5章 村越刑事

第23話 教師の話

 村越は秦野市内にある東が丘小学校へと足を運んでいた。女児周辺の情報を一から洗おうと考えた。近隣住民及び関係機関への聞き込みは再三に渡り行われている。しかし特段、有益な情報は得られていなかった。女児の母親にもう一度会おうとしていたが、入院中につき面会遮断となっていた。精神的な負担が大きかったらしい。マスコミの対応に耐えかねたとの情報もあった。仕方がないので、福祉事務所の松木に取り次いでもらい、女児が通っていた学校の校長と会うことになった。

 駅から徒歩十五分の場所に、市立東が丘小学校の校舎が建っていた。村越は過去に二度、この小学校に来た覚えがある。事件の捜査ではなく、至極個人的な理由でだ。村越の住んでいる町はちょうどここの隣町であり、娘と息子がその小学校にもう十年以上も前に通っていた。今では社会人となっている子供たちだが、かつては村越も父親として参観日に進んで出席していたりもしたものだ。隣町のこの学校へは、親子参加の防犯イベントかなにかで一度きた思い出がある。もう一回は息子の野球の練習試合を見にきた。息子は少年盗塁王と呼ばれていたが、試合には負けていた。

 昔のことを思い出しながら、村越は変わらない見栄えの正門をくぐり、一人、校舎の中へと入って行った。

 時刻は昼の十二時を回ったところだった。気の早い生徒たちはグランドへ出て走り回っている。靴箱の前で教師とおぼしき短パン姿の男性を見かけた。

「失礼ですが、校長先生に会うにはどちらに行けば」

「校長ですか」

「ええ、私刑事なんですがね、小林雛子ちゃんの誘拐の件で、伺いたいことがありまして」

「あーはいはい、はい」

 メガネをかけた中年の男教師は理解したらしく、

「案内します。こっちです」

 と言って、校内を先導してくれた。職員室の前を通り過ぎ、隣にある校長室と書かれている札のある部屋の前で、男教師は足を止めた。

「校長先生、来客です。先生」

 ドアを何度かノックするも返事がない。

「おかしいですね。確か今日は校内にいるはずですけど」

 男教師が待っておくように一言残して、職員室の中へと姿を消してしまう。まもなく階段から別の女教師が降りてきた。

「どうなさいました」

 と声をかけられた。校内で見慣れない顔の村越に不審を抱いたのだろう。白衣を羽織っている三十代くらいの女教師は、髭の濃くなった村越の顔を、訝るようにして見てきた。

 村越は不承不承に手帳を見せて、いつもの文言を繰り返す。

「県警捜査一課の村越という者ですがね」

「あー警察の方ですか」

「校長先生にお話を伺いたいと思いまして」

「部屋にいませんでしたか? おかしいな」

 近づいてきて、前の教師がやったように、再び校長室のドアをノックする。

「校長先生。おられませんか。先生」

 大きめの声で呼ぶ。しかし反応はない。

 白衣の教師が村越の方に向き直って言った。

「昨日はマスコミ関係の人がいっぱい来たんですよ。それで留守ってことにしてくれって」

 もう一度強くノックをして、女教師が声を張り上げた。

「校長先生。警察の方ですよ。先生」

 すると鍵を外す音がして、中から頭の薄い中年の男が顔を覗かせた。男は村越を視認すると、物腰低く挨拶をして、中に入るように村越に言った。

 中には来客用の革張りソファと、造りの良さそうな木製テーブルが置かれている。棚にはいくらかの書籍と、金のトロフィーが並べられていた。高い位置には額縁の賞状も飾られている。

 村越はソファに座らせてもらい、校長が向かいに腰を下ろした。

「校長の宮本と言います。わざわざ来ていただいて申し訳ありません。最近ちょっと耳が遠くて」

「いえ、少しお話を聞かせて頂くだけなので、気を使わずにどうぞ」

「それで、話というのは?」

「誘拐された女の子についてなんですがね」

「はい」

「虐待されていたという情報がありまして」

「それについてですが」

 校長が掠れ気味の声で続けた。

「児童相談所から連絡があったと私は伝え聞いています。実際にその女子生徒が虐待を受けているのかどうかについては、把握していなかったと担任から聞いています」

「学校生活においてなにかしら不審な点だとか、そう言ったところはなかったんですか?」

「それをこれからちゃんと注視しましょうというところで誘拐されたんです」

「なるほど。では、その女子生徒の母親について、印象に残っていることはありませんか」

 校長は首を横にふって答えた。

「残念ながら私は、その辺りはあまり。入学してまだ月日も経っておりませんし、担任でさえも生徒の顔と名前を覚えるのに必死なようでしたから。もう少し経過を見ようという話だったんですよ」

