第27話 管轄

 相模原の中央部、入り組んだ住宅地の一角に、その建物はあった。かつて運送業者が運送拠点として利用していた小さな工場で、隣町にできた巨大物流拠点の影響を受けて今やお払い箱となってしまった廃工場である。持ち主はすでに倒産している中小企業の元オーナーの子息であった。

「おい、僕たち。そこは君らの溜まり場じゃないだろ」

 工場の前で拡声器を持ち、族に呼びかけている刑事の姿が見えた。

「人様の敷地に土足で上がり込みよって、君ら全員、不法侵入容疑で逮捕されるぞ。逮捕」

「雑魚が粋がってんじゃねぇぞ!」

 バイクに跨っているヤンキーが騒ぎ立てた。

「粋がってんのはてめぇらの方だろ。あほんだら。おまえらまとめて豚箱に送ってやるからな。後悔してもしらねぇぞ」

 刑事も負けじと叫び返す。とは言うものの、数では圧倒的に不利だった。族の数は軽く二十を越えている。対して警察側の勢力は十人ほどだ。十人の中の一人、県警本部捜査一課の市原は到着するなり渋い顔を作った。

「うわ、こりゃキツいな」

 もう少し遅れて到着すれば良かったと思わず本音を吐露する。しかし来てしまったからには仕方ない。これも仕事なのだ。

「いいから頭出せ頭。下っ端と話す気はこっちにはない」

 マイクで呼びかけている刑事が要求をぶつけた。すると族たちはしばらく相談を始めたかと思うと、バイクに跨る男たちの中を分け入るように、工場内からスカジャンを着た細身の女が姿を現した。

「あたしが頭だよ」

「名前は」

 拡声器の刑事が聞く。

「は? 真夜だけど」

「じゃ真夜さん。この中にいる誘拐犯と女の子、引き渡してよ」

「いねーよ。んなやつ」

「いるよね。分かってんだよ」

「いねーし」 

「じゃあ中に踏み込ませてもらうよ? そこのバイクどけてよ」

「はぁ? ここあたしらのアジトなんすけど」

「人の敷地だろうがよ」

 刑事がすごむ。

「誰も使ってねぇだろ」

 女も声を張る。

「権利ってもんがあんだよ。権利ってもんが」

「知らねーよ。んなもん」

「引き渡せばすぐ帰るからよ」

「ないもん出せねぇだろ」

 族たちには誘拐犯を匿おうという明確な意思が見られた。刑事と女頭領が言い争っている後ろで、市原は建物の周辺をあちこち見回していた。隣にはコンビニがある。建物とコンビニの間にはひと一人通れそうなくらいの細道が奥まで続いている。建物の正面は空き地となっており、駆けつけた警官たちはそこに陣取っている。裏は固めているのだろうかと思い、隣の制服警官に尋ねてみた。

「他の刑事が複数回り込んでましたよ」

 それを聞いて市原も裏に回ろうかと思った。

 正面の刑事がこちらに寄ってくる。言い争っていた真夜と名乗る頭領は、仲間の元へと引き返していった。

「待機だ。あの尼、聞く耳もたねぇ」

 交渉していた刑事の口から意外な言葉が漏れた。この状況で待機というのだ。市原が聞き直す。

「踏み込まないんですか?」

「あの数だぞ」

 親指で後ろを指さす刑事。

「でも突っかかってきたら向こうの負けですよ。引っ張りだした方が」

「じゃお前行けよ」

「嫌ですよ」

 市原は族の方に目をやり、思い切り首を横に振った。みな血の気が多そうで殺気立っている。こちらを睨む目がまた恐ろしい。

「あの女さっきまでホシがいねーとか抜かしてやがったくせに、あっさり認めやがったよ。いるんだとよ」

 刑事が続ける。

「こりゃ犯人蔵匿に監禁だぜ。もう少し応援が来るまで様子見た方がいいよ」

 その後、現場刑事の判断は所轄署の特捜本部にも伝えられ、まもなく許可が下りた。上層部も現場の判断に委ねる他ないと感じたようだ。逃走犯を族が守るなどという事件は、市原の知る限り初めてのことであった。応援が集まれば、こちらの数的有利を活かして、族たちとの再交渉を有利に運ぶことが可能になるだろう。

 まもなく特殊犯係長宇野らがやって来て、建物から少し距離を置いた場所に現地本部が設けられた。

 市原は耳に無線を取り付けて、退屈さを覚えつつも、次なる指示を待つことになる。待機中に村越へと電話をかけた。村越はどうやら現場には来ないらしかった。状況に変化があれば、再度電話して欲しいと言われ会話を終えた。

