三節

 人は皆、自分勝手だ。

 それは恐らく、秋乃自身もそうなのだろう。誰もが皆自分の立場に立って考え、動いているのだから。感情表現を否定することは、その人物の自我を否定してしまうことになる。秋乃の中に生まれた怒りを抑えるのに必死で、学校はいつの間にか終わっていた。

 晴村たちの言葉がずっと、強迫観念のように、頭から離れなかった。授業中も先生の話が耳に入らず、何もかもが自分の身体から乖離していく。どれも実感がない。何故なら──

 ここは仮想世界なのだから。

 すべては偽物なのだ。

 自分たちは死ぬべくして生まれてきた。

 何のために生きているのか、という問いかけを突き詰めてれば、これは、産んだ人間のエゴへと帰結する。つまるところ、このセカイも、ふたりの雨宮秋乃も、四季クラブも、そして終末さえも──彼女と、春臣のために作られたのだ。

 誰が生めと頼んだ?

 誰が造ってくれと願った?

 秋乃は感情を抑えるので精一杯だった。

 これは何て自分勝手なことだろう、と秋乃は思う。醜いものだ、とも感じてしまう。けれどこれこそが、どうしようもないほどに自分自身の素直な反応であり、彼らもまた自分に素直になっただけなのだ。子どものように純粋で、何より、他者への祈りが込められている。

 春臣は兄に生きていて欲しいと願った。

 夏莉は彼に逢いたいと願った。

 ふたりの哀しみのために、すべてが生まれたのだ。ここは夢で、現実こそ嘘だったとするなら、一体どこに実感は存在するのだろう。秋乃はそう考えてみて、こうした思考すらもシミュレーションなのかと思うと、思わず失笑してしまいそうになる。

「放課後に集まろうぜ」と言う春臣もまた、セカイの事実を知らないのだろう。

 秋乃は今日、これをパスした。楽しく笑える気分ではなかった。燃え尽きてしまったのだ。真実ほど残酷なものはない。優しさが伝わってきてしまうから、怒るにも怒れないのだ。ただやるせない。不完全燃焼な心持ちを、何処へ差し向ければ良いのだろうか──秋乃にはわからなかった。

 だからこの怒りは、自分勝手な怒りそのものに返ってくる。

 自宅に帰る気が起きなかった。かと言って、時計台へ行きたいとも思えない。今はただ、ひとりになりたかった。秋乃は創造主の正体を知らされて、非情な現実に打ちのめされたのだ。否、あまりにも情熱的で、個人的な理由だったからこそ、辛くなってしまうのだろう。

 向かう当てもない。秋乃は取り敢えず、図書館へ篭ることにした。ピアスをオフラインにし、音楽を流す。音楽さえかかっていれば、どんな人生ですら劇的に演出されるに違いない。例えばこんな、どうしようもない目に遭って、心が折れてしまいそうになったとしても。

 個室を借りて、特に何をするでもなく時間を過ごした。上の空で音楽を耳に捻じ込む。脳味噌を音で埋め尽くす。思考の声が聞こえてこないように。歌詞は良くわからなかった。月光のような憂鬱さを心の内に秘めている。

 秘密は墓場まで持っていくべきだろう。

 知ったとしても、誰も幸せにならない。

 幸福と違って、不幸は共有されやすい。

 なら、それは外に漏らさず、ひとりで抱え込むべきだろう。終末は避けられない。だとすれば、死刑囚のように恐れ慄いているよりは、その瞬間まで知らない方が良いと考えたのだ。少なくとも、秋乃はそうだった。

 無知は幸福だ。知識がくれるのは、等価交換という方法だけ。得られるのは情報か資源であり、しかも玉石混合と言える。結果として、秋乃はババを引き当てた訳だ──

「やっぱりここだ」

 曲には見合わない声色が、背後から聞こえた。

「春臣」

「お前、どうしたんだ? 突然そんな辛気臭い顔しやがって。何があった?」

「何でもないよ」

 秋乃はそっぽを向いた。

「へえ……そう来たか」春臣はニヤリとしながら、握り拳をもう片方の手で覆う。「なら、何が何でも聞き出してやらなくちゃなあ──CIAで培った尋問技術を駆使して」

「は? ……尋問?」秋乃は唖然として聞き返す。

「野郎ども、やっちまえ」

 通路から夏莉と冬人が飛び掛かった。


 気がついたら、秋乃は湖畔に居た。

 ピアスの光を一点に集め、囲っている。湖は夜空とつながり、星の白が揺らいでいるのが見える。秋乃は意識が戻る頃には、秘密をすべて打ち明けており、驚愕は彼らのうちに波のように広がっていた。びっくりするほど鮮やかな手並みで暴かれたので、もしかしたら春臣は本当にCIAに居たことがあるのではないか、と秋乃は思う。