「雛子ちゃんは入学前、幼稚園に通っていたそうですね」

「ええ。引っ越してきたのが今年の二月で、それまでは岡山の幼稚園に」

「岡山ですか」

 村越は右手を口元に当てて、校長の言葉を反復した。母娘がこの地域に移り住んだのはつい最近、という情報は既に掴んでいた。離婚をしたのは三年前だと聞いている。つまり離婚を期に引っ越してきたわけではないのだ。岡山から神奈川に移り住むだけの理由が他にあったのだろうかと、ふと疑問に思えた。

「お茶を煎れましょうか」

 校長が両手を膝の上に乗せて、おもむろに腰を上げた。目の下にクマをこしらえており、いくらか疲弊した表情が伺える。

「いえいえ、お構いなく。長居はしませんので」

「左様ですか。では」

 校長が再びソファに腰を沈める。

 そのとき背後で扉の開く音がして、若い女性の声が耳に届いた。

「失礼します。校長先生」

 村越が振り返ると、入り口のところに、白のワイシャツと紺のスカートを履いている小柄な女性が立っていた。

「山田先生」

 校長が女性のことをそう呼んだ。童顔のその女教師は数歩こちらに歩み寄ってくると、両手を胸の前で結んだ状態で、神妙に口を開いた。

「警察の方が来られたと聞いて、こちらの方が」

「刑事の村越です」

「雛子ちゃんの担任の山田と申します」

 女教師はお辞儀をして、そのまま続けた。

「雛子ちゃんのことで、私になにかお力になれることはないかと思いまして」

 すると、校長が困ったように言った。

「山田先生。マスコミの対応も警察も、私の方で対処すると言ったじゃないか」

「すみません校長先生。でも私が直接お話した方が、いいかと思って」

「ちょうどよかった。お話聞かせてもらってもいいですか」

 村越が二人の会話に口を挟む。ソファから立ち上がり、女教師と向き合った。

「小林雛子ちゃんとその母親について聞かせてください。何度かお会いしてますよね」

「一度だけあります。入学前に親御さんたちとの懇親会があったので。ただ、仕事の日程が合わないという理由で、他の親御さんたちとは日程をずらしてお会いしました」

「仕事は多忙のようでしたか」

「はい。雛子ちゃんからも母親の帰りは遅いと一度聞いたことがあります」

「どういう内容の話を?」

「当たり障りのない会話、だったと思います。雛子ちゃんが学校に馴染めるか、心配されていたのは覚えています」

「娘さんのことを悪く言ったりしてはいませんでしたか」

「いえ、まったく。むしろとても愛情を持って育てられているように見えました」

「なるほど。では雛子ちゃんについては、どうでしたか。連れ去らた日の学校での様子だとか。誰かと、どこかに行くなんて話は聞いていませんか?」

 その質問に、女教師は言葉を詰まらせた。顔を伏せ気味に返答がある。

「すみません。まだ、雛子ちゃんをようやく知り始めたばかりでしたので、違和感だとかそう言ったことには気が回らず。申し訳ありません」

 唇を噛みしめて頭を下げる。

「私がもっと、雛子ちゃんのことを見ていてあげれば」

「ご自身を責めることはありませんよ。まだ事件が終わったわけではないのですから、今できることに全力を尽くすほか方法はありません。ところで、連れ去られた女子生徒と仲のよかった児童はおりますか」

「仲の良かった児童ですか」

 女教師は思い出すように、何人かの生徒の名をあげてくれた。しかし新学期が始まってまだ日も浅く、女児の消極的な性格も関係してか、これといった友人はまだ出来ていないようであった。校長が何人かの親御さんにその場で電話をかけてくれた。一人、女子生徒の母親と一度だけ入学間もない頃に食事をしたことのある保護者が見つかった。当人から許可を得て住所を教えてもらい、村越はそこへ向かうことにした。一人ずつ伝手を当たっていく他なさそうである。

 村越は捜査録を畳むと、二人へ向けて一礼した。

「ご協力感謝します。他になにか分かったことがあったら、すぐにご連絡下さい。ちょっとしたことでも構いませんので」

 二人に見送られて校長室を後にする。部屋を出る頃には昼休みは終わっており、グラウンド上に生徒たちの姿はなかった。

 正門を出ると、口元がまた寂しくなってきた。自販機の前に灰皿を見つけて立ち寄る。ポケットから一本煙草をつまみ出して口にくわえたところで、背後から思わぬ追っ手の声がかかった。

