第43話 夕日を眺めて

 ボートに乗って森の中を探検した。魔法使いが出てきて、二人に魔法をかけた。その次に乗ったアトラクションでは雛子はもう無邪気な子供そのままに、満開の笑顔で声を上げ楽しんでいた。俊一は雛子にトイプードルのキーホルダーをプレゼントしてやった。雛子は喜んでいた。青かった空が、西の方角から次第に茜色に染まりつつあった。二人は時を忘れて楽しんだ。すべてが夢のようだった。全部、夢ならいいと思った。醒めない夢なら。

「帰りたい」

 沈みそうになる夕日を眺めて、雛子がぽつりとつぶやいた。俊一は、その言葉を聞いたとたんに、心臓が跳ね上がって軽い目眩に襲われる。世界ががらがらと崩れていく音が聞こえた。

「雛子ちゃん。まだ夜のパレードが残ってるよ」

「帰りたい」

 雛子が繰り返す。雛子が、俊一に対してはじめて強く意志を示した。俊一は寂しさに襲われ、自らの帰る場所はどこにもない現実を思い知らされた。もう少しだけ、一緒にいたいと思った。

 俊一は息を荒げながら、ゆっくりとしゃべった。

「雛子ちゃん。もう少しだけ居ようよ。まだアトラクションだって残ってるんだ。見たいものはたくさん残ってるよ」

 俊一はまだまだ続けたかった。このままずっと二人で、遠くまで行きたかった。苦しみが追いかけてこないところまで。誰からも、何者からも縛られない、自由な世界を永遠に繰り返したかった。雛子をこの先ずっと守ってやれるのは、自分だけだと確信していた。母親の元へ返せば、雛子はまたひどい仕打ちに遭う。俊一は、それが許せなかった。

 俊一の中で憎悪が生まれていた。それは娘を愛してやれない母親に対してであり、誰も手を差し伸べようとしない社会へ対するものだった。俊一は離れようとする雛子の腕を強く取り、近くにたぐり寄せた。

「行っちゃだめだよ。僕がいるから」

 雛子はとたんに不安げな表情になって、俊一のことを怯えるような目で見てきた。俊一はますます怒りがこみ上げてくる。

 ふと、雛子の先へ視線を送る。橋の向こう側から男が一人、こちらに近づいてきていた。

 男と目が合った。

「止まれ」

 胸ポケットからなにかを取り出し、それを掲げて男が言った。

「警察だ。用件は理解しているな。大人しくしろ」

 俊一は頭の中が真っ白になり、手足が震え出す。とっさに雛子を抱きかかえ、無我夢中になって走り出した。

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