津川愛佳

愛されていた筈なのに……

 義人君の様子がおかしい。一昨日の、火曜日の夜は泣きそうな顔で帰って来たかと思えば、今日は朝起きてスマホを見た途端にニコニコ上機嫌になった。


 火曜日に落胆していた理由は分かっている。瑠美ちゃんに会いに行って、連れ戻す事に失敗したのだ。じゃあ、どうして今は上機嫌なんだろう。こんな浮かれている義人君は私がここに来てから初めてだ。瑠美ちゃんが出て行ってからの義人君はずっと沈んでいた。瑠美ちゃんが帰って来た訳でもないのに、何故こんなにニコニコしているの?


 義人君は鼻歌を歌いながら、テーブルに着いて食事が出てくるのを待っている。


「さあ、チャーハンが出来たよ! これ食べて、お仕事頑張ってね」


 義人君は今日、職場のファミレスに昼前から入って夜のピークまで働く予定だ。このシフトの時には、朝十時にブランチを食べて出勤する。


 私は義人君のスケジュールに合わせてチャーハンを作った。まあ、作ったと言っても、冷凍食品をフライパンで炒めただけなのだが。


「お、美味しそう。いただきます!」


 義人君は私の作った、冷凍食品のチャーハンを美味しそうに食べてくれる。


 義人君は私がする事に、一度もとやかく言ってきた事が無い。いつも私の自由にさせてくれて、しかも肯定してくれる。私達は相性が良いんだ。瑠美ちゃんより私の方が、義人君はずっと幸せになれる。


「なんか今日は楽しそうね。良い事あったの?」

「えっ? 楽しそう? そうか……分かっちゃう?」


 義人君は上機嫌の訳を言いたくて堪らないといった感じだ。義人君の機嫌が良いのは嬉しいが、私は悪い予感しかしない。


「もしかして、瑠美ちゃんが帰ってくるの?」

「瑠美が帰ってくるか……まあ、結果的にはそうなるかな」


 悪い予感が当たってしまった。自分でも分かるくらい、顔が青ざめる。


「実はさ、今日、記憶が戻る薬が届くんだよ」

「えっ?」

「記憶が戻れば、瑠美はきっと戻って来る。愛佳も浩司のところに薬が届く筈だから、記憶が戻るよ。そうすれば、浩司のところに戻ろうって気になるさ。それでみんな幸せになれるんだよ」


 義人君は疑いなくそう思っているようだが、それは違う。私は記憶を失ってはいない。記憶を持っていて、自分の意志でここに居るんだ。だから、浩司君のところに戻る気はない。


 なんとかしないと。瑠美ちゃんは記憶が戻れば、ここに帰って来るのだろうか? やはり記憶が戻るのを阻止すべきか。どうする? 薬を捨ててしまうとか? 何か考えないと。


「薬は何時ごろ届くの?」

「何時ごろって、昼頃じゃないかな。メール便で届くそうだけど……って、愛佳、まさか薬を捨てようだとか思ってないよな?」

「えっ……」

「捨てたって無駄だぞ。頼めば何回だって送ってくれるそうだから」


 義人君が真顔で言った。薬を捨てても意味がないどころか、義人君を怒らせてしまいそうだ。


「義人君……もう良いじゃない。このまま私と一緒に居ようよ。瑠美ちゃんは私が居なくても出て行ったと思うよ。そんな人を追いかけなくても良いじゃない。私はずっとあなたの傍に居る。浮気しても戻って来てくれれば良いから」

「確かに記憶を失った瑠美は、愛佳がここに居なくても実家に帰ったと思う」

「でしょう、だったら……」

「でも、記憶が戻れば、瑠美は必ず帰って来てくれる。俺は信じているんだ」


 義人君は確信しているように断言した。


「そんなの……でもどうして私じゃダメなの? 昔から彼女にしてくれたじゃない! 他の娘は遊びなのに、私はずっと彼女にしてくれたじゃないの! 私の事を好きだったからでしょ? じゃあ、私でも良いじゃない!」


 私は感情のままに叫んだ。


「ごめん。俺は愛佳の事が好きだから彼女にしてた訳じゃないんだ」

「どう言う事よ……」

「浩司がお前の事を好きだから、当てつけで彼女にしていたんだよ……」

「えっ……どうして浩司君が出てくるの……」

「俺は浩司が嫌いだったんだ。頭が良くて、人を見下したような態度、それに……」

「それに?」

「いや、とにかく、浩司がお前の事を好きだから、横取りしたくてお前を彼女にしていたんだよ! こんな男嫌だろ? 愛佳も浩司のところに戻る方が幸せになれるんだよ」


 どういう事? 私を追い出そうとして嘘を吐いているの? いや、嘘じゃない。私は知っている。義人君も浩司君もお互いに心の中では相手の事を良く思っていない事を。一緒に過ごしていて、それを感じる事はあったから。じゃあ、今義人君が言った事は本心なの? 私は浩司君への当てつけで利用されていただけなの?


「これは以前お前を振った時にも言わなかった事だ。余りにも自分勝手で最低だから言えなかったんだ。ごめん」


 義人君はテーブルに手を付き頭を下げた。その誠実さが、余計に惨めな気持ちにさせた。


「仕事に行くよ」


 絶望で動けない私を残して、義人君は仕事の用意を整えて出て行った。



 義人君が出て行った後、私は何時間もダイニングテーブルに着いたまま動けないで居る。頭の中でいろいろな思考がグルグル回っていた。


 私は愛されていると思っていた。一番で無いのは分かっている。でも、瑠美の次には私を愛していると確信していた。だって、彼女だった期間は、私が一番長いし、一番多くセックスしていたから。愛されているのは二番目でも、総合的には私が一番義人君と相性が良いと思っていた。私自身、義人君と一緒なら自分らしく生きられる。


 でも、私は愛されている訳じゃ無かった。浩司君への当て付け。私が義人君の傍に居れたのは、そんなくだらない理由だった。


 義人君が私の思う通りにさせてくれるのは、気持ちを理解してくれているからだと思ってた。でも、違った。義人君は私に関心が無いんだ。どうでも良いから、何をやっても怒らないし、好きにさせてくれていたんだ。私は誰からも理解されてはいないんだ……。


 これからどうする? 虚しい気持ちを押し殺して、このままここに居れば、義人君も追い出さないだろう。記憶が戻ったとしても、私が出て行かなければ、瑠美はここに戻って来ない。私は記憶を失った芝居を続け、図々しく居座れば良いのだ。


 でも、そんな事が出来る? 愛されてもいないのに。気持ちを理解されてもいないのに。


 じゃあ、どうするの? 浩司君のところに戻る? そして、お人形みたいに自分の意思を持たずに一生を過ごすの?


 そう、それが楽かもね……浩司君は私を愛してくれる。それは間違いない……けど……。浩司君は自分に自信が無いだけ。だからこそ、私の全てを奪って安心したいの。


 でも、そんな生活が続かないのは分かっているじゃない。だからこそ、記憶を失った振りをして義人君のところに来たのに……。


 ……もう、面倒だな……。

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