第30話 一触即発
「俺ですか?」
「そうだ。こい」
「ええっ」
理由も分からず、市原は前に歩み出ていく。野重と呼ばれる刑事は市原の二の腕や腹周り、そしてふくらはぎを断りもなく幾度か揉むと、満足げにつぶやいた。
「おまえ、いいな。いくつだ」
「二十七です」
「いい体格してるじゃねぇか。一課か」
「県警捜査一課です。まだ二ヶ月ですけど」
「よしっ、なら俺についてこい」
「ええっ」
野重刑事が背を向けて、歩き出す。市原は後をつけながら、そんな刑事に呼びかけた。
「ついてこいって、どこ行くんですか」
「俺はな、ここの連中とは顔見知りでよ。元総長とは仲良しだ」
「はぁ」
「いいか、話し合いで解決できるに越したことはねぇ」
そこまで言うと、野重は前線を固めている機動隊の間を縫って、両陣営が向かい合っている最前列にまで飛び出した。正面にいる族たちが、こちらへ向けて敵意をむき出しにしている。焼け付くような視線を浴びせられ、市原は血の気が引いていくのを感じた。
野重は通い慣れた道を行くかのように、族たちの元へと近づいて行く。そして群れの中へと踏み込んだ。
「あまり動揺すんなよ。胸張って進むんだよ」
「いいんすかここ、突っ切って」
「入らないと会えねぇだろ。宮本によ」
市原もすぐ後を付けていった。野重の正面にガンを飛ばしてくる輩が寄ってくる。両脇にいるヤンキーたちも、みな市原たちを見ている。ロン毛の厳つい奴と木刀を三本持った奴が後ろから付けてくる。
「なんやおまえ、おい。シめられたいんか」
正面でガンを飛ばしてくるヤンキーが野重に言った。
「宮本のところまで案内してくれよ」
と応じる野重。
「誰やおまえ。やるんか」
「おまえこそ誰だよ。新入りかよ。なってねぇな。俺のこと知らねぇのかよ。野重だよ」
「知らねーよ」
すると両脇から、野重さんだ、という声が聞こえてきた。本当に野重を知っている族がいたのだ。それも結構な人数いて、律儀に礼をしてくる連中までいる。
先ほどビールボックスの上に立っていた上半身裸の男が駆け寄ってきて、野重を呼んだ。
「野重さんお久しぶりです」
「おまえは覚えてるぞ。久しぶりだな。宮本のところに案内してくれよ」
「いいっすよ。さっき頭領の真夜さんと中で話してたんすけど。こっちです」
「真夜って女なんだな。今の頭領は」
「そうですね」
「男の方がいいな」
「なぜです?」
裸の男が尋ねた。
「男の方が話分かるだろ」
「ですかね。でも真夜さんはリスペクトされてますよ。ほとんどの連中に」
どうやら野重は元総長の宮本と話を付けようとしている様子であった。族たちの群れの中を押し進み、工場の近くにまで寄っていく。やがてビールボックスに座っている何人かの男たちの姿を捉えた。周囲の族たちとは少し雰囲気が違っており、一言で表すならあか抜けた感じの連中であった。
「野重さん。久しぶりです」
はにかんで挨拶をしてくる男は、とうてい元総長には見えない。人が良さそうだ。ジーパン姿に白のカットソーを着ている男に対して、野重刑事が口を開いた。
「宮本おまえ引退するとき俺んとこ挨拶にこなかったな」
「いや、すいません。もう三年前のことですよそれ」
「子供は大きくなったのかよ」
「ええ。お陰様で第二子も生まれそうです」
「いま仕事は?」
「もちろん普通に働いてますよ。家族養っていかなきゃなりませんからね」
などとごく平凡な話から入る。とても族の元総長とマル暴対策課の刑事の会話とは思えない。背後でそれを聞いていた市原は、とたんに肩の力が抜けてしまった。
「ならよ、この状況はなんだよ」
野重がビールボックスに座りこんで、非難した。
「収拾つけなきゃまずいだろ」
「いや、僕らも後から呼ばれたくちなんで。正直、びっくりしてますね。なんだこりゃって」
「じゃあ解散かけようぜ。互いにその辺りは理解してるだろ」
「もちろんですよ。だからいま頭やってる真夜に話つけに行ってたんですよ。穏便に行こうってね」
「人質を解放する気はあったのかい」
元総長の宮本は妙な間を作り、それから刑事の問いに答えた。
「引き渡しには応じることは出来ない、と言ってましたね」
「それじゃ困るよ。なんとかしてくれなきゃ」
「なんともならないです」
宮本がきっぱりと断る。野重刑事の口調が若干うわずった。
「ならないじゃまずいだろ。収拾付けられるのはおまえくらいだよ」
「無理ですよ。俺は元総長ですから。今の頭は俺じゃない」
「口利きは出来るだろ」
「引退した会長がね、経営方針に口出してたら示しがつかないわけですよ」
「そういう会社もあるよ」
「そういう組織にはしたくないんですよ。俺らは」
穏やかな顔で受け答えする宮本に、野重刑事は苛立っている様子だった。
「なにが不満だよ」
「俺も最近よく考えるんですよ」
宮本が変わらぬ口調のまま続ける。
