四節

 秋乃が帰ってきたのは、朝のことだった。彼は一晩中帰って来なかったから、雷田は心配にはなっていたが、何かあればピアスから連絡があるだろう、と考えていた。それに、彼もまた自暴自棄になっているのかもしれない。雷田は、落ち着くまで放っておくべきだ、と思っていたのだった。

 階下から勢いよく扉の閉まる音がした。目が覚めて、ベッドから起きると、隣に眠る晴村の額にキスをする。現実が仮想世界であると知ったところで、ここが現実であることには変わらない。脱出する先など用意されていないのだから。今の彼女は、雷田にとっての現実である。

 服を着て、自室を出ると、雷田は寝ぼけ眼で甥の姿を目に留めた。

「中学生で夜遊びとは、将来が不安だな」

 欠伸まじりに悪態をつく。秋乃の後ろに春臣の存在を認め、雷田は眠気が飛んだ。

「重大な話がある」春臣は秋乃を見やり、話すよう促した。

 彼から齎された計画は荒唐無稽なものだった。つまり、了がしたように自分たちも終末へ向かうのだ──と。終末が起きた後でなら、人々の消失は起き得ない。それに、終末世界を実際に歩いてみて、安全であることが判明している。避難先としては、非常に優れているだろう。

 しかし、秋乃はこう言ったのだ。

「これを町の住人、全員に呼びかけて、湖から落ちてもらうんです」

 全員を助けるために、すべてを水底に落とす。

「過酷な道を選ぶわけか──でも、僕たちは生き延びるかもしれない」

 雷田はふっと笑う。少し考えてみて、ひとつ、大きな問題を見つけた。

「もし終末に落ちたとして、僕たちはどうやってそこで暮らしていくのかな。無為に生き延びても、食べるものはどうするのさ。なければ、餓死してしまう。死んだ世界で、僕らはどうやって生きていく?」

「おい、それは──」春臣が顔を顰める。

「これは重要なことだよ」雷田は遮り、秋乃に向き合った。「全員を納得させるには、このことも考えなくちゃならない」

「過去から沢山の食料を買ってきたりして……」

「それも、いつかは腐ってしまう。栽培するにも、数ヶ月はかかるし、どうしようもないんじゃないかな」

 雷田は段々と頭が冴えてきて、椅子に落ち着いた。ぼさぼさに伸び散らかした髪の毛に触れながら、深く考え込んだ。

「でも、終末に住むというのは悪くない発想だとは思うんだよな……。ねえ、春臣」

「何だ?」

「君たちが帰った後も、タイムトラベルって使えるのかな」

「わからない」春臣は頭を振る。「晴村に聞いてみようか?」

「彼女なら上で寝てる」

「え?」春臣と秋乃は目を瞬かせる。

 雷田はふたりを無視して、

「もしタイムトラベル出来るなら、秋乃が言ったみたいに過去へ、その都度買いに行くのもありだよね。でも、ふたりの観測が消えたら、僕らはそこに留まる可能性だってある訳だ」

 夏莉たちが記憶装置の電源を切ったらどうなるか、と言いかけて、雷田は止めた。ピアスから晴村を呼び出して、質問する。

「使える保障はない、かな」彼女が答える。

「そっか……」

「どうだって?」

 雷田は首を振った。春臣は落胆して、唇を噛む。

「あっ」唐突に秋乃が叫んだ。

「何だよ、耳に響くな……。徹夜の癖に元気だな」

 秋乃は春臣を睨むと、彼は肩を竦める。

「で、どうしたの?」雷田は聞いた。

「僕が冬人を追って終末に落ちたんだけど、彼は殆ど一日中、何も呑まず食わずで居たんだよ。それなのに、喉も渇かないし空腹感もないって言ってたのを、思い出して……」

 雷田は目を見開いた。そうか、ふたりの観測がなくなって、余分なシミュレートはしなくなるのだ──と、納得する。人が消失するという過程を吹き飛ばして、未来へ移住するのだから、絶滅する恐れもないだろう。念のために確認すべきだとは思うが、終末まではあと残り十数時間。

