二節

 これからどうしようか、という話題になった。春臣の目標は既に全員が聞いた。夏莉は、未来に行こうと考えているようだ。良かったら一緒に行くかと聞かれ、秋乃は二つ返事で受け入れた。面白い考えが浮かんだからだ。つまり、二周目の世界に居る自分を引き取って、共に暮らしてみるのはどうだろう、と。

 夏莉はこの考えにあまり良い顔をしなかったが、春臣はこれをとても面白がった。その上、協力的でもある。

「これでフェアになるな」とは彼の言い分だ。相変わらず意味が分からない。

 秋乃が決心を固めると、夏莉はそれ以上何も言わなくなった。彼女もまた、秋乃に手を貸すようだった。と言うより、「離れたくない」と直接的にそう言ったので、秋乃も強く拒否したりするようなことはしなかった。

 しかし、このためには幾つもの改変を行わねばならない。まず、自分の正体がバレないように偽名を作った。秋乃は雷田一、夏莉は晴村未来と名乗ることに決めた。春臣は、「堂々としていたい」と言う理由から、偽名を作らなかった。

 秋乃は夏莉と共に、まず病室に居る母に会いに行った。叔母も見舞いに来ていて、この時代はまだ中学生だったと言うのに、そこへ未来の秋乃が訪ねてきたものだから、ふたりは大変驚いたようだった。けれど、確かに秋乃の姿を見て取ると、その成長を喜ぶと同時に、彼の計画を聞いて渋るのだった。

 自分と一緒に暮らすのは、どうなのか、と。秋乃は必死に説得し、後は夏莉の「魔法」とやらでふたりはあっさり了承し、現実は改変されることとなった。

 ──ここまでが過去の話である。

 ルームミラー越しに、後部座席に座っている秋乃少年の姿を目にして、秋乃──否、雷田は無性に笑みが溢れるのだった。昔の自分と相対するのは何とも不思議な感じがして、面白い。突然現れた男相手に、秋乃はまったく心を開かないが、それも思春期特有の問題だとして、片付けた。

 今彼は、ピアスから流れる音楽に耳を傾けながら、気を紛らわせているのだろう。雷田はこのアイテムにも懐かしみを覚え、些か感傷的になった。この時層へ来る前に、どこから仕入れたものか、雷田の分を夏莉──つまり晴村から受け取っていたから、使い方は既に思い出している。ホログラム技術に慣れてしまっていると、どうにも物に対する扱いが難しい。……にも関わらず、秋乃は上手に活用して見せている。

 技術の変化と共に生き方が変わってしまったのだと、雷田は痛感した。それは、車の運転も同じことだった。すべて全自動で勝手に動いてくれていたものが、こんなにも手間をかけなくてはならないだなんて。雷田は、ぎこちない運転技術が少年にバレないよう、必死に頑張るのだった。暫くして、故郷へと至るトンネルを見つけて、漸く安心した。

「もうすぐ着くぞう」

 それは心なしか、明るい声色だった。

 新居に着き、早速段ボール箱を開けていく。中身はどれも夏莉たちが用意したものだった。一体、どこから調達したものか、分からない。これも改変によるものなのだろう。雷田の知らないところで、ふたりはタイムトラベルを存分に活用しているらしかった。

 近所の住民たちとの挨拶の途中に、中学生の時分の夏莉が現れ、雷田は少しびっくりした。少年の秋乃が居るのだから当然、夏莉も存在して然るべきなのだが、何故だか想定していなかった。彼らは、共に出掛けて行ってしまい、挨拶も終わってしまえば、雷田はひとり残された。後には大量の荷物ばかり。長時間、格闘するはめになった。

 その休憩中に、晴村からピアスに連絡が入り、彼女は図書館の司書として既に一年ほど勤めていたことを知った。曰く、これも仕込みなのだとか。

「本当に凄いね。僕もそれくらい上手く活用出来れば良いんだけど」雷田は自室にテーブルを運びながら、「重たいな、これ」と聞こえないように呟く。

「慣れだね。何かあったら私に言って」

「うん」雷田は積み重なった段ボールに眼差しを向けて、「ちょっと、荷物運ぶの手伝ってくれないかな……」

 そこで、通話は切れた。

 退屈な時間というのは、そこが静かであろうと、騒がしくあろうとも、変わらず存在している。要は気分の問題なのだろう。やるべきことの大半を片付けた雷田は、ソファに埋れながら天井を見上げていた。特に何かあった訳でも、このまま見ているつもりもなかったので、やがて立ち上がると、身支度を整える。何か考え事をするネタを仕入れに、外へ出向こうと考えた。

