第9話 因果、動き出す事態 ①

「相変わらず過ぎて、もはやびっくりするわね……」

「えぇ、何かもう申し訳ない気持ちになって来るのだけど……ね」


 兄アルベリクが王宮へ呼び出されてから、早一ヶ月。

 呆れきったララの言葉に、リィンは苦味成分しかないような引き攣った笑いで返すしかなかった。

 

「でも、本当にそれでいいの、リィン?」

「元々わたしには執着はないから。それが出来るなら、願ったり叶ったりなの」


 はっきりと何を、とは言わないが、ララからの問いかけを的確に察したリィンは、今度は自然な微笑みで笑って返す。

 

 あの後、兄アルベリクは王宮での話の内容を包み隠さずリィンへと伝えた。

 そして、今後どうしていくかについても、全てを話してくれた。

 

 ララには、彼女の兄がアルベリクの協力者であるため、内容が伝わっていたらしい。学園内での行動にも関わるから、ということで彼女もまた立場としては協力者になるらしい。

 本当に、ドリューウェット伯爵家の兄妹には有り難くて頭が上がらない、とリィンは思う。

 それだけ信頼関係を結べている兄とドリューウェット伯爵令息の関係を羨ましいと思うし、同じようにララとも信頼関係を築いていきたいとも思いながら。

 

「でもやっぱり……」

「どうかとは思っちゃうわよねぇ……」


 学園内のカフェテリアでアフタヌーンティーを楽しんでいた二人の視界には、この一ヶ月ですっかり学園内でお馴染みになってしまった光景がある。

 

「ねぇ、ランドルフ様、わたくし城下で流行りのオペラに行きたいんですぅ」

「あぁ、あれか。チケットがなかなか手に入らないとかいう。分かった、手配しておくよ」

「きゃあっ、うれしい! やっぱりランドルフ様、お優しいですわ」


 紅茶が砂糖の入れすぎでじゃりじゃりしそうな程に甘く、胸焼けしそうな声。

 そして、それを喜ぶだらしないほどに腑抜けた声。

 

「オペラに行って、理解出来るのかしら……」

「たぶん……無理だと思う……」


 ララがうんざりと首を振り、リィンは大きく息を吐く。

 

 あれから一ヶ月、リィンはすっぱりと姉レリアに関わることをやめた。

 自邸では食事も自室もしくは兄の部屋で取るようにし、食卓を共に囲むことはない。

 学園への行き帰りも、ララが馬車を男爵家に回してくれるようになったのでそちらに甘え、レリアと一緒には通っていない。

 

 そのことについて両親は、

 

「まったく、侍従を取り上げる程度でここまで拗ねなくても良いだろうに。困った子だ」

「本当に。素直で可愛いレリアとは大違い。お義父さまのせいで、余計に可愛くない子に育ってしまったわ」


 などとぼやいているという。

 

 そして案の定、レリアは高位貴族の令息にすり寄ることはやめなかった。

 これに関しては、リィンがどう行動しようと変わらなかっただろうけれど。

 

「スペンサー様も、情けないこと」

「オールボート様は見向きもしなかったものね」


 多くの高位貴族の令息たちは、レリアから近付いても相手にもしなかった。

 そこにはブラットリー第一王子も含まれるし、ララの婚約者として正式に公表されたアストリー・オールボート公爵令息も含まれる。

 

 そのような中で、レリアにすっかり陥落したのが、ランドルフ・スペンサー侯爵令息であった。

 他にも伯爵令息や子爵令息など、さまざまな爵位の令息たちがレリアに陥落しているらしいのだが、詳細は分からない。ただ、最も高位なのがスペンサー侯爵令息であるのは確かだ。

 

 何でも、最初にスペンサー侯爵令息に足がもつれたフリをして倒れ込み抱き着くという出会いを果たした後、グレース・エヴァット侯爵令嬢がレリアを呼び出したのが、逆にスペンサー侯爵令息の心を揺らしたらしい。

 レリアはエヴァット侯爵令嬢から罵倒されたと泣き付き、スペンサー侯爵令息を潤んだ瞳で見上げて震えてみせたらしい。

 

 伝聞ではあるけれど、まぁとりあえずは概ね合ってるんだろうな、とリィンは思う。

 それはレリアが何かあった際に両親に泣き付く際の仕種と、大差ない。

 彼女は、母親譲りのヘーゼルの瞳を涙で潤ませて弱々しく揺らし、愛くるしい顔立ちを最大限に利用して相手の庇護欲を誘うのが上手い。

 

 スペンサー侯爵令息は、気の強い婚約者との違いに心を揺らし、やがてレリアに陥落したようだった。

 

「侯爵家の婚約者なんだから、気が強いに越したことはないのだけれどね」

「エヴァット様であれば、素晴らしい侯爵夫人になるでしょうに……」

「あれは無理よねぇ」

「えぇ、間違いなく。そのような教養はないので」


 やがてオールボート公爵夫人になることが定められているララが、肩をすくめた。

 

 エヴァット侯爵令嬢は確かに気の強い女性だが、高位貴族の当主夫人となる女性は、気が強いに越したことはない。

 高位貴族ともなれば夫人であっても矢面に立つこともあるし、社交界においては自家の為に背筋を伸ばし凛として戦わなければならないこともある。

 

