第10話






「別に……何か見返りを求めてやったわけじゃ、無いわ……恨んでも、いない」


「……だったら、なんで泣いているんだよ」


言われて気付いたが、私の頬はとめどなく流れる涙でびしょびしょだった。声も出ずただただ涙だけが壊れたように流れ続ける。


私の言葉を聞いた男は、ぐっと唇をかみしめてから、いら立ったように私の顔をつかんだ。


「そんな風に……泣くくらいなら……何故その感情をあの男にぶつけない?自己犠牲が美しいとでも思っているのか?だったらお前は間違っている。お前の献身は何の意味もなかったんだよ。あの男は最初からお前を愛してなどいなかった。なぜそのことに気が付かない?」


涙がでるのは、夫の笑顔を見てしまったからだ。


あんなにもう一度見たいと思った彼の笑顔だけど、あれはもう私に向けられたものではない。二度と彼は私に対してあんな風に微笑むことはない。






呪いに侵された私を夫が厭うであろうことは分かっていた。

それでも最初は私への感謝の念から、私を大切にしようと努力していたと思う。

嫌悪する目線を私に向けないように、一生懸命私の醜い姿から目を逸らしていて見ないようにしていた。

私に触れたら再び自分に移るのではないかと彼が怯えていたことにも気が付いていた。

あれほど自分を苦しめた呪いが目の前にあったら夫はいつか逃げ出したくなるだろうと思っていた。




だからこそ、あの別荘で夫の望むよう静かに死んでしまいたかったのに。

あんな笑顔を誰かに向けている彼の姿なんて、知りたくなかったのに。






すぐそばにある男の顔を見る。


面白がって笑っているのかと思ったが、男はなぜか泣きそうな顔で私をみていた。

こんな残酷な現実を見せつけたのはこの男なのに。なぜ私よりもつらそうな顔をするのだろう。





別荘に現れた時から男は姿くらましの魔法を使っていなかった。初めて男の顔を認識したときに私は気づいたことがあった。


『この男を知っている』


隣国に居たのは五歳頃までだったので、その当時の記憶はもう曖昧だ。

だけどこの顔に見覚えがあるとすぐに気が付いた。


私と同じ年の頃で、よく一緒に遊んだ男の子。家が近く毎日のように会って一番仲良しだった、大切な友達だった。


父が亡命することになって、出発の時に初めてそれを知らされた私は彼に別れの挨拶をすることも出来なかった。


国を捨て敵国に亡命した私達親子が、隣国ではどのように言われていたか想像に難くない。

売国奴、裏切り者として、恐らく隣国の暗殺リストに父の名は常に上位に入っていたはずだ。



男がその幼い頃別れた友達だったとすれば、この賭け自体が裏切り者の娘である私への報復なのだろうと思った。


死ぬよりもつらい現実を見せつけられ絶望に突き落とされてもなお、男の許可なく死ぬことも許されない。報復と考えればこれ以上ない位わたしには有効だったと言える。


でも何故か男はずっと辛そうな顔で私を見ていた。



「―――賭けはあなたの勝ちです。私をどうしようとあなたの自由です……これ以上私を生かしておく意味があるとは思えないけれど……」



賭けは終わったのだ。もうここに居る必要もないだろうと男を促す。男は何も言わず、そっと私の肩を抱いて屋敷に背を向けた。


ずっと立ち尽くしていた私は足が震え、ふらついてしまった。男はやはり無言のまま私を抱き上げ静かに歩き出す。




近くでみる男の顔は幼い頃の面影が残っていた。彼の名はなんだったか……確か……。




「……クナイ」


「覚えていたのか、ハナ」


懐かしい発音で自分の名を呼ばれ、幼い頃に戻ったような気持ちになる。この国に亡命してから、こちらの発音に合わせ、『ハナ』ではなく『ハンナ』と名乗るようになっていた。


クナイはいつから私に気づいていたのだろう。

彼にとってこの賭けは何の意味があったのだろう。

男の顔を窺うが、彼の表情からは何も読み取ることは出来ない。




顔を上げると、男の肩越しに屋敷の暖かい光が見えて、また涙が溢れてくる。


男は私の視界をさえぎるように抱き直し、そっと屋敷の庭を後にした。





おわり









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