第46話 本当のこと

 三階にある留置場から男を呼び出し、取調室へと来てもらう。取調室の椅子に腰掛けて待っていると、手錠と腰縄で拘束されている男が、所轄の若手警官とともに姿を現した。パイプ椅子に腰縄が結び付けられるのを確かめてから、村越は静かに口を開いた。

「どうだ。落ち着いたか」

 男は短く「はい」と返事をし、ゆっくりとした口調で言葉を継いだ。

「身体の疲れはとれました。でも、やることがなくて」

「もう少し辛抱してくれよ。こっちにも決まりってもんがあるんだ。なにして時間潰してるんだ」

「ずっと考えてました。あの時のこと」

 男がパイプ椅子に体重を預けて、言った。視線は、なにも置かれていない机の中心一点を、ただじっと見つめている。

「それで?」

 村越が問うた。

「考えがまとまったのか」

 男は首を横に振って答えた。

「考えれば考えるほど、分からなくなりました。ほんの数日前のことなのに、自分のとった行動の根拠を見つけるのが、とても難しくて。悪魔に取り憑かれていたような気さえします。説明出来ないんです」

「出来ない?」

 村越が聞き返した。

「僕は、自分が絶対に正しいことをしたなんて思っていなくて、だけど悪いことをしたとも思えなくて。ただ、あの子の母親はヒステリックで心を病んでました。雛子ちゃんにひどい仕打ちをする親だったから、それを見て見ぬ振りしている自分も愚かな男だと気付いて、なにもしないよりかは、あの子を助けるべきだと、当時はそう思ったはずです。でも、次第に分からなくなっていきました。僕がやったことは果たして、どこまで本当で、どこまで嘘だったのか、ただのエゴだったのかも知れないし、助けたかったのはあの子じゃなくて、自分だったのかも知れない。目的はもっと別のところに、あったのかも知れないとか、じゃあ他にどうすれば最善だったのかなんて、考え出すとキリがなくて」

 難しい顔になる村越。男の表情は至って真面目で、嘘を付いていたり話をはぐらかそうなどという気配は、一つも感じられなかった。

「まだ見つかっていない連中について、もう一度尋ねてもいいか」

 話題を変え、村越が言った。

「君が逮捕される前日に会ってたっていう男についてだ」

「西園寺って名乗ってた人ですね」

「そうだ。君の教えてくれた隠れ家を捜査したんだがな、もぬけの殻だった。他に思い当たる節はないか。顔や声は」

「捕まえるんですか」

 男が尋ねてくる。村越は答えた。

「連れてこないと、お前さんにとっても不利になるぞ。どこで、なにをしてたかはっきりさせなきゃいけないからな」

「僕が知っているのは、彼の名前とピアノが巧いってことと、昨日話した通りのことだけですよ。特徴もこれといって、ありませんでした。たぶん彼も」

 男はそこで言葉を切って、言い直すようにぽつりとつぶやいた。

「孤独そうな人でした。僕はあの人とは合わなかった」

「そうかい」

 事件の全容を知るためには、もうしばらく時間がかかりそうだと、改めて感じた。ポケットに丸めて突っ込んでいた雑誌を引き抜き、それを机の上に置く。

「これ、見て欲しくてな」

「雛子ちゃんのことが書いてあるんですか?」

「そうだ。お前さんが、望んでたことじゃないのか。こんな形で大きく取り上げられてしまうのは、俺にとっちゃ気の毒な話だけどな。母親は生活に困窮してたと書いてある。生活支援を受けられることも知らずにな」

「じゃあ雛子ちゃんは、助かるんですか?」

「少なくとも、お嬢ちゃんにとっては、悪い方向に転がってはいないと思うけどな。結果として、お前さんがしでかしたことで、この家族に光が当たったことは確かだ。あまりお前さんの肩を持つようなことはしたくねぇけどよ。勘違いはするなよ。お前さんがやったことは犯罪だ。それは揺るぎねえ」

