第二章

一節

 これは数日前のこと。


 大学を卒業して、適当なところへ就職し、早幾年。夏莉との遠距離恋愛も、ホログラム技術のお陰もあって、さほど距離を感じない。どこへ行くにも、まるですぐ横を共にしているような気分になる。秋乃は、明日に休日を控えた帰り道を、やけに軽い足取りで歩いていた。

 昨日、幼馴染みの春臣から連絡があった。昼休憩の時だった。会社の広場にて、久しぶりに彼の姿と相対した時、秋乃は思わず口元を綻ばせていた。十年前と変わらない見た目。まるで不老のようだ。長年離れていたのに、彼に変化が見当たらないのは、諸行無常における例外だろうか。

「土曜日にでも会わないか」春臣が言った。「久しぶりに集まろうぜ」

「そりゃ良いけど、突然だね」

「大体のことは突然起こるものだろ。この機を逃すと次はないぜ」

「考える間を与えないのは詐欺師の手口だよ」

「何も騙していないだけ、マシだろう?」

「何か、僕に隠していることがあるだろう」秋乃はカマをかけた。

「何故そう思う?」

「否定しないね」

「俺は詐欺師じゃなくて手品師だからな」

「そりゃどう言う意味なの」

 春臣は不敵に笑った。

「俺にもさっぱりだ」

 こうして、秋乃は春臣と再会することになった。夏莉にこれを話すと、彼女も合流することが決まった。ホログラムではない、本物に会うのは随分と久しぶりのことだ。いや、ホログラムを偽物とするのは不自然だろう。会えて、話せるそれの、どこが偽物なのだろうか。

 秋乃はしかし、この日を楽しみにしていた。

 彼らとは、ファミレスで集まることになった。予定よりも早く、先に着いてしまった秋乃は、小説を読みながら待っていた。今や時代遅れの代物と言われる紙媒体に、目を見張るほど敷き詰められた活字。この流線形の黒字の中に、宇宙が存在している。冬人はそう言っていた。秋乃が活字中毒になったのは、彼の悪影響だ。

 暫くして、夏莉が現れた。秋乃の姿を見つけると、片手をあげ、軽い挨拶を交わす。こちらは、見ない間に随分と変わった。洗練された印象がある。頬を爽やかな風が撫でた。彼女は秋乃の対面に座り、

「久しぶり」しみじみとそう言った。

「うん。久しぶり」

「変わらないね、秋乃」

「いつもホロで会ってるからじゃないかな。これは、彼も同じだけど」

「彼?」夏莉は首を捻る。

「春臣だよ。あいつとホロで会ったんだけどさ……」

 そこへ、秋乃の視界に春臣が映った。彼は満面の笑みで、こちらへと向かってくる。秋乃が手をあげると、夏莉も振り返って、彼を見た。春臣は夏莉の隣の席にどっかりと座り込むと、息を吐く。

「まったく、この頃は冷えるな」

「店の中は暖かいだろう」

「まだ秋だよ」夏莉が言った。

 店員がやって来て、新たにふたりの分の水を持ってくる。それぞれ一口飲むと、秋乃もそれに続いた。穏やかな曲が店内に流れている。同じテンポで時間は動いているようだ。三人は取り敢えず食べ物を注文し、品がやってくるまで思い出話に花を咲かせた。それから、同級生は今何をしているのか、といった近況の報告へと話題は移り変わる。

 やがて注文したドリアが届くと、秋乃はスプーンで突いた。彼らも食事を始めた頃、おもむろに春臣が口を開く。

「なあ、秋乃。十年前に戻ってみたいと思わないか?」

「十年前って言うと、僕たちがまだ中学二年生くらいのときか」

「そう。私たちが四季クラブを結成した時だね」夏莉が頷いた。

「ああ、もう十年も前になるのか……」

「で、どうなんだ?」春臣が詰め寄る。

「どうったって……。まあ、楽しかったしなあ。戻っても、良いかって感じかな」

 秋乃はコップに口をつけた。春臣は夏莉と目配せする。秋乃はおや、と思った。春臣は秋乃に一度頷くと、意を決したように、

「秋乃、タイムトラベルをしないか」と言った。

「え?」秋乃は口をあんぐりと開けたまま、「……正気?」


 気付けば、秋乃は車に揺られてかつての故郷へと揺られていた。道路に登録された情報を読み取って、車がその上をなぞっていく。自動運転とはよく言ったもので、今や車と言うのはレールに沿うトロッコのようなものに成り果てていた。車内にはハンドルやレバーと言ったものが取り払われていたから、前部座席では、春臣が子どものように椅子を回転させている。