 今からでは間に合わない。しかし、雷田は計画の成功を確信した。

「それをもっと早く言ってよ」雷田は口元を上げて、秋乃の肩を叩いた。「よし、夏莉を起こしてくる」

「私ならもう起きてるけど」

 洗面所から晴村が顔を出した。彼女は雷田の隣に座り、会話に加わる。時刻は午前八時を過ぎていた。雷田と晴村にとっては、まだ一日が始まったばかりである。

「問題なのは営業力だ」雷田は言った。「安心を売る時、必要なのはどれだけ安心出来るかじゃない。どれだけ危険なのか、リスクを売り込むんだ。すると相手は安心を求めて、購買意欲が高まる」

「何の話だ?」

 春臣が訊ねる。秋乃はさあ、と両手をあげた。夏莉は隣で笑っている。

「彼らを終末に送るのに、説得が必要でしょう? 僕らは皆を助けようとしているのに──春臣が了を誘拐した不審者に見られたように──終末を作った極悪人と思われてしまうかもしれない」

「え、俺ってそう思われてたの?」

 春臣は雷田と秋乃を見る。雷田は肩を竦め、秋乃は目を逸らした。夏莉はやはり、笑っている。

「俺は兄貴の命を救ったんだがな……」春臣が苦い顔をさせた。

「やり方が悪かったよね」と、晴村。

「今は理解してますよ」秋乃が言う。

「おいおい、それだとやっぱり──」

「話を戻すけど」と、雷田が遮るように話した。「彼らを説得するのに必要なのは、自分事に思わせる危機意識だと思うんだ。だから皆に終末を、それは起こってしまったのだと納得させるために、立ち合わせ、体験させる」

 雷田が熱を込めて言った。

 春臣と秋乃が同じ顔をして引いている。

「そんなまどろっこしい話しなくても良いのに。皆に呼びかけて、私と春臣が観測すれば、未来はその通りになるから」晴村が言った。

「未来改変ですね」秋乃は水を飲んだ。

「いや、未来は元から可能性に満ちているから、改変ではないかな。どちらかと言えば限定する行為だし。だからこれは、秋乃のお母様を説得したような、『魔法』と呼ぶべきかな──」

 そうか、彼女の魔法があったか。そう思ってから、何だか寝言みたいだ、と雷田は心の中で独りごちた。

「じゃあ、今からでも呼びかけるか」春臣が提案する。

「だったら、四季クラブの皆も集めましょう」秋乃が言う。

「大丈夫なのか? 一睡もしてないだろう」と、春臣。

「寝ている暇はないでしょう?」

 秋乃は鼻息を漏らして言った。


 晴村と春臣の協力によって、住人の避難は恙無く進んだ。秋乃たちだけでは大勢の住人たちを避難させるのは難しかっただろう。効率などを鑑みて、湖と非常階段とのふたつの方法で移動を分担することになった。

 湖からの時層移動は、雷田と春臣、了が担当した。まずは雷田自身が飛び降りて見せ、また森の入り口からやって来ることによって──マジックなのでは、なんて声も出たらしいけれど──信用されたのだと言う。

 彼らは最初こそ不安そうな顔をしていたが、了が皆を安心させ、更に人々が次々に下層世界へと向かっていくのを見届けるうちに、徐々に慣れていったらしい。時層移動はスムーズに進行した。

 秋乃たち四季クラブは、晴村と共に非常階段によるタイムトラベルを行い、終末の世界へと案内していった。こちらは移動こそ簡単であったが、扉の先に待つ光景に衝撃を覚え、パニックに陥る人が続出した。こちらにも、マジックでは、という声はあった。科学的な視点とは、その裏に仕掛けがあると見越すことではない。と、そう晴村は雑な説明をしたが、仮想世界の創造主としての力なのか、彼らは簡単に納得する。

