第21話 寝床
消毒液が身体中に滲みた。血の出た箇所は両手に余るくらいだった。俊一は投げやりに与えられた消毒液とガーゼと絆創膏を使って自らの体を自らの手で治療した。蹴りとばされた太股と腹部がまだずきずき痛んだ。
一階の倉庫内の隅で、適当な鉄筋を尻に敷いて座っていると、さっきどこかへ立ち去って行った特効服姿の女が、十五分くらい経って戻ってきた。
「乱暴して悪かった。話を聞いたが、先に手ぇ出したのはおまえの方だってな」
「違う。それはあいつが、雛子ちゃんに」
俊一はあのにきび男がしたことを言おうと思った。しかし女に遮られる。
「分かってんよ。カズキは子供が嫌いなんだ。でもよ、これでお合いこってことにしてくれ」
「雛子ちゃんは」
「二階で寝てるよ。少し離れたところに住んでる奴の家からソファ運び込んでたんだ。ここで十分暮らせる。必要なもんがあったら遠慮なく言えよ。そうだ、おめー名前なんて言うんだよ。あたしの名前は真夜だ。渋沢スペクターの頭領やってる。これでも三百人はまとめてんだぜ。石垣真夜だよろしく」
「瀬上俊一」
「そうだ俊一だったな。名前知ってたわ。ネットで見れるし。はは」
真夜と名乗る女はそう言って笑った。えくぼを作って笑うその姿は身なりからは想像できないくらい可愛く見えた。髪はろくに手入れされていないバサバサのロングで、煤かなにかで汚れている特効服、靴も男が履いていそうないかつい黒のブーツであるにも関わらず。お洒落をすれば綺麗な女なのだと思った。
「どうしてそこまで色々とやってくれるの」
俊一が素直に疑問をぶつける。すると女は俊一の隣に腰を下ろして答えた。
「あたしは子供が好きだからな。おまえの話を信じたんだ」
「もしかして、それだけで」
「どうしてだよ。てめーうちのこと単純な奴だと思ってんだろ。バカにしやがって」
女が俊一の肩をどつく。
「まさかおめー嘘ついてんんじゃねぇだろな」
「本当の話だよ。雛子ちゃんは母親からひどいことされてたんだ」
「殴られてたのかよ」
「それもあった」
「親父はなにしてたんだよ」
「いなかった」
真夜と名乗る女は大きなため息を吐き、沈んだ口調になってしゃべり始めた。
「そういうときってさ、たいてい誰も助けてくれねぇんだよ。見て見ぬ振りするんだ」
「そう感じた」
「でもてめーが助けたわけじゃん」
「無計画だったと思うよ」
「やったことには誇りを持てよ。いいと思うぜうちは」
女から思わぬ励ましを受ける。俊一はなんだかちょっと安心してしまった。初めて理解者が現れたような気がした。
「てめーいい奴じゃん」
真夜が俊一の背を叩いてそう言った。叩かれた俊一は遠慮がちに首を振って答える。
「いい奴かどうかは分からないけど、これからどうしようかって今すごく心配してるよ。追われてるんだ。そのうち捕まるさ」
「安心しろよ。うちらが匿ってやるって言ってんじゃん」
「ここで?」
「ここで少し待てよ。今新しい寝床探してやっから。その手のプロがいんだうちの団員に。団員っつうか、顧問みたいな。そんなやつがよ。頼んでやるよ。そいつに」
俊一はそんな真夜の話を半信半疑で聞いていた。いくらなんでも協力者が現れたくらいで、この先ずっと警察の目をだまし続けることなんて出来るはずもないと思っていた。なにより雛子がそれを望んではいないであろうことは、俊一にも分かっていた。
「頭領いいすか」
鉄かごの積まれている山の脇から、一人の男の影が現れる。白シャツに黒のスカジャン、だぶだぶのズボンとブーツ姿の男、先ほど俊一がぶん殴ったにきび男であった。
「どうしたよカズキ」
「つくし野で宮原っつう新入りが事故ったみたいす」
「でそいつ今はどうしてんだよ」
「病院送りみたいす。でそのバイク、ぶっ壊れたんですけど別の団員からの借りもんだったみたいで。揉めてんですよ」
「だからよ、バイクはシェアすんじゃねぇって言ってんじゃねぇか」
真夜が腰を上げる。厳しい口調になった。
「人のバイクで走ってっから事故ったとき責任とれなくなんだよ。これ以上揉めてっと規則に加えんぞ。そいつここに呼べ」
「いえ、ベッドから動けないんで。複雑骨折みたいなんで。近くの大学病院にいるみたいす」
「朝っぱらからアホなことしやがって」
真夜が歩き出す。
「悪いな。しょうもない用事が出来ちまったから、ちょっと出てくるよ。なにかあったらパシリに使える奴用意しとっから、そいつに言ってくれ」
それだけ言い残すと真夜は、にきび男が現れた曲がり角から外へと姿を消してしまった。
にきび男が真夜の背中を見送ると、俊一の近くに寄ってきた。
「おいてめぇ。さっきはよくもやってくれたな」
ドスの利いた口調で威嚇される。
「真夜さんはてめぇ守ってやるみたいなこと言ってるけどよ、俺はてめぇみたいな奴、助けてやる義理一つもねーから。さっさと捕まって死んでくれ」
にきび男は俊一の座っている鉄筋を足の裏で強く踏んづけて、忌々しげに、その場を立ち去って行った。
一人残された俊一は眠い目をこすり上げると、雛子が目を覚ますまではここでお世話になろうと、ぼんやりと考えていた。
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