第31話 逃走
村越の元に連絡が入った。ホシと被害者の少女が別々のバイクに乗り国道を逃走しているというのだ。にわかには信じ難いものだった。ではいったい誰が少女を連れ去っているというのか。無線からの連絡では、族の頭領である女とだけ伝えられた。
「先回りして押さえてくれ」
それが村越に急遽下された任務だった。東京側に逃げたのはホシを乗せたバイクで、被害者少女を乗せたバイクが県警本部の近くにまで逃走してきている。村越はすぐさま相方の刑事とともにパトカーを走らせた。
四車線の国道に出る。逃走犯はすでに隣町にまで入っているらしく、トカゲ三台が後を追っている様子であった。族の運転技術は非常に高く、途中待ち伏せていたパトカーもまかれてしまった。少女はいわば人質だ。安全を考えると強引に停止させるのは難しかった。
応援にかけてきたパトカーは全部で三台あった。三台はバイクの到来を待って、脇に控える。間もなく無線が入った。
「出るぞ。前ふさげ」
後ろの席から顔をのぞかせ、双眼鏡を構えていた村越が、相方の刑事に言った。パトカー三台はするすると道路に出ていき、前方二台が横に並んだ。そのまま時速六十キロにまで加速する。後ろから制限速度オーバーで、族の赤い改造バイクが追い上げてきた。
「そこの改造バイク止まりなさい。危険行為をすぐにやめて、停止しなさい」
一台のパトカーから警告が飛んだ。背後にはトカゲたちが道を塞いでいる。二台のパトカーはバイクの正面で前を塞ぎ、村越たちのパトカーは脇道への逃走を阻止するためバイクの横に付けた。
「おい嬢ちゃん。メット被っててもあぶねぇぞ。早く止まれ」
村越が族の女に呼びかける。
「その子をまず返してやれ」
「返してやるよ」
女のくぐもった返事が耳に届く。
次の瞬間に、族の女は後ろにしがみついていた少女のメットを引き上げて、村越の方へぶん投げてきた。驚いたことにヘルメットに体も足も靴もすべてが引っ付いていた。バスタオルに巻かれたそれは、人ではなかった。
「おわっ」
村越はびっくりして窓の外でそれをキャッチする。車内に引き込んで確かめる。メットを取ると、顔をのぞかせたのは小学生くらいの精巧に作られた人形だった。唇が赤く肌の白い、一部のマニアが好みそうなリアルな人形だ。
「うちの仲間に好きな奴がいてよ。まんまと引っかかってやんの」
族の女が笑いだした。
「なめたまねしやがって」
村越が窓から身を乗り出して叫んだ。
「あんまり大人をからかうなよ。おまえには複数の容疑がかかってる。おとなしく止まれ」
「あたしがなにしたんだよ。ただ人形後ろにくっつけて走ってただけじゃねぇか」
「まず危険運転だ」
「制限速度守ってんだけど?」
「いまスピード落としたんだろうが。ここにくる前にやったことはなんだ。覚えてるよな? 誘拐犯を匿って、族たちを集めて、警察の公務を妨害した。ついでにそのバイクは違法だ」
「だったらなんだよ? あたしらが悪いのか? ざけんなよ。そっちが間違ってるんだろうがよ」
女の言い分に村越は気を止めた。思わず、尋ね返していた。
「誘拐犯の男からなにを聞いたんだ」
「いろいろ聞いたよ」
女が答える。
「俊一はなヒナを誘拐したんじゃねぇ。助けようとしたんだ。あたしはあいつが正しいと思ってる。そしててめぇらはゴミだ。なにもしようとせずにあたしらを悪だと決めつけやがる」
「なんだと」
「腐ってやがる」
村越はさすがにむっとなった。しかしその女の話で、自らが思い描いていた事件の真相にようやく自信が持てた。
パトカーを女の真横につけ、村越が言葉を返した。
「俺たちは、おまえらが悪いとは思ってねぇ」
「は? じゃあ、なんだってんだよ」
女が怪訝そうな声になる。
「警察は悪人を捕まえてるんじゃねぇって言ってるんだ。てめぇ悪いことしてねぇから、捕まらないとでも思ったのか? 甘えんなよ。俺たちは法に背いた連中を捕まえてんだ。社会のルール守れねぇやつは犯罪者なんだよ。悪人かどうかなんざ関係ねぇ」
「じゃあヒナの母親も捕まえろよ」
族の女が反論する。
村越が言った。
「なんでだよ。犯罪やったのか」
「ヒナを虐待してやがったんだ。犯罪だろ」
「証拠がないと無理だよ」
それを聞いて、族の女が吐き捨てた。
「貴様らなんだよ。役に立たねぇ。あたしはな、お前みたいなサツが一番嫌いなんだよ」
「なんでだよ。嫌われることした覚えはねぇ」
「たばこ臭いからに決まってんだろ」
叫んで、族の女はハンドルを絞った。パトカーを振り切ろうと、反対車線に乗り上げる。左ばかりを気にしていた女には、正面が見えていなかった。村越も、女のバイクの正面から迫りくる六トントラックには、気も止めていなかった。
「おい。前見ろ」
村越の大声とほとんど同時に、トラックとバイクが接触した。バイクが前輪に巻き込まれて、横滑りに視界の端へ流れていく。動転したトラックがふらつく。女の身体は宙に投げ出されていた。道に身体を叩きつけられて、跳ね上がりながら転がっていく。
「止めろ!」
パトカーとその後ろのトカゲたちがいっせいに速度を落とす。女は道の真ん中で仰向けに転がりぐったりしている。
村越はパトカーからすぐさま降りて女の元へと駆け出した。
「大丈夫か。生きてるか」
呼びかけると族の女はうう、と短くうめいた。その後、フルフェイスのメットを右手で外そうとする仕草を見せる。
「動くなよ」
「取れね」
「分かった。取ってやるから、動くなよ」
村越はメットを取るのを手伝ってやった。中から顔を見せたのは、二十前後の若い女だった。自分の娘とそう変わらないくらいの女を見て、村越はふいに柔らかい口調になっていた。
「命を粗末にすんなよ。死んだら元も子もねーだろうがよ。親が泣くぞ」
女が笑った。
「おっさんさ、やっぱりたばこ臭ぇよ」
「悪いかよ」
「嫌いだね。おっさん、私たちはいらないやつなのかよ。悪か」
「さっきも言ったけどよ、関係ねーよ。でもルール違反は犯罪だろ。だからお前を捕まえるんだよ。警察の仕事だ」
女は弱気になり、目に涙を浮かべていた。
「みんなから言われるよ。ルールを守れって。あんたら警察だっていつもあたしたちに、守れ守れって言うだろ。家に帰ったら誰からも言われなかったよ。誰も話しかけてこねぇし、飯もなかった。散らかった部屋で死ねばいい親父がいただけさ。学校の成績のことなんて一度も話したことねぇよ。でも、お前らは守れ守れってあたしたちに言ってくるんだ。教えられてもねぇもん、守れるわけねーだろ」
女の頬を伝う涙をみて、村越は、なにも返す言葉が見つからなかった。
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