「技術が俺たちにもたらしたのは、大いなる暇だな。何もしなくて良いってのは、客の来ないバイト先みたいに、時間が長く感じる」

「ラジオでも流す?」秋乃は聞く。

「いや。しりとりでもしよう」

「車」と夏莉は言い、隣の秋乃を見た。

「マジック」秋乃が答える。

「車」春臣は言った。

「寝惚けてる……?」

「最初からやり直そう。俺からだ。車」

 車偏執狂だ、と秋乃は心の中で呟く。

「マントル」夏莉が続けた。

「ルビー」

「それはビーからか? それともビから?」

「どっちでも良い」秋乃は手を振る。

「じゃあ、ビーン。豆」

 秋乃は驚いて、思わず春臣を見やった。

「やる気ある?」

「飽きちまった」

「あのねえ……」

 こうして、三人は退屈な時間を潰していた。大体は、春臣が何かを提案し、ふたりがそれに乗る。が、間も無くして彼自身で幕を下ろしてしまい、長く続くことはなかった。その内、春臣はポテトチップスを食べることに専念してしまい、フロントガラスへと向いてしまう。秋乃は、良くも悪くも、そこを含めて変わっていないなと苦笑した。

 後部座席には、秋乃と夏莉の恋人どうしで並んで座っている。友人関係から発展したからか、一時、熱い期間があったものの、再度昔のような親友めいた関係へと着地した。ホログラムで会えてはいたものの、秋乃たちは物理的に離れていた。だから、彼女の温もりに触れると、ほんの少しばかり胸が高まった。

「これなら、冬人も誘いたかったね」ふと、夏莉が呟く。

「ああ、冬人が居てこそ、四季クラブだもんね」

「そう。彼も、呼べば良かったな」

「どうして呼ばなかったの?」

「忘れてたの」夏莉は舌を出した。「秋乃に会いにいくことばかり考えて」

「そりゃまた……」

 秋乃は鼻息を漏らした。春臣は、ポテトチップスを片手に眠っていた。ふたりはこれを見て、互いの唇を閉ざす。町が近づく頃には、窓からの景色も大きく変わり、秋乃にも帰って来たのだという実感が湧いた。隣町と境するトンネルを通り過ぎ、車はついに目的地へと辿り着いた。近くの停車場に停まり、三人は荷物を持ってそこから降りる。

 長時間の着席から解放されて、秋乃は大きく伸びをした。涼しい風が、お淑やかに吹く。見渡してみれば、そこには思い出と同じ、懐かしい光景が広がっていた。遠くには森の付近に建てられた、この町のシンボルである時計台が目に映った。

 鞄を肩に、夏莉が秋乃を呼ぶ。

「どう? 久しぶりの故郷は」

「懐かしくて涙が出そうだよ」

「俺もだ」脇から春臣が言った。「最近、帰省していなかったからな……」

「じゃあ、行こう」夏莉がトンネルの方へと歩いていく。

「あれ、町に行くんじゃなかったの」秋乃は戸惑った。

「何言ってるの。私たちは帰省しに来たんじゃないんだよ。タイムトラベルだって言ったでしょう」

「タイムトラベルならしたよ。過去を回想した」

「そうじゃない」春臣がくすくすと笑う。

「ならどういうこと?」

「文字通りの意味さ」

 冗談だと思っていたが、春臣の表情からは真剣な様子が見て取れた。それ故に、秋乃は余計に混乱した。旧友の世迷言と思いたかったが、どうもそのようではない。

 夏莉が先導して、トンネルの前に立った。それから彼女は併設された歩道を渡り、非常口を目の前に、立ち止まる。秋乃を見つめながら、

「ここ」と指定した。「この中で、タイムトラベルが出来る」

「本気で言ってる? ドッキリじゃなくて」

 夏莉は秋乃に真っ直ぐの眼差しを向ける。秋乃は、心の底から怯えた。春臣を見る。彼もまた、同じだった。

「僕、壺を買わされる訳じゃないよね?」半笑いでそう訊ねる。

「買わせる訳ないだろう。まったく、信用がないな」

「当たり前じゃないか。いくら技術力が発展しようとも、タイムトラベルだなんて──あっ、まさか」秋乃は青ざめて、「僕を昏睡させる訳じゃないよね。コールドスリープみたいに」

