第29話 マル暴刑事

 物が宙を舞っている。族の投げたスチール缶がパトカーの上に落ち、中から飲みかけの珈琲が流れ出てきた。フロントガラスを蛇行しながら伝う茶色い液体に顔を歪ませ、刑事が苛立った。

「おい。今の投げた奴誰だこら」

 正面に立っている連中は皆そろって無責任にそれを否定した。どこから飛んできたのか不明である。族の中から、また別の物が投げ込まれて、今度は刑事の足下へと落ちた。とたんにそれは、ぱんと乾いた音とともに弾けて、火を噴いた。爆竹だと分かる。刑事は、あわてて後ろに退いた。大勢の人間のざわつきが瞬く間に静まり返り、しばしの間、爆竹が炸裂する音だけが空に響き渡った。

 一筋の煙を立ち昇らせて、爆竹は大人しくなる。

 とたんに族たちの笑いが、どっと沸き起こった。

「辞めろよ俺らまでびびったじゃねぇか」

「冗談きついわ」

「面白すぎて超ウケる」

 げらげら笑い出す族たち。あぐらをかいてその場に座りだす連中まで出てきた。警察が手を出して来ないことをいいことに、つけ上がり始めたのだ。

「こっちも投げ返しましょう」

 市原が現場を取り仕切っている刑事に申し出た。しかし到底許可は下りるはずもなく。

「子供の喧嘩じゃないんだぞ。人質の保護が最優先だ」

「でもあいつら、放っといたら調子乗りますよ」

「後で痛い目みるのはあいつらだ」

 そう応じると、指揮を任されている刑事は、拡声器を使って族たちに呼びかけた。

「これ以上続けても互いになんの得にもならないぞ。分かってるのか。親分をだせ親分を。おまえ等下っ端はこれ以上群れるのを辞めて、さっさと解散しろ! 今ならまだ見逃してやる。下に用はねぇから、家に帰ってママのご飯食べて、勉強でもしてなさい」

「おまえが帰れ」

「おまえ等が帰ったら帰れるんだよ」

「俺たちは帰らねーよタコ。ナス」

「じゃ俺たちも帰らねー」

 族たちは誰一人として帰る気配を見せなかった。それどころか、長期戦に持ち込む気すら伺えた。隣にあるコンビニへ買い出しにいく連中の姿を見かける。市原は店内の様子が気になり、他の刑事と一緒にコンビニの中へと入ってみることにした。すると刑事と族が一緒の列に並んで買い物をしていた。

「警察ってチョコ食うんすね」

「食って悪いかよ」

「奢ってくれるんすか」

「奢らねぇよ。働けよ自分で」

「俺無職じゃないっすよ。バイトしてるんで。あ、豚まん一つ。お姉さん可愛いっすね。LINEのID教えてもらっていいすか」

 店員の女性が苦笑いを見せる。

「おい、店員に迷惑かけんなよ」

「迷惑じゃないっすよ。LINEのID聞いてるだけなんで」

「それを迷惑って言うんだよ。買い物済んだらさっさと表に出ろよ。捕まえてやるから」

「冗談きついっすね。俺なんもしてねーっすよ。鬼っすね。ふへへ」

 柄の悪い族たちは悪びれもせずに買い物を済ませると、また元の仲間たちの元へと帰っていった。市原も長期戦になるのだろうと思い、念のためパンとドリンクを買っておく。時刻は既に三時を回っていた。

 十分ほど経った頃、今度は警察側から動きを見せた。最前線のパトカーが工場の入り口へ向けて、前進を始めたのだ。

「おい、来んのかよ」

 座り込んでいた族たちが、立ち上がって吠えた。パトカーの前進に合わせて、族たちがじりじり引き下がっていく。しかしすぐにパトカーを取り囲んで身動きを取れなくしてしまう。ボンネットに手をかけて押し戻そうとする輩が出てくる。乗り込んでいた刑事がクラクションを鳴らして対抗した。

「こらどけよ。ひき殺すぞ」

「出来るもんならやってみーや。まんまみーや」

 法が許すならば、ひき殺してしまいたい。そう思ったのは市原だけではないはずだ。しかしそれはまずいので、結局パトカー前進作戦は徒労に終わった。バックしてまた距離を取る。族たちはますます建物への入り口を堅く守った。

 サイレンが鳴り響き、道路の向こうから警備車や放水車が列をなして姿を現す。重装備で身を固めている隊員たちが次々と降りてくる。防護用の服にヘルメット、盾、彼らは機動隊であった。さすがの族たちも彼らには驚いたのか、ざわついている。