「すいません刑事さん」

 村越が振り返る。正面には先ほどの山田という女教師が立っていた。「すいません。ごめんなさい」

「どうして謝るんですか。あなたに非はない」

 女教師は首を横に強く振った。

「違うんです。私は嘘を付いていたんです」

「嘘?」

「はい。申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げてくるその姿に、村越は混乱しそうになる。しかし、追いかけて来てまで何かを伝えようとしていることだけは、はっきりと分かった。

「あの場では言えませんでした。私、本当は雛子ちゃんのこともっとよく知っていたんです」

「まだ話していないことがあると」

「はい」

「全部話してくれますか」

 若い女の教師は髪の乱れを直すこともせず、息荒く語り始めた。

「私、昔からそういうのに敏感で」

「そういうのとは?」

「虐待を受けてる娘が分かるんです。私も、似たような環境だったから」

「そうでしたか」

 村越は右手に持っていたタバコをポケットにしまった。

「続けて下さい」

「雛子ちゃんがたぶん、そうじゃないかって思ったのは、入学して一週間くらい経った頃でした。あの子、下校の時刻になると寂しそうにするんです。端から見てると分からないくらいほんの少し」

「それで」

「校門を出たところの花壇で座り込んでたことがあって。私も同じことしてたから、分かるんです。ああ、この子はあの頃の私に似てる。居場所がないんだって」

 村越は無言でうなずき、次の言葉を待った。

「それで雛子ちゃんと積極的に話すようになって、色々と話を聞きました。母子家庭であることは知っていましたから、なにか力になれないかって思って。だから私、雛子ちゃんが連れ去られる前から、あの子が虐待に合っているんじゃないかって疑っていたんです。いいえ、ほとんど確信していました。知ってたんです」

「ではなぜそれを先ほどは言わなかったのですか」

 村越が問うた。

 女教師の目は、赤く充血している。

「校長の前だったから、本当のことを言えませんでした。校長にお願いされたんです。知らぬふりをしてくれと。それが学校側の総意だって」

「隠そうとしたんですか」

「そうです。でも校長の言い分もよく分かるんです。昨日もマスコミを名乗る人が来ました。あの人たちは記事のネタ探しをしているんです。たとえどんなに些細なことであっても、学校側が不利になるような情報は話してはならないと、校長は言っていました」

「この手の話は格好のネタでしょうね」

「もし一言でも口にすれば、私たちは虐待を放置していたと記事にされて、世間から非難を受けることになるんだって、言い聞かされました。あることないこと記事にされて、それが売れればマスコミの人たちにとっては成功なんだって。でもそれっておかしいじゃないですか。私は雛子ちゃんを守りたいのに、警察の方にまで嘘を付かないといけないなんて」

 若手の女教師は声を震わせ、涙を流した。

「あの子があまりに不憫じゃないですか。母親からも守ってもらえなくて、私たちが嘘まで付いたら、これ以上、誰があの子を守ってあげるんですか」

 女教師は顔を塞ぎ、しゃべれなくなってしまった。

 村越は手にしていたマルボロをポケットに戻して、なにも言わずに待った。村越自身もこの件に関して、色々と思うところがある。それを口に出したくなって、思いとどまる。次の瞬間には、またいつもの刑事としての村越に戻っていた。

 女教師が落ち着くのを待ってから、もう一度、ゆっくりと声をかける。

「先ほど、被害者の女児から色々と話を聞いたと言っていましたね。他になにか、記憶に残っておりませんか。例えば隣に住む男について、話したりは」

「隣の人ですか。いえ、特には」

 目尻を指先で拭いつつ、女教師がつぶやく。

「でもこれを刑事さんに見せたくて、持ってきたんです」

 ポケットから何枚かの紙の束を取り出し、こちらに差し出してきた。

「これは?」

「文通です。私が雛子ちゃんのことをもっとよく知りたくて、手紙を交換してたんです」

「なるほど」

 村越は手紙を受け取り、さっと目を通してみる。二人の手書き文字が結構な分量に渡り書かれていた。

「なにか参考になればと思って。持ち帰って頂いて構いません」

「ありがとうござます。では、一時預からせてもらいます」

「雛子ちゃんを救ってあげて下さい。お願いします」

 教師が深々と頭を下げる。

 村越は無言でうなずくと、担任教師の思いを胸に、次の聞き込み先へと向かった。

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