 反応は三者三様だった。

 春臣は大笑いし、夏莉は、沈痛な面持ちで考え込み、冬人は普段通り冷静である。面白い人たちだ、と秋乃は口元を綻ばせた。幾ばくか、痛みも和らいだようだ。

「成る程ねえ……仮想世界かぁ」

 ひとしきり笑った後、春臣は大の字に寝そべる。

「信じられないけど、でも、辻褄が合うね」夏莉は唸った。「だとしたら、実際は未来干渉じゃなくて、ふたりの観測が問題だったってこと?」

「僕もそれを考えてた」と、冬人。「彼らふたりのために整合性が取られていたとすると、僕たちは観測の目から逃れれば自由になるのかな」

「それはどうだろう──ふたりの記憶からセカイは構築されているわけだし、観測によって成り立ってるとも言えるよね」秋乃が意見する。

「じゃあ、ふたりが居なくなったら俺たちは消えるってことか?」春臣は起き上がった。

「そうなるかも。だから、終末があったのかな。本当の理由を隠すために……」夏莉ははあ、と息を吐く。

「でも、終末はふたりの意思ではないみたいだよ。記憶装置が勝手にやったらしい」秋乃は皆の顔を見回して、「だから、ふたりにはどうにも出来ないって」

「それはどうだかな」

 春臣が文句を言った。その後ろには、今朝見たばかりの男が立っている。冬人があっ、と指差した。春臣が顔だけで振り返る。

「本当の話だ」

 もうひとりの春臣が、四人の輪に入った。春臣がふたり並んで座っている。秋乃は口をへの字に曲げて、これを見つめると、

「俺も四季クラブのメンバーなんだが」と、大人春臣が笑って見せた。

「お、お前はあの時の不審者……!」春臣が色めき立つ。「冬人のことも突き飛ばしたらしいじゃねえか」

「冬人を? 俺がか?」

「しらばっくれるなよ。お前が冬人を終末に落としたんだろ? 俺は──」

「違うよ、春臣」冬人が否定した。「お久しぶりです。……春臣さん」

「久しぶり」

 秋乃と夏莉は目を丸くして見合った。訳を知らないのか、という表情をして見せる夏莉に、秋乃は首を振る。

「こりゃどういうこった」春臣も当惑している様子だ。

「僕はあの日に出会ったんだ。えっと、十四日だったかな。了君が落ちてきた晩に、僕は湖まで確かめに来た。彼の話は本当で、もしかしたら下に未来があるのかもしれない。例え事実とは違っていても、彼なりに本当のことを言っていて、それらしい証拠が見つかるかもしれない。そう思って、飛び込もうとしたら、春臣さん──って言うのは何だか変な感じだね──と会ったんだ」

 全員が大人春臣の方へと顔を向けた。彼は怪訝な顔をした後、説明を求められているのだと気付き、

「俺はこの近くの廃家に住んでいてな。了の存在を確認した後、そこに帰ったんだ。そうしたら、湖から音が聞こえてくるじゃないか。もしかしたら夏莉──いや、晴村や秋乃──じゃなくて雷田だったか? 奴が居るかもしれないと思って顔を出したら……」

「冬人が湖に向かっていた、と」

 夏莉の質問に、大人春臣は肯定した。冬人も同意している。結局、冬人は自分の意思で終末へと落ちたのだ。秋乃は呆れ返って、やれやれと首を振った。

「まったく人騒がせな野郎だな、冬人は」春臣も苦笑しながら、冬人を小突く。

「じゃあどうして僕を突き落としたりなんかしたんですか?」思い出して、秋乃は訊ねた。

「もしかしたら、終末を阻止出来るかもしれないと思ってたんだ。その時はまだ、終末は記憶装置の意思決定ではなくて、タイムパラドックスの一種だ──と考えていたからな。だから、俺だけでは出来なかったが、君らに協力して貰えば、未来改変される可能性はあると思ったんだ。結局、君らふたりは晴村に救出されて、失敗に終わった訳だが……」