 近隣の警察署の警官が二人応援に駆けつけてきた。続いてパトカーが三台サイレンを鳴らしながらやってきて、正面から少し距離を置いたところに停車した。市原は遠巻きにそれらを見て、「あっ」と声を漏らした。

 パトカーには警視庁の文字が刻まれている。降りてきたのは全部で七、八人の刑事たちであった。

「警視庁まで来たんですか。ここ僕らの管轄ですよ」

 市原が前に出て呼びかける。この現場は県警察の管轄内だ。

 それを受けて、荘年の刑事が建物を指さして答えた。

「この工場の裏口の向こう三つ目の道路から、俺たちの管轄だ」

「向こう三つて若干離れてるじゃないですか」

「どのみち上に話は通してある。合同捜査だ。状況は無線で聞いた通りか」

 警視庁の刑事に説明を求められた。胸のバッジから捜査一課の主任、役職は警部補であろうと判断されたため、市原は敬礼をして不承不承ではあるが、質問に答えておいた。

「あの建物にホシがいるのは確かみたいです。ただ、ヤンキーが邪魔して踏み込めないようで、待機指示が出ています」

「数は俺たちの方が多いか。んん、微妙か?」

 入り口付近で見合っている族と警察官たちを見比べて、警視庁の刑事が首をひねる。到着した警視庁の刑事たちを合わせれば警察側の数は二十四、五人だった。しかし族側も人が増え続けており、両者どちらの数が多いのか判別がつかない。裏手に回っているヤンキーたちの数も相当数いるらしかった。マスコミや野次馬も増えてくる。県警の広報車が現場から距離を取るように促していた。

 そうこうしている間に、改造バイクのエンジンをぶんぶん鳴らして、族の応援がまた向こうからやってきた。ますます空気が張りつめてくる。パトカーとバイクを挟み、互いの勢力拡大は続いた。

「大丈夫だよな。これ」

 市原は思わず隣にいた若手の警官に尋ねていた。

「分かんないですけど。こんなの初めてですし」

 交番勤務であろう所轄署の警官も眉をひそめる。その場にいた誰もが、この先どう落としどころを図っていくのか読めずにいた。ただ互いに弱みを見せることは出来ないため、気を張り、時に声を張り上げて、相手を威嚇し続けている。

「おい! 今おまえ殴ったな」

「バカにしてんじゃねぇぞ」

 快晴の青い空に怒声が轟く。緊張が急速に高まった。みなが、声のする方角へ視線を注ぐ。

 族がやけに前に出てきている一端で、正面にいる刑事たちともみ合っていた。一人の警官が地面に倒れている。

「取り押さえろ」

 一人の刑事が叫んだ。短髪の半袖Tシャツを着ている若いやつがねじ伏せられて後ろ手に手錠を掛けられている。近くで見ていた別の族たちが、騒ぎ立てていた。

「お前等も捕まりてぇのか!」

 別の刑事が族たちを威嚇する。族の中の一人が前に出てきて、刑事の正面に立ち、顔を極限まで近づけてガンを飛ばした。

「やんのかオイ」

「やって来たのはてめぇらが先だろ!」

 そのまま、族と刑事たちは雪崩のように殴りあい、もみ合い、惨状を呈するかに思われた。しかし族の中から、また別の雄叫びが上がった。

「止めろ! 勝手に動いてんじゃねぇ」

 ガンを利かせていた族がその声を聞き、一歩後ろに退く。声の主は、族の集まりの中央付近にいた。ビール箱を積み立てている土台に登り、高い位置から仲間に呼びかけていた。上着を脱ぎ捨て鍛えられた肉体を露出させている。腹には白い曝しを巻いているが、その上からでも腹筋が見事に割れているのが分かった。

「姐さんにシバかれたくなかったら、指示があるまで待てえや」

 裸男の呼びかけにより、族側の血の気が引いていくのが見て取れた。相手も無駄に血を流すつもりは毛頭ないらしい。この人数で殴り合えば、被害は甚大なものになると理解しているようだった。

 現場の刑事たちも気を引き締めて、立ち位置を調整し始める。接近し過ぎぬように互いに数歩下がり、間合いを取る。

 市原は事なきを得て、静かに胸を撫で下ろした。

 依然として硬直は続くようだ。

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