第4話 儀長城

 儀長城は西尾張の中心、

尾張大國霊神おわりおおくにたまのかみ神社から南西へ一里下った三宅川沿いにある。

 南北朝時代から続く豪族で、

先の城主、橋本一巴いっぱは信長に鉄砲を指南し、信長の命を受け、

国友善兵衛らに六匁玉鉄砲五百挺を注文した。

 信長の躍進の一助を担った橋本家は、

兄弟二人でこの一帯に三つの城を有することを許されていた。

 

 仙千代は儀長城に何度も来ていた。

父は長島一向衆と対峙する最前線、二間ふたま城に詰めている。

二間城主の土豪は織田家に臣従していた。

 仙千代は、鉄砲の調達や評定で、

父が儀長城へ行く時に伴われることがあり、待っている間、

御家来衆から鉄砲を見せてもらいつつ話を聴いたり、

幾度かは撃たせてもらったりした。


 本丸が見えてくると彦七郎がやってきて、


 「遅いぞ」


 と言うが早いか、


 「何だ、この匂い」


 と顔をしかめた。直ぐに顔を見せたということは、

気にして待っていてくれたということだった。


 仙千代も臭うことは知っていた。

 転倒し、勢いで割れたギンナンが着物に付いて、

その後、冬空の澄んだ青さに見とれて寝そべっていた。


 「そんな匂いでは餅の傍へは近寄せられん。

皆、競い合って働いておるというに、

我ら鯏浦うぐいうら組の三人は一角がギンナン臭か」


 彦七郎が訊く。


 「どうすれば左様な臭いに」


 「銀杏いちょうの落ち葉に滑って転んだ」


 面目なさで身が縮む。

橋本の殿様の手伝いでやってきたのに寄り道をして遊び、

しかも四方に臭いをまき散らしている。

 何かに夢中になると他が見えなくなって、

こんな失敗をよくやってしまう。


 「そういえば、仙千代、あっちを見てみろ」


 指された方を見ると、

普段はけして馬をつながない御殿間近に馬が居て、

中には仙千代のような子供でも一目でそれだと知れる

名馬が含まれていた。

 特に黒鹿毛くろかげ芦毛あしげの二頭は目を惹いて、

どのような方が乗られるのかと想像をした。


 「橋本の殿様の御馬も立派じゃが、

流石、岐阜の殿様となると格別に素晴らしいのう」


 朝、比叡山焼き討ちの話を聞いたばかりで、

微かに心の臓がヒクッと収縮したような気がした。


 「殿様が今朝、清洲から美濃へお帰りの道すがら、

こちらへ立ち寄っておいでなのじゃ。

鯏浦組の名誉にかけて仙千代は表に出せぬ」


 橋本家、織田家ゆかりの若衆、男児が、

大勢集まっていることを意識して彦七郎は対抗心を滾らせている。


 彦七郎がまた鼻の前を手で仰ぐ。


 「そんなに臭いか」


 と仙千代は言いつつ、相当な悪臭を自覚している。


 「あっち行け、あっち」


 「あっちって?」


 「ここ以外の何処かじゃ。万が一にも殿様に御不快な思いを

させてはならぬ。分かったな」


 元来が興奮癖のある彦七郎が一段と興奮している。

 

 「それにつけても仙千代、たわけたことをしたもんじゃ。

殿様の御尊顔を拝し奉る初の機会に」


 確かに織田信長という人を見たことはない。

長年織田家に身を置く父ですら、

会話となると数える程で、しかも短いものだという。


 「何処ぞの隅っこから見るわ、岐阜の殿様」


 実はさしたる興味はなかった。

岐阜の殿様がどのような「御尊顔」であれ、

織田家の臣下として禄を頂戴している家に生まれた以上、

忠節を尽くすことに変わりはなかった。


 「一里先からでも居場所がわかる。その匂いときたら。

近くには寄るな」


 存在自体が皆の迷惑になるということで、

彦七郎は仙千代を厄介払いした。

 

 「つき上がったら餅は貰っておいてやる。

そこらで待っておけ。遠くには行くなよ」


 去る前、彦七郎は年長者らしい配慮を見せた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る