 家の外には思い出が広がっている。ポケットに両手を突っ込みながら、ぼうっとした表情で歩いていた。自分は今、過去に居るのだ。カフェテリアでの会話を思い出す。これは未来からの干渉ではないか、ふと疑問に思い、彼女に訊ねた。

「ここは二周目の世界だってことを思い出して。ここは過去に見せかけた、未来なんだよ」

「ああ、成る程。話が見えてきた」雷田は相槌を打つ。「僕らは過去の存在で、ここは姿形こそ過去を模倣してはいるけど、実際は未来。だから、何をしたって構わない訳か」

「そうさ」春臣がパスタを口に挟み、フォークを持ち上げた。「俺たちは未来干渉にはならない」

 と、彼は断言する。春臣は今、雷田の居る年代よりも、四年ほど前の時層に居た。兄の雪丘了を交通事故から救い、目的は果たされたらしい。異なる時層とは、ピアスでの連絡は出来なかったので、これは晴村から間接的に報告を受けることになった。以来、それからずっと、春臣はその時層に留まっている。

 何か問題でもあったのではないか、と雷田は心配したが、晴村は楽観的だった。

「どうせ、お兄さんと一緒に過ごしているんでしょ」

 後は個人の自由だとでも言わんばかりの言い草であったが、雷田もそのように受け入れ、今度は自分のことを省みる。これからどうしようか。これが問題だった。何も良い案は見当たらない。

 町を散策しながら、見聞きするものがすべて等しく少年時代と同じ事に、雷田は戸惑った。胸ポケットから手帳を取り出し、挟み込まれた一枚の写真を手に取る。かつて自分が育った思い出の町。涙が出そうになり、雷田は堪えた。どうして人間は悲しみを思い出してしまうのだろう? 喜びや楽しみは、一瞬で過ぎ去ってしまうというのに。

 雷田は写真を手帳に戻し、胸ポケットに仕舞う。涙が出ないように、ふう、と息を吐いて、

「今からそっちへ行ってもいいかな?」

 ピアスから、晴村に聞いた。

 図書館を訪れると、

「未来はどう?」晴村はくすっと笑い、雷田を出迎えた。彼女は司書として、カウンターに就いている。「自分と話す気分は?」

「不思議なもんだよね。あれは確かに自分なんだけど、何だか別人みたいだ」

「実際、別の世界の人だからね」

「もしかしたら、指紋とか違かったりして」

「それはどうなんだろう」

「夏莉でも分からないの?」

「今は晴村未来」

「あ、そうか、ごめん。参ったな……名前がふたつあるってのは、結構難儀だぞ」

 まるでスパイみたいだ。それから雷田は、昔の人は子供の頃に幼名をつけ、成長すると実名をつけられた、という話を思い出した。混同したりしないのだろうか、疑問に感じる。

「そういうの、人が居ないところで言ってよね。他の人に知られでもしたら、危険だからさ」

「今誰も居ないじゃないか」

 晴村は背後にある扉を指差して、「同僚が居る」とピアス越しに小声で言った。目を丸くさせた後、成る程、と雷田は苦笑する。

「そう言えば、こんな話を始めたのは晴村からじゃなかったっけ?」

「未来って言ってよ」晴村は微笑んだ。

「そうしたら、君のことなのか時代のことなのか分からなくなるよ、きっと」

「分からなくて良いじゃない」

「分からないと、僕は困るよ」

「どうして?」

「君を過去にはしたくないからね」


 もうひとりの秋乃が帰ってきたのは、夕方のことだった。彼は洗面所へ行った後、すぐに自室に篭ってしまい、会話の機会はなかった。この地味にぎくしゃくとした関係がどれだけ続くのかを考えると、少しだけ暗澹たる心待ちにさせられる。

 夕食には、引っ越し祝いとしてピザを注文した。食事中、秋乃に今日はどうだったかと根掘り葉掘り質問したが、返答はそっけない。自分はこんな子どもだったのか。頬杖をつきながら、ワイングラスを傾けて、控えめに笑う。食べ終えるなり、彼はまた寝床に引き返していった。

