第26話 エスカレート
俊一と雛子は二階の部屋でスマホゲームをしていた。座布団の上にあぐらをかいて座っている俊一は、壁に掛けられている時計に目をやってから、雛子に話しかけた。
「ねぇ雛子ちゃん。そろそろお昼ご飯食べたくない? もう二時だよ」
「んん」
ソファにもたれ掛かり、キャンディをくわえている雛子が気のない返事をする。
「ずっとここにいるのも疲れるし、外に出てみない?」
雛子は、手にしているスマホを床に置くと、言いにくそうに切り出す。
「お母さんには、いつ会えるの」
俊一は返事が出来なかった。
この廃工場の一室に匿われてから二日が過ぎていた。家具や遊び道具などは族のみんなが私物を持ち込んでくれたため充実していたし、食事も毎日出前を取ってもらったり、弁当を買ってきてもらったりと、思いのほか不都合はない。トイレだけは敷地内の草影を利用していたが、それ以上の外出は頭領の真夜から止められていたため、二人はこの二日間、まるで引きこもりのような生活を送っていた。雛子も次第に自らの意志を示すようになってきて、母親のことを口にするようになっていた。同じ質問を受けたのは、これで四度目であった。
俊一は現状を良くないと感じつつも、この先どうすべきか決められないことには、どうしようもなかった。
「おい、俊一」
真夜が部屋に入ってくる。今日はいつもの特効服を着ておらず、ジーパンにスカジャン姿で、茶髪の長い髪もまとめてはいなかった。
「部屋の手続きが終わったぞ。今から引っ越しだ。おいヒナ。おまえもその菓子袋片づけろよ。引っ越しだよ引っ越し」
そう言って真夜は何冊か漫画本が収められているカラーボックスを、豪快に持ち上げた。
真夜は雛子のことを名前で呼ぶようになっていた。子供好きというのは本当らしく、族の中の誰よりも雛子のことを気遣ってくれていた。当の雛子は真夜が苦手なようで、ほとんど自分から話しかけようとはしていない。だけれど真夜は大して気にしていない様子だった。
「ここよりは全然いい場所だからな。引っ越してもあたしらが面倒みてやっから。ほら、早くしろよ」
俊一と雛子はせかされながら部屋の掃除を始めた。
そこへ、誰かが慌てて階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「真夜さん、真夜さん」
「ヘッドだろ。ちゃんと呼べ」
「大変っすよ」
スキンヘッドの男が姿を見せる。宮地という名前らしい。
「サツが来てますよ。前に」
「はぁ!? なんでだよ」
「いや、なんかおまえ等知ってるよな、みたいな物言いで」
「知らねぇよ」
「そこの二人、匿ってんだろって」
宮地というスキンヘッドの男が、俊一たちを指さして答えた。俊一はこちらを振り返る真夜と目が合った。
「どっから漏れたんだよ。おい」
「分かりません」
宮地が首を横に振って応じる。真夜が舌打ちを入れた。
宮地からの報告によれば、すでに五、六人の警察が溜まり場の前に集っているらしかった。外から、拡声器を通して呼びかけてくる声が届く。どうやら本当みたいだ。
「いま阿川たちがバイクで入り口塞いで、サツ止めてます」
「絶対に通すな。ここには誰も匿っちゃいないって言え。ここはうちらのアジトだってこと教えてやれ」
宮地は階段を駆け下り、前線の仲間たちの元へと引き返して行った。真夜が振り返り、俊一たちに向かって申し訳なさそうな顔を作った。
「わりぃけどよ、サツにばれたわ」
俊一は黙ってうなずいた。
「心配すんなって。うちらがなんとかしてやるって」
「なんとかって」
「なんとかはなんとかだよ。前にも何度かいざこざがあってよ、まぁなんとかなんだよ」
理由になっていない言葉を聞いて、俊一は半ば諦めかけた。捕まることに対する恐怖は確かにある。しかし一方で雛子の希望を聞いてやれるという期待にも似た心情が渦を巻いていた。
「どうやってこの場所を嗅ぎつけたんだよ。誰かがチクったんじゃねぇのか」
真夜は激しい剣幕を崩すことなく、ずかずかと階段を降りていった。俊一も後に続く形で一階に降りる。雛子は二階の部屋に待つようにと言っておいた。