「何もしないよ」夏莉は吹き出した。「安心して」

「突然タイムトラベルとか言い出して、安心出来るかって」

「危害は加えないさ。さあ、中に入ろう」

 春臣は、非常口の扉を開けた。中に階段が見える。秋乃は身体が芯から震えていることに気がついた。

「春臣、僕は信じてるよ。背後から押さないってことを」

「だから何もしないって。くどいな」

「下に行くだけだよ、秋乃」

 夏莉の言葉通り、三人は階段を下って行く。途中、これはどこに通じているのだろう、と不思議に感じた。非常口ならば、地下通路やまた別のトンネルに続くイメージがあったが、これはどうにも違う。かなり深い。不安から好奇心へと移り変わり、秋乃は早く先を確認したくなった。

 次に扉を見つけるまで、およそ五、六階ほどの高さを移動する。これは踊り場の数から考慮して、計算した結果だ。下りる間、誰も言葉を交わさない。やがて、地下一階と記された扉を見つけた。文字の下には、年号が書かれている。それは、今から十数年前のもの。出口からトンネルを抜けてみれば、その向こうには見慣れた景色が続いていた。

 懐かしい町並み。奥には森が続き、その手前には時計台が。現在ほど古びていない。何故か、綺麗に見えた。トンネルのすぐ近くにあった、自動運転車の停車場は、跡形も無く消えている。通行人は、昔ながらの携帯端末を耳に当て、誰かと会話していた。まるで異世界に来てしまったようだ。

 秋乃の額を汗が流れ落ちていく。

「ここは……」

 困惑する秋乃をよそに、夏莉がすたすたと歩いていった。

「ここは昔の街だよ。おかえり、秋乃」

 振り返り、彼女はそう言う。

「た……ただいま」秋乃は我が目を疑うのに必死だった。


「それで、結局これはどういうことなの?」

 カフェテリアのテラスで、秋乃と夏莉はコーヒーを、春臣はアイスココアを飲んでいた。秋乃は見覚えのある過去の町並みに、挙動不審に目を左右に動かしながら、疑問を口にした。春臣がストローに口をつけながら、

「簡単な話、これは二周目の世界なんだ」と言った。「二巡目と言い換えて良い」

「言い換えてどうなるの?」

 秋乃の問いに、春臣は微動だにしないので、引き攣った笑みを浮かべる。

「僕はそう簡単に信じないよ。これはドッキリだろう」

「まだ言ってる」夏莉はコーヒーから、上目遣いに秋乃を見つめた。

「そう。なんて言うのかな……。とても、お金のかかったドッキリ。地下を掘って、そこに町のセットを作る。それから、劇団員を雇って、住人を装って貰うんだ」

「じゃああれか? この人たちは皆、お前を騙すためだけに集められていて、俺が二回拍手したら、全員が止まるとでも?」春臣が言う。

「空から照明器具が降ってくるんだね。あっ、或いはこれ全部ホログラムかな」と、秋乃。

「幾ら何でもそれはないよ。映画の見過ぎ」夏莉が頭を振る。

 ふたりの反応に、秋乃は不満そうに息を吐いた。周りを見ながら、確かにリアルではあるな、と感じる。しかし、だからこそ不気味に思われるのだ。

「僕は夢でも見ているんじゃないかな?」

「どうして?」夏莉は聞いた。

「非常階段を下って行ったら、そこには過去の世界が広がっていました、ってのは十分夢物語でしょ……。というか、寝言に近い」

「寝言は寝て言うものだろ。俺たちゃ今起きてる。それも、しっかりとな。これは紛れもなく現実だぜ。良いか、お前はたった今タイムトラベルしたんだよ。非常階段でな」

 春臣がそう断言し、夏莉は頷く。秋乃は苛立って、

「なら、どう言う仕組みかをきちんと言ってくれても良いじゃないか。時層って言ってたけど、意味が分からない。空の上にも世界がある、地下にも世界が広がっている……どういうことさ?」