「俺は結婚して家族が出来るんで組織抜けましたけど、それって居場所が見つかったからですよ。でも今ここにいる連中は、ここが家みたいなもんでしょ」
「他に生き方あるだろ」
野重刑事が言った。
「不器用な連中がたくさんいるんですよ。そういう集まりですよ。分かるでしょ野重さん。あんたカタギじゃない人たくさん見てきたでしょ」
「分からなくはねーけどよ。こっちにもメンツがあるだろ」
「俺たちだって今までみたいな同業者とのぶつかり合いなら、鞘納めましたけどね、いま正面切って対峙してるのはそうじゃないんですよ。刑事さんたちなんですよ。俺らみんな腹の底では、感じてるんですよ。後ろ指さされて、疎外されて、誰も手を貸してくれないさもしい世の中に映っちまうのは、あんたら国家がまともに対応してくれないからじゃないかって、連中みんな疑ってるんですよ」
「国が悪いのかよ」
野重刑事が愕然とした声で言った。宮本の言葉の節々からは、感情の高まりが伺える。
「俺だっていま派遣ですよ。家族のために働いてますけど」
「だからって俺たちに喧嘩ふっかけても解決しないだろうがよ。反発したところでよ、損するだけだぞ。割り切れよ。不条理なものなんて、いくらでもあるだろうがよ」
「それが出来ないのが今の頭領なんですよ。俺はもう干渉はしませんよ」
宮本が話を打ち切って立ち上がる。
「引けねぇのか」
野重刑事が静かになった口調でつぶやいた。
「引けませんよ」
「じゃせめてOBは帰らせろよ。関係ねえだろ」
「俺は責任あるんで残りますよ。他のOBは帰らせます。彼らにも生活あるんで」
宮本との交渉は決裂に終わった。野重刑事も予想外だったみたいで、唇をかみしめて、しばらく言葉を失っていた。
「市原とか言ったな。帰るぞ」
呼ばれ市原は「はい」と返事をした。野重刑事はきびすを返すと、もと来た道を引き返していく。宮本とその取り巻きの元OBたちは黙ってそれを見送る。
「野重さん」
宮本が野重刑事を呼び止める。刑事が振り返り、宮本を見た。
「もしこの後、俺が帰れなくなったら、嫁と息子たちにはよろしく伝えておいてください。お願いします」
それを聞いて刑事が喚いた。
「おまえ自分で養ってるって言ってたろうがよ。そういうとこ昔から変わってねえよ。バカ野郎」
「お願いします」
「自分で帰れよ。ふざけやがって。この借りは生涯かけても返せねーぞ」
ぶつぶつ文句を垂れながら野重刑事が族の中を離れていく。市原はその後に黙って従う。野重刑事と宮本、二人の仲がかつてどういうものだったのかは知りようもなかったし、交渉がうまくまとまらなかったのは、とても残念なことだと思ったが、市原の中では、あの自分よりもいくらか年上の宮本という元総長とは、どこかウマが合いそうな気がした。それでも、もう少し狡猾に立ち回ることは市原には造作もないことだった。
「もうこの辺でいいぞ市原。悪かったな。あまりいいもんみせられねぇでよ」
野重が言った。すでに警察側の和の中に戻って来ている。
野重と別れた後、無線連絡が耳に届いた。説得工作を打ち切って強行突入の指示が下ったのだ。裏では着々と突入のための準備が進行していたらしい。
市原は突入する瞬間がやってくるのを、固唾を飲んで見守った。
まもなくして廃工場の中からバイクを吹かす音が聞こえてくる。その場に集まっているみなが一瞬、身動きを殺した。突入の指示はまだ届かない。最高のタイミングを見計らっていたのだ。しかし、次の数秒後には族たちがいっせいに道を譲り、中から改造バイクの群れが機動隊めがけて突進してくるのが目に飛び込んできた。
驚いて後ろに引いたのは市原だけではない。他の刑事たちも、機動隊員さえも陣形を崩して、バイクをよけた。人がみるみるはけていく。パトカーや他の警察車両の間を縫うように、バイクが五台、いや十台ほどが、一斉に駆け抜けていく。赤い改造バイクに跨っているのは、白い特効服を着た人物だった。その後ろにしがみつく髪の長い小柄な少女。どこからともなく誰かが叫んだ。
「そいつを逃がすな」
一台のバイクがパトカーに乗り上げ、高く跳躍した。次のパトカーの上に落ちて、また飛び跳ねる。サングラスをかけた筋肉隆々の男がバイクに跨っていた。人がはけた後からまた別の改造バイクが走ってきて、まばらになった人の間をうまく抜けていく。そのバイクにも他の男が相乗りしていた。
「ホシが逃げるぞ。追え」
「追わせんじゃねぇ」
族たちが雄叫びを上げながら、いっせになだれ込んでくる。警察たちも負けじと応戦した。戦争が始まったのだ。
二人乗りのバイクは別々の方向へ散っていく。万が一に備えていたトカゲ部隊が即座に後を追う。大勢の男たちの押し合い、殴り合いが始まる。現場は、混乱の渦の中へと放り込まれた。
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