 村越が頭をかきながら、優しく男に伝える。男は前かがみになって、熱心に尋ねてきた。

「雛子ちゃんはどうなるんですか」

「どうなるかはこの先、分からねえよ。母親と一緒に暮らすかも知れないし、施設で保護されるかも知れない。でも少しずつ、本当のことが明らかになってくるのは確かだ。お前さんも、知ってることは全て話すべきだ。それがお嬢ちゃんのためにもなる」

「そのつもりです」

 男はうなずくと、悔しそうな顔を見せて、続けた。

「雛子ちゃんには、もう会えないんですか?」

「そうだな。なにか言い残したことでもあるのか。会って謝罪でもするつもりか」

 ふと男の顔に陰が差す。声のトーンが落ちて、また通常の音量に戻った。

「謝罪はまだ出来ないと思います」

「どうして」

「罪を認められないからです。さっきも言ったように僕は正しいことをしたのか、悪いことをしたのか、分かってないんです。だってそうじゃないですか。正義だとか悪だとか、善だとか偽だとか、嘘だとか本当だとか、簡単に答えが見つかるものじゃないはずです。謝ることは簡単で理不尽なことや、分かっていないことに頭さえ下げていれば、形は取り繕えます。でも、それじゃ後になにも残らないと思うんです。すぐに忘れてしまって、僕は自分がやり遂げようとしたことを、台無しにしてしまう。それは雛子ちゃんに対しても、ひどいことだと思うから。もうあの子に嘘は付きたくありません。だから、この先もずっと僕は、僕がしたことを考え続けていかなければ、いけない気がして。終わりがなかったとしても、それを続けて行きたいんです」

 村越は寡黙に天を仰ぎ、男の言葉に耳を傾け続けた。長く時間が経ったように思えた。しばらくして、村越が席から立ち上がる。

「困ったもんだ。本当のことなんて分からないってか。俺もそうだ。同じ気持ちだよ。不条理な世の中だと思うときがよくある。考えないようにしてるだけだ。キリがねえからな。でもな、時間は有限だ。キリがなかろうがなんだろうが、無理矢理にでもぶった切って、終わらせなきゃいけねえときがあるんだ。それが、けじめってやつだろ。少なくとも俺はそう考えてる。悪いが、俺はそろそろ行かなきゃならねえんだ。色々と立て込んでてよ」

「わかりました」

「また来るよ」

「はい」

 背広の襟を整え、ドアの近くにまで寄っていく。扉を開けようとしたところで、男が思い出したように、軽妙な声を上げた。

「そうだ。一つだけ本当だと言えることがありました。刑事さん」

 村越はドアを開けて、入り口のところで振り返る。

 男は僅かに、微笑んでいるように見えた。

「遊園地で遊んでいるとき、雛子ちゃんが一度だけ、すごく楽しそうに笑ってくれました。あの笑顔に嘘はなかったと思います」

 面会室を出た後も、村越の心には、まだ突っかかりが残っていた。あまり人のことを言えた義理ではない。男の言葉はどこか曖昧で、答えを求めてさまよい続けているように思えたが、その瞳はやけにまっすぐで、見ているこちらが、逆に申し訳ない気持ちにさえさせられた。素直さというものが、自分には足りないように思えた。

 警察署の前で立ち止まり、ポケットから煙草を取り出す。二本残っているのを確かめ、いくらか逡巡する。この二本にいったいどれだけの価値があるというのか。

 潮時だと、村越は観念した。思い切ってその箱を手で握り潰すと、ゴミ箱に素早く放り込んでやる。

 空は雲一つない快晴だ。

 携帯電話を取り出して、電話をかける。三コール待って、相手が電話に出た。

「よう俺だ、久しぶり。会って話さないか。話したいことがあるんだ」


                                              了

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【完結】隣家の少女 はやし @mogumogupoipoi

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