 これが魔法か──と秋乃は何だか、気味の悪さを感じずには居られなかった。彼女は、

「カリスマになった気分だ」と言った。「癖になりそう」

「夏莉、今の聞いた?」秋乃は横を見た。

「私はこうならないように頑張ろ」

 晴村は口を曲げ、

「貴方も私だからね。将来絶対こうなる」と、凄惨な笑顔を貼り付けた。

 説明と、説得と、避難とをすべて終える頃には、既に夕刻となっていた。十月十九日の地上からは、すべての人が姿を消している。まるで終末で見た光景と一致していた。これは自分たちの仕業だったのだ、と後になって秋乃は気が付いた。

 意味は後から付いてくる。解釈が未確定未来を限定し、これからの道を作り上げる訳だ。雷田は寂しそうな顔で、秋乃たちの世界を見つめていた。

「僕とは違った未来になったね」雷田が言った。

「そうですね」秋乃は返事した。「どうですか、ここは」

「酷いもんだね。故郷が恋しくなるな」

「一周目に帰っても良いんですよ?」秋乃は口元を綻ばせる。

「良いや。僕はもう、ここで生きていきたい」雷田も笑った。

「それはどうして?」

 雷田は空を見ながら、言葉を探すようだった。暫くの間そうしていたが、遂に見つからなかったらしく、笑って誤魔化す。

「ここもじきに好きになりますよ」

「そうかな──僕はともかく、皆はどうかな?」

「人生の明るい面を見ましょうよ」

 秋乃はクラブの皆を見やった。達成感や不安の入り混じった複雑な顔をしている。未来は当然ながら未確定だ。一周目とは異なる未来にもなってしまった。今後も何が起こるかは分からない。だが、このメンバーが集まったことは変わらなかったし、彼らのお陰で、どんな未来にも耐えられるような気がする。

 ただ、この悲しみや苦しみは癒えないだろう。人生を背負い、過去の喜びが輝かしく見えてしまう限り、幻肢痛が消えることはない。けれど、その痛みこそが成長の証でもあるのだ。秋乃は溜め息を吐いて、星のない宇宙を見つめる。

「秋乃」

 ふと見れば、晴村と春臣がそこに立っていた。ふたりは雷田と秋乃を交互に見つめ、

「そろそろ、私たちは帰った方が良さそうだね」晴村は言った。

「無理して帰らなくても良いんじゃない?」

 雷田は秋乃にも同意を求めるように目を合わせる。秋乃は頷いた。しかし、ふたりの意思は固いらしい。

「秋乃は元の時層に戻らなくて良いのか?」春臣の訊ねた。

「そうだね。僕はここに留まるよ」

「愛着でも湧いたか?」と、春臣はニヤリとした。

「ああ、それだ。とてもしっくりと来る言葉だ。うん、その通りだね。僕は──二周目の町に愛着が湧いたんだ」

「私もだよ」晴村はにっこりと微笑んでから、目を潤ませる。「やっぱり離れたくないなぁ……」

「何言ってんだよ夏莉。それじゃあここまでした意味がないだろう。それに──ここはもう仮想世界じゃない。俺にとっちゃ、並行世界だ」

 秋乃ふたりの辿った未来が違うようにな、と彼は付け足す。

「そうね……。わかってる。だから、今ここで離れた方が良いんだよね。もうこのセカイは私たちが居なくても、自立出来るようになったから」

 雷田は思い付いたように、顔を上げた。

「多分、終末は僕たちのための安全装置だったんだ」と、彼は顔を見合わせる。「ふたりが気兼ねなく電源を切れるようにするための。そして、電源が切れた後にも僕らが生きていけるための」

 秋乃は目を丸くした。

 雷田は続ける。

「終末は僕らにとって希望にもなる。だから、安心して欲しい。夏莉たちの知ってる僕は死んだかもしれないけど、ここにはまだ、僕らは居る」

 ふたりは非常階段へと歩を進めた。

 扉を前に、晴村が振り返る。

 雷田を抱きしめ、そっとキスをした。

 それが最後の挨拶だった。

 秋乃はどんな顔をしたものかと、気まずくなって腕を組んで見せた。春臣が笑って、

「じゃあな!」

 別れは爽やかに済まされた。

 アダムとイブは、もう二度と姿を見せる事はなかった。

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