「説明しよう」

 夏莉は笑みを浮かべ、紙ナプキンを一枚取った。鞄からボールペンを取り出して、四角形を描き、その内側に横線をひとつ引く。これでふたつの層が出来た。上から順に、彼女は過去、未来と文字を書いていく。次いで、中央の横線を跨ぐように階段を描いた。

「私たちは非常階段でここまで下りてきた」夏莉は過去にペン先を置き、階段のマークを経由して、未来と題された欄まで動かす。「ここは私たちが小学生の頃、つまり十数年前を再現している」

「再現? ……なら、この世界はやっぱり偽物なの? でもさっき、タイムトラベルだって言ってたじゃないか。矛盾してる」

「いや、矛盾はしてないよ。春臣がここは二巡目の世界だって言ったでしょう。つまりね、ここは厳密に言えば未来なの。未来に、過去を創造したんだ」

 秋乃は怪訝な表情を浮かべ、夏莉に片手を見せ、制止のジェスチャーを取った。夏莉は前のめりになっていた姿勢を正し、背もたれに体重をかける。秋乃は考え込む様子で紙ナプキンのメモに目を通すと、

「非常階段から未来に来た。でもそこは一巡して、また過去が始まった世界だった」秋乃は目を細め、「……かなり気持ち悪いことになってるなあ」と、間延びした口調で言う。

「そうだね」夏莉は微笑んだ。

「どうしてこの時代なの? もっと凄い昔とか、或いは遠い未来とかに行けば良いのに」

「そりゃま、俺のやりたいことがこの時代にあるからな」春臣が言う。

「へえ、何をするの?」

「俺が小学生の時、兄貴が交通事故に遭った。それを助けるんだ」

「なら、昔に戻れば良いでしょ。どうして未来なんかに?」

「未来の方が都合が良いからさ」

 春臣はそう言って押し黙った。説明はないらしい。

「成る程ね」と、秋乃は言葉を飲み込んだ。

「そのためにはまず、時層のルールを覚えて貰わなきゃならない」春臣は夏莉へと目線を移した。

 夏莉曰く、時代は時層という形である程度固定されるらしい。しかし、そこに一周目の人間が居続けた場合、時間に合わせて時が経つのだと言う。つまり、時層間の移動は出来るが、厳密な時間の指定によるタイムトラベルは出来ないとのことだった。これは、とても難儀なことに思われる。

 また時層間移動には、非常階段以外の方法もあるのだと。森の奥地に広がる湖から、下の時層へと直接飛び込めると言う。本当か、と秋乃が聞けば、お勧めはしないと夏莉が言った。

「これは俺の提案なんだ。俺の家は森に近いからな。だから、トンネルまで行くには遠すぎる」春臣はストローを噛みながら、呟くように言う。

「でも、下──つまり未来にしか行けないんだろう? それってなかなか使い勝手悪いんじゃないか」

「いいや、それがそうでもない」しかし、待てども彼は説明しそうになかった。

「あそう……」諦めて、秋乃は頷く。「ところで、春臣の提案と言ったけど、このタイムトラベルみたいなのって、ふたりが作ったの?」

 春臣は夏莉を見た。夏莉は強張った表情で秋乃を見据える。それから、人工的な笑顔をして見せた。秋乃は不自然に思い、

「夏莉?」

「そうだよ。基本的には、私がやったと言っても良いかもね」

「マジか。それは凄い。だったら、提案があるんだけど──僕にも時層は作れるのかな?」

「ごめん、秋乃。新しく作るのは、結構骨が折れるんだ。だから、出来たら勘弁して」夏莉は両手を合わせて言う。

「未確定未来ってのが問題になるんだとさ」春臣が補足した。

「何、それ?」

「未確定未来というのはね、時層として完全になってない状態の未来を言うの。時層は、ひとつの箱庭としてイメージして。箱庭は、過去や未来の数だけ複製されていく。だから、同じ世界を共有してはいるけど、それぞれはもはや別の代物なのね」

