第45話クナイ12

 ***



 隣家はこちらの警戒を察したのか、少なくとも俺が居る時はハンナに近づいてこようとしない。彼女も一応俺の忠告を守り、隣家の夫を避けて外に出る時は俺と一緒に行くようにしていたため、直接接触する機会もなく一見穏やかな日々が続いていた。


 露店販売の仕事は、目立ち過ぎぬよう刺繍の品数は控えて、他の商品も粗悪な商品も多少混ぜて、たいして売れないが食べては行ける程度の売り上げに留めた。

 地元を守る意識の強いマフィアは、移民は安い賃金で使えるから受け入れるが地元の者よりも稼ぐことを快く思わない。

 露店販売の許可を出すのは町の役場だが、実質的な統括はマフィアがしている。目立たないように商売するのが得策である。

 そのためハンナに頼む刺繍もそれほど多くないので、時間にも余裕ができて、自然と俺たちは二人で会話をする機会が増えた。


 幼い頃、二人で興じた遊びや、故郷の四季折々に見られた草花や虫のこと。記憶を掘り起こすように、記憶を擦り合わすように昔話をした。

 心穏やかに話せる話題がほかに無かったと言えばそれまでだが、ハンナが亡命したあとのことは話せるものではないし、彼女も俺がどんなふうに生きてきたのか大体察しがつく分訊ねられないのだろう。

 

 こうやって穏やかな時間を過ごしていると、ただの幼馴染に戻ったような錯覚をしてしまい、余計に罪悪感で苦しくなる。

 あれだけ人を殺してきた自分に罪悪感なんてものがまだ残っていたのかと驚く。そんな感情はとっくの昔に擦り切れていたと思っていた。


 ***


「ねえ、海って泳げる場所もあるのかしら?」


 昔の話をしていた時、ハンナがふとそんなことを訊ねてきた。

 俺たちの生まれ故郷は山に囲まれた地域だったため、幼い頃二人で読んだ本で海の水は塩辛いと書いてあり、本当にしょっぱいのか確かめに行きたいと言ったことがあった。

 海の水を飲む気でいる彼女に、飲めるものじゃないと俺が言ったそうだが覚えていない。

 その時のことを思い出して、ハンナは海の中に入ってみたいと言い出した。


「砂浜の場所はあるが、今の時期は海に入るには寒いだろう。夏まで待たないと無理だ」


 俺がそう答えると、そういえばそうねと恥ずかしそうに俯いた。というか、水に入って泳いたこともないのに海に入る気だったのかと少し笑いそうになるが、あまりにも恥ずかしそうにしていたので横を向いて笑いをごまかす。


「……波打ち際で海水を触るくらいはできるが……行くか?」


 ガッカリしているように見えたので、浜辺に行く提案をしてみると、パッと顔を明るくした。


「行ってみたいわ。砂浜は普通の靴で大丈夫かしら。砂が入ってしまうから、専用の靴が必要?」


「草履でも買えばいい。海辺の店に売っているだろう」


 専用の靴という発想が海を知らない国で暮らしてきた者の発言らしく苦笑が漏れる。


 翌日は朝から晴れだったのでハンナと二人で港より先にある砂浜へ歩いて向かう。船着き場周辺はにぎわっているが、肌寒い時期に砂浜を訪れる者は少ないからか、その周辺は空いている店もほとんどなく、三歩をする人々がまばらにいるだけだった。

 来る途中の店でハンナの足に合う草履を探したが、彼女の小さい足に合うサイズが無かったため、それならはだしで歩くからいいと諦めてつばの広い帽子だけを購入した。


 砂浜に着くとハンナはさっそく靴と靴下を脱いではだしで砂の感触を楽しんでいた。

 貴族の女は足を晒すのはタブーだと聞いたことがあるが、ハンナは全くのためらいなく靴下を脱いで素足をさらしている。


「歩くと指の間に砂が入ってくすぐったいわ」


「石を踏まないように気を付けて足元をよく見て歩け」


 俺の注意を聞き流し、ハンナは波打ち際まで速足で歩いていく。恐る恐る波に足を延ばして、海水が触れると変な悲鳴を上げて駆け戻ってきた。


「なにか草みたいなものが足にからんだの。ぬるっとしててびっくりしちゃった」


「海藻だろう。別に害はない」


 ああ、海藻……と呟きながら足にからんだものをつまみ上げていた。


「クナイも裸足になればいいのに」


 突然名前を呼ばれて思わず心臓が跳ねる。


「俺はいい」


 断るとハンナは平たい岩の上に腰を下ろし、俺にも「座れば?」と声をかけてくる。

 暦の上では冬にあたるが、この地域は一年中温暖で、晴れた昼間なら上着がなくても寒く感じない。

 ハンナはワンピース一枚で裸足という姿に対し、俺は首元から足首まで黒い服で覆っているため、彼女が不思議そうにこちらを見ていた。


「黒い服で暑くないの? この町の人たちって一年中半袖だったりすると聞いたわ。そんな真っ黒な服を着こんでいると目立ってしょうがないんじゃない?」


「外では基本気配を消しているから人目を引くことはない」


「姿くらましの魔法ね。確かにそれを使えば誰にも認識されないわね。そういえば……酒場で再会した時ってもしかして魔力のある人だけ感知できる程度に術を使っていたの? あなたが完璧に姿を消していたら、きっと私には見つけられなかったはずだから」


 行動を共にしている間で、俺が何度か姿くらましの術をハンナにもかけていた。その時から俺が完全に存在を消すこともできると気付いていたようだ。


「……ある程度気配を漂わせれば、お前なら気付くだろうと思っていた。ハンナが呪術師を探していると知っていたからな」


「あれだけ呪術師を探していると触れ回っていたら相当迷惑だったでしょうね。国内外で呪術師狩りがまだ行われていたのに、悪かったわ。……ねえ、でもクナイは呪術師を探しているのが私だと、いつ気づいたの? 一応身元が分からないよう気を付けて捜索していたつもりだったんだけど」


「気づくというより、最初から分かっていた。そもそも、偶然お前と夫が一緒にいる姿を見かけるよりももっと前から、お前と父親の所在や動向は常に情報としてあがっていたから、軍高官の男と結婚したことも知っていた。だから酒場で出会ったのも偶然じゃない。終戦後もずっとお前の動きは把握していた」



 これを言ったら驚くだろうかと思ったが、彼女の顔を見ると困ったように微笑んでいるだけだ。


 いつかは全てを話そうと考えていた。

 俺が持ちかけた賭けの意味も、本当の賭けの勝者についても話すつもりでいたが、それを先延ばしにしていたのは、それを言って解放したところで彼女はきっと死んでしまうと思ったからだ。

 ……いっそ俺を恨んで憎んで復讐しようとでも思ってくれればまだ良かった。


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