「押しきる作戦かね」

 と尋ねる市原。

「いやぁ、分かりませんね僕には」

 首をひねる派出所勤務の警官。その警官が上空を見上げて言った。

「ヘリまで来てますよ。ほらあそこ」

「ほんとだ。うるさいな」

 ヘリが上空を旋回している。だが、それは警察のヘリではなかった。

「マスコミのヘリじゃない?」

「そうなんですね。確かに」

「動き早いなぁ。まだ一時間くらいなのに」

「放送されてるんですか?」

「いや、そこまでは知らないけど。どのみち、機動隊が来たんなら俺たちの役割ってもうあまりないよね」

 市原がそんなことをつぶやく。機動隊は前線に並び、盾を構え陣形を整えた。

「これ以上、輩を集めるな。来た奴は追い返せ」

 最初から帰るように警告はしていた。再度の指令が下る。強調した形だ。

 市原も指令を受けて、工場につながる道路を塞ぐように言われた。族たちの増え方が予想を超えていたためだ。数ではようやくこちらが優勢になりつつあった。

 現場はさながら祭りでも始まるのかという様相を呈している。二車線道路上には複数の警察車両とパトカーが停車しており、道の両脇を数多くの警察官が固めている。現場から二三十メートルほど離れた地点を封鎖している部隊の外側では、合流できずに喚き立てている族たちの姿があった。その数も刻々と増え続けている。族たちはあの手この手を使って中央に集まってくる。建物の隙間を見つけて通り抜けを図ったり、コンビニの屋根から梯子を使って降りてきた奴もいた。それでも、片っ端から族を捕らえていられるほどの、人的な余裕はなかった。勢力の分断をすれば道の構造上、警察側が挟み撃ちを食らう形になってしまう。工場の中へ一つに押し込めておいた方が、扱いやすいとの意見も出ていた。情勢はいずれにとっても好ましいものではないはずだ。前にも後ろにも引き返せなくなったパトカーが何台も目に止まる。警察側も若干の混乱をきたしている。

 まもなくすると今度は、封鎖していた道路の外側から、大量のバイク音が鳴り響いてきた。何人もの機動隊が後ろに押し込められて、陣形が不自然に歪む。市原もたまらず、後ろの空き地にまで引き下がった。

 外側の群れの中から、今までで最大の暴走族の応援部隊が姿を現した。バイクの数は三十台は下らない。

「あれOBじゃないか」

 と漏らしたのは、近くにいる所轄署の刑事だった。

「真ん中にいるのは、先々代の総長だぜ」

 先々代の総長の姿は見えなかったが、仲間たちに囲まれる形で、工場前にいる族たちの群れの中へと溶け込んでいった。

「これじゃほんとに身動き取れないよ」

 市原が声を張り上げて言った。周囲のざわつきで自らの声すらも耳に届きにくくなっている。市原はさすがに帰りたくなってきた。渋谷のスクランブル交差点の煩わしさが苦手だった。一人で静かに広い部屋の中、ゲームでもしていたい気分にかられた。

「やだな。こういうの」

「泣き言いってんじゃねぇぞ。これだから若い奴は」

 近くにいた刑事にたしなめられる。その刑事とは面識さえもないというのに。見知らぬおっさん刑事の剣幕は、やはり他の刑事同様に、とても険しいものであった。

「これは戦争だぞ。互いに強ければ強いほど、余計に身動きが取れなくなるんだ。始まっちまったら、ただでは済まねぇからな。剣豪同士が見合ったら、勝負は一瞬で決まるっていうだろ? そういうこった。もう死んじまった俺の先輩が言ってたよ。若い連中が集まり出したら、それはもう戦争だってな。ほら、学生運動のときの」

 隣のおっさん刑事は、たばこ臭い息を吐き散らしながら過去話を始めた。緊張からか、えらく饒舌になっている。二十七歳の市原にはそんな過去のことは興味がなかったので、おっさん刑事からはそっと距離をとっておいた。

 まもなく一台のパトカーがサイレンを鳴らしてやってくる。警視庁のパトカーであった。中から降りてきたのは、五十くらいの顔のえらく濃い男だ。目の窪みが深く、目尻から頬にかけてナイフで引っかかれたような傷跡がある。高級そうな背広と、ぴかぴかの黒い靴から、お偉いさんだろうかと市原は推測した。

「あれ捜査四課の人だな」

 最初に絡んでいた刑事が近くにやってきて、耳打ちした。

「正確には元・四課で、今は組織犯罪対策部のマル暴刑事だ。四課の野重っていうと有名だぞ」

「マル暴がなんでここに」

「刈り出されたんだよ。知らないけど」

 二人が話していると、四課の野重と呼ばれる刑事が、味方の警官たちに向けて、野太い声を張り上げた。

「おおい。こんなかで腕っ節に自信のあるやつはいねぇか。いたら出てこい」

 仮にいたとしても出て行きたくない呼びかけであった。思った通り、名乗り出る者は一人もいない。

「おまえ」

 市原が指を差された。

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