第38話 二つの村の話

 机上のアラームが音を立てて、夜が明けたことを知らせてくれる。はじめに俊一が飛び起き、西園寺が時計を止めて再び床で毛布にくるまる。遅れて雛子の様子を伺うと、目を開けて無言で天井をじっと見つめていた。

「おはよう雛子ちゃん。熱はもう大丈夫?」

 雛子の額に手を当てると、とりあえず熱は治まっていた。一安心した俊一は、近くのコンビニに朝食を買いに向かった。頭は昨日よりもずっと冴えている。西園寺の提案は断ろうと思った。雛子を一人残しては行けない。

 朝食を食べ終わると、俊一は雛子とともに身支度を整え始めた。と言っても、持ち物はほとんどなにもないのだが。二度寝していた西園寺が毛布の中から呼びかけてくる。

「もう出て行くのかよ」

「うん。置いてくれてありがとう」

 俊一がうなずいて答えた。

「どこ行くんだよ。行き先はあるのかよ」

「遊園地へ行くんだ」

 それを聞いて雛子が顔を上げた。

「約束したからね。雛子ちゃんを連れていくって。夢の世界に」

「笑わせるなよ。エゴの世界の間違いだろ」

 西園寺が吐き捨てた。

「どこへ行っても行き止まりさ。君がしたことは誰も認めないし、君は社会的にすでに死んでるんだ。せめてその世界から救ってやろうとしていた俺の好意を棒に振るのか? ゴミみたいな奴らのエゴの中で、惨めな生き方を選ぶのかい?」

「人は一人じゃ生きていけないよ。僕は雛子ちゃんを救いたい」

「それもお前のエゴなんだよ。一人舞台なんだ。みんな自分のために生きてる。お前はその子を救いたいんじゃない。自己満足を得たいんだ。自分のため。自分が救われたいだけだ。人のために生きるなんて、嘘以外のなにものでもないだろ」

 西園寺はきつい口調になって繰り返した。俊一はそれでも引き下がらずに答えた。

「昨日からずっと考えてたんだ。僕がやりたいことは、エゴなのかって。僕は雛子ちゃんを助けたいって思った。これはエゴじゃない」

「エゴだね。気付いていないだけさ。人は自らを顧みずに誰かに手を差し伸べたりはしない。あらゆる行為は、自分に帰結するんだ」

「昔、母さんから聞いた話を思い出したんだ」

 俊一が言った。

「話? なんの?」

 西園寺が尋ねる。俊一は雛子の手を取り、雛子の目を見て答えた。

「二つの村の話しだよ。百人の村人がいたんだ。どちらの村人もみんな自分を救って欲しいって思ってた。誰かを助けてあげる余裕なんてなかったんだ」

「その通りさ。みんなエゴだから。みんな救われない」

 西園寺が吠えた。

「一つの村ではそうだった。みんな救われなかったんだ。でも、もう一つの村では、みんな救われた。どうしてだろうって母さんが聞いてきた」

「どうもこうもない。それは嘘だ」

 西園寺が苛立った。俊一は雛子の手を握りしめて言った。

「助けて欲しい人たちがみんなで輪になって、隣の人を助けたんだ。そしたらみんな救われた」

「詭弁だ」

「詭弁でも僕は信じてる」

 西園寺は再び毛布の中にくるまり、冷たく言い放った。

「そうかい。なら勝手にしろよ」

「ありがとう。雛子ちゃん。行こう」

 俊一は雛子を連れて、部屋を後にした。投げ出してきたものはたくさんあったけれど、雛子との約束だけは中途半端にしたくはなかった。雛子は小さく、うんと返事をしてくれた。

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