「成る程、嫌われているらしい」雷田は背中を見送りながら、独りごちた。

 ピザはまだ残っている。適当な映画──バタフライ効果を如何なく発揮するタイムトラベルもの──を観ながら、食事の続きをひとりで行った。これでは、今までの暮らしとあまり変わらない。違うのは、目の前に並んでいるのがお惣菜ではない、ということくらいか。酔いが回り、雷田は一度秋乃の元へ突撃した。そこで、明日は彼の転校初日だと思い当たり、勇気づける一言を与え、満足した。

 リビングに戻り、夕食の片付けをしていると、ふと、ピアスより春臣から連絡が。応答してみると、彼は開口一番に「やばい」と言った。心なしか、息も荒れている。雷田は怪訝に思い、

「何があったんだ?」

「失敗したよ、秋乃」

「今僕は雷田一だよ」

 春臣は黙ってしまった。雷田は謝ると、先を促す。

「俺は確かに兄貴を助けたんだ。だが、不注意で、死なせちまった……」耳元で彼の啜り泣く声がした。「失敗したんだ」

「今どこに居るんだ?」

「森だよ。そこに廃家があるの、覚えてるか?」

「ああ──」雷田は肯定し、「まさか、そこに?」

「そうさ。たった今、湖から落ちてきたんだ。尤も、落下したのは学校の屋上だったけどな」

「屋上に? おい、大丈夫なのか……」

「俺は大丈夫さ。だが、兄貴は駄目だった。なあ、秋乃。俺から提案があるんだ」

 雷田は嫌な予感がして、耳がひりついた。喉が急速に渇きを覚え、ワインを飲む。彼の話を聞くのは、多少勇気のいる事だった。

「何かな?」

「ひとつ……賭けをしてみないか?」具合の悪そうな声。

「何の?」

「タイムパラドックスは、本当に起こるのか」

 雷田から血の気が引いた。

「何をする気だ、春臣」

「それは今、重要なことじゃない。どうだ、賭けるか?」

「いいや。俺は降りる。賭けは無しだ」

「そうか。なら、俺の一人勝ちって訳だ」春臣は一度、そこで言葉を区切った。「なあ、秋乃。いや、今は雷田だったか。もし、タイムパラドックスが起きなかったら、それはどういうことになると思う?」

「さあね」

 春臣は大笑いした。何かタガが外れてしまったかのように、止まらない。雷田は困惑した。

「もう少し自分で考えてみろよ。良いか、俺はこう考えてる。タイムパラドックスが起きなければ、それは単なる考え過ぎだったってことだ。複雑にし過ぎなのさ。未来干渉があるってのなら、俺が何をしたって、バタフライ効果による影響なんてものは無いはずだ」

「なら、君は過去でどんなに頑張っても、僕や晴村──夏莉が未来干渉を起こして、過去改変は出来ないだろう」

「いいや。出来る」と、春臣が呟く。「秋乃、お前は明日、俺と一緒に四年前に行くんだ。そこで、俺はもう一度──たった一度きりの挑戦をする。無事に救えるかどうか、そして、その後にパラドックスは起きるのか。それを確かめようじゃないか」

「それは、夏莉には言ったのか?」

「いいや。これは、俺とお前の男同士の話だ」

「もし、パラドックスを起こしたらどうなる? ……危険過ぎないか」

「そんなことが起きたら、また一巡目の世界に戻れば良いだけの話さ。最初からやり直せば良い。だろう? 夏莉だって、話せば分かってくれる」

 雷田は考えようとしたが、既に眠気と酔いで頭が重くなっていた。何も言わないのを保留と受け止めて、

「答えは明日聞こう」

 春臣がそう告げると、通話は途絶えた。雷田の額から汗がひとつ、流れ落ちる。どうすべきか、決めかねていた。もし彼の兄が生き残り、それが今自分の居る時層に影響が出るとしたら? 雷田は恐ろしくなった。先の未来で何が起こるのか、何も分からないのだ。

 だが、それは誰だって同じことだ。バタフライ効果も、タイムパラドックスも、この目で見たことがない──晴村も未確定未来を体験したことがないのと同じように。だから、ここで冒険に出ないのはどうだろう。知識は失敗から生まれる。春臣の言う通り、何かあればやり直せば良い。彼に通話を掛け、

「分かった。……行くよ」

 春臣は喉の奥から笑うように、「……良し。明日の午前八時に、トンネルまで来てくれ。非常口の前で待ってる」

 通話はそこで終了した。雷田はぐったりとして、背もたれに身体を預ける。酔ってるな、と思った。ふっ、と息をひとつ吐いて、ワイングラスを傾ける。

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