一階の奥まった場所で、俊一は鉄格子にもたれかかり寡黙に待つ。頭の中では捕まった後に連れて行かれる場所だとか両親のことだとか、気になるアニメの最新話のことだとか、重要なこともそうでないことも、一緒くたになってぐるぐると思考が巡り続けていた。警察が自らに呼びかける声が耳に届いて、外へ出て行かねばならない気がした。しかし真夜たちが外で必死に抵抗する声も共に聞こえて、俊一はどうしたら良いのか、ますます分からなくなった。
真夜が荒ぶった様子で戻ってくる。背後に二人のヤンキーが付き添っていた。
「安心しろよ俊一。連中、建物の中には入ってこねぇ。少し作戦会議すっから、耳貸せ」
そう言って真夜が近づいてくる。俊一は鉄格子に寄りかかることを止めて、真夜に相づちを打った。
「作戦会議ってなにをどうするの」
「立川に行くんだ。そこに俺たちの仲間っつーか、顧問みたいなやつがいてよ。顧問っつーか、脳味噌だ。なんて言うんだっけ、脳味噌のこと」
「ブレイン?」
俊一は聞き返した。
「そう、それだ! ブレイン。おかしな奴でよ。隠れ家の一つや二つは知ってる。そいつに今から電話して、匿ってもらえるように聞いてやっから、安心しろよ。そいつ変人だけどよ頭いーから」
携帯をポケットから取り出して、そのブレインなる人物に電話をかけ始めた。しかしすぐに電話を切って真夜は叫んだ。
「くそっいねぇ! 肝心な時に電話に出ねーんだあいつ。暇なくせに」
真夜は鉄格子を三回叩いて、うさを晴らした。その後、鉄格子の隙間に短くなったたばこの吸い殻を見つけて、また怒った。
「おい、誰だよマルボロ吸ったの。あいつかカズキか。おいカズキは来てるか」
背後のヤンキーに尋ねる。ヤンキーたちは首を振り答えた。
「来てませんね。召集はかけましたよ」
「あとでシバきだな。今は忙しいから後回しだけどよ」
そう言ってその場で屈んで、便所座りをした。
「どのみち、奴に連絡とれねぇと始まんねーし。待つしかねぇけどな。お前もほら、そこに座って落ち着けよ」
言われるがままに俊一はその場に腰を下ろした。少なくとも俊一は真夜よりかは落ち着いている。取り乱したところで、事態が進展するわけでもない。真夜の指に挟まれているタバコの吸い殻に目を向け、俊一は話しかけた。
「一つ質問してもいい」
「なにさ」
「たばこ嫌いなの」
「嫌いだね。特にこのマルボロはな」
親指に力を込めて、たばこをはじき飛ばす。小さくなっている吸い殻はくるくると回転しながら飛んでいった。
「親父が吸ってたんだ」
と真夜が続けた。
「へぇ」
「学校から帰ったらよ、部屋中がヤニの臭いで充満してたんだ。部屋が狭かったから余計にひどかった。親父はゴミ山の中でテレビばっか見てた。グータラさ。キレると酒瓶叩き割って凄んでくるんだぜ。日頃はほとんど話しかけてこねぇくせに。いねーもんみたいに扱いやがって」
真夜の口調が大人しくなる。
「殺してやりたかった。いや何度か殺そうとしたんだよ。そしたらこっちが悪いみたいになってよ。アホママは一人で逃げちまった。親なんて自分勝手な奴ばかりだ」
俊一は黙ってうなずいた。
「だからよ、お前は今正しいことをしてると思うぜ。あたしはガキの頃によ、お前みたいな奴に出会ってたら、喜んでついていったぜ。あのヤニ臭い場所から連れ出してくれんだって思うと嬉しいからな」
「そうなんだ」
「ヒナだってきっとそう思ってるに決まってる。帰ったら気の狂った母親にまた殴られんだろ。帰してやる道理はねぇだろ。胸張れよ。お前は今、正しいことをしてんだ」
真夜の拳が重く胸を叩いた。俊一は小さく頷くことしか出来なかった。
「ヘッド」
外から赤い髪の男が走り込んできて、真夜を呼んだ。
「ヘッド大変ですぜ。昇一がサツにパクられた」
「なにやってんだよ」
真夜が立ち上がる。
「手出したのか」
「向こうが挑発してきたんだ。耐えかねて制服きたやつ一人ぶん殴って」
「バカか! 安い挑発に乗ってんじゃねぇ!」
「今もう向こうの数もかなり増えてきて」
「野郎舐めやがって。渋沢スペクターの恐ろしさ思い知らせてやる。全メンバーに緊急結集かけろ! いいか全員参加だ。こられない奴は除籍だ! OBも呼べ」
「うす」
真夜を取り巻いていたヤンキーたちもまとめて、建物の外へと飛び出していった。
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