「失敗だらけじゃねえか」と、二周目の春臣。

「うるせえ」一周目の春臣が苦笑いで応じると、秋乃に向き直り、「本当に申し訳ないことをしたと思う」

「びっくりしましたよ。一言でも言ってくれたら良かったのに」

「すまない。俺も焦ってたんだ」

「そう言えば、貴方はどうしてここに?」夏莉が聞く。

 彼は困った顔をして、

「帰ろうと思ったんだ。隠居生活だよ」

「春臣は未来で隠居するのね」夏莉はふたりに向かってニヤリとして言った。

「煩いなあ」

 春臣が母親に言うような態度をして見せたので、秋乃はくすっと笑う。大人春臣は頭を掻いて、

「こんなことをして、すまないと思ってるよ。まさか、こうなるとは思いもしなかった」

「しっかりシミュレーションしてから来てくださいよ」冬人が毒突く。

 大人春臣は乾いた笑い声をあげた。「手痛いな……」

「あーあ、俺たち明日で最期か……。未練しかねえな」

 春臣が頭に手を乗せて呟いた。

「僕もだ」秋乃が頷く。「観たい映画が沢山ある」

「そうか……」

 大人春臣は俯いて、静かに泣き始めた。秋乃たちは釣られそうになったけれど、溜め息と共に我慢する。

「すべては運命だからね」冬人が言う。「僕らにはもう、自由がない。そうだ、春臣さん。貴方は終末の時にここを去るんですよね?」

「──そうだね。多分、そうなる」

「だから、僕たちは消滅してしまう。うん。やっぱり、僕らの存在は観測によって成り立っているんだ」

 秋乃は夜空を見上げた。

 人工的な光が少ない所為か、星がよく見える。

 終末の日には見えなかった光景だ。

 終末──そこは不思議な世界だった、と秋乃は回想する。場所だけが残されていて、生き物はどこにも見当たらない。星もまた、生き物なのだろうか、宇宙は真っ暗のように思われた。

「すべては運命か……」

 虚空に呟いてみて、秋乃は電撃を受けたような閃きにはっとした。何故気が付かなかったのだろうか、と今になって思う。自分たちは終末の後を歩いたのにも関わらず。

「どうしたの?」

 心配そうに夏莉が聞いたので、秋乃は思案から戻ってこれた。口元を覆う掌を払うと、口をぱくぱくと開閉させる。言うべきことが見つかったのに、適切な語彙が出てこない。使命感だけを残して、頭が真っ白になったような、そんな感覚。

 これは全員が助かる唯一の方法でありながら、同時に、最も困難な道を歩むことにもなる。秋乃は迷った。解答はひとつでも、手段はひとつではない。他にもっと良い考えがあるのではないか。こんな、茨の道としか形容出来ない方法などではなく。

「何? 金魚の真似?」春臣が眉を顰めた。

「ネオンテトラ」と、冬人。

 秋乃は立ち上がり、ピアスの光を持って、湖を照らした。空は既に白み始めている。決意が必要だ、と秋乃は感じた。生存と引き換えに、永遠とも言える苦痛を等価交換するための。

 秋乃は皆の視線を集めたまま、ややあってから、口を動かした。

「ここから飛び降りよう。そうすれば、助かるかもしれない」

「気でも触れちまったか──」春臣が言う。

 夏莉は春臣を睨んだ後、秋乃を見上げて、

「どう言うこと?」と、聞いた。

「僕たちは終末を阻止したり、回避するために過去に避難することばかり考えていたけれど、重要なのはそうじゃない」

「そうじゃないって?」春臣は目を細めた。

 彼を一瞥して、秋乃は冬人に、

「冬人、僕らは終末の世界を歩いたよね。終末は、叔父さん──つまりもうひとりの僕が体験したところでは、振動が起きて、それから廃墟になったらしい。一瞬ですべてが崩壊した。その時に、仮想世界の電源は切られるのかもしれない、とも」身体が暑くなり、上気して頬が僅かに赤くなる。「でも、僕らはその後の世界を歩いたじゃないか。終末の後の世界を」

 メンバー三人は驚いて、秋乃のように皆が立ち上がった。

「成る程な──未来に逃避するのか……了みたいに。終末の後でなら、誰も死なない」大人春臣は静かに笑った。「確かに、それならいけるかもしれない。だが、これは終末に生きることになる。永遠に朽ちたままの場所で。星は見えず、朝は訪れない。──それでも、良いのか」

 秋乃は頷いた。

「きっと、僕らの行いはすべて運命だったんです。了君が落ちて来たのも、きっとこのことに気が付くため……。つまり、現実以上の最善なんてないんですよ」

 力強いな、と春臣は唇を噛んだ。

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