第24話 家庭の事情

 三日ぶりに横浜市内にある自宅の門をくぐった。玄関で靴を脱ぐなりリビングへと駆け込み、水を飲む。冷蔵庫を開けて、中にビールとつまみくらいしか入っていないことを確かめ、なにも取り出さずに冷蔵庫を閉める。テレビを付けて、ソファに腰を下ろした。

 十分経ったら入浴を済ませ、布団に飛び込もうと考えた。

 村越の家は二十年前に新築で立てた3LDKの立派な一軒家だ。車庫には車が二台入る。二階にはテラスがあり、玄関先から裏口まで庭を一望出来る。地方公務員の村越にとっては若干、背伸びをした物件だったが、購入した当初は親族、友人みな一様に喜んでくれた。

 二十年が過ぎた今は、一人で使っている。

 息子は昨年、大学生になり、東京で一人暮らしを始めた。娘は専門学校を卒業してから埼玉で暮らしている。一人暮らしだと聞いているが、本当のところは分からない。娘の話し相手はいつも父親ではなく、母親だったからだ。その母親、村越の嫁である郁子も今は実家に帰ってしまった。半年前のことだ。村越は仕事場でクリスマスと年末年始を過ごした。寂しさなどは沸いてこず、ただただ仕事に没頭する毎日だった。

 同じ課にいる刑事などは警察官同士で結婚をして、家族ぐるみでつき合いをしている連中が何人もいる。警察官同士というのはよくある話で、そちらの方が仕事の理解が得やすい。一方で村越は警官とは無縁の一般女性と結婚していた。所轄署で勤務していた時代に、ある事件で聞き込みを行った女性が運命の相手、郁子だった。仕事が二人を繋いでくれたのだ。しかし皮肉なことに、仕事への理解が得られず、二人の仲は円満とはいかなくなってしまった。二人の子供が成人する前までは、人並み程度にはうまくいっているように思っていた。否、それを信じたかった。だけれど子供たちが家を出て行ってしまってからは、ご覧のありさまである。一緒に暮らす必要性が希薄になってしまい、郁子は実家に帰ってしまった。一人で待つには、この家は広すぎたらしい。村越はその時ようやく、我が家は子供でかろうじて繋がっていただけの寂しい家庭なのだなと、痛烈に思い知らされた。

 午後十一時から始まる報道番組がやっている。テレビを付けると心なしか寂しさが和らぐ。風呂に入ろうと椅子から腰を上げたその時、チャイムの音が部屋に鳴り響いた。

 夜遅くに誰だろうと思いつつも、村越はリビングを出て玄関口へと急いだ。鍵を開けると、扉の向こうから馴染みのある女の顔が姿を見せた。白い肌に母親似の太い唇、父親似のくっきりとした二重、やや癖のあるブラウンのショート髪を、中学の時からそうしているように、ヘアピンで整えている。今年二十三になる村越の娘、春菜であった。

「なんだ春菜か」

「なんだってなによ。たまたま近くに寄ったから来てあげたのに。迷惑なら帰るけど」

 むすっとした顔になる春菜をみて村越は少しだけ安堵した。今日はもう少し遅くまで起きていてもバチは当たらないだろう。

「まぁ上がれよ。俺しかいないけど」

「期待してない」

「ひどい物言いだな」

 自嘲気味に笑う。不機嫌に反応されるのはいつものことであった。中学を卒業した辺りから、パパと言わなくなった。最近は父さんと呼ばれることも少ない。それでも、たまにはこうして姿を見せに来てくれる娘に、村越は有り難みを感じていた。

 リビングにあるテーブルの上にコンビニ袋を置く春菜。肩に掛けている鞄を椅子の上に乗せて、羽織っているカーディガンを脱ぐ。キッチンからコップを一つ持ってきて、自らも席に着く。コンビニ袋から紙パックのお茶を取り出して、それをコップに注ぎながら口を開いた。

「相変わらず一人で住んでるの? こんなに広いのに」

「今立て込んでるんだ。帰ってこない日もよくある」

「売ればいいのに」

 娘の言葉に、村越はわずかに感情的になって言った。

「簡単に言うなよ。俺の帰る家がなくなっちまう。まだ築二十年だぞ。ローンも残ってる。おまえたちが育った家なんだ。少しは愛着とかあるだろ」

「じゃあちゃんと使ってよ。誰もいない実家とか、戻ってきても寂しいだけじゃん。母さんとは話したの?」

 春菜に問いつめられて、村越は言葉を詰まらせた。

「もう半年も経ってるんだけど。いつ戻ってくるの?」

「今は、俺もなかなか家に返ってこられないんだ。母さんも実家でゆっくりする時間くらいあってもいいだろ。ようやくお前たちが巣立って一人の時間が生まれたんだ」

「そのうち戻ってくるって言って、もう半年経ったんだけど。いつ戻ってくるの? 意地張らないで連絡しなよ」

「意地なんて張ってねえよ。電話して、なにを話すんだよ」

「戻ってくる気があるのか、ないのかを話すんでしょ。はっきりしてよ。冷めてるなら離婚しなよ」

 娘の言葉に村越は声を荒げた。

「お前な、そういうこと軽々しく口にするなよ。考えてるわけないだろ。離婚なんて」

「どうして? 私から見たら二人が夫婦だって言う方がおかしいよ。父さん気付いてないだけじゃん。仕事だけしてりゃ、いいと思ってるんでしょ。形だけ取り繕って。それで家族だなんて。見てるこっちがしんどいよ」

 春菜がより大きな声で反論してくる。

「父さんバカなんだよ。今のままじゃ駄目だって分かってるんでしょ。それでもなにもせずに。中途半端なんだよ」

「そんなことはないだろ。俺だって考えてるよ」

「すっごく中途半端。見てていらいらする」

 その日、春菜は三十分くらいで家から出て行ってしまった。友人の家に泊めてもらうらしい。一人残された村越はさっとシャワーを浴びて、次の日の捜査に備え、疲れた身体をベッドの中で休めた。

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