 涙で瞳を揺らしたところで、そのような場では役になんて立ちゃしない。

 

「エヴァット様に申し訳なくて……でも、もう無関係だし……」

「関わらない方が良いんでしょう、むしろ?」

「えぇ、他人として振る舞うように言われているの。でも、心苦しくって」

「そればっかりは、仕方ないわよねぇ……」

「そうね……」


 大勢の人の目があるカフェテリアで、きゃっきゃと楽しそうに語り合いながら見つめ合う二人。

 それだけ見れば、仲睦まじい二人だと微笑ましく感じることも出来るだろうけれど。


「頭痛いわ……」

「もうしばらくの我慢よ、リィン……」


 こみ上げてくる頭痛にこめかみを押さえたリィンの肩を、なだめるようにララがぽんぽんと叩いた。

 

 

 ***

 

 

 放課後、リィンは廊下を一人で歩いていた。


 ララがオールボート公爵令息に用事があるというので、先に馬車止めまで向かおうとして。

 一緒に行けば良いとララは言ってくれたが、せっかく婚約者同士で会うのだから邪魔をしては悪いと言って、遠慮した。

 

 婚約者同士の逢瀬を邪魔したくはないというのが本音だが、それに加えて出来ることなら高位貴族の令息と余り接近したくない、というのもある。

 

 リィンとララが友人同士であるというのは学園内でも周知となっているけれど、穿うがった見方をしてくる人はどこにでもいるものだ。

 スペンサー侯爵令息とレリアの件は有名すぎて、その妹であるリィンも、関わらないようにしていたとしても周囲からは見たら姉妹であるという事実は揺らがない。

 仮に、オールボート公爵令息と会話しているところを曲解されて、下手な噂になるのは勘弁だった。

 

 そんな心配をしなければならない程度には、姉レリアの行動には問題しかない。

 

 そういえば、かつてはお母さまも同じことをしたはずよね……。

 

 歩きながらふと、リィンは思い当たる。

 母であるシェリー・ウィルコールは、十八年前にこの学園で、同じことをした。高位貴族の令息にすり寄り、レリアよりも更に多くの令息たちを陥落させ、その中には第二王子まで含まれていた。

 

 その事実は、グラフトン侯爵家によってもみ消されたに等しいが、同世代で学園に通っていた人々の記憶には残っているだろう。

 こんなみっともない事実、そう簡単に忘れられるはずがない。

 子どもたちにそれらを反面教師の教訓として伝えている家もあるだろうし、意外と十八年前のことを正確に知っている人も学園内にいるのかもしれない。

 

 突き刺さる視線には、悪意が込められていた。

 

「……何の御用でしょうか、エヴァット様」


 廊下を歩くリィンの目の前に現れたその人は、ひどく憎々しげにリィンを見ていた。

 皮膚がぴりぴりと痺れるような、そんな錯覚があるほどに、敵意と悪意を込めた視線だった。

 

 そして、それ以上に蔑みを帯びた視線でもあった。

 

「お母さまから聞いていた通りね……。男性に媚びることだけは上手いウィルコール家、と」

「それは……」


 それはあくまでも、母シェリーと姉レリアの話なんですが。

 

 リィンは学園内で、必要以上に男性とは接しないように心がけている。

 ララの婚約者であるオールボート公爵令息とさえ、会釈程度はしても会話さえも交わさない。

 それ以外の男子学生になれば、尚更だ。

 

 ウィルコール男爵家の評判が良いはずもないし、姉があの状態であるのだから、せめて自身は潔癖でいようと決めたからでもある。

 むしろ、まともに会話して交流がある男性なんて、兄とその執事と侍従、そしてマティスぐらいだ。

 

「本当はあの女をと思っていたのに、ランドルフ様から離れないから……。もう、あなたでいいわ。連れて行きなさい」


 忌々しそうにリィンを睨み付けたエヴァット侯爵令嬢が、背後に控える人たちに声をかける。

 侍従のような出で立ちの、しかし護衛を兼ねるマティスと大差ないような体格の、明らかに学園関係者ではない男性たちだった。

 

「え……ちょっと待ってください、エヴァット様……!」

「お黙りなさい! あなたに発言の許可など与えていません!」


 男性らに腕を取られ、リィンは身を捩る。

 だが、エヴァット侯爵令嬢は声を張り上げ、一喝した。

 

 咄嗟に周囲を見渡すが、先に手を回していたのか人影は見当たらない。

 学園内で人のいない場所などほとんどなく、常に安全が保たれているからという理由で下位貴族は従者も護衛も連れて入れないというのに。

 それは即ち、高位貴族がその気になれば、いくらでも下位貴族に危害を加えることが出来るということでもあるのだと、今さらながらにリィンは気付いた。

 

 せめて大声を上げられれば……!

 

 叫ぼうと、叫んで助けを求めようと、大きく息を吸ったとき。

 

 ガンッ!と大きな衝撃がリィンの後頭部を襲った。

 それが意識を刈るための衝撃であり、腕を取った男性の手によるものであることを、憎しみに燃えたエヴァット侯爵令嬢の碧玉の双眸に知った。

 

 この人は、リィンを許すつもりなどないのだ、と。

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