよ」


反地ノ唄コントラベロ


 グルンとエレの視界が横にブレた。


「――!?」


 いや、視界だけではない。

 唄の瞬間に小さな波が瞬時に全方位に広がり、その空間だけの座標だけが不規則に狂わされたのだ。


 X軸とY軸とZ軸にマイナスを付与するように。

 家具の位置や天井の配置、

 床や壁の模様が継ぎはぎだらけの歪なものへと姿を変えた。


 位置を交換すると言えば簡単だが、その移動時にかかる重圧なども完全に対象へ押し付ける――「強制座標移動」

 大きく横に振られたエレは体勢を崩しながらも器用に地面に手を突き、半分がどこかへ移動したシャンデリアの上へと高く跳躍をした。

 

「うああ、すっげ。……こんなこともできるんだ」


師伏ノ唄ドクトル・モルス


 感心するのも束の間。

 先ほどの口の前に最小規模にまでに収束していた唄が、力強く発光し、熱光線へ。

 空間をその熱でもって捻じ曲げながら、

 端から端を収束した形を膨らませながら横断をした。



 ――回避不能。



 足場も不安定な場所にいたエレが、瞬きをする間に15フィートを消し炭にする熱光線から逃れられる術など持ち合わせている訳もなく。

 

【全く、気味の悪い……】


 再生したばかりの空間は、またも更地になった。

 ふんっと鼻を鳴らし、再度、調和ノ唄で空間の修復をしようとして――

 顔を不愉快そうに歪めた。



「本当にお前は魔王の幹部らしいな。

 全部の技が上等で、殺傷能力が高い。

 よかった。お前を倒したら、この先が楽になりそうだ」



 抉られた地面が炎龍の通った後のように焼け。

 黒床には鉤爪のような赤い火傷痕が出来ている場所。

 地面は熱したフライパンよりも熱く。

 空中の酸素なぞ全て焼き払ったハズ。


「でも、一人で倒せるかな……アイツらを待つのも……」


 そんな場所に、髪の端とボロボロの衣類をチリチリと燃やしながら、エレは立っていた。

 魔族は、瞠目した。

 ――あの場所に、人が立てる訳がない!


【ッ貴様ァ!? 何者だ!!】


「おっ、喋れんだ。……俺はただ、足が速くで少しだけ頑丈な只人ヒュームさ」


【ふざけるな! 只人ヒュームが私の唄に耐えられる訳もない!】


「耐えれてんだから仕方ないだろ。あ、もちろん痛いのは痛いよ? アンタの術は凄い。あの三人ならどーだろ……多分、殺せたんじゃないかな」


 魔族は歯をかみ締めた。


【……わかった、分かったぞ!! お前が勇者だな!? 死なぬ体。素早い動き……神から異能をもらって――】


「残念だな。お前が相手にしてるのは、その補助係だよ」


 んじゃまぁ――と、ピョンピョンと三回ほど高く跳躍をして、最後の一回目の着地で地面をしならせた。

 ――ドンッ! 

 音が鳴ると、口端に笑みを浮かべて。


「――……俺の番だな?」


 ――威圧。


 相手の力量を誤った者に対しては、これほどまでに有用な威圧も無かろうて。


【ッ――転地ノ唄スプラエ・デスペルッ!】


 駆け出したエレの行く手を阻むように天井が――地面が――空間の中央に向かって形を変える。


 砂に空気を送って流動層にしたように、表面温度が燃ゆるほどの熱を持った床や天井がボコボコと自在に形を変えていく。

 そしてエレが魔族の元へ至る前に、完全に扉が閉ざされた。


【クソッ。喉が……】


 唄の連続使用により、魔族の紫の唇からは血が滴っていた。


【おい、回復だ! 早くそこから出、て……】


 誰かに話しかけるように叫び、長い指で滴る血を拭っていると――その目下に小さな人影。

 思わず魔族は言葉を飲み込んだ。


【馬鹿な!? 何故、こちら側にいる!?】


「むしろ、?」


 最初に最高速を見せる訳ないだろ。

 そう言って、エレは武器を構えた。


【クッ――ソォオオオオ!!】


 不味い状況だ。

 唄を連発しすぎて、効果が薄まってきた。

 これ以上の戦闘は避けて起きたい。

 長い手を端にあった戸棚に伸ばそうとして――切り飛ばされた。


【ギャァアアアァアアッ!!?】


「魔法以外は鈍重だね、オバサン」


 その言葉を遮るようにもう片方の手を盾にしながら、その後ろで酷使していた喉を震わせる。


無創ノアルカナ――】


 魔族が口腔をガゴンと開け、盾にしていた自分の手ごと巻き添えにしようと照準を絞って……。

 その攻撃は叶うことはなかった。



「――面妖な術を使う。

 でもただの術者だ。

 術者なら口を塞げば勝ちだろ」



 鈍い音が綺麗な唄声を打ち消す。

 エレが……小さな体で満身創痍に思えたエレが、魔族の顎下から鼻上までを短剣で貫いたのだ。


 初手は顎の骨までを刺し、

 釘を試し打ちして金槌を振り下ろすような要領で、

 そこからは思いっきり蹴り上げて貫通。


「これで――ッ」

 

【――――――――】

 

 拉げるように左右にズレていた口から、それは聞こえた。

 それは、声ではない。

 それは、《ことば》でもない。

 これは、唄の発動失敗によるマナの暴走だ。


「は」


 爆発。

 唄が暴走する。


 閉ざされたハズの口から、漏れ出るように歪な魔法陣が空中にいくつも展開される。

 それは最初に見えた《崩壊ノ唄》の五重奏だった。


 つまりは、この空間を壊した唄の五倍の威力の唄だ。

 それが、局所的な――エレと魔族へ向かって展開している。


「うぉっ!? なんだそれ――ッ。置き土産にしちゃあデカいだろ!?」


 術者は自身の死後を予知すると、体に刻んでいた《ことば》を暴走させることもあるという。

 ――この術は、もう止めれない。

 エレはタッとバックステップを踏むが――長い手で追いかけてエレを掴み、持ち上げた。



貴様もヴォス道連れアデアムス



「……まじか」



 光が、空間を包む。

 音が消える。

 魔族を中心にして、半径5フィートの局所的大崩落が起こった。

 

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