「うん、ここまでは理解できた」

「それで、タイムトラベルと簡単に言ってしまっているけどね、私たちがやっているのは、もっと厳密には世界そのものの再現なんだよ。並行世界の確立みたいなもの、かな」

「自分で時層を作り、その箱庭の中でなら自由に行き来できる、ということ?」秋乃は要約する。

「その解釈で合ってる」夏莉はコーヒーを啜った。「で、未確定未来というのは、一言で言うと『箱庭なき空間』な訳。空き地みたいなイメージかな。本来ならそこに、その時代が見えるはずなんだけど、未確定未来には何も存在しない。それはまるで──」

「虚無だな」と、春臣が後を継いだ。「未確定未来は、時代という縛りがない。夏莉の言うには、時層間の繋がりがないから、そこだけ独立した空間が出来上がる──らしい」

「らしい?」

「まだこの目で見たことがないの」夏莉は唇を引き締めると、「だから、これだけ説明しておいて何だけど、実際のところどうなのかは分からない。分かるのは、危険だということだけ」

 ふうん、と秋乃は納得し、腕を組んだ。

「ならしょうがない。無理言って悪かったよ。……ああ、そうだ。もうひとつだけ聞いても良い?」

「何?」

「新しい時層はどうやって作られるの?」

「それはね、ただ階段を下りていくだけで良いの。壁に、階数の表示があったでしょう?」夏莉は両手に顎を乗せた。

 春臣は店員を呼びつけ、食べ物を注文する。

「うん。扉の下には、西暦も書かれてあったね」

「そこまで分かってるなら話は早いな。後は、目的の時代まで降り続けて行けば良いの。その先に扉があって、きちんと年代が表記されていれば成功。戻りたければ、また階段から元来た扉から帰れる。でも、過去に時層を作るのは駄目だよ。過去改変になってしまうからね。タイムパラドックスを生んじゃう。それに、未来のものを過去に持ってくるのも駄目。未来干渉を引き起こして、運命が捻じ曲がっちゃうから」

「未来干渉って?」秋乃が訊ねる。

「例えば、一年後の未来で、壺を割ったとする。その壺の欠片を過去に持ち込んだ場合、壺は割れる運命にある。誰も壺に触れようとしなくても、ね。未来が定まってしまうせいで、過去もその通りになろうとしてしまうの」

「そんなのおかしいよ。壺と、その欠片があるんじゃあ、同じものがふたつあることになっちゃうじゃない。そうしたら、もはや別物でしょう。幾ら未来が定まっているとしても、本当にその通りになるかな」

 納得しない様子の秋乃に、夏莉はもう一枚の紙ナプキンを取り、小さく二枚分破った。そこにはボールペンで、『時層A』、『時層B』と書き記される。これを、先ほどの『過去』『未来』と書かれた紙の上に、それぞれ被せた。

「さっき言ったように、時層も時間が動いている。さながらエレベーターのように、地下へ──つまり未来に向かって下りているのね」

 夏莉が『時層A』を、過去から未来へとスライドさせ、『時層B』の上に乗せた。

「だから、下の時層で起きた時期と、上から下りてきた時層が重なり合うとき、お互いに整合性を取ろうとする訳。良い? ……未来が定まった瞬間、現在に向けて、未来と過去の双方から時間は二次元的に進む」彼女は自身の両手を挟み、指を絡ませる。この指の隙間──結び目が現在だ、と夏莉は説明した。「だから、未来を限定してしまうことは、現実を束縛してしまうことになるの」

 破られた紙ナプキンに、夏莉は更にメモを取る。店員が春臣の注文した品を運んできた。彼は受け取り、皿をテーブルに置く。

「もうひとつの例を挙げましょう。セワシ君は、猫型ロボットをお爺ちゃんに送りました。これによって、お爺ちゃんは未来に結婚すると決まった女性から、理想の女性に結婚相手が変わるようにします。そのため、恐らく息子・娘の代は別の人間が生まれてくるでしょう。ところが更に次の世代では、きちんとセワシ君が生まれてくるのです。……これは、どうしてか分かる?」

「えっと、多分、これも同じ事なんだよね?」秋乃は確認するように夏莉を見る。「セワシ君がロボットを送ったのが原因で改変が起きる訳だから、ロボットによる過去改変の影響がセワシにはない。何故なら、セワシの存在は壺の欠片みたいなもので、定まった未来だから」

「正解」と、夏莉は秋乃の手を握った。

 春臣は、カルボナーラをフォークでくるくると巻き取り、食べる。

「旨い」誰にともなく呟いた。

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