第9話



あの酒場で男が私に出した賭けの内容は、わたしと夫、そして男の三人に関わることだった。


男は、容貌が著しく崩れた妻を夫はいずれ厭うようになるだろうと言った。とてもじゃないがそんな見た目になった女を抱ける男がいるとは思えないと言って笑っていた。


お前たち夫婦が、どんな結末を迎えるのか興味があると言って、男は面白そうにこんな賭けを持ち掛けてきた。





『私に呪いを移すことを夫が許さなかったなら、私の勝ち』


『夫が呪いを私に移しても、醜く崩れた私を以前と変わらず愛し続けたら、引き分け』


『醜く変貌した妻を夫が厭い、呪いを引き受けた私を裏切ったのなら、賭けは男の勝ち』




「お前の勝ちならば、その呪いを俺がひきうけてやろう。引き分けならば俺の出る幕はない。だが、俺が勝ったなら―――お前は俺のものになれ」



男の出した条件を私は了承した。

この先ほかに呪術師が見つかるとも思えない。それに男もあえて自分にリスクのある条件を出してきている。断ることなどできなかった。











「だから言っただろう。あの男はきっと、呪いを引き受けたお前から逃げ出すだろうと。男なんて弱い生き物だ。後ろめたい事からは目を逸らしたくなるんだよ。

それにバケモノのような見た目になった妻を抱けるような気概のある男なら、あの程度の呪いで気鬱になったりしないだろうな」




男が佇む私の耳元で話しかける。


私は今、王都の傍にある懐かしい屋敷の庭に立っていた。


庭に面した大きな窓から、部屋の中が見えている。暖炉が明々と燃え、ソファに座る夫をオレンジ色に染めていた。

ずっと会いたかった夫の姿が窓のすぐ向こうにある。だけど私はもう彼の元へは行けない。







あの別荘で、私の人生は終わるはずだった。


薪が尽き、氷点下の室内で低体温症に陥っていた私は意識が朦朧としていたので、あの時別荘に現れた男のことも幻だと思っていた。


男は薪と燃料を運んできて、暖炉に火を入れてくれて私を毛布で包み温めてくれた。

体温が戻ってくると、男は私に温かいスープを作って食べさせてくれた。

なんだか懐かしいそのスープは、恐らく隣国の料理なのだろう。幼い頃、熱を出した私によく父が作ってくれた味を思い出して、私は食べながら少しだけ泣いた。



男は決して、親切で私を助けたわけではないのは分かっている。

私が死んでしまっては、賭けが成立しなくなってしまうからだ。


男のものになる、という条件を満たすためなのだろうが、私が死ぬ事を許してはくれなかった。




私の体力が回復すると、男は『賭けの勝敗を決めに行くぞ』と言ってこの別荘から私を連れ出した。そこでようやく私は呪いが自分の中から全て消えていることに気が付いた。



男に何故かと問うと『凍死しかけている浮浪者を拾ったので、呪いをソイツに移してお前の代わりに別荘に置いてきた』と言った。


私が男のものになるのなら、ハンナという人間は死んだ事にしなければならない。だから身代わりを用意した、ということらしい。


男の言葉には、時折真実でないものが混じっているように感じたが、私より強い魔力を持つ男には、私の力は通用しない。結局どの話も、真実か嘘かを見抜くことはできなかった。


いずれにせよ、今の私に問いただす権利などない。私は賭けに負けたのだ。





男が賭けの勝敗を決める為に来た場所は、王都近くにある、以前夫と一緒に住んでいた屋敷だった。


姿くらましの術をかけ、庭から部屋をのぞける場所に誘導される。



部屋には夫と、見知らぬ女性がいた。


女性はゆったりとしたワンピースを着て、ソファに座り編み物をしながら優しげにほほ笑んでいた。

夫はそんな女性を柔らかな笑みを浮かべて嬉しそうに見つめている。


女性が立ち上がろうとすると夫が先に立って手を差し出す。女性はその手を取りゆっくり立ち上がると、夫と顔を寄せ合いキスをした。


とても自然な動作で交わすそれは、二人はまるで長く連れ添った夫婦のように見えた。




窓越しにそれを見ている私に男はそっと囁いた。


「彼女の腹が膨らんでいるように見えるね。お前の夫は、お前に自分の呪いを引き受けさせたのにも関わらず、呪いで苦しむ妻を放置し屋敷に閉じ込めて、その間あの女の元へ通い睦み合っていた。

そのうち屋敷にお前が居る事すら嫌になり、あの流刑地のような別荘にお前を追いやって、そしてあの女を新しい妻として家に引き入れたんだ。

俺は全部を見ていたから知っているよ。お前があの別荘で、孤独な時間を過ごし、ゆっくりと死に向かっている頃も、あいつらはこんな風に毎日幸せそうに過ごしていたよ。まるで最初からお前などいなかったかのように、彼らは理想の夫婦のような生活をしていたんだ。

ああ、きっと春ごろには三人家族になっているのかな。

なあ、お前は殴られても傷つけられても、夫のために術師を探して、あんな酷い呪いをその身に引き受けてやったんだぞ? だがアイツは別荘にいるお前に一度だって手紙すら送ってこなかった。

命の恩人であり大切な妻であるお前を、厄介者扱いしてゴミみたいに捨てたんだよ。

……なあ、あの二人が憎いだろう?

お前を捨てた夫を恨めよ。誰のおかげで呪いから解放されたと思っているんだこの恩知らずって罵って、呪ってやれよ。お前にはそれができるだろう?」



男が耳から毒を流し込むように私に囁く。



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