第7話 元カップルは共に眺める

 ※萌結※


『今の俺があるのは、その人のおかげかな』


 トイレから戻ると、真昼に過去の話を語る佐々木の声がした。

 一泊二日のオリエンテーション合宿の夜。真昼が恋バナをしようと発起し、佐々木たちに通話を掛け、佐々木は過去の恋愛……つまりは私と付き合っていた頃のことを話している。

 それを再確認した私は、胸の奥がぎゅっと熱が込み上げるのを感じた。


「……ただいま」

「おかえり〜」


 どうにか込み上げる熱を抑え込み、私は画面上に戻る。

 画面越しの佐々木の顔を見ると、ふと私の脳裏にとある言葉が囁かれる。


『単純に俺のことが嫌になったから……別れたんだと思う』


 それは、私がトイレに行くと立った次の瞬間、佐々木が言った言葉。

 佐々木は私には聞こえてないと思って言ったのだろうけど、ばっちり聞こえていた。

 なんでそう思ったのか分からないが、そんなことない!と今すぐにでも否定したい気持ちでいっぱいだ。しかしそう出来ない状況であることは百も承知。

 どうにか話す機会を……


『優希、俺のパンツ知らねー?』


 え、えぇーーー?!

 次の瞬間現れたのはタオルを腰に巻いただけの中村くん。その光景を見た私と真昼は慌てて目を逸らす。

 下着くらいちゃんと脱衣所に持っていきなさいよばかー!今大事なこと考えてるんだからー!

 すると画面越しに佐々木の慌てる声が届き、しばらくして『もう大丈夫』と声を掛けられた。



 でもよかった。



 ※優希※


 俺が風呂から上がると、部屋には静寂に包まれていた。

 昴は完全に寝落ちしているし、画面越しの真昼も完全に睡眠モードに入ってうとうとしている。いや寝てるなこれ。

 俺は部屋着姿で誰も映っていない画面を覗き込む。


「切るぞー?」

『ちょ、ちょっと待って!』


 ドタドタドタと画面外にいるらしい笹川が慌てて俺に声掛ける。

 すると画面に映りこんだ笹川は気まづそうに俺に言う。


『お願い……まだ寝ないで』


 え、何その表情?!

 まだ寝ないでってどういうこと?!

 するとプツンと通話が途切れた。


「あれ……?」


 画面には【ネットワークエラー】と表示されている。

 仕方なく俺はスマホの電源を落とす。笹川の発言は気になるが、明日にでも聞けばいい。

 と、スマホを充電コードに差し込もうとした瞬間、スマホが短く振動した。


「……もしもし」

『あ、よかった繋がった……!』


 画面に表示されている通り、通話相手は笹川。

 俺はスマホを耳にあてながら、少しでも電波がよくなるよう窓際に寄る。

 南向きに設置された窓からは綺麗な三日月が見えている。


「それで?寝ないでってなんだよ」

『え?!あ、うん……その……』


 だからなんだよその反応。

 今から告白でもするみたいな感じじゃないか。


「なんだ?俺に告白でもするのか?」

『は?誰があんたなんかにするのよバカ。自意識過剰なんじゃない?』


 ……ですよね。

 別に期待してたわけじゃないのでいいけど!でもその態度はむかつく!自意識過剰ですいませんね!

 仕返ししてやろう……!


「笹川、窓際に寄って外見てみろよ」

『外?私高所恐怖症なんだけど』

「奇遇だな、俺も得意じゃない」


 続けて『寄ったわよ』と笹川が言う。

 よし、今だ────!


「つ……」

『月が綺麗ね』

「はぁ?!」


 こいつ今なんて……?!

 やっぱりこいつ俺のことが────


『何慌ててんの、バカなんじゃない?』

「ぐっ……」


 動揺する俺を小馬鹿にする笹川。

 今日は一日中こいつに振り回されている気がしてならない……。


『てか、そんな話をしたいわけじゃないの』


 するとさっきまでとは打って変わって、急に神妙な声になる笹川。

 まるで、を邪魔しないよう、暗闇に声を溶け込ませようとしているみたいで……。


『……別に、嫌いになったわけじゃない……』

「え?」


 前置きも、変にこねくり回した言葉も、何一つ無いシンプルな言葉。

 笹川は俺の返事を待たずに続けた。


『別れた理由はあなたを嫌いになったからじゃない。なんだか気にしてるみたいだったし?私も誤解されたままは嫌だから……』

「俺は別に気にして……」


 バリバリ気にしてたわ。

 というか、


「てかそれ今言うか?!」

『なんでよ』

「俺たちが交わした契約はどうした?!そういう話はナシって……」

『大丈夫よ、二人とも寝てるから』

「そういう問題じゃ……!まぁ……今更しょうがないか」

『あなたにしては珍しく素直じゃない』


 素直?それは違うぞ笹川。

 俺はニヤリと口角を吊り上げながら言う。


「そうなんだよー。俺素直だからさー、二人に隠し事なんて出来ないわー」

『ちょ……!』

「今から昴叩き起してくるわー!」

『ダメぇぇぇぇぇぇえ!!!調子乗ってごめんなさい!!!それだけはダメ!!!』


 電話越しに笹川の必死な声が届いた。



 ※萌結※


 暴走しかけた佐々木をなんとか留め、真昼が起きていないか確認する。

 あのバカは一体なんてことを?!

 言ったらどうなるかわかっててやってるの?!


「はぁ……」


 通話を終え、私はベッドへ身を投げる。

 なんだかどっと疲れた一日だった。

 もう好きじゃないはずなのに、あの言葉が忘れられなくて、高鳴る胸が抑えられない。


「…………バカ」


 ほんと……大バカだ。



 ※優希※


 オリエンテーション合宿二日目。

 オールナイトと意気込んでいた俺たちは結局爆睡し、朝周りギリギリまで寝ていた。


「なんで漱石は『月が綺麗ですね』なんて書いたんだろうな」

「どうした優希、哲学みたいな話しだして」

「いやな?普通に言えばいいものをなんでわざわざまどろっこしい言い方したんだろうなって」

「あー確かに」


 まあ、結局その答えは夏目漱石以外の誰も知らないのだろうけど。

 そんな他愛のない雑談を交わしながら俺たちは朝食をとるため食事会場へと向かう。

 バイキング形式の朝食には、スクランブルエッグやフレンチトーストなど、様々な物が大きな皿に盛られ、所狭しと並べられている。


「うまそー!」


 昴は朝食とは到底思えないほどの量を皿に盛り付ける。

 俺は無難に色んな種類のをちょっとずつ。

 盛り付けを終え、いざ席を探すも、空いてる席が見当たらない……いや、実際にはある。あるが……


「あそこしか空いてないな……」

「いいんじゃね、あそこで」


 仕方なく俺らは唯一空いていた二並びの席に着く。

 正面には……


「なによ」

「別に……」


 なんでよりによってここなんだ!他になかったのか!……他になかったからここなんだった……。

 昨晩のこともそうだが、最近の俺らには気の緩みを感じる。つまりはいつボロを出してもおかしくない状態と言っていい。


「……いただきます」


 俺は何となく小声で手を合わせ呟いてから初手、フレンチトーストに手を出す。

 四分の一サイズのフレンチトーストをあっという間に食べ終えると、乾いた喉を潤すためコップに水を注ぐ。

 そしてぐびーっと、喉に流し込んで……



「優希と萌結って結構仲良いよね」



 ブフォーーーーーッッッ!!!

 俺は思わず吹き出してしまった水を拭きながら真昼に言う。


「そそそ、そうか?普通くらいじゃないか?」

「そ、そうよ!私たちには何もないわよ?!」


 やめろ笹川!その発言はむしろ怪しく思えてしまう!

 俺はテーブルの下で笹川の足を小突く。


「そうなの?てっきり付き合ってるのかと思ったよ」

「「それだけはないっ!」」


 真昼の言葉に反射的に反論し、ハモってしまう俺と笹川。

 合わせてくんな!怪しまれる!


「ふーん……」


 ダメだ完全に怪しまれてる……。

 すると昴が、


「まぁ見てる限り、恋仲というよりは犬猿の仲って感じだよな」

「っ!」


 す、鋭い……。

 やっぱり根っからの陽キャにはわかってしまうものなのか?俺たちの間に流れる独特な雰囲気が。

 友達でも恋人でもない、不鮮明な間柄が。


「……でも俺らには本当に何も無いぞ?」

「本当かー?」


 嘘ですごめんなさいガッツリあります。……とは流石に言えない。

 俺たちが元カップルなのは最重要機密。共に破滅するか最後まで隠しきるか、俺たちにはこの二択しかないのだ。


「本当よ真昼。私にこの人と何かあったら末代までの恥だわ」


 じゃあお前は末代まで恥を語り継いでいくんだな。

 心の中でそうツッコミつつ、俺は何気なく話題を変えていくのだった────



 ※萌結※


 朝から散々な目に遭った。

 朝食の席の正面には佐々木が座るし、真昼の鋭い感には冷や汗をかいた……。

 今日は厄日かもしれない。


「……実際どうなの?」

「え、何が?」


 オリエンテーション合宿も残すは帰るだけ。

 ホテルの部屋で荷造りしていた私は、真昼に声かけられた。


「優希のこと。なんとも思ってないの?」

「思ってるって……?」

「ほら……好き……とか」


 好き……ね。

 改めて考えてみる。私は彼のことが好きなのだろうか?

 だがすぐにそんなはずがないと考えを打ち消す。

 私たちの間にあるのは悪魔のような契約。共に破滅か騙して生存。

 そんな私たちに恋愛感情があろうはずがない。


「ないわよ」

「本当っ?!」


 私の言葉を聞いて、真昼はパァっと表情を明るくし、「じゃ、じゃあさ……」と続けた。



「優希のこと好